2020年12月30日
令和2年を振り返って
bertvthulによるPixabayからの画像
皆さんこんばんは。
今回は今年最後の記事ということで、令和2年を振り返ってみたいと思います。
社会的には新型コロナウイルスの流行によって、世界的に大きな変化を強いられ、社会構造が変わっていき、予定されていたイベントの多くが見直しを余儀なくされるという大変な年でした。
個人的には旅行に行ったりご飯を食べに行ったり、友人たちや同僚の方と飲みに行ったりという予定がほとんど中止になり、家にいる時間の多い年でした。
しかし、僕は家にいるのがいちばん好きなので、精神的にはそれほど苦ではありませんでした。
(もちろん、旅行やご飯や飲み会ができるに越したことはありません)
ただ、そうした中で精神的な大変革を迎えた年でもありました。
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2020年12月26日
『麒麟がくる』第32回―森可成とは?
《令和6年9月2日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第32回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第32回のあらすじ
「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきぐち)」で殿軍(しんがり)を務めた明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、将軍家(しょうぐんけ)・足利権大納言義昭(滝藤賢一)の下に報告に訪れていた。
そこで、織田弾正少忠信長(染谷将太)が心配で3日眠れなかった、という摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)に対して、それほど早く「信長の危機」を知ることができたということは、やはり浅井(あざい)家の裏切りを知っていたのでは?裏切りでは?と指摘する十兵衛に、晴門は狼狽(ろうばい)する。
鉄砲を増やす必要性を感じた信長は、十兵衛と木下藤吉郎秀吉(佐々木蔵之介)に堺(さかい)にて鉄砲の買い付けを依頼する。
そこで十兵衛は松永弾正久秀(吉田鋼太郎)と対立する筒井順慶(駿河太郎)と会い、信長との会見を約束する。
その後、姉川(あねがわ)の戦いで信長は十兵衛の買い付けた鉄砲を利用して浅井・朝倉(あさくら)連合軍に圧勝する。
合戦後、信長は三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)を討つため摂津(せっつ)に出陣するが、そこで本願寺(ほんがんじ)勢の攻撃にさらされ、一緒に出陣していた義昭の手紙で和議(わぎ)に持ち込む。
同時に浅井・朝倉軍が近江(おうみ)・宇佐山(うさやま)城になだれ込み、弟・織田九郎信治と家臣・森三左衛門可成を失う。
信長は、比叡山が浅井・朝倉方としてこの戦いに加担したことを知り、激怒するのであった。
ということで、
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2020年12月22日
『麒麟がくる』第31回―浅井家の来歴
《令和6年2月15日更新》
皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第31回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第31回のあらすじ
勅許(ちょっきょ)を得た織田弾正少忠信長(染谷将太)は畿内(きない)の大名(だいみょう)たちを従え、若狭(わかさ)に出陣した。
しかし途中で進路を変え、越前(えちぜん)の朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)の領する敦賀(つるが)へ向かう。
天筒山(てづつやま)城、金ヶ崎(かねがさき)城と落城させたところで明智十兵衛光秀(長谷川博己)は従弟の左馬之助秀満からある知らせを受け取る。
北近江の浅井備前守長政(金井浩人)が信長を裏切り、兵を率いて越前へ向かっているという。
十兵衛はその知らせを信長にもたらすが、信長は激怒。
十兵衛は討ち死にするという信長をいさめ、信長らは撤退することに。
十兵衛は木下藤吉郎秀吉(佐々木蔵之介)らとともに殿軍(しんがり)を務め、見事京都に生還する。
ということで、
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2020年12月18日
山崎の戦いに学ぶ―大事なことをひとつ決める
《令和6年9月17日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第36弾として、「山崎(やまざき)の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の堀和久氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
日々の仕事に忙殺されている人は多いと思います。
仕事をやってもやっても終わらない。
次から次へと仕事が湧いてきて、毎日残業残業。
もうへとへとですよね。
たぶん、大抵の人は「仕事をするスピード」とか「自分の能力」が低いせいで仕事が終わらない、と認識していると思うんですが、僕はそうではないと思っています。
そういう時はどうすればいいのか、「山崎の戦い」での羽柴筑前守秀吉〔以降「(羽柴)筑前守」〕の動きから学びたいと思います。
羽柴筑前についてもっと知りたい方は、下記リンクをタップしてください(関連記事に飛びます):
小牧長久手の戦いに学ぶ―勝ちすぎてはいけない
同関連記事:
賤ケ岳の戦いに学ぶ―相手の心に寄りそう
同関連記事:
『麒麟がくる』第27回―「会合衆」とは何者か?
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2020年12月14日
お食事しながらホラーな神秘体験!(ヴァンパイアカフェ(5))
皆さんこんばんは。
今回は「ヴァンパイアカフェ」特集の第5弾です。
【過去記事】
・「ヴァンパイアカフェに行った(1)」
・「お食事しながらホラーな神秘体験!(ヴァンパイアカフェ(2))」
・「お食事しながらホラーな神秘体験!(ヴァンパイアカフェ(3))」
・「お食事しながらホラーな神秘体験!(ヴァンパイアカフェ(4))」
「ヴァンパイアカフェ」とは、東京・銀座駅から徒歩5分のあたりにあるいわゆる「コンセプトカフェ」と呼ばれる類のカフェです。
どのようなコンセプトかといえばその名の通り「ヴァンパイア」つまり吸血鬼をモチーフにしたコンセプトです。
前回は「反逆者を裁く惨劇の火炙りの刑」、「反逆者には串刺し刑を」についてレポートしましたが、今回はその続きです!
東京の飲食店に興味のある方は、下記リンクをクリックしてください:
カフェレストラン/ウルフギャングパックカフェ(7)
同関連記事:
ビアレストラン/アサヒスーパードライ新宿
同関連記事:
カフェレストラン/AUREOLE
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2020年12月10日
『麒麟がくる』第30回―三淵氏の来歴
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《令和6年10月3日更新》
皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第30回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第30回のあらすじ
永禄(えいろく)12年(1569年)、岐阜(ぎふ)に到着した明智十兵衛光秀(長谷川博己)は織田弾正少忠信長(染谷将太)に拝謁(はいえつ)した。
信長は、三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)と結んで美濃(みの)への侵入を企てている越前(えちぜん)の朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)を討つべきかどうか悩んでいたが、帰蝶(きちょう)(川口春奈)の考えを含んだ十兵衛の言葉により、朝倉(あさくら)を討つ決心をした。
翌永禄13年(1570年)、信長はこれまで幕府(ばくふ)でさえも手を付けなかった御所(ごしょ)の塀を直したことで帝(みかど)(坂東玉三郎)に拝謁することに成功し、朝倉討伐について帝からの後ろ盾を得るのであった。
十兵衛はそのことを理由に幕府にて将軍家・足利権大納言義昭の越前への同行を願い出るが、却下される。
その際、摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)から、
朝倉義景の嫡男(ちゃくなん)・阿君丸(くまぎみまる)の毒殺を命じたのは三淵弾正藤英(谷原章介)であり、毒を運んだのは自分の家臣である。
そのおかげで信長は義昭を奉じて上洛(じょうらく)することができたのだ。
だから、信長の言うことをきく必要はない。
という越前での事件の真相を聞かされ、衝撃を受ける十兵衛であった。
ということで、
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2020年12月06日
『麒麟がくる』第29回―押領とは何か
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《令和6年9月12日更新》
皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第29回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第29回のあらすじ
永禄(えいろく)12年(1569年)、三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)によって将軍家(しょうぐんけ)・足利義昭(滝藤賢一)の御座所(ござしょ)である本圀寺(ほんこくじ)が襲われたことを鑑みて、織田尾張守信長(染谷将太)は京都(きょうと)・二条(にじょう)に新しく城を建設した。
その資材や調度品は周辺の寺社などから強制的に徴収されており、僧などからの不満が噴出していた。
そんな中、明智十兵衛光秀(長谷川博己)は伊呂波太夫(いろはだゆう)(尾野真千子)に呼び出されて前関白近衛前久(本郷奏多)と密会していた。
前久は、幕府(ばくふ)の役人(やくにん)たちが私利私欲しか顧みず、帝(みかど)がないがしろにされている現状を訴えた。
幕府の腐敗を認識した十兵衛は信長に改革を進言するが、信長は、それは幕府の家臣たる十兵衛の役目だという。
さらに、越前(えちぜん)の朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)が三好三人衆と通じて美濃に攻めてくる気配があると言って信長は岐阜(ぎふ)へ帰っていった。
十兵衛は京都に家族を呼び寄せるために新たに土地を拝領したが、その土地は東寺八幡宮(とうじはちまんぐう)の領地を押領(おうりょう)したものであることを知る。
事実を確かめるため、十兵衛は摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)に真偽を糾すが、晴門はわからないという。
さらに、帝の御料地(ごりょうち)を押領していることについては「帝を守ってやっているのだから、謝礼代わりに押領するのは当然だ」と開き直る晴門。
十兵衛は、幕府役人のどうしようもない腐敗を痛感するのであった…
ということで、
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2020年12月02日
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める
《令和6年5月29日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国(せんごく)合戦術」第35弾として、「本能寺(ほんのうじ)の変」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の左方郁子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
日常生活を送っていて、人間の力ではどうしようもない事象に出くわすことってありますよね。
小さな出来事で言えば天気。
雨が降ったらイベントが中止になる場合に雨が降るとがっかりしますよね。
そして、他人の気持ち。
多少影響を与えることができたとしても、何を選択するかはその本人次第。動かしがたいですね。
さらに大きな例でいえば、災害や新型コロナウイルス。
その大きすぎる力を前にして、人間は己の無力さを感じるしかありません。
このような「自分の力ではどうしようもない事象」に出くわしたときどうしますか?
「あの時こうすればよかった」という後悔はまだましですが、「あの人がこうしたからこんなことが起こった」等、他人のせいにしていませんか?
自治体や政府のせいにしていませんか?
こんな時、どのような心境でいればいいのか、そのお手本となるのが今回取り上げる「本能寺の変」です。
まずは「本能寺の変」に至るまでの流れをご紹介します。
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