2021年11月08日
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない

皆さんこんばんは。
今回は「実生活に活かす戦国合戦術」第53弾として、「第二次国府台合戦(こうのだいがっせん)」について、実用的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】 | |
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江古田原沼袋合戦 | 権現山の戦い |
第一次国府台の合戦 | 川越城の合戦 |
志賀城の合戦 | 郡山城の合戦 |
厳島の合戦 | 四万十川の合戦 |
今山の合戦 | 耳川の合戦 |
金ヶ崎城の合戦 | 一言坂の合戦 |
三方ヶ原の合戦 | 叡山焼き討ち |
江古田原沼袋の戦い② | 石山合戦 |
雑賀・根来合戦 | 第一次国府台の戦い② |
三木合戦 | 本能寺の変 |
九戸城の戦い | 文禄・慶長の役 |
関ヶ原の戦い | 第二次上田城の戦い |
大坂冬の陣 |
普段の生活の中で、いろいろ目標を達成することってあると思います。
仕事で契約が取れたとか、彼女に告白してOKをもらったとか、彼女と婚約したとか。
そんな時、どの段階で喜びますか?ということが大事です。
もちろん、嬉しい出来事があったら大いに喜ぶべきです。
全身で喜んでいいと思います。
しかし、その段階で喜んでいいんですか?
その「勝利」は確定してるんですか?
物事は、勝利に近づけば近づく程トラブルが発生する傾向があります。
「やった!結婚のOKもらった!もう大丈夫だ!」
そんな瞬間がいちばん危ないんです。
というわけで今回は、北条左京大夫氏康と里見左馬頭義弘が衝突した第二次国府台合戦から「小さな勝ちに酔わない」ということを学びたいと思います。
同合戦の動員兵力に言及した記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:
各合戦の動員人数について(6)第二次国府台の合戦
第二次国府台合戦までの流れ
天文(てんぶん)7年(1538年)10月、下総(しもうさ)国府台にて北条左京大夫氏綱と、小弓公方・足利右兵衛佐義明が衝突しました。
この戦いで足利右兵衛佐は敗死しますが、足利(あしかが)軍に参加していた房総(ぼうそう)の雄・里見刑部少輔義尭は早々に撤退し、ほぼ無傷で本拠地・安房(あわ)に帰りました。
(第一次国府台合戦)
参考記事:
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ
参考記事:
各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦
この勝利により北条家は武蔵(むさし)進出の足場を固めますが、山内(やまのうち)・扇谷(おうぎがやつ)の両上杉(うえすぎ)家との対立の他に駿河(するが)の今川(いまがわ)家との対立があり、思うように武蔵進出は進みませんでした。
さらにこの頃、天文の飢饉が起こり食糧調達もままならず、さらに疫病も流行るというありさまでした。
それに加えて、北条家当主・左京大夫氏綱が病に倒れ、天文10年(1541年)に亡くなります。
左京大夫氏綱の跡を継いだ北条左京大夫氏康は、数年かけてなんとか領国(りょうごく)経営を安定させます。
その矢先の天文14年(1545年)、武蔵河越(かわごえ)城を両上杉家・古河公方(こがくぼう)足利家連合軍に囲まれますが、撃破。
関連記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない
関連記事:
各合戦の動員人数について(5)川越城の合戦
両上杉家は壊滅的なダメージを受けます。
両上杉家を抑え込んだ左京大夫は永禄(えいろく)3年(1560年)、漸(ようや)く長年の確執の決着をつけるべく上総(かずさ)に出兵し里見(さとみ)家と対決しました。
しかしその時、里見家の依頼により越後(えちご)の龍・長尾弾正少弼景虎(後の上杉謙信)が「越山(えつざん)」により関東(かんとう)に入りました。
ついには相模(さがみ)に侵入したため、左京大夫は上総・久留里(くるり)城の包囲を解いて小田原(おだわら)に帰還しました。
※この時長尾弾正少弼は、関東管領(かんとうかんれい)であり山内上杉家当主であった上杉兵部少輔憲政より山内家当主及び関東管領職を譲り受け、上杉弾正少弼政虎と名乗りを変えています。
さらに、翌永禄4年(1561年)には将軍家(しょうぐんけ)・足利左中将義輝より偏諱(へんき)を受け、諱(いみな)を「輝虎」と改めています。
永禄7年(1564年)1月、4度目の「越山」を敢行した上杉弾正少弼輝虎と連携した里見左馬頭義弘が、下総国府台に進出しました。
その報を受けた北条左京大夫氏康は、急ぎ下総に兵を派遣。
自身も下総へ向かいます。
第二次国府台合戦
北条(ほうじょう)方の先鋒は江戸城代(えどじょうだい)の遠山甲斐守綱景、富永三郎右衛門尉直勝。
遠山家の本流・美濃遠山諸家に関連する記事:
ビジネスに活かす戦国合戦術(20)岩村城の合戦
2将は本隊の到着を待たずに江戸川(えどがわ)を渡り始めます。
それを見た里見軍は国府台城から撤退し始め、勢いづいた遠山甲斐、富永三郎は一気に国府台の台地を駆け上がります。
しかし、そこで里見軍が反転。
台地上から一気に遠山・富永両将に逆落としをかけ、両将は敗退、討死します。
緒戦に勝利した里見軍は兵たちに酒を振る舞い、祝勝の宴を始めます。
しかし、その夜ひそかに江戸川を渡河(とか)した北条軍の本隊2万が国府台城を囲んでおり、未明に総攻撃を仕掛けます。
酔いのさめない里見軍6,000は散々に打ち負かされ、大将の里見左馬頭はほうほうのていで安房へ逃げ帰ります。
小さな勝ちに酔わない
今回の教訓は非常に分かりやすいですね。
緒戦に勝っただけで勝利に酔いしれた里見軍が、絵に描いたように無様な負け方をしたことですね。
このようなわかりやすい事例を扱うときはいつも言うのですが、これ、果たして他人事と思って笑っていていいんですか?
ということを問いたいです。
祝勝し、労をねぎらい、功労者を賞するのはとても大切なことです。
みんなで喜びを分かち合いたいですよね。
しかしそれ、本当に「勝ち」ですか?
見落としはないですか?
「勝ち」は本当に確定してるんですか?
―――
僕は今年戸建てを購入したのですが、その時にはこの「勝ち」の認定には非常に慎重でした。
妻には当初から「実際に引っ越して入居するまで、『家を手に入れた』とは思わないように」と伝えてありました。
入居するまでどんなトラブルが起こり、話がおじゃんになるかわからないからです。
そうなったら精神的にダメージを受けて、一気に無気力になってしまいます。
それを防ぐために、心のもっていき方としてはローンの仮審査の段階から非常に慎重な姿勢でいました。
不動産業者の担当者には「1年以内にクレジットカード等の支払い遅延がなければ大丈夫です」といわれており、遅延はありませんでした。
しかし、自分の認識していないところで遅延があったかもしれない。
実際に仮審査の当月、普段使いしていないクレカの年会費が残高不足で落とされていないという事案が発生しました。
慎重にメール等に目を光らせていたため、引落がされていないことをすぐに発見してクレカ会社に連絡。事無きを得ました。
そして、契約までの段階でも慎重な姿勢を貫きました。
不動産業者が結構いい加減な業者だったため割とハード目のネゴ(交渉)をやったのですが、売主がいつ嫌になるかわからない。
「売主が契約したくない」というかもしれない、ということを頭の片隅において交渉に当たりました。
その後のローンの本審査、物件の引き渡しの過程でも常に慎重な姿勢を貫いてトラブルに備え、引き渡し後も何が起こるかわからないという姿勢でいました。
ローンの本審査の時などは、不動産業者が不案内だったこともあり、書類の準備等で非常に不安な状況に陥ったこともありました。
ローンの本審査をクリアし、引き渡しの段階まで来てしまえば取引がおじゃんになることはまずありませんが、自分の知らない領域で何かトラブルが起こるかもしれません。
そんなこんなで、妻とようやく喜びを分かち合いハイタッチをしたのは引越が終わって一息ついた時でした。
―――
そもそも、油断というのは自分の能力の過信から起こります。
あなたはそんなに能力高いですか?
自分の能力でトラブルを防ぎきれますか?
そもそも、何か事をなそうというときには必ずトラブルが発生します。
未知の領域に踏み込むんだから当たり前なんですよ。
そんな時に、自分の力を過信すべきではないからこそ「小さな勝ち」に酔いしれてはいけないんです。
ということで、今回は「小さな勝ちに酔わない」ということについて説明させていただきました。
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・北条 左京大夫(通称は新九郎) 平 朝臣 氏康
ほうじょう さきょうのだいぶ(通称はしんくろう) たいら の あそん うじやす
・里見 左馬頭(通称は太郎) 源 朝臣 義弘
さとみ さまのかみ(通称はたろう) みなもと の あそん よしひろ
・北条(伊勢) 左京大夫(通称は新九郎) 平 朝臣 氏綱
ほうじょう(いせ) さきょうのだいぶ(通称はしんくろう) たいら の あそん うじつな
・【小弓公方】足利 右兵衛佐(通称不明) 源 朝臣 義明(法名空然)
【おゆみくぼう】あしかが うひょうえのすけ(通称不明) みなもと の よしあき(法名こうねん)
・里見 刑部少輔(通称は権七郎) 源 朝臣 義尭
さとみ ぎょうぶのしょう(通称はごんしちろう) みなもと の あそん よしたか
・(山内)上杉(長尾) 弾正少弼(通称は平三) 藤原(平) 朝臣 輝虎(景虎、政虎。入道謙信)
(やまのうち)うえすぎ(ながお) だんじょうのしょうひつ(通称はへいぞう) ふじわら(たいら) の あそん てるとら(かげとら、まさとら。入道けんしん)
・(山内)上杉 兵部少輔?(通称は五郎) 藤原 朝臣 憲政
(やまのうち)うえすぎ ひょうぶのしょう?(通称はごろう) ふじわら の あそん のりまさ
・征夷大将軍(将軍家) 足利 左近衛中将(略称「左中将」。通称不明) 源 朝臣 義輝(義藤)
せいいたいしょうぐん(しょうぐんけ) あしかが さこんえのちゅうじょう(略称「さちゅうじょう」。通称不明) みなもと の あそん よしてる(よしふじ)
・遠山 甲斐守(通称不明) 藤原 朝臣 綱景
とおやま かいのかみ(通称不明) ふじわら の あそん つなかげ
・富永 三郎右衛門尉 源(伴) 直勝(康景)
とみなが さぶろううえもんのじょう みなもと(とも) の なおかつ(やすかげ)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
落人の夜話
今日は何の日?徒然日記
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※作詞、作曲、アレンジ、プログラミング、すべて筆者によります。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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