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2020年08月28日

石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー

大阪城
《令和5年8月17日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第26弾として、「石山合戦(いしやまがっせん)」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦
第19回 第二次高天神城の合戦
第20回 岩村城の合戦   第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い   第23回 天目山の戦い
第24回 権現山の戦い   第25回 天正伊賀の乱

※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の岸宏子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

経営理念を掲げている会社って多いと思います。

毎朝朝礼で唱えている会社もあれば、額縁に入れて社長の頭の上に飾っている会社もあると思います。

もしかしたら、「会社の経営理念なんて知らない」という方もいらっしゃるかもしれませんが、ホームページをのぞくと書いてあったりします。

おそらく、「経営理念」を掲げていない会社はほとんどないと思われます。

その「経営理念」ですが、大抵は「きれいごと」が書かれていて、実際の会社のお客さんや従業員の扱いを考えると薄ら寒い気持ちになったりします。

「経営理念」に反した行動をしている会社はたまにありますが、実は「経営理念」の存在自体はとても重要だったりします。

そこで今回は、総見公織田信長と石山本願寺(いしやま・ほんがんじ)が11年にわたって繰り広げた「石山合戦」を素材にして、「理念」がなぜ重要なのか?を学びたいと思います。

まずは合戦の流れをご覧ください!

徳川家康の理念についての記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

関連記事(会社経営における理念):
松下幸之助『指導者の条件』

経営関連の記事
管理職を育てられない経営者は無能だ



石山合戦とは?


そもそも石山合戦とは何かという話ですが、元亀(げんき)元年(1570年)~天正(てんしょう)8年(1580年)までの11年間にわたって行われた大坂(おおさか)石山本願寺と、総見公との戦いを指しています。

大坂石山本願寺とは親鸞上人(しんらん・しょうにん)から始まる浄土真宗(じょうどしんしゅう)の一派で、15世紀に活躍した蓮如上人(れんにょ・しょうにん)の布教により、百姓・町人・武士という広い階層から支持を受け、絶大な勢力をもった宗教的武装集団のことを言います。

蓮如上人の5代目の子孫である顕如上人(けんにょ・しょうにん)が絶大なカリスマ性を発揮し、16世紀には畿内(きない)・東海(とうかい)・北陸(ほくりく)の民衆だけでなく、多くの武将(ぶしょう)たちにも深く信奉されていました。




石山合戦の流れ


本願寺勢は15世紀後半に加賀守護(かが・しゅご)・富樫(とがし)氏を追い出して加賀一国を支配します。

天文(てんぶん)元年(1532年)には、京都(きょうと)・山科(やましな)にあった本拠地・山科本願寺を細川六郎晴元と組んだ法華一揆(ほっけ・いっき)〔日蓮宗(にちれんしゅう)の僧兵(そうへい)〕らに襲われ大坂に退去します。

それ以来、本願寺勢は大坂石山本願寺を本拠地としていました。

その後、細川六郎改め右京大夫(うきょうのだいぶ)よりたびたび攻撃を受けますが耐え、永禄(えいろく)11年(1568年)、畿内(きない)織田尾張守(おわりのかみ)信長の支配を受けるようになります。

この頃は本願寺と尾張守は特段対立関係にはありませんでした。

しかし、尾張守が擁していた将軍家足利義昭と対立していた前関白(さきのかんぱく)近衛前左大臣〔=左府〕前久が暗躍します。

元亀元年(1570年)8月、摂津(せっつ)・野田(のだ)城・福島(ふくしま)城にて三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)を攻めていた織田尾張守こと織田弾正大弼(だんじょうのだいひつ)信長は、9月半ばに突然、大坂石山本願寺勢からの攻撃を受けます淀川堤(よどがわづつみ)の戦い
※この挙兵に近衛左府が関わっていたとされます。

この戦いと同時に志賀(しが)の陣が起こったため、織田弾正は朝廷(ちょうてい)に働きかけて本願寺と和睦(わぼく)</span>しています。

参考記事:
叡山焼き討ち―問題が山積みのときの対処法

さらに同時に伊勢長島(いせ・ながしま)・願証寺(がんしょうじ)の一向宗徒(いっこう・しゅうと)が織田(おだ)領・尾張(おわり)・小木江(こきえ)城を襲い、城将だった弾正の弟・彦七郎信興を自害させます。

弾正は翌元亀2年(1571年)5月・元亀4年(1573年)長島・願証寺を攻めますが、敗退。

翌天正2年(1574年)1月には、朝倉(あさくら)氏を滅ぼして手に入れたばかりの越前(えちぜん)を一向一揆に奪われ、弾正大弼改め参議(さんぎ)〔=宰相(さいしょう)〕となった信長は、再び石山本願寺と対立します。

同年7月、宰相信長は長島・願証寺を陸路・海路から封鎖して兵糧(ひょうろう)攻めを行い、降服してきた一向宗徒をことごとく斬りました。
これにより、長島の一向宗徒はほぼ全滅しました。

天正3年(1575年)8月には越前一向一揆の内部対立が起こり、宰相信長は一気に越前を制圧します。

この2つの戦いに恐れをなした顕如は宰相と和議を結びます。

天正4年(1576年)、中国(ちゅうごく)地方の太守(たいしゅ)・毛利右馬頭輝元と結んだ顕如は、右近衛大将(うこんえのだいしょう)〔=右大将(うだいしょう)〕となった信長に対して三たび挙兵します。

右大将は石山本願寺を囲みますが、本願寺は毛利(もうり)からの補給を受けており、さらに本願寺には鉄砲傭兵団雑賀(さいか)衆・根来(ねごろ)衆がついていました。

雑賀衆・根来衆の焙烙火矢(ほうろく・ひや)にさんざんに打ち負かされ、右大将は敗退します(第一次木津川口(きづがわぐち)の戦い)。

根来衆についての参考:
『麒麟がくる』第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い

明けて天正5年(1577年)、右大将は本願寺勢最大の戦力だった雑賀衆・根来衆の切り崩しに成功し、紀州征伐(きしゅう・せいばつ)を行います。

この前後で雑賀衆・根来衆の一部が右大将に味方し、残りの勢力の大半が降服しました。

関連記事:
雑賀・根来合戦から学ぶ―つまらない職場を楽しくする方法

続く天正6年(1578年)10月、摂津(せっつ)有岡(ありおか)城主で本願寺包囲網の重要な一角を担っていた荒木摂津守村重が突如、右大臣〔=右府〕となった信長に反旗(はんき)を翻します。

右府は本願寺・毛利・荒木(あらき)が連携をとることを恐れましたが、同年11月、鉄張りの船で毛利軍を圧倒し勝利したことにより、本願寺の補給路を断つことに成功します。(=第二次木津川口の戦い)

参考記事:
大航海時代に日本が侵略されなかった理由(5)―日本とヨーロッパの戦力差(後編)

天正7年(1579年)には有岡城が落城。

天正8年(1580年)3月には、播磨(はりま)で本願寺と連携をとっていた三木(みき)城の落城により、ついに本願寺が講和を持ち掛け本願寺顕如が石山本願寺を退去しました。

関連記事:
三木城合戦に学ぶ―モチベーションの源を確保する

しかし、顕如の子・教如(きょうにょ)は相変わらず石山本願寺に籠って抵抗をつづけました。

荒木摂津も尼崎(あまがさき)城・花隈(はなくま)城に籠って抵抗しますが、7月に落城。

8月には本願寺教如も降服し、石山本願寺を右府に明け渡しました。

11年の長きにわたった石山合戦がついに終結しました。




本願寺はなぜ支持されたのか?


この戦いで本願寺勢はなぜ11年にもわたって総見公織田信長と戦えたのか?

講和と対立を繰り返したということもありますが、それはやはり、多数の門徒に支えられていたからでしょう。
※特に雑賀衆・根来衆などの鉄砲傭兵団の支持を受けたことが大きかったようです。

では、なぜ、本願寺はそこまでの支持を得られたのでしょうか?

もう予想がついていると思いますが、やはり、「理念」の力があったからでしょうね。

ただ、総見公にも理念はありました。

それは有名な

「天下布武(てんかふぶ)

ですね。

これは「天下に武を布く(しく)」という意味ですが、要するに大きな武力によって他の武力を抑え、天下に平穏をもたらすのです。

豊臣秀吉の羽柴藤吉郎や明智十兵衛、徳川三河守家康などはこの「天下布武」の理念に惹きつけられたと言えるかもしれません。

しかし、一般民衆からすれば嫌でしょうね。

織田家が天下を取ったって、結局今までの武力から新しい武力へと支配者が変わるだけで、武力に支配されることには変わりません。

また、暴力で年貢(ねんぐ)を取られたり、妻や娘を連れていかれたり、気に入らないからと殴られたり、下手をすれば火をつけられたり斬られて自分も死ぬ可能性もあるわけです。

もう、絶望的な状況です。

しかし、浄土真宗の教義は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えてさえいれば、死後、極楽浄土(ごくらくじょうど)へ行ける」という浄土思想です。

もう、現世でのご利益(りやく)はあきらめているわけです。

現世では最悪の人生だったけど、南無阿弥陀仏と唱えて仏様のために戦って死ねば、極楽浄土に行けるんです。

これが一般民衆の救いとなったんですね。

すでに南無阿弥陀仏と唱えているのだから、あとは仏様のために戦って死ねば極楽浄土に行ける。

織田信長が我らの仏道を壊そうとしてるのだから、織田信長と戦って死ねば極楽へ行ける。

つまり、総見公と戦って死ぬことが目的だったことになります。

そりゃ、頑強に抵抗するわけですよね。

これが、「理念」のもつ力です。




なぜ、会社の「理念」に心が動かされないのか?


冒頭で述べた通り、ほとんどの会社さんは「経営理念」を掲げています。

しかし、本願寺勢のように従業員のモチベーションの高い企業はどれだけあるのでしょうか?

従業員それぞれに個性があります。
熱血社員もいれば、ニヒルな皮肉屋社員もいます。
もちろん、「理念」そのものに批判的な意見もあっていいはずです。

しかしどんな従業員にとっても、「理念」が浸透していれば根底のところでモチベーションを支える役割を果たすはずなんです。


例えば、
「私たちは、地域社会に貢献し、地域の人々から感謝される仕事をします」
という理念があったとします。

想像してほしいのですが、会社の近くで食事をしたとします。

そこでたまたま近所のおば様が食事をしていて、ちょっとした会話をしたとします。

その時、そのおば様は自分の社員証を目に留めました。

「あら、あなた○○株式会社の人なの?
いいところに勤めてるわね~
私この間お宅の会社さんから買い物したんだけど、営業の方が親切でね…」


みたいな話をされた誰だってらうれしいと思うんですよね。
(話が長いと困りますが 笑)

しかし、実際は「経営理念」をモチベーションにしている従業員は少ないと思います。

なぜか?

経営者が「経営理念」の威力を理解していないからです 笑

「とりあえずコンサル会社とか、立ち上げのとき世話になった税理士の先生が『経営理念を作った方がいい』といったから作ったけど、ナニコレ?」って感じなんですよね。

そして、その「理念」を本気で実行する気がないからですね。

せっかく立派な「経営理念」を掲げてるのに、実際に会社は違うことをやっているというパターンもよくあります。

よくあるのが「従業員の幸せ」を掲げてるのに、全然給料が上がらない、とか、いじめみたいな叱責をされる、とかですかね 笑

もしそういった会社に勤めてしまっている場合は、

①我慢して憂鬱な毎日を送る
②以前ご説明した「ゲリラ戦法」を利用して、会社を変える


参考記事:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方

参考記事:
天正伊賀の乱から学ぶ―リーダーがいないと組織はどうなる?

③会社を辞める

という選択肢が出てくるかな、と思います。
ほとんどの人が①を選ぶと思いますが、果たしてそれでいいのでしょうか?
(どれを選ぶかは自由ですが)

僕は今まで②を試してダメだったため③を選択、というパターンが多いです。

このままいくとまた起業するしかないのでは?と思っちゃったりしてます 笑

今回は以上となりますが、お分かりいただけたでしょうか?
「理念」というものは、真剣に遂行していくと従業員の、根底のモチベーション、エネルギー源になる部分なんです。


「理念」についての参考:
ビジョナリーカンパニー

同参考記事:
ジェームズ・C・コリンズ『ビジョナリーカンパニー2』


というわけで、「『理念』のもつパワー」について説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像は石山本願寺の跡地に建てられた大阪城の写真です。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 右大臣〔右府。総見公。通称は三郎、上総介〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ うだいじん〔うふ。そうけんこう。通称はさぶろう、かずさのすけ〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・藤井 (通称不明) 藤原 善信〔法名:親鸞〕
ふじい (通称不明) ふじわら の よしざね〔法名:しんらん〕
・大谷〔本願寺〕 (通称不明) 藤原 兼壽〔法名:蓮如〕
おおたに〔ほんがんじ〕 (通称不明) ふじわら の けんじゅ〔法名:れんにょ〕
・大谷〔本願寺〕 (通称不明) 藤原 光佐〔法名:顕如〕
おおたに〔ほんがんじ〕 (通称不明) ふじわら の こうさ〔法名:けんにょ〕
・細川 右京大夫〔略称「京兆」。通称は六郎〕 源 朝臣 晴元
ほそかわ うきょうのだいぶ〔略称「けいちょう」。通称はろくろう〕 みなもと の あそん はるのぶ
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき
・関白 近衛 左大臣〔通称不明〕 藤原 朝臣 前久〔晴嗣、前嗣〕
かんぱく このえ さだいじん〔通称不明〕 ふじわら の あそん さきひさ〔はるつぐ、さきつぐ〕
・織田 彦七郎 平〔藤原、忌部〕 信興
おだ ひこしちろう たいら〔ふじわら、いんべ〕 の のぶおき
・毛利 右馬頭〔通称は少輔太郎〕 大江 朝臣 輝元
もうり うまのかみ〔通称はしょうのたろう〕 おおえ の あそん てるもと
・荒木 摂津守〔信濃守、通称は弥助〕 藤原 朝臣 村重
あらき せっつのかみ〔しなののかみ、通称はやすけ〕 ふじわら の あそん むらしげ
・関白 羽柴 太政大臣〔通称は藤吉郎〕 豊臣 朝臣 秀吉
かんぱく はしば だじょうだいじん〔通称はとうきちろう〕 とよとみ の あそん ひでよし
・征夷大将軍 徳川 太政大臣〔三河守等多数。通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
せいいたいしょうぐん とくがわ だじょうだいじん〔みかわのかみ等多数。通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
一向宗門徒の団結力について
どんのブログ
石山合戦の終結について
戦国時代
石山合戦の総括
旅とエッセイ 胡蝶の夢

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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(2)趣味
この記事へのコメント
どんさんのブログから鷲谷さんのブログにきました。
鷲谷さんが言われるように、本願寺はなぜ支持されたのか?それは「理念」の力があったからにまちがいないでしょう。でも、鷲谷さんの「理念」のとらえ方が親鸞聖人や蓮如上人のとらえ方とちがうのでコメントさせていただきます。
鷲谷さんは浄土真宗の教義は「南無阿弥陀仏と唱えてさえいれば、死後、極楽浄土へ行ける」という浄土思想です。と書かれています。しかし、浄土真宗の教義は「阿弥陀仏の他力の信心を生きている時にいただくと、死後必ず極楽浄土へ行ける」というのが親鸞聖人や蓮如上人の教えて行かれたことです。蓮如上人は、御文章の中でどれだけ南無阿弥陀仏と唱えても極楽浄土へは行けませんと、何度も言われています。例えば、御文章三帖四通「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称ふれば、極楽に往生すべきように思ひはんべり。それは大きに覚束なきことなり」と書かれています。鷲谷さんのまちがいと言うよりは、世間全体の誤りかもしれません。
Posted by 月光仮面 at 2023年11月06日 23:03
>月光仮面さん

コメントをいただいていたことに気づかず、承認及びお返事が遅れてしまってすみません。

浄土真宗のお話、大変勉強になりました。
確か、学校で習う歴史の教科書に「南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、死後極楽浄土へ行ける」と書いてあったので、おっしゃる通り世間全体の認識が間違っているのだと思います。

実際のところ、教科書が間違っていることはよくありますが、みんな教科書に書いてあることは正しいと思い込んでしまうので、きちんと検証したうえで書いてほしいですね。
Posted by 鷲谷 城州 at 2023年12月08日 00:23
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