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2020年05月24日

ビジネスに活かす戦国合戦術(18)長篠の合戦

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第18弾として「長篠の合戦」について書きます。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦

『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の林亮勝氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!


<合戦に至るまでの経緯>


武田軍は元亀2(1571)年に武田信玄が遠江高天神城に進撃して以来、断続的に徳川領に侵入を試みてきました。

元亀4(1573)年の「野田城の合戦」の後に信玄が急死したことでいったんは落ち着きますが、あとを継いだ四郎勝頼は翌天正2(1574)年に三河・遠江攻めを再開。

三河足助城を落とした後、四郎は兵を転じて東遠江の高天神城を攻めます第一次高天神城の合戦)。

そのまま天竜川沿いに到達し、浜松城の徳川侍従家康を挑発した四郎ですが、浜松城は攻めずに甲斐に戻り、天正3(1575)年に再び奥三河に現れます。

足助城、作手城と進んで野田城を経て吉田城、二連木城をかすめて長篠城へ向かい、そこで布陣しています。
※この動きは戦略上よくわからない動きなので不可解なのですが、徳川家の経理係で岡崎城にいた大賀(大岡)弥四郎の裏切りを予定していた動きなのでは?という説があります。

↓長篠の合戦前の武田四郎の動き
※クリックで拡大します。
長篠の合戦前の武田四郎の動き


長篠城は天正元(1573)年に徳川侍従に奪還された後拡張されており、武田方の手にあったときよりも堅固になっています。

そのためなかなか落ちず、ついに織田上総介、徳川侍従の援軍が到着します。
(ここに至るまでの鳥居強右衛門(すねえもん)のエピソードとかも書きたいのですが、分量が多くなるので割愛します!)

<織田・徳川連合軍の歴史的勝利>


岐阜城を出発した織田上総介は、足軽たちに木材をもたせていました。

長篠設楽原についた上総介は、連吾川(連子川)を堀に見立て、西岸に、足軽にもたせてきた木材を使って馬防柵を築きました。

その西側に徳川侍従、佐久間右衛門(信盛)、岡崎三郎(徳川信康)と配置し、合戦が北側に展開した場合に備えて左翼に羽柴筑前、滝川左近を配置しました。

後詰には嫡子織田勘九郎(信忠)、次男・北畠侍従(信雄)を配置し、自身は宿営地である極楽寺山に陣取ります。

徳川侍従配下の酒井左衛門尉は武田軍の背後をつくために迂回して鳶の巣山(鳶ヶ巣山)砦を目指します。

武田軍総勢1万5000、対して織田・徳川連合軍は4万という兵力差を鑑みて、不利だと判断した武田方の家臣たちは四郎に撤兵を献策します。

しかし、今までの一連の戦いにより「織田・徳川連合軍は弱い」と思い込んでいたのか、四郎は設楽原にて決戦を命じます。

前後して酒井左衛門の鳶の巣山奇襲部隊が奇襲に成功し、武田軍は大混乱に陥ります。

そんな中、死を覚悟した武田の勇将たちは設楽原を猛進し、織田・徳川の銃弾に散っていきました。
織田・徳川軍の大勝利で終わった訳です。
※かの有名な鉄砲の「三段撃ち」は、近年、史料的に疑わしいことが指摘されています。しかし、鉄砲が大活躍したことは事実のようです。

↓長篠の合戦布陣図
※クリックで拡大します。
【訂正】長篠の合戦詳細図


※参考:『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧」(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)、山岡荘八『徳川家康』〔7〕(2002年12月20日発行、講談社)

<ビジネスに活かす要素は?>


やはり負けた武田四郎から学ぶことの方が多いですね。

まずは用兵。

合戦前の
明知→足助→作手→野田→吉田→二連木→長篠という動きの意味がよく分かりません。

野田城辺りを落城させたらすごく意味の大きな進軍路となったと思います。

しかし、野田城を落とさなかった。
(落とせなかったのかもしれませんが)

それこそ目算違いだったのかもしれません。

この動きをみると、大賀弥四郎の内応を待っていたというのもあながちあり得ない話ではないような気がします。

・大賀弥四郎が内応に失敗した
・徳川の手に戻った野田城が思ったより堅そうだった
・挑発によって徳川侍従を誘い出し、吉田・二連木辺りで野戦に持ち込もうと思ったが、徳川侍従は出てこなかった
等々

そして、それよりも大きいのが家臣との関係をうまく築けなかったことでしょうかね。

家臣を信頼して、その助言をきくべきでしたね。

父の急死の後、突然当主となったことによる混乱もあったとは思いますが、そのあとの合戦続きがよくなかったですよね。

信玄が死んだ噂が流れた後、敵対勢力の意表をついて短期間の電撃作戦をするのは意味があると思います。

しかし、四郎が取った手は長期戦。
しかも遠征しては甲斐に戻り、遠征しては戻り、ということを繰り返したことで家臣たちが疲弊したのでしょう。

そうではなく、短期戦でできうる限りの領土拡大を目指した後、少し間を置くべきでしたね。

その間に家臣の話を聞き、信頼関係を築いたうえで本格的に織田・徳川攻めをやるべきでした。

それができなかった理由としてはやはり、

・偉大な父(先代)に負けまいとする焦り

があったのだと思います。

僕も以前、偉大な先輩より管理職を継いだ経験があります。

偉大な先輩から業務を受け継いだというプレッシャーもあり、その時はその先輩のようになろうとしてあれこれやろうとするうちに、空回りしてしまっていました。

しかし幸いしたのは、部下に当たる方の1人と信頼関係を築けていたこと。

管理職を引き継ぐことが内定してすぐ、僕はその人物にそのことを打ち明け、アドバイザーになってくれるよう頼みました。

その方の助言により、僕が辞めるまでは部としてはうまく回っていたのだと思います。

僕が管掌していたのは数人の小さい部門でしたからうまくいきましたが、武田家は現代でいう上場企業、大会社です。

そんな大会社を継いだ四郎の受けたプレッシャーは想像するだけで恐ろしいですが、まずは家臣たちとのラポールを築くことを優先すべきでした。

というわけで、今回の教訓は

・管理職は、自分のプライドよりも部下たちとの信頼関係を優先せよ!

ということになります。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!

最後まで読んでいただきありがとうございました。
以下もぜひご覧ください。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
・武田(諏訪) 四郎 源(神) 勝頼
・徳川 侍従(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
・大賀(大岡?) 弥四郎 (藤原?) (諱不明)
・織田 上総介(通称は三郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
・鳥居 強右衛門 平 勝商(かつあき)
・佐久間 右衛門尉 平 信盛
・徳川(松平) 次郎三郎(岡崎三郎) 源 信康
・羽柴(木下) 筑前守(通称は藤吉郎) 平(豊臣) 朝臣 秀吉
・滝川 左近将監(通称は彦右衛門) 紀 朝臣 一益
・織田 勘九郎 平(藤原) 朝臣 信忠(信重)
・北畠(織田) 侍従(通称は三介) 源(平、藤原) 朝臣 具豊(信雄)
・酒井 左衛門尉(通称は小五郎) 源 朝臣 忠次
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓長篠の合戦についてもっと知りたい!という方は下記リンクから情報収集してみてください!



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参考
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)「長篠の戦い①」
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)「長篠の戦い②」
旅気分
歴史楽者のひとりごと

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「『F-ZERO』の音楽の良さを改めて実感した」。

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今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
The Beautiful / Sosuke Washiya









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Posted by Sosuke Washiya at 21:00│Comments(2)趣味
この記事へのコメント
鷲谷さん、歴史楽者のひとり言にコメントを頂きありがとうございます。長い自粛生活に耐えていたらご褒美をもらったような気分でとても嬉しいです。
さっそく鷲谷さんのブログを拝見させて頂きました。「ビジネスに活かす戦国合戦術」とはなかなか鋭い視点で興味深く読ませて頂きました。歴史を楽しむこととは、単に歴史を知ることではなく、現代の我々の生活に活かしていくことですね。
歴史に名を残した偉大な人物は皆そうしていたはずです。長篠の合戦で言うと信長は自分の得た情報を最大限に活かして行動し、勝頼は家臣たちとのコミュニケーション不足で情報を活かした行動ができなかったということですね。
長篠の合戦以外にも沢山の合戦を取り上げていらっしゃるので、そちらも楽しみです。これからも宜しくお願いします。
Posted by 歴史楽者のとも at 2020年05月26日 21:35
>ともさん

コメントありがとうございます!

ともさんのブログは学問的な切り口で非常に楽しいです。

同じ出来事でも、時代や受け取る人によって意味合いが変わってくると思うので、そういった選択肢というか、解釈を新たに見つけていきたいですよね。

こちらこそぜひよろしくお願いします!
Posted by Sosuke WashiyaSosuke Washiya at 2020年05月27日 00:22
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