2021年11月03日
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す

皆さんこんばんは。
今回は「実生活に活かす戦国合戦術」第52弾として、「大坂夏の陣」について、実用的視点で学んでいこうと思います。
【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】 | |
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江古田原沼袋合戦 | 権現山の戦い |
第一次国府台の合戦 | 川越城の合戦 |
志賀城の合戦 | 郡山城の合戦 |
厳島の合戦 | 四万十川の合戦 |
今山の合戦 | 耳川の合戦 |
金ヶ崎城の合戦 | 一言坂の合戦 |
三方ヶ原の合戦 | 叡山焼き討ち |
江古田原沼袋の戦い② | 石山合戦 |
雑賀・根来合戦 | 第一次国府台の戦い② |
三木合戦 | 本能寺の変 |
九戸城の戦い | 文禄・慶長の役 |
関ヶ原の戦い | 長谷堂城の戦い |
大坂冬の陣 |
※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の檜山良昭氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
普段の生活で、望まない状況に陥ることってあると思います。
仕事でうまくいかないとか、友人関係がうまくいかないとか、彼女にフラれたとか。
そんな時、どうしてますか?
状況が受け入れられなくてパニックになって、あらぬ行動をとってしまうこともありますよね。
みんな同じなんですね。
それは仕方のないことではあります。
他人のせいにしてしまいたくもなります。
しかし、ジタバタしてしまって状況がさらに悪化したことってありませんか?
他人のせいにしてその人を責めてみて、解決しましたか?
今回は、そんな状況に陥りつつも危機を脱した人の話です。
大坂夏の陣までの流れ
慶長19(1614)年12月、方広寺鐘銘事件に端を発して徳川家と羽柴家(豊臣家)(※)の戦いに発展した大坂冬の陣は、徳川方の勝利に終わりました。
※「羽柴」は名字で、「豊臣」は氏(うじ)に当たります。織田信長や徳川家康など、安土桃山時代の人物は「氏」ではなく「名字」で呼称するのが普通です。当ブログでは、それに合わせて豊臣家の人物についても基本的に「羽柴」を用います。
参考記事:
『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
徳川方が提示した講和の条件としては、
・羽柴家の所領を減らす
・当主・右大臣羽柴(豊臣)秀頼の生母・淀君が人質として江戸に行く
・大坂城に集まった浪人衆を処罰する
などの案は退けられ、大坂城の「二の丸三の丸の破却と堀の埋め立て」のみとなりました。
参考記事:
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
徳川方は早速二の丸、三の丸の破却と堀の埋め立て工事を始めましたが、大坂城にいた浪人衆はその様子を見て怒り心頭。
慶長20(1615)年2月、浪人衆は怒りに任せて埋め立てた堀を再び掘り返し始めました。
3月には羽柴家が再び浪人を集めている、伏見への放火を計画している等の噂が立ち、大御所徳川家康は、大坂城にくすぶる火種を消すには羽柴家を滅ぼすしかないと決意。
羽柴家に対して大坂城の退去か、浪人の解雇を要求します。
しかし羽柴家は拒絶。
4月になり、大御所は九男である左中将義利(後の義直)の婚儀のためと称して名古屋へ向かい、各大名に鳥羽・伏見に集結するように命じます。
名古屋滞在後には駿府に戻らず、京都・二条城に入ります。
その頃、羽柴家の大野主馬首治房や後藤又兵衛基次らが大和を攻め、開戦が決定的となります。
(樫井の戦い)
大坂夏の陣
5月に入り、大和から向かってくる徳川軍を迎撃すべく、後藤又兵衛、薄田隼人正兼相、明石全登、真田左衛門佐信繁(幸村)、毛利豊前守吉政(勝永)らが進軍しますが、連携が取れず確固撃破されます。
この戦いで後藤又兵衛、薄田隼人が討ち死にし、真田左衛門佐や毛利豊前守は兵を退きます。
(道明寺・誉田の戦い)
後藤又兵衛の登場する記事:
『真田丸』、伊達政宗の天下取り(第49回)
同関連記事:
『真田丸』、第一次上田合戦に勝てない(第45回)
同関連記事:
『真田丸』、織田有楽斎がいい!(第42回)
同時に、河内方面の徳川軍を迎撃すべく木村長門守重成と長宗我部土佐守盛親らが出撃。
羽柴軍が敗れ、木村長門守が討ち死にします。
(八尾・若江の戦い)
木村長門守関連の記事:
『真田丸』、木村重成推し(第44回)
同関連記事:
『真田丸』、木村重成に注目すべし!(第43回)
翌日には徳川軍が大坂城の眼前に迫り、天王寺・岡山で両軍が衝突します。
真田左衛門佐や大野主馬の部隊が奮戦し、数に優る徳川軍を圧倒。
一時、左衛門佐の部隊が大御所の部隊を混乱に陥れ、大御所は切腹を覚悟したと言います。
しかし、最終的には徳川軍は態勢を立て直して羽柴軍に逆襲をかけ、真田左衛門佐が討ち死にします。
(天王寺・岡山の戦い)
真田左衛門佐関連の記事:
第二次上田城の戦いに学ぶ―「負けない戦」の大切さ
同関連記事:
『真田丸』、有楽斎を慮る(第48回)
同関連記事:
『真田丸』、信之の不倫とかどうでもいい(第47回)
この戦いに敗れた羽柴軍は大坂城に退去しますが、大坂城は先の冬の陣の講和で裸同然にされていました。
瞬く間に城は落ち、淀殿や右大臣秀頼、毛利豊前守等が自害し、戦いが終わります。
覚悟して手放す
この戦いにおける羽柴方の失敗は、前回と同様「自分達のプライドを折れなかったこと」となりますので、ここで解説するのは止めておきます。
参考記事:
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
ここで取り上げるのは、道明寺・誉田の戦いや八尾・若江の戦いで勝利しつつも、天王寺・岡山の戦いで真田左衛門佐に本陣まで切り込まれた大御所の心境についてです。
大御所はこの時切腹を覚悟したといいますが、その「覚悟した」というのが大事です。
参考記事:
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める
関連記事:
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
関連記事:
摺上原の戦いに学ぶ―次善策を用意する
不都合な現実が起こるとジタバタしたくなるものです。
仕事で失敗して責められたり、友人関係がうまくいかなかったり、彼女とうまくいかなかったり。
もちろん、そうなる前に対策しておくことが重要なのですが、それができなかった場合や間に合わなかった場合はどうでしょう?
自分の力でどうにかなりますか?
これは天災などにも言えることですが、世の中には自分の力では動かせないものが少なからず存在します。
「失敗したという事実」
「他人の気持ち」
こういったものは「自分の力で直接動かせないもの」の典型です。
それらに対してジタバタと抵抗してみても敵わないんですよね。
過去に起こった失敗を取り消そうと思ってあれこれと言い訳をしてみても、相手が抱く自分への印象が悪くなるだけです。
壊れてしまった友人関係が、元に戻る可能性は極めて低いです。
過去にやってしまった失言や失態を取り消してくれといっても、いくら謝っても、友人が自分に抱く悪印象は塗り替えようがありません。
「信頼の貯金」について:
上月城の戦いに学ぶ―信頼の貯金を作る
これは、彼女にフラれた時も同様です。
他人の気持ちを直接動かすことはできないんです。
だったら、覚悟をしてその状況を受け入れ、「手放す」しかないんです。
大御所は左衛門佐に切り込まれた時、覚悟して「手放し」ました。
切腹を覚悟したというのはそういうことです。
しかし、日ごろの「積み重ね」があったのか、忠臣たちが混乱から回復して身を挺して大御所を守りました。
この「積み重ね」が「事前の対策」に当たります。
望まない状況に陥った時、結局ものをいうのが日々の「積み重ね」なんですね。
他人が喜ぶようなことを普段からしているか、他人から気持ちのいい人と思ってもらっているか。
覚悟して「手放し」た時にそういった「積み重ね」がモロに出てきて、状況が改善することもあります。
しかし、改善しないこともあります。
望まない状況に陥った時、それはこれまでの自分の行いの結果だと覚悟して受け入れ、「委ね」ます。
真田左衛門佐に切り込まれた時の大御所は、まさにそんな状況だったと思います。
ということで、今回は「覚悟して手放す」ということについて説明させていただきました。
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・征夷大将軍 徳川 右大臣(内大臣。通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
・羽柴 右大臣(権中納言、内大臣。通称は藤吉郎) 豊臣 朝臣 秀頼
(文献上「羽柴」を名乗った例はありませんが、名字に該当するものは「羽柴」です)
・大野 主馬首 (氏不明) 治房
・後藤 隠岐守(字は又兵衛) 藤原 朝臣 基次
・(尾張)徳川 左近衛権中将(通称不明) 源 朝臣 義利(義俊、義直)
・薄田 隼人正 (氏不明) 朝臣 兼相
・明石 掃部頭 源 朝臣 景盛(守重、全登)
・毛利(森) 豊前守(通称不明) (氏不明) 朝臣 吉政(勝永)
・真田 左衛門佐(通称は源二郎、源次郎) 滋野(源) 朝臣 信繁(幸村)
・木村 長門守(通称不明) 源 朝臣 重成
・長宗我部 土佐守(通称は右衛門太郎) 秦 朝臣 盛親
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
戦国魂
今日は何の日?徒然日記
シマのブログ
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次回は「第二次国府台の戦いに学ぶ」。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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