2020年07月03日
『麒麟がくる』第19~20回―足利将軍家の動きと桶狭間の戦い

《令和6年11月18日更新》
皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第19~20回)に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第19~20回のあらすじ
越前(えちぜん)・朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)のもとに身を寄せた明智十兵衛(長谷川博己)は、義景の使者として京都(きょうと)へ赴いた。
将軍家(しょうぐんけ)はようやく京都へ戻れたものの、実権は相変わらず三好筑前守長慶(山岸和弘)が握っているという。
そこで十兵衛は将軍家足利義輝(向井理)らと再会するも、不穏な噂を耳にする。
旧主・斎藤新九郎高政、改め治部大輔義龍(伊藤英明)が織田上総介信長(染谷将太)の暗殺を計画しているという。
十兵衛はそれを止めるため旧知の松永弾正久秀(吉田鋼太郎)に会いに行く。
松永弾正久秀の機転により、十兵衛は治部大輔義龍の暗殺計画を未然に防ぐことに成功する。
越前に戻った十兵衛は、今川(いまがわ)が尾張(おわり)を攻めるという情報を聞いて、いても立ってもいられなかった。
従弟の左馬助(間宮祥太朗)を尾張に向かわせ情報収集をするも、越前にのうのうとしている自分に怒りを感じる。
左馬助を連れて十兵衛は尾張へと向かった。
一方尾張では、今川が攻めてきているという情報により武将たちが浮足立っていた。
対策を迫られる信長であったが、帰蝶(きちょう)(川口春奈)は熱田(あつた)へ行けという。
帰蝶には何やら策があるようだった。
ということで、
第19回「信長を暗殺せよ」の感想
下記、「今日は何の日?徒然日記」さんもおっしゃっているように、ちょっと主人公補正が強すぎやしませんか?
と感じました。
朝倉(あさくら)家臣(かしん)でもない十兵衛が朝倉家の正使となるのもおかしいし、足利(あしかが)将軍家にも、細川与一郎改め兵部大輔藤孝(眞島秀和)にも、松永弾正にも、斎藤治部大輔にも、会えばVIP扱い。
ただ、「面白くない」と感じるほどではなく、今までの流れの中でまぁスルーしてもいいかなくらいな感じですが 笑
朝倉家についてもっと知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
『麒麟がくる』第25回―朝倉氏の系譜
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『麒麟がくる』第34回―松永弾正の出自
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『麒麟がくる』第15~16回―織田一族の関係性と斎藤新九郎高政の重臣たち
あとは、主人公補正があったとは言え十兵衛の暗躍で上総介の暗殺が防げたという解釈は面白いと感じました。
第19回の楽しみ方―足利将軍家の動き―
今回は将軍家足利義輝一行がいつの間にか京都へ戻っており、しれっと諸大名(しょだいみょう)へ上洛(じょうらく)を呼び掛けておりましたが、将軍家はいつ京都へ戻ったのか?
三好筑前守長慶との関係はどうなったのか?
ということで、以前には天文(てんぶん)18年(1549年)ごろまでの京都をめぐる政治情勢については書きましたが、それ以降はご無沙汰だったので、今回軽くまとめたいと思います。
※ちなみに「将軍家」は家のことではなく個人を指す呼称です。
(地図)将軍家足利義藤〔義輝〕の動き
※クリックで拡大されます。

①天文18年(1549年)6月 庇護者であった細川京兆晴元が三好筑前に敗れ、将軍家義輝〔この頃の諱(いみな)は義藤〕は父・前将軍家足利義晴とともに近江・坂本(おうみ・さかもと)に逃れます(江口(えぐち)の戦い)。
→②そしてすぐにおなじみ朽木谷(くつきだに)へ。
ドラマ中で明智十兵衛が朽木を訪れたのはこの頃と思われます。
実は十兵衛が訪れたころは足利義晴は生きていたんですね。
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『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
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天文19年(1550年)2月 父・義晴が京都・慈照寺(じしょうじ)(銀閣(ぎんかく)のあるところ)の裏山に中尾(なかお)城を築き、そこに移りますが、将軍家義藤は朽木谷にとどまります。
5月 父・義晴が死去。
③将軍家義藤は中尾城に移り、そこで三好筑前と対峙(たいじ)します(中尾城の戦い)。
④11月 将軍家は情勢不利と見て、中尾城を焼いて近江・堅田(かたた)へ退却します。
⑤天文20年(1551年)2月 三好筑前との和睦(わぼく)に失敗し、より安全な近江・朽木へ移ります。
3月 家臣が三好筑前の暗殺をもくろみますが、失敗。
⑥天文21年(1552年)1月 ついに三好筑前と和睦することができ、京に戻ります。
⑦天文22年(1553年)3月 親三好派の幕臣(ばくしん)らが力をつけたため、反三好派の幕臣らの不満を招き、三好筑前との関係が悪化。
将軍家は和約を破棄して東山霊山(ひがしやまりょうぜん)城に移ります。
清水寺(きよみずでら)の傍ですね。
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⑧8月 三好筑前により東山霊山城が落城し、将軍家ら一行は近江・朽木へ逃れます(東山霊山城の戦い)。
天文23年(1554年)2月 諱を義藤→義輝に改めます。
名を変えることによって気分を改めようとの意図だったと言われています。
永禄(えいろく)元年(1558年)3月 朽木谷で打倒・三好筑前のため挙兵(きょへい)します。
⑨5月 三好筑前と戦うため、近江・坂本に移ります。
⑩6月 京都・如意ヶ嶽(にょいがたけ)に布陣(ふじん)して三好軍と激突しますが、膠着(こうちゃく)状態に陥ります(北白川(きたしらかわ)の戦い)。
⑪11月 再び三好筑前との和議が成立し、5年振りに入京(にゅうきょう)します。
ドラマで描かれたのはこの翌年・永禄2年(1559年)の話で、実際に京で斎藤治部義龍や織田上総介の上洛を迎えています。
※この将軍家と三好筑前との戦いには南近江の大名・六角弾正少弼定頼、左京大夫義賢〔承禎〕父子が深く関わっていますが、書くと詳しくなりすぎてしまうので、今回は割愛します。
第20回「家康への文」の感想
全体的には良かったのですが、イマイチなところがありました。
松平蔵人佐元康(風間俊介)の母、於大の方(おだいのかた)(松本若菜)のイメージですね。
僕は山岡荘八氏の『徳川家康』に登場した於大のイメージがあるので、「やわらかい雰囲気をもっているけど、母としての強い意志を内包した大きな女性」という印象をもっていました。
参考記事:
山岡荘八『徳川家康』第2巻―これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!
しかし、『麒麟がくる』に登場したのは過去を悔いて、松平蔵人(元康)と生き別れになったことを恨み言のように訴える於大でがっかり。
暗いんですよね。
生き別れたので幼少期には影響をあまり受けていないとは思いますが、蔵人佐元康はのちに於大を引き取っています。
つまり、彼は於大の発想の影響を多少なりとも受けていたはずです。
こんなくよくよした後ろ向きの女性の息子が平和な時代を築き上げたとは思えない。というか思いたくない 笑
それと、この頃於大は織田(おだ)方の武将である、阿久居(あぐい)の久松(ひさまつ)家に再嫁(さいか)してます。
その辺の描写が一切なく、水野(みずの)家に戻っているかのような書き方をしていたのはよくなかったと感じました。
そんな感じで文句ばっかり言っていると、ドラマを楽しめなかったように感じると思いますが、全体としては楽しめましたよ!
第20回の楽しみ方―桶狭間の戦い―
というわけで、今回の解説部分はやはり桶狭間(おけはざま)の戦いですね。
以前言及したことがありますが、この時はもっとマクロな視点での分析でした。
参考記事:
桶狭間の合戦―不利な状況を受け止める
今回は、もっとミクロな分析で、ドラマで描かれた松平蔵人元康の動き、つまり鳴海(なるみ)城に蔵人が入っていたらどうなっていたか、という仮定をします。
また、下記「地図から見る大河ドラマ」さんによる松平・水野挟撃論についても言及しようと思います。
まずは、史実としての今川治部大輔義元(片岡愛之助)と織田上総介の動きです。
(赤系が今川治部の動きで白抜きは予定されていたルートです。青系は上総介の動きです)
※クリックで拡大されます。

これ、もし今川治部に大高(おおだか)城に入られていたらかなりのピンチですね。
幸いにも、この戦よりも前に上総介は弟の織田武蔵守信成(信勝)(木村了)や岩倉(いわくら)城の織田伊勢守信賢を除いていたために防衛ラインを崩されるわけではありません。
しかし、これだけの兵力差があると、囲碁的な拠点攻略戦をやらなくても力押しで勝てます。
(織田:5,000、今川:45,000)
史実としては、上総介本体が今川本陣に攻撃を仕掛ける前に「地図から見る大河ドラマ」さんにて書かれているように、佐々隼人(政次)、千秋四郎(季忠)の部隊が今川本陣に正面から戦いを仕掛けています。
これが陽動(ようどう)となり(上総介が意図的に仕掛けさせたという説もあります)今川本陣の兵を分散させたこともあって、上総介の本隊は今川本陣の不意を打つことに成功したわけです。
これ、松平蔵人が今川治部の命令通り鳴海城に入っていたらどうなるでしょう?
↓松平蔵人が鳴海城に入っていたら、の図
(白抜き矢印が松平蔵人隊の予想進路)
※クリックで拡大されます。

鳴海城の籠城(ろうじょう)勢は兵力的に余裕ができるので、おそらく一部隊を遊撃(※)に出すことが可能となります。
そうなると、おそらく便利に使われていた松平蔵人隊が遊撃として使われて、上記・佐々隼人や千秋四郎の部隊の殲滅(せんめつ)にも駆り出されたかもしれません。
※遊撃(ゆうげき):部隊に特定の持ち場を与えず、自由に動かして攻撃させること。
となると、今川本体からは兵の出撃がなく、ドラマで描かれたような治部本体の兵力を減らすことはできなかったわけです。
それともう一つ、「地図から見る大河ドラマ」さんでおっしゃっているような松平・水野による今川本陣挟撃を僕なりの図にしてみるとこうなります。
↓松平蔵人が今川を裏切ったなり!の図
(白抜き線が松平・水野による挟撃の予想進軍路)
※クリックで拡大されます。

完璧な作戦ですね 笑
こうなっていれば、史実のような織田方のギリギリの勝利ではなく「完全勝利」でした。
ですが、実際は松平・水野は動きませんでした。
松平蔵人は言うまでもなく今川方だったので「裏切り」という決断が必要だったのもありますが、出先の大高城ではっきりとした裏切りを行った場合、国許(くにもと)の岡崎(おかざき)勢や駿府(すんぷ)の妻子がどんな目に遭わされるかわからなかったのもあると思います。
叔父の水野下野守信元(横田栄司)が出兵していたらどうなっていたでしょう?
居城・緒川(おがわ)城が今川治部の敗退とともに織田・今川の境界線の最前線に放り込まれるわけです。
今川方の残存兵に真っ先に攻められる可能性があったために、下野守は居城を離れる訳にはいかなかったものと思われます。
こんな風に、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
『麒麟がくる』第21回―松平蔵人の親族
以下もご覧ください!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・朝倉 左衛門督〔通称は孫次郎〕 日下部 朝臣 義景
あさくら さえもんのかみ〔通称はまごじろう〕 くさかべ の あそん よしかげ
・明智 十兵衛 源 光秀
あけち じゅうべえ みなもと の みつひで
・三好 筑前守〔通称は孫次郎〕 源 朝臣 長慶
みよし ちくぜんのかみ〔通称はまごじろう〕 みなもと の あそん ながよし
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 左近衛中将〔略称「左中将」。通称不明〕 源 朝臣 義藤〔義輝〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが さこんえのちゅうじょう〔略称「さちゅうじょう」。通称不明〕 みなもと の あそん よしふじ〔よしてる〕
・斎藤 治部大輔〔通称は新九郎〕 藤原 義龍〔高政〕
さいとう じぶのたゆう〔通称はしんくろう〕 ふじわら の よしたつ〔たかまさ〕
・織田 上総介〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ かずさのすけ〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・松永 弾正忠〔または弾正少弼。通称は不明〕 紀?〔藤原?、源?〕 朝臣 久秀
まつなが だんじょうのじょう〔またはだんじょうのしょうひつ。通称は不明〕 き〔ふじわら、みなもと〕 の あそん ひさひで
・明智〔三宅〕 左馬助〔通称は弥平次?〕 源 朝臣 秀満
あけち〔みやけ〕 さまのすけ〔通称はやへいじ?〕 みなもと の あそん ひでみつ
・細川 兵部大輔〔通称は与一郎〕 源 朝臣 藤孝
ほそかわ ひょうぶのたゆう〔通称はよいちろう〕 みなもと の あそん ふじたか
・細川 右京大夫〔略称「京兆」。通称は六郎〕 源 朝臣 晴元
ほそかわ さきょうのだいぶ〔略称「けいちょう」。通称はろくろう〕 みなもと の あそん はるもと
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 右近衛大将〔略称「右大将」。通称不明〕 源 朝臣 義晴
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが うこんえのだいしょう〔略称「うだいしょう」。通称不明〕 みなもと の あそん よしはる
・(佐々木)六角 弾正少弼〔通称は四郎〕 源 朝臣 定頼
(ささき)ろっかく だんじょうのしょうひつ〔通称はしろう〕 みなもと の あそん さだより
・(佐々木)六角 左京大夫〔通称は四郎〕 源 朝臣 義賢〔入道承禎〕
(ささき)ろっかく さきょうのだいぶ〔通称はしろう〕 みなもと の あそん よしかた〔入道じょうてい〕
・松平 蔵人佐〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 元康〔元信、のちの徳川家康〕
まつだいら くろうどのすけ〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん もとやす〔もとのぶ、のちのとくがわいえやす〕
・今川 治部大輔〔通称不明〕 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのたゆう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしもと
・織田 武蔵守〔弾正忠。通称は勘十郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信成〔達成・信勝・信行〕
おだ むさしのかみ〔だんじょうのちゅう。通称はかんじゅうろう〕 ふじわら〔いんべ〕 の あそん のぶなり〔みちなり・のぶかつ・のぶゆき〕
・佐々 隼人正〔官職不明〕 源 政次〔成吉、勝通〕
さっさ はやとのかみ/はやとのしょう〔官職不明〕 みなもと の まさつぐ〔なりよし、かつみち〕
・千秋 加賀守〔通称は四郎〕 藤原 朝臣 季忠
せんしゅう かがのかみ〔通称はしろう〕 ふじわら の あそん すえただ
・水野 下野守〔通称は藤四郎、藤七郎〕 源 朝臣 信元
みずの しもつけのかみ〔通称はとうしろう、とうしちろう〕 みなもと の あそん のぶもと
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
第19回
今日は何の日?徒然日記
BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
2020、映像メディアは死んだ ~ テレビドラマ・映画・Web動画をめぐって
第20回
桶狭間の戦いについての推論がすごく面白いです!
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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