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2020年07月31日

権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第24弾として、「権現山城の戦い」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦
第19回 第二次高天神城の合戦
第20回 岩村城の合戦 第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い 第23回 天目山の戦い

何か新しいことを始めるときって、その分野では全く無名なことがほとんどですよね。

そういう時に有効な、弱い者の戦い方をこの戦から学び取ることができます。

ただ、この手法は少し間違うと「相手から奪う」結果になってしまうのであまりお勧めはできませんが、防衛策しても有効なのでので、ぜひご覧ください!




<伊勢宗瑞の相模進出>


14世紀の終わり、もともと今川家の客将だった伊勢宗瑞(北条早雲)は、伊豆・堀越公方家の家督争いに乗じて韮山城を奪取。
伊豆一国を手中に収めます。

宗瑞が次に目指したのは伊豆の隣国である相模の支配。
明応4(1495)年には計略を用いて小田原城を手にしています。

相模は当時、関東の覇者上杉氏の分流である扇谷上杉家の勢力圏内でした。

扇谷上杉家は相模~南武蔵を支配下におく強大な勢力でした。

戦に動員できる兵力数が多いため、正面から戦を仕掛けてもまず勝てません。
(参考「各合戦の動員人数について(2)権現山の戦い」)

そこで宗瑞は、タイミングを見計らって少しづつ上杉家の勢力を削いでいく作戦を採りました。

<反上杉勢力で同盟を組む>


当時山内・扇谷上杉家中では家臣の反乱が相次いでおり、当主たちはその鎮圧に東奔西走していました。

中でも影響力が大きかったのが、文明7(1475)年に反乱を起こした長尾孫四郎景春でした。
(参考「各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦」「江古田原沼袋の戦いから学ぶ―できないことをできるようにする方法

彼は15世紀後半に一度反乱を起こすも、扇谷上杉家の家宰・太田道灌に鎮圧され、紆余曲折の末、山内上杉氏に恭順する形となっていました。

しかし永正6(1509)年、チャンスが訪れます。

越後長尾氏の長尾信濃守為景(※)が越後で反上杉として挙兵し、山内上杉家の当主・四郎顕定がその鎮圧のために越後へ向かったのです。
※上杉謙信こと長尾平三景虎の父です。

しかも、四郎顕定はこの戦いで討ち死にしてしまいます。
(参考「合戦における戦術について③長森原の合戦」)

孫四郎こと四郎左衛門尉景春は、当時居城としていた相模・津久井城にて挙兵しました。

さらにそれに目を付けたのが伊勢宗瑞でした。

宗瑞は四郎左衛門尉と同盟を結び、翌永正7(1510)年、上杉家の領国を削り取るために動き始めました。

相模に勢力をもつ扇谷上杉家の力を削ぐべく、上杉家臣の上田蔵人政盛を説き、味方につけたのです。

上田蔵人は扇谷家の本拠地・武蔵と相模の連絡を断つべく、権現山というところに砦を築き、挙兵しました。
※長尾四郎左衛門尉は津久井城で扇谷家に敗れますが、上野・白井城に移動していました。

↓権現山城の戦い(広域図)
※クリックで拡大されます。
権現山城の戦い(広域図)


<宗瑞の誤算>


宗瑞の戦略としては、権現山城にて上田蔵人に頑張ってもらっている間に、上野・白井城にて長尾四郎左衛門が打って出て、山内・扇谷両上杉家の兵力を分散させる作戦でした。

そして、自身は権現山での上田蔵人優勢を見計らって住吉城から出撃し、上杉勢を駆逐する算段だったのでしょう。

しかし、意外にも権現山城は10日ほどで落とされてしまい、白井城の長尾四郎左衛門も城内勢力の掌握に苦戦したようで、打って出ることはできませんでした。

そのため、宗瑞は戦わずに小田原城に引き揚げたようです。

結果は伊勢軍(北条軍)の敗退でしたが、この戦には宗瑞の戦略のポイントが多く見られます。

<弱い者が戦うには?>


大きな会社の社員が上層部に意見を通すとき、大きな会社のシェアを奪うときに有効なやり方となりますが、伊勢宗瑞のやり方がそのまま使えますね。

まずは、

①同調者を集めて徒党を組むこと
ですね。

これ、労働組合にも通じる考え方です。

弱い者が強いものに立ち向かうときには徒党を組むんです。

昔、学校で暴力を振るわれたことがあるのですが(昔は割としょっちゅう起こっていました 笑)、その時に母に言われました。

殴られた人同士で仲間を作るんだよ」

と。

どんなに腕っぷしが強い人でも「集団」にはかなわないんですよね。

会社も一緒で、一人ひとりの意見は無視しますが、それが5人、10人、20人と増えていくと無視できなくなります。

シェアに関しては、同業の小規模の会社とアライアンスを組むんです。

営業をしているとお客さんのちょっとしたニーズのずれって出てくると思うんですが、そういう時にアライアンスを組んだ会社を紹介するんです。

こうして、集合体としてシェアを増やしていきます。

そして次は、

②同時多発的に蜂起して、相手の気を分散させること

ですね。
これは①が前提となります。

徒党を組んだ者同士で示し合わせて、同時に蜂起します。

問題が一つであればそれに集中しますが、いくつも同時に発生すると手が回りません。

そして最後が、

③相手方の偶然のトラブルを利用すること

です。

これは今回の合戦で言うと、長尾信濃守の蜂起がそれにあたりますね。

会社中で、たまたま上層部を困らせる事件が起こったときに、それに乗じて問題提起したり、既成事実を作ってしまいます。

シェアに関して言えば、大きなシェアを占める会社に何かトラブルが起こったとき、その隙にお客さんに猛アピールしていきます。

しかし、このやり方は相手の突発的トラブルに依存していますので、いつでも作戦を実行しておけるように準備しておかないと機を逸します。


僕は以前塾講師をやっていたのですが、そのとき会社の社員に対する態度があまりにも暴力的だったため、僕は上記①の考え方で東奔西走して同調者を増やしていきました。

そして、②③のやり方で社員待遇の是正を求めていきました。

当然僕だけの力ではありませんが、このやり方でいくつか会社に圧力をかけることに成功しています。

ただし冒頭で述べたように、このやり方は「相手から奪う」という発想に基づきやすく、相手方の不幸というか不利な状況に乗じるやり方なので、あまりいい気分がしません。

さらに、相手を攻撃することになりやすく、そうなるくらいだったら別の手を取った方がいいです。
(まさに、「後ろ指さされる」やり方になってしまう恐れがあります)

だから、こちらの動機やイデオロギー、やり方が倫理的に正しくなければいけません。

そして「倫理的に正しい」としても、相手を攻撃していい訳ではありません。

この手はできれば使わないで、正攻法で行きたいものですよね。

逆に、自分が攻撃を受けたことを想定して、防衛策として準備しておくのが良いかもしれません。

もう一度まとめますと、弱い者が戦うためには
①同調者を集めて徒党を組むこと
②同時多発的に蜂起して、相手の気を分散させること
③相手方の偶然のトラブルを利用すること

が有効となります。

というわけで、まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・伊勢 左京大夫?(通称は新九郎) 平 朝臣? 盛時(長氏、入道早雲庵宗瑞。いわゆる北条早雲)
・長尾 左衛門尉(通称は孫四郎、四郎左衛門尉) 平 朝臣 景春
・太田 備中守(左衛門少尉、左衛門大夫。通称は不明) 源 朝臣 資長(持資。入道道灌)
・長尾 信濃守(通称は六郎、弾正左衛門尉) 平 朝臣 為景
・上杉 四郎(官職不明) 藤原 (朝臣?) 顕定
・上杉(長尾) 弾正少弼(通称は平三) 藤原(平) 朝臣 政虎(景虎、輝虎。入道謙信)
・上田 蔵人(通称か官職か不明) 日奉 朝臣? 政盛?
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓北条早雲こと伊勢宗瑞の生涯に興味がわいてきた方は下記リンクから情報収集してみてください!



モッピー!お金がたまるポイントサイト

参考
御城学のお城を学ぼう
春の夜の夢
むぎの城さんぽ

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回について。

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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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