2021年10月30日
『青天を衝け』第31回―井上家について
《令和6年3月28日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第31回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第31回のあらすじ
明治4年(1872年)、渋沢栄一美雄(吉沢亮)は父・渋沢市郎右衛門美雅(小林薫)の最期を看取った。
従弟であり妹・ていの婿養子(むこようし)となった須永才三郎(石川竜太郎)こと渋沢市郎に「中の家(なかんち)」を任せ、東京(とうきょう)の自邸へと戻った。
そこで栄一は一枚の手紙を読み、顔面蒼白となる。
栄一は、大きなお腹を抱えた女性・大内くに(仁村紗和)を自邸にいざない、妻・千代(橋本愛)に不貞を詫びた。
くにが宿しているのは自分の子だという。
千代は怒るどころか温かな笑顔で栄一を許し、くにに一緒に暮らすことを提案する。
一方、箱館(はこだて)戦争で新政府に敗れ投獄されていた従兄・渋沢成一郎英明(高良健吾)が出所し、栄一邸を訪れた。
道を違えたことで罵り合う栄一と成一郎であったが、お互い生きていたことを涙を流して喜び合った。
成一郎は「喜作」と名を戻し、大蔵省(おおくらしょう)に入省した。
新政府では、欧米(おうべい)へ旅立った大久保一蔵利通(石丸幹二)・岩倉具視(山内圭哉)らに代わり、西郷吉之助隆盛(博多華丸)・大隈八太郎重信(大倉孝二)・井上聞多馨(福士誠治)らが政権の中枢にいた。
大久保は「新規の改正はするな」と言い残して旅だったが、栄一は「廃藩置県(はいはんちけん)に関わることだったら『新規の改正』には当たらない」と主張し、廃藩置県の一環として「銀行」の設立に取り組んだ。
栄一は豪商である三井組(みついぐみ)と小野組(おのぐみ)の番頭を呼び出し、「合本(がっぽん)」による民間の銀行の設立を希望したが、2人は「合本」にはいい顔をしない。
栄一は2人に「それならば、官金を取り扱わせることはできない」と首根っこを掴むが、三井組番頭・三野村利左衛門(イッセー尾形)に「これでは徳川(とくがわ)時代と変わらない」といわれ、心を揺さぶられるのであった…
ということで、
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2021年10月22日
『青天を衝け』第30回―五代家について
《令和6年3月21日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第30回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
第30回のあらすじ
明治4年(1871年)、渋沢栄一美雄(吉沢亮)は大阪にいた。
栄一は、そこで新たに鋳造(ちゅうぞう)した貨幣「一円」の出来具合を診ていたのである。
その夜、三井(みつい)が主催する接待の場には「五代(ごだい)」なる男がいた。
それは、栄一がかつて「篤太夫」と名乗り、民部公子(みんぶこうし)・徳川民部大輔昭武(板垣李光人)の供としてフランス・パリにいた時、幕府(ばくふ)がフランスから受けるはずだった借款(しゃっかん)をつぶした男「五代」であった。
栄一は、恨みのある五代才助友厚(ディーン・フジオカ)に食って掛かるが、友厚は夢を語った。
大商人や政府だけでお金が回るのではなく、民を豊かにしなければならないと。
友厚にパリでの恨みをぶつけた栄一だが、段々と彼の夢に惹かれていく。
栄一が東京(とうきょう)に戻ると、新政府では大久保一蔵利通(石丸幹二)や岩倉具視(山内圭哉)ら首脳が廃藩置県(はいはんちけん)について話し合い、もめていた。
大久保らに東京に呼び戻された西郷吉之助隆盛(博多華丸)は、埒(らち)の開かない会議に呆れ、席を立った。
西郷は「まだ戦が足りん」という。
まるで「小田原評定(おだわら ひょうじょう)」さながらの首脳の会議に呆れる栄一と杉浦愛蔵譲(志尊淳)は、新しく上司となった井上聞多馨(福士誠治)に呼び出される。
井上は、戦をしてでも廃藩置県を断行するという。
それに対して栄一は、「戦をしてはならない」という。
そのために栄一は改正掛(かいせいがかり)を鼓舞(こぶ)し、たった4日間で全藩の藩札(はんさつ)の価値や物価、借金の多寡(たか)を調べ上げ、一切の血を流さずに「廃藩置県」を実施させることに成功した。
大手柄を立てた栄一だが、突然やってきた大久保に政府の予算についての意見を求められ、率直な意見を述べた。
しかし、それについて「逆らった」と言いがかりをつけられ改正掛を解散させられてしまう。
失意と疲労困憊(ひろうこんぱい)で自邸に戻った栄一だったが、「父危篤」の知らせを受け、故郷・血洗島(ちあらいじま)に急行した。
ということで、
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2021年10月14日
『青天を衝け』第29回―伊藤博文について
《令和6年3月7日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第29回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
第29回のあらすじ
明治2年(1869年)の暮れ、新政府に出仕することになった渋沢栄一美雄(吉沢亮)は、大蔵省(おおくらしょう)の大隈八太郎重信(大倉孝二)、伊藤俊輔博文(山崎育三郎)らに「改正掛(かいせいがかり)」設立のアイディアを伝え、静岡藩(しずおかはん)にいる旧幕臣(きゅうばくしん)の招聘(しょうへい)の許可を得た。
明けて明治3年(1870年)、「改正掛」には諸藩から多くの人材が集まった。
渋沢栄一が呼び寄せた人物の中には旧幕臣の杉浦愛蔵譲(志尊淳)、前島来輔密(三浦誠己)、赤松大三郎則良(上村海成)、塩田三郎篤信(増本尚)らがいた。
新政府に栄一ら旧幕臣が参加していることを快く思わない者もいたが、栄一は掛長(かかりちょう)として粉骨砕身(ふんこつさいしん)し、前島の発案による郵便制度を実現させた。
同時に栄一は絹糸の機械生産の計画を立ち上げ、その旗頭として従兄である尾高新五郎惇忠(田辺誠一)の抜擢(ばってき)にも成功する。
一方、新政府の首脳である大久保一蔵利通(石丸幹二)は、留守中に大隈が勝手に立ち上げた「改正掛」の急進的な動きに不快感を示すのであった…
ということで、
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2021年10月06日
『青天を衝け』第28回―大隈重信について
《令和6年3月5日更新》
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大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
あらすじ
明治2年(1869年)7月、版籍奉還(はんせきほうかん)が実施され、駿府(すんぷ)藩は「静岡(しずおか)藩」と改名した。
渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は商法会所(しょうほうかいしょ)の運営に精を出していたが、そんな篤太夫の元へ新政府から召喚がかかった。
新政府は、戊辰(ぼしん)戦争により武力で幕府を滅ぼしておきながら旧幕臣(ばくしん)に頼ろうとする。
篤太夫は、そんな新政府の恥知らずな姿勢に憤慨する。
招聘(しょうへい)のかかった大蔵省(おおくらしょう)を切り盛りしているのは大隈八太郎重信(大倉孝二)と伊藤俊輔博文(山崎育三郎)。
篤太夫は、彼らに会って直接断りを入れるべく、東京(とうきょう)へ向かった。
篤太夫はいきり立って皇城(こうじょう)〔江戸城が改称〕に赴いたが、案内に立った伊藤博文がかつて自分達が考えていたような焼き討ちを実行していたことを知り、虚を突かれるのであった。
しかし、大隈重信と対面し怒りが爆発した。
「政治のことなど誰も何も知らない」とのたまわく大隈に対して、
「なら、なぜ徳川を切ったか?徳川を切らずに協力して政(まつりごと)をするべきだった」
と吠えたのであった。
篤太夫の剣幕にひるむ大隈であったが、「知らないうちに岩倉(いわくら)と薩長(さっちょう)が徳川(とくがわ)を攻撃し、慶喜が逃げた」と逃げ口上を立てた。
かと思えば、
「壊れた政府を立て直さなくてはいけない」
と言い、
「君は、新しい世を作りたいと思ったことはないか?」
と篤太夫に問う。
篤太夫はその言葉に心を揺さぶられ、悔しさを胸に駿府に戻った。
主君・徳川前内府慶喜(草彅剛)に相談するも、「この先は日本のために尽くせ」と後押しされた篤太夫は、名を以前の「栄一」に戻し、家族を連れて東京へと旅立った。
皇城を見て回った栄一は、大隈、大久保一蔵利通(石丸幹二)、松平春嶽(要潤)、伊達大蔵卿宗城(菅原大吉)、岩倉具視(山内圭哉)、三条右大臣実美(金井勇太)らの前で新政府を批判する。
「何もできていない」
と吠える栄一は、大蔵省内に「改正掛(かいせいがかり)」を作ることを建言する。
しかし、そこは大蔵省ではなく新政府の首脳の会する場であった…
ということで、
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2021年10月02日
『青天を衝け』第27回―「藩」はどうなったのか?
《令和6年2月12日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第27回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第27回のあらすじ
明治元年(1868年)末、渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は駿府(すんぷ)で主君・徳川前内府慶喜(草彅剛)と面会した。
そして、駿府藩の中老(ちゅうろう)・大久保一翁(木場勝己)や平岡準(大竹直)らに藩の勘定組頭(かんじょうくみがしら)に就くように命じられるが、辞退。
徳川家はかつての800万石から70万石に領地を削減されたが、駿府には日本中から旧幕臣(ばくしん)が押し寄せていた。
そんな中、篤太夫は自分が少ない藩の禄を食むわけにはいかないと言い、「コンパニ―」なるものを創るという。
藩内の旧幕臣や商人たちを巻き込んで、新たな事業を始めるという。
武士や商人たちはお互い一緒に働くことを嫌がったが、篤太夫は根気強く説得を続け、翌明治2年(1869年)1月、「商法会所(しょうほうかいしょ)」を設立する。
また、新政府から駿府藩に交付された「太政官札(だじょうかんさつ)」が借金だと看破した篤太夫は、平岡にこれ以上の太政官札の使用をやめるよう伝えた。
自身は余った太政官札を換金するため、江戸(えど)改め東京(とうきょう)の三井組事務所を訪れた。
三井組では2割の手数料を取られはしたが、無事換金することができた。
篤太夫は、その金で肥料などを買い集めて新たな事業の準備を始めた。
血洗島(ちあらいじま)からは妻の千代(ちよ)(橋本愛)と娘のうた(山崎千聖)を呼び寄せ、篤太夫は新たな人生を歩もうとしていた。
一方、箱館(はこだて)では五稜郭(ごりょうかく)が落城し、土方歳三義豊(町田啓太)が討ち死にした。
篤太夫の従兄の成一郎英明(高良健吾)は、土方から「生きろ」と言われ、涙ながらに逃亡するのであった。
その頃、東京の大隈八太郎重信(大倉孝二)邸では新政府の重鎮である伊藤俊輔博文(山崎育三郎)らが話し合いをしていた。
パリから、民部公子(みんぶこうし)・水戸民部大輔昭武(板垣李光人)の家賃の返金分1万5000両が送られてきたが、一行の会計係がそれを駿府藩に返すよう主張しているという。
その会計係の名は渋沢。
大隈は、「渋沢」がパリで4万両もの利益を蓄えたと聞き、驚愕するのであった。
ということで、
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2021年09月24日
『青天を衝け』第26回―高松凌雲について
《令和6年4月8日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第26回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第26回のあらすじ
明治元年(1868年)11月、パリから帰国し諸々の整理を終えた渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、武蔵・血洗島(むさし・ちあらいじま)に6年振りに帰郷した。
父・市郎右衛門美雅(小林薫)や母・ゑい(和久井映見)、妻・千代(ちよ)(橋本愛)、娘・うた(山崎千聖)らに迎えられるも、想い合っていた従兄・渋沢平九郎昌忠(岡田健史)を亡くした妹のてい(藤野涼子)は一人浮かない顔をしていた。
その頃箱館(はこだて)では、五稜郭(ごりょうかく)を落とした篤太夫の従兄・渋沢成一郎英明(高良健吾)と土方歳三義豊(町田啓太)は新政府軍との戦いを続けていた。
そこにはかつて篤太夫とともにパリにあった高松凌雲(細田善彦)がいた。
高松は敵味方構わず負傷者を治療し、パリでの感動を実践していた。
尾高(おだか)家を訪れた篤太夫は、変わり果てた従兄・尾高新五郎惇忠(田辺誠一)の姿に息を飲んだ。
惇忠は飯能(はんのう)戦争に参加するも三弟・平九郎を失い、次弟・長七郎も病死してしまったことで精神的に弱り、自分ひとりが何も成し遂げず生き残ってしまったことを悔いていた。
篤太夫は同じ苦しみを感じていることを吐露しつつも、「生きていれば新しい世のために出来ることがきっとある」と惇忠を励ますのであった。
血洗島に戻った篤太夫は、千代に今度こそ家族で暮らすことを約束し、主君・前将軍・徳川前内府慶喜(草彅剛)のいる駿府(すんぷ)へ向かった。
駿府で慶喜と再会した篤太夫は、大政奉還(たいせいほうかん)後の慶喜の行動を批難しかけるも慶喜に制され、パリでの民部公子(みんぶこうし)・水戸(徳川)民部大輔昭武の立派な姿を慶喜に伝えた。
ということで、
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2021年09月16日
『青天を衝け』第25回―貨幣経済とは?
MaccabeeによるPixabayからの画像
《令和6年11月6日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第25回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第25回のあらすじ
慶応(けいおう)から改元した明治元年(1868年)11月、民部公子(みんぶこうし)・清水民部大輔昭武(板垣李光人)に随伴し渡仏していた渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、民部公子らとともについに帰国。
横浜(よこはま)に帰港した。
上陸した篤太夫は、先に帰国していた杉浦愛蔵譲(志尊淳)らに留守中に国内で起こった出来事を聞いた。
去る慶応4年(1868年)正月、前将軍(さきのしょうぐん)・徳川内大臣慶喜が突然大坂(おおさか)から江戸(えど)に戻ってきた。
天璋院(てんしょういん)(上白石萌音)や静寛院宮(せいかんいんのみや)(深川麻衣)は新政府軍に手紙を送り、慶喜は上野(うえの)・寛永寺(かんえいじ)に蟄居(ちっきょ)した。
江戸城は新政府軍に無血開城されたが、役人を罷免された小栗上野介忠順(武田真治)は捕らえられ斬首され、川路左衛門少尉聖謨(平田満)は拳銃自殺した。
篤太夫の従兄である渋沢成一郎英明(高良健吾)は上方(かみがた)での戦いで負傷していた。
なんとか江戸に戻り、主君・徳川慶喜の無念を晴らすために彰義隊(しょうぎたい)の頭取(とうどり)となった。
しかし、当の慶喜は寛永寺から水戸(みと)に移ってしまい、主を失った彰義隊は分裂した。
成一郎は、彰義隊に参加した従兄の尾高新五郎惇忠(田辺誠一)、惇忠の弟で篤太夫の見立て養子となった渋沢平九郎昌忠(岡田健史)らとともに「振武軍(しんぶぐん)」を結成。
飯能(はんのう)を拠点としたが、新政府軍に攻撃され、部隊は四散した…
ということで、
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2021年09月12日
『青天を衝け』第24回―証券とは何か
edmondlafotoによるPixabayからの画像
《令和6年2月29日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第24回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第24回のあらすじ
慶応(けいおう)3年(1867年)年末、正月の準備をしていた血洗島(ちあらいじま)・渋沢市郎右衛門美雅(小林薫)邸に一人の武士が現れる。
パリで渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)とともに過ごしていた、杉浦愛蔵譲(志尊淳)であった。
杉浦は、篤太夫からの手紙とパリで撮影された民部公子(みんぶこうし)・清水民部大輔昭武(板垣李光人)や篤太夫のホトガラフ(写真)をもたらしたのであった。
民部公子の立派ないでたちや、洋装に身を包んだ凛々しい篤太夫の姿に感動する渋沢家の面々であったが、篤太夫の妻・千代(橋本愛)だけは一人「あさましい」と嘆くのであった。
明けて慶応4年(1868年)、パリの篤太夫達の下へ幕府からの御用状(ごようじょう)が届いた。
そこには、昨年10月徳川内大臣慶喜(草彅剛)が政(まつりごと)を朝廷に返上した、と書かれていた。
一行は動揺し、篤太夫は金策に悩んだ。
そこで日本総領事であるフリュリ・エラール(グレッグ・デール)は篤太夫を連れ出し、証券取引所を見学させた。
大勢の人々から少しずつお金を集め、事業をし、利益が出たら分配するという証券の仕組みを聞かされた篤太夫は大いに感動するのであった。
3月になって届いた御用状に、一行は更なる衝撃を受ける。
京都(きょうと)の鳥羽伏見(とば・ふしみ)で薩摩(さつま)軍と幕府軍の間に戦闘が起こり、幕府(ばくふ)は敗走したという。
さらに、慶喜は朝敵(ちょうてき)の汚名を着せられ、敗残兵を置いて大坂(おおさか)を放棄し江戸(えど)へ向かったという。
5月になり新しい政府から手紙が届き、留学を止めて帰国するようにとのことであったが、民部公子らは慶喜の「勉学を続けるように」との意向を重視し帰国せずにいた。
7月には日本にいたロッシュがフランスへ戻り、水戸(みと)藩主である権中納言慶篤の死が伝えられた。
そして新政府は、民部公子に帰国して水戸藩主を継ぐようにと伝える。
その知らせに、民部公子は帰国を決意する。
パリで多くのことを学んだ渋沢篤太夫も、ついに帰国の途に就くこととなった。
ということで、
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2021年09月04日
『青天を衝け』第23回―栗本鋤雲について
Free-PhotosによるPixabayからの画像
《令和6年3月18日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第23回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第23回のあらすじ
慶応(けいおう)3年(1867年)、パリにいた民部公子(みんぶこうし)こと清水民部大輔昭武(板垣李光人)一行は、薩摩の暗躍によりフランスからの600万ドルの借款(しゃっかん)の話がなくなったと聞き、動揺した。
このままでは予定されていたヨーロッパ各国の訪問ができないと焦る一行だったが、書記官であった田辺定輔太一(山中聡)のアイディアにより、為替を発行することでヨーロッパ訪問の費用を捻出した。
各国との交渉役を担ったのは渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)であった。
スイス訪問中に外国奉行である栗本鋤雲(池内万作)らが民部公子一行に合流し、小栗上野介忠順(武田真治)から預かってきた為替を篤太夫に手渡した。
杉浦愛蔵譲(志尊淳)には帰国命令が出たため、篤太夫は家族への手紙を託した。
その頃日本では、暗殺により腹心・原市之進忠敬(尾上寛之)を失った将軍家・徳川内大臣慶喜(草彅剛)が薩摩(さつま)への対応に苦慮していた。
10月12日、慶喜はなんとか戦を避けるため、政権を幕府から朝廷に返上するという挙に出た。
後の世にいう大政奉還(たいせいほうかん)である。
ヨーロッパでは、民部公子の師・ヴィレット(サンシモン)の勧めにより、一行は髷(まげ)を切って洋装に着替えることとなった。
涙ながらに髷を切る水戸藩士たちであったが、篤太夫は嬉々として洋装に身を包んだ。
12月になり、朝廷では岩倉具視(山内圭哉)の暗躍により、小御所(こごしょ)会議が開かれた。
そこには慶喜の姿はなく、慶喜の参加を求める前土佐藩主・山内容堂(水上竜士)を後目に、会議では慶喜に領地の返上を求めることが決まった。
江戸(えど)では薩摩が江戸城にいる天璋院(てんしょういん)(上白石萌音)を奪うため火を放ち、それを受けた老中が薩摩藩邸を攻撃してしまった。
なんとか戦を避けようとする慶喜をよそに、日本中を巻き込んだ内戦が起ころうとしていた。
ということで、
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2021年08月27日
『青天を衝け』第22回―保科俊太郎について
Ghazaleh TaebによるPixabayからの画像
《令和6年10月16日更新》
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今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第22回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第22回のあらすじ
慶応(けいおう)3年〔1867年〕、民部公子(みんぶこうし)こと清水民部大輔昭武(板垣李光人)の供としてフランスに向かった渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、見るものすべてに驚いた。
船中で食べたパン、民間の会社が作っているスエズ運河、パリが見渡せる凱旋門(がいせんもん)、あっという間に屋上に連れて行ってくれるエレベーター。
篤太夫の感動をよそに、薩摩藩(さつま・はん)は幕府(ばくふ)とは別に万博に出品することで幕府の権威失墜を狙っていた。
その狙いは図に当たり、新聞に「日本は連邦国家で、幕府はその中の一政権に過ぎない」と虚偽の報道をされてしまった。
日本では、将軍家(しょうぐんけ)・徳川権大納言慶喜(草彅剛)が各国の公使と渡り合い、政権の主導権を狙う薩摩藩国父(こくふ)・島津左近衛権中将久光(池田成志)をあしらい、久光の野望を阻止することに成功した。
しかしそれは、久光の方針を倒幕(とうばく)へと方向づけるものとなってしまった。
血洗島(ちあらいじま)では、篤太夫の従兄・尾高新五郎惇忠((田辺誠一)の弟である平九郎(岡田健史)が、篤太夫の見立て養子となり江戸(えど)へ発つことが決まった。
幕府では、ヨーロッパの新聞に「幕府は一大名(だいみょう)に過ぎない」と書かれたことにより、600万ドルの借款(しゃっかん)が絶望的となったことで小栗上野介忠順(武田真治)らが途方に暮れていた。
ということで、
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