2020年09月05日
『麒麟がくる』第1~8回のまとめ(総集編第1回)

《令和6年11月19日更新》
皆さんこんばんは。
令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』に関しての楽しみ方を解説していたこのシリーズですが、ドラマの放送休止中の総集編放送に伴い、『麒麟がくるまでお待ちください』の楽しみ方を振り返りたいと思います。
番組を見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ
第1~8回のあらすじ
美濃国明智荘(みののくに・あけちのしょう)〔岐阜県可児市(ぎふけん・かにし)〕、天文(てんぶん)16年(1547年)。
明智十兵衛光秀(長谷川博己)は野盗(やとう)と戦っていた。
明智荘はたびたび野盗の襲来を受けており、十兵衛は何か根本的に変える必要性を感じていた。
斎藤山城守利政(本木雅弘)の拠る稲葉山(いなばやま)城に行き直談判し、話の流れで十兵衛は一路、京(きょう)、堺(さかい)に向かうこととなった。
京から帰った十兵衛は、山城守との約束通り医者の望月東庵(もちづき とうあん)(堺正章)を連れ帰ったが、間もなく尾張(おわり)の織田弾正忠信秀(高橋克典)が稲葉山城下である井ノ口(いのくち)に攻め寄せ、十兵衛は奮戦する。
斎藤山城守利政は戦の裏で暗躍していた守護(しゅご)の土岐次郎頼純(矢野聖人)を暗殺した。
一方の明智十兵衛光秀は望月東庵の助手・駒(こま)(門脇麦)を連れて明智荘に戻り、しばし平穏な日々を過ごす。
その後、東庵は山城守に尾張の織田信秀の情勢を探るように命じられる。
十兵衛は三河(みかわ)出身だという農民の菊丸(きくまる)(岡村隆史)を連れて東庵を追って尾張に潜入した。
東庵から情報を手に入れた十兵衛たちであったが、美濃への帰り道で何者かに襲われるのであった。
尾張から戻った明智十兵衛(長谷川博己)は鉄砲(てっぽう)の構造を知るために明智荘出身の鉄砲鍛冶伊平次(いへいじ)(玉置玲央)という男を探した。
斎藤山城守(本木雅弘)の許可を得て一路京へ向かうが、そこで細川藤孝(眞島秀和)という武士と出会う。
彼は将軍家足利義輝(向井理)の側近で、堺で出会った三淵藤英(谷原章介)の弟であった。
遊女屋(ゆうじょや)にいた伊平次に鉄砲の分解を頼んだ十兵衛だったが、松永弾正久秀(吉田鋼太郎)の主人である三好長慶(山路和弘)襲撃の計画があることをきいてしまう。
長慶と久秀の救援のために三淵藤英を訪れる十兵衛。
将軍家義輝の命令により藤孝は十兵衛のあとを追う。
十兵衛と藤孝は長慶と久秀の救援に間に合うが、十兵衛は負傷してしまう…
京にて三好長慶を助けるために負傷した明智十兵衛光秀。
駒の治療を受けて故郷美濃に戻った十兵衛は山城守に、娘の帰蝶(きちょう)を織田(おだ)家に嫁ぐように説得してほしい、と頼まれるのであった。
十兵衛は、織田信長の人柄を見極めるため再び尾張に潜入するのであった。
尾張に潜入した十兵衛は、織田信長が漁から帰ってきたことに衝撃を受け、その印象を美濃に持ち帰る。
明智荘で、帰蝶に尾張に嫁ぐべきか否かを聞かれた十兵衛は、尾張に行くべきと伝える。
ということで、
『麒麟がくる』総集編第1回の感想
第21回までを見切った時点では、僕はすっかり『麒麟がくる』の虜となっていましたが、放送開始当初はそうでもありませんでした。
そこで、総集編第1回でまとめられた本編第1~8回についての感想をかいつまんでみていきたいと思います。
第1回「光秀、西へ」の感想
全体的に悪くはないと思ったものの、細かいところでは文句がありました笑
まず、十兵衛が斎藤山城守に会いに行った理由について、明智荘が野盗に襲われているから斎藤(さいとう)家の力で何とかしれくれ、と言いに行くのかと思ったら「美濃の外の世界が見てみたい!」。
辻褄がよくわかりませんでした 笑
そしてもう一つの文句は登場人物の名前の呼ばせ方。
歴史ドラマではよくあることですが、諱(いみな)で呼ばせている人と通称・官職名で呼ばせている人がいるのはやっぱり気持ち悪いです 笑
武家や公家の名前の形式に興味のある方は、下記リンクをタップしてください:
武家や公家の名前について
参考記事:
『麒麟がくる』第1~2回―当時の三傑と明智家、リアルな戦の描写
第2回「道三の罠」の感想
この回は細かい点なのですが、山城守が土岐頼純を毒殺するときに唄った唄の歌詞が気になりました。
「七里」の読み方は「ななり」ではなく「しちり」では?
もしかしたら、当時はそう読んだかもしれません。
参考記事:
『麒麟がくる』第1~2回―当時の三傑と明智家、リアルな戦の描写
第3回「美濃の国」の感想
他の方も下記ブログでおっしゃっていますが、このころの明智十兵衛の事績は不明なので、今のうちに思う存分フィクションをやればいいと思いました。
ただ、面白いか面白くないかと言えば、展開が緩すぎて面白くなかったです。
まぁ、まだ始まったばかりでエンジンがかかっていないということで僕の中では全然ありでした!
参考記事:
『麒麟がくる』第3~4回ー美濃の情勢/織田家の状況
第4回「尾張潜入指令」の感想
まぁ面白かったかな、というのが感想でした 笑
皆さんも同じように言っておられますが、菊丸の正体が気になりました。
この頃は明智左馬助(さまのすけ)秀満ではないかという説があり、さまざまな憶測が飛んでいました。
参考記事:
『麒麟がくる』第3~4回ー美濃の情勢/織田家の状況
第5回「伊平次を探せ」の感想
面白くなかったです 笑
平成8年の大河ドラマ「秀吉」や平成26年の「軍師官兵衛」のようなわくわく感がありませんでした。
参考記事:
『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
また、細川与一郎藤孝との出会い方や、三淵弾正藤英、松永弾正久秀との再会が唐突すぎるなとは思いました。
参考記事:
『麒麟がくる』第5~6回―当時の京都の情勢
関連記事:
『麒麟がくる』第30回―三淵氏の来歴
第6回「長慶襲撃計画」の感想
与一郎藤孝と刀を抜きあった十兵衛があんなに簡単に与一郎藤孝と和解して、松永弾正久秀のもとに行くというご都合主義展開はなんとも不満でした笑
しかし、連歌会(れんがかい)の描写は良かったです!
『BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)』さんも言っておられますが、連歌会の描写というのは僕もあまり見たことがなかったので新鮮でした。
ただ、屋内戦の描写でみんな太刀(たち)で戦っていたと思いますが、通常の太刀の長さだと天井とか梁とかに引っかかって屋内でうまく戦えないのではないかと思いました。
参考記事:
『麒麟がくる』第5~6回―当時の京都の情勢
第7回「帰蝶の願い」の感想
十兵衛をめぐるフィクション部分が史実の重厚さに負け始めていると感じました。
そもそもが駒との淡い恋物語が面白くないですし、帰蝶が十兵衛のことが好きなのはいいのですが、それが恋愛感情なのかどうか微妙な描き方をしているところもいらないと思いました。
ただ、これについては後程致し方ない状況だったことがわかりました。
参考記事:
『麒麟がくる』第7~8回ー尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
第8回「同盟のゆくえ」の感想
美濃パートはやっぱり面白くありませんね笑
何が面白くないかというと、上で述べたように駒と帰蝶の恋愛パートですね。
それと、僕としては帰蝶は十兵衛に恋心を抱いているとは思えないんですが、どうでしょうか?
山城守利政と高政との軋轢(あつれき)(というか高政が勝手に山城守に反発しているだけですが)は良かったと思いました。
参考記事:
『麒麟がくる』第7~8回ー尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
『麒麟がくる』第1~8回の楽しみ方
第1回の楽しみ方―同時代の人物は何をしていたか?―
ドラマの舞台となった天文16年という年がどういう年だったのか?
戦国(せんごく)の有名人たちは何をしていたのか?
ということに言及しました。
まずは織田三郎信長。
彼はこの前年の天文15年に元服(げんぷく)したばかり。
天文16年には数え年14歳の少年で、初陣(ういじん)を果たしたのがこの年です。
ドラマにものちに出てくると思いますが、彼はまだ「うつけ者」と言われていた時期です。
続いて羽柴藤吉郎の豊臣秀吉。
彼は数え年11歳で、このころは何をしていたのかよくわかりません。
家出をして今川(いまがわ)家に仕えていた時期なのかもしれません。
そして徳川次郎三郎家康。
彼は数え年6歳で、ちょうど人質として織田家に送りこまれていた時期に当たります。
このころ尾張の熱田(あつた)にいたんですね!
関連記事:
山岡荘八『徳川家康』第4巻―徳川家康の生涯を貫く思想
関連記事:
山岡荘八『徳川家康』第3巻―言葉と人間の本質を見極めた「人間学」
関連記事:
山岡荘八『徳川家康』第2巻―これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!
第2回の楽しみ方―社会風俗について―
放送当時、僕は演出には不満があったのですが、時代考証にはちょっと感心してました。
今回僕が感心したのは二点です。
一点は稲葉山城の構えと井ノ口の城下町の様子。
この頃の城は天守閣はなくて、現代的イメージとしては「城」というより「砦」といった感じです。
それがリアルで、というか僕のイメージ通りでうれしかったです。
あとは戦の仕方。
織田軍が「エイッ、エイッ、エイッ、エイッ」と掛け声をかけながら攻めてくるのがよかったですね。
戦に関してもそういった僕のイメージとぴったり合っていて、その点は満足しました。
参考記事:
『麒麟がくる』第1~2回―当時の三傑と明智家、リアルな戦の描写
第3回の楽しみ方―美濃の情勢―
斎藤道三の台頭について簡単にご説明しました。
斎藤道三台頭以前の美濃は
【美濃の守護就任のための争い図】
土岐頼武・斎藤利良 vs 土岐頼芸・長井長弘
という状態になっていました。
この抗争の結果、左京大夫(当時。さきょうのだいぶ)頼芸の陣営が勝利します。
その後、長井越中守長弘が死んで息子の景弘が長井(ながい)家を継ぎますが、いつの間にか家臣(かしん)の長井新九郎規秀が長井家を乗っ取ります。
そのうち守護代(しゅごだい)の斎藤大和守利良も死んで、なぜか斎藤(さいとう)家を長井新九郎が継ぎます。
この長井新九郎がのちの斎藤山城守利政、つまり道三なんですね。
第4回の楽しみ方―当時の織田家の状況―
三郎信長の織田家(世襲の役職名を取って「織田弾正忠(だんじょうのちゅう)家」または「勝幡(しょばた)織田家」と言われています)は弾正忠信秀の父信定(彼ももちろん「弾正忠」です笑)の代にようやく勢力を伸ばしてきた家です。
織田家は美濃の斎藤家と同じように守護代の家でしたが、代々守護代を世襲していたのは織田伊勢守(いせのかみ)家〔岩倉(いわくら)織田家〕と言われる嫡流の家でした。
弾正忠信秀の家はその伊勢守家の家来の大和守(やまとのかみ)家〔清州(きよす)織田家〕のそのまた家来の家でした。
つまり、信秀や信長の弾正忠家が尾張の実権を握るには、織田大和守家、伊勢守家、斯波(しば)家の三家を打倒しなくてはいけなかったんですね。
そんな中で、弾正忠は三河にも美濃にも進出していたわけです。
なかなかの離れ業ですが、尾張国内でも戦っている、三河で松平(まつだいら)家や今川家と戦っている、美濃では斎藤家と戦っている、というように周りは敵だらけだったわけですね。
そう考えるとこののちの織田家と斎藤家との関係に筋道が通っていきますし、信秀があまり美濃に深入りしなかった理由もわかります。
参考記事:
『麒麟がくる』第3~4回ー美濃の情勢/織田家の状況
第5回の楽しみ方―当時の京都の情勢―
まず前提として、
・当時の武士に江戸(えど)時代の武士のような忠義の心はなかった!
ということをわかっていないと京都(きょうと)の情勢を理解するのは難しいです。
基本的に当時の武士たちは「殿様のため」というよりも、個々の武将(ぶしょう)単位の利害判断で動いている感じです。
武士の主従関係を現代の雇用関係に例えると、江戸時代は終身雇用のイメージですが、戦国時代は武将個人単位の契約的要素が強いようです。
というわけなので京都における具体的な敵対関係については下記第6回の項目で説明したいと思います。
第6回の楽しみ方―具体的な京都の勢力模様―
というわけで、当時の京都をめぐる情勢の確認を図で示したいと思います。
詳しい解説は
「『麒麟がくる』第5~6回―当時の京都の情勢) 」
をご覧ください。
①大永(たいえい)7年(1527年)ごろの勢力図

②天文元年(1532年)ごろの勢力図

③天文12年(1543年)ごろの勢力図

④天文15年(1546年)ごろの勢力図

⑤天文18年(1549年)ごろの勢力図

てな感じで対立関係が目まぐるしく変わっていました。
第7回の楽しみ方―尾張国内の政治情勢―
そして、このとき解説したのは当時の尾張の政治情勢です。
当時守護を担当していたのは斯波左兵衛佐義統。
織田家は守護を補佐する守護代という役職を担当していました。
しかし、代々守護代を担当していたのは「織田伊勢守家〔岩倉織田家〕」と呼ばれる嫡流(ちゃくりゅう。本家のこと)です。
織田家の一族にはさらにその下に「織田大和守家〔清州織田家〕」と呼ばれる家があり、大和守家は本来伊勢守家の家来だったのですが、16世紀前半にごねて、尾張半分の守護代となっています。
(守護代が同時に二人いたということです)
これが今回名前だけ登場した「織田彦五郎(信友)」の家です。
弾正忠信秀は「織田弾正忠家〔勝幡織田家〕」と呼ばれる家の当主で、大和守家のそのまた家来となっています。
参考として、下図をご覧ください。

しかしこのままだと「守護」とか「守護代」とか専門用語が多くてわかりにくいかもしれないので、現代の会社組織になぞらえてみました笑↓

※「営業」「人事」などはわかりやすくするために当てはめただけで、実際の役割とは関係がありません。
「株式会社尾張守護」の営業部長である弾正忠信秀さんが、副社長と社長を飛び越えて、勝手に代表印を持ち出して「株式会社美濃守護」の副社長とアライアンス(業務提携)契約を交わそうとしているわけです。
第8回の楽しみ方―当時の三河情勢―
物語中で土岐美濃守頼芸が「今川義元を敵に回したくない」みたいな発言をしていたと思います。
駿河(するが)〔静岡県(しずおかけん)〕にいるはずの今川治部大輔義元が、尾張〔愛知県(あいちけん)西部〕や美濃〔岐阜県南部〕にそんなに圧迫感を与えているのか疑問に感じると思いますので、その辺を説明したいと思います。
まず前提知識としてもっておきたいのが、当時の「国人(こくじん)領主」のイメージです。
ドラマで描かれている天文末期(1540年代末)のころはまだまだ統一が進んでおらず、郡や市町村レベルの領主たちが大きな力をもっていました。
それがいわゆる「国人領主」です。
(厳密にいうと織田氏は国人領主化していないのですが、ここではその説明は割愛します)
というわけで、ドラマの舞台の天文17年ごろの有力国人領主(一部は「国人」ではありませんが)を勢力図にしてみるとこうなります。
※勢力範囲は大体です。

(参考:「ドンちゃんの他事総論」)
青系が織田弾正忠家〔勝幡織田氏〕、つまり弾正忠信秀や三郎信長側の勢力。
赤系が今川治部大輔(義元)側の勢力です。
三河においては何となく今川方についている勢力の方が多いのが分かります。
(そのうえ、渥美(あつみ)半島の中程にある田原(たはら)城は今川氏直轄となっています)
今川氏は駿河の大名とはいえ、傘下の国人衆を伝ってすぐにでも三河・尾張国境に出陣できてしまう状況なんですね。
参考記事:
『麒麟がくる』第7~8回ー尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
こんな感じで、『麒麟がくる』第1~8回分の感想と解説の総集編をやらせていただきました。
ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・明智 十兵衛 源 光秀
あけち じゅうべえ みなもと の みつひで
・斎藤 山城守〔通称は新九郎〕 藤原 朝臣 利政〔他多数。入道道三〕
〔長井 新九郎 藤原 規秀〕
さいとう やましろのかみ〔通称はしんくろう〕 ふじわら の あそん としまさ〔他多数。入道どうさん〕
〔ながい しんくろう ふじわら の のりひで〕
・織田 備後守〔弾正忠。通称は三郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信秀
おだ びんごのかみ〔だんじょうのちゅう/だんじょうのじょう。通称はさぶろう〕 ふじわら〔いんべの あそん のぶひで
・土岐 次郎 源 頼純
とき じろう みなもと の よりずみ
・細川 与一郎 源 藤孝
ほそかわ よいちろう みなもと の ふじたか
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 左近衛中将〔略称「左中将」。通称不明〕 源 朝臣 義藤〔義輝〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが さこんえのちゅうじょう〔略称「さちゅうじょう」。通称不明〕 みなもと の あそん よしふじ〔よしてる〕
・三淵 弾正左衛門尉〔または弥四郎〕 源 藤英
みつぶち だんじょうさえもんのじょう〔またはやしろう〕 みなもと の ふじひで
・松永 弾正忠〔または弾正少弼。通称は不明〕 紀〔藤原?、源?〕 朝臣 久秀
まつなが だんじょうのじょう〔またはだんじょうのしょうひつ。通称は不明〕 き〔ふじわら?、みなもと?〕 の あそん ひさひで
・三好 筑前守〔通称は孫次郎〕 源 朝臣 長慶
みよし ちくぜんのかみ〔通称はまごじろう〕 みなもと の あそん ながよし
・織田 上総介〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ かずさのすけ〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・明智〔三宅〕 左馬助〔通称は弥平次〕 源 朝臣 秀満
あけち〔みやけ〕 さまのすけ〔通称はやへいじ〕 みなもと(の あそん ひでみつ
・羽柴 藤吉郎 平〔のち豊臣〕 秀吉
はしば とうきちろう たいら〔のちとよとみ〕 の ひでよし
・徳川 次郎三郎 源 家康
とくがわ じろうさぶろう みなもと の いえやす
・土岐 修理大夫〔通称は次郎〕 源 朝臣 頼武
とき しゅりのだいぶ〔通称はじろう〕 みなもと の あそん よりたけ
・斎藤 大和守〔通称は新四郎〕 藤原 朝臣 利良
さいとう やまとのかみ〔通称はしんしろう〕 ふじわら の あそん としなが
・土岐 美濃守〔通称不明。左京大夫〕 源 朝臣 頼芸
とき みののかみ〔通称不明。さきょうのだいぶ〕 みなもと の あそん よりあき/よりのり
・長井 越中守〔通称は藤左衛門尉〕 藤原 朝臣 長弘
ながい えっちゅうのかみ〔通称はとうざえもんのじょう〕 ふじわら の あそん ながひろ
・長井 (官職・通称不明) 藤原 景弘
ながい (官職・通称不明) ふじわら)の かげひろ
・斯波 左兵衛佐〔通称不明〕 源 朝臣 義統〔義元〕
しば さひょうえのすけ〔通称不明〕 みなもと の あそん よしむね〔よしもと〕
・織田 大和守〔通称は彦五郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信友
おだ やまとのかみ〔通称はひこごろう〕 ふじわら 〔いんべ〕 の あそん のぶとも
・今川 治部大輔〔通称不明〕 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのだゆう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしもと
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
くわちゃんの独り言
やまもも書斎記
真田のよもやま話
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次回は『一枚のめぐり逢い』について。
//
今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
【Cover】Nowhere Man / Joshu Washiya
※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。
『青天を衝け』第31回―井上家について
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『青天を衝け』第26回―高松凌雲について
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『青天を衝け』第29回―伊藤博文について
『青天を衝け』第28回―大隈重信について
『青天を衝け』第27回―「藩」はどうなったのか?
『青天を衝け』第26回―高松凌雲について
Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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