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2020年07月27日

天目山の戦いから学ぶ―撤退のベスト・タイミングとは

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第23弾として、「天目山の戦い」について、ビジネス的視点で書いていきたいと思います。

関連記事:
『関八州古戦録』

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
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第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦
第19回 第二次高天神城の合戦
第20回 岩村城の合戦  第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い

※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の萩原裕雄氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

仕事をしていたり、プライベートでも「これはうまくいかないな」という場面ってあると思います。

しかし、うまくいかないと判断する基準も難しいですし、撤退しないで頑張ったら勝てるかもしれないと思ってしまいます。

そんな悩みをもつ人のために、この戦いを題材にして撤退するタイミングの決め方などを述べていければと思います。

そのあたりのことで悩んでる方はぜひご覧ください!



<高天神城敗退までの流れ>


天正10(1582)甲斐・信濃・駿河・上野に勢力をもち、戦国最強と目された武田家が滅亡します。

ときの当主・武田四郎勝頼は家臣や妻子とともに甲斐・天目山にて自決。

甲斐武田家の嫡流はここに滅亡します。

まずはそこに至るまでの経緯をまとめてみたいと思います。


転落の始まりは英雄・武田信玄の死です。

元亀3(1572)年、上洛すべく甲斐を出陣した武田信玄が徳川領であった遠江・三河を蹂躙。

三河の野田城を攻め落としますが、この時に発病し、元亀4(1573)年4月に急逝します。

あとを継いだ四男・四郎勝頼は翌天正2(1574)年に織田領の美濃・岩村城、徳川領の遠江・高天神城を攻めます。

この時すでに、武田軍は戦につぐ戦を敢行しており、家臣の中には四郎勝頼に反感を抱くものが出てきていたと言われています。

翌天正3(1575)年には有名な長篠の戦いにて武田軍は大敗を喫します。

この時有力な武将を数多く失い、戦前の規模で領国経営をしていくことはもはや不可能だったと思われます。

同年、織田軍は長篠の戦いの勢いに乗じて美濃・岩村城を攻め、奪還します。

天正9(1581)年には武田軍は第二次高天神城の戦いにて敗戦し、遠江の拠点・高天神城を失います。

これにより武田家中には「御館様(武田四郎勝頼)は、自分たちが窮地に立たされても援軍に来てくれない」という雰囲気が醸成されたと思われ、家臣たちの間に不信感が広がったと言われています。

<天正10年の悪夢>


武田方の士気はすっかり下がり、天正10年(1582)年2月、木曾福島城の木曽伊予守義昌が織田方に寝返りました。

武田家中には衝撃が走りました。

伊予守は美濃から諏訪へ向かう交通の要衝である木曽を領しており、さらに信玄の娘を正室に迎えていたからです。
(参考:「高遠城の合戦から学ぶ―自分よりキャリアが上の部下と信頼関係を築く方法」)

↓甲州征伐時の信濃方面勢力図
※クリックで拡大されます。
天目山の戦い 信濃方面広域図



続いて、松本深志城の馬場美濃守昌房(信春の嫡男)が織田源五郎長益(のちの有楽斎)に城を明け渡し、諏訪・高島城の安中忠基も城を退去。

伊那では滝沢城の下条伊豆守信氏が一族や家臣の謀反により退去。

松尾城の小笠原掃部大夫信嶺は織田方へ投降し、高遠城攻めに織田方として参加しています。

飯田城の保科弾正忠正直も城を退去しましたが、仁科五郎盛信と一緒に高遠城へ籠城しています。

続いて大島城の日向宗栄も城を退去。

そしてダメ押しが同年3月の高遠城の戦いです。
これによって、武田家中で織田軍に抵抗できる勢力がいなくなりました。

また、高遠城開戦と前後して、駿河国・持舟城の朝比奈駿河守信置が開城。

↓甲州征伐時の駿河方面勢力図
※クリックで拡大されます。
天目山の戦い 駿河方面広域図


さらに江尻城を領した穴山梅雪が寝返りました。

穴山家は南北朝時代に武田氏から分かれた一族で、梅雪の代までに何度も婚姻を繰り返し、武田氏の一門衆として位置づけられていました。

梅雪の寝返りによって、徳川権右少将家康が駿河から甲斐に侵入することが可能になりました。

さらに前後して、遠江方面では小山城の大熊備前守長秀(小山城は第二次高天神城の戦いに登場しました)があっけなく退去。

※ちなみに、駿河・田中城の依田右衛門佐信蕃は城に籠って徳川方に抵抗している最中に武田四郎の自害を迎え、投降しました。

ここまで来たら、もはや起死回生は不可能です。

<500年の名門の滅亡>


木曽伊予守を征伐するために諏訪・上原城に出張った武田四郎ですが、織田左中将信忠の進軍により城を退去。

未完成の新府城へと向かいます。

しかし、未完成の城では織田・徳川・北条連合軍を迎え撃つには心もとなく、四郎は真田安房守昌幸の提案する上野・岩櫃城か、小山田左兵衛尉信茂の提案する甲斐・岩殿城かどちらかに退却することとなりました。

ここで四郎は小山田左兵衛の岩殿城へ向かうことを決定しますが、これが命取りでした。
※通説としては小山田左兵衛が武田家譜代であったことが理由として挙げられていますが、実際には距離的に岩殿城の方が近かったこと、岩殿城の方が更なる退却に都合がよかったこと、岩櫃城への道程で織田軍に捕捉される可能性が高かったことなどが理由であると思われます。

しかし、いったん居城の岩殿城に戻った左兵衛は四郎のもとに戻ってきませんでした。
織田方へ寝返ったのです。
※小山田家はもともと武田家とは独立した在地領主であったので、もともと武田家に良い感情をもっていなかったのか、猛進撃してくる織田左中将の軍に恐れをなしたのか、理由は判然としません。


寄る辺のなくなった武田四郎一行は、迫りくる滝川左近一益の部隊に最期の抵抗をし、主だった武将や四郎の嫡子・太郎信勝を初めとする妻子は自害を遂げました。

ここに、新羅三郎源義光以来約500年続いた甲斐武田家の嫡流は滅亡しました。
※武田家は甲斐家の他、安芸家、若狭家、上総真里谷(まりやつ)家など数多くの分家が存在し、真里谷家などは現在も存続しています。
※武田信玄の父系子孫は江戸時代に断絶しましたが、女系や、それ以前の傍系には存続している家もあります。かくいう筆者の家も武田左京大夫信虎七男・信顕の末裔であるという伝承があります(そもそも、信顕が左京大夫信虎の子であるという確たる史料は存在しません)。


<撤退のベスト・タイミングはいつか?>


すでにお分かりの通り、武田四郎勝頼は撤退のタイミングを逸しました。

もっと早く戦を仕舞い、内側を固める方向に動いていれば、もしかしたら滅亡せずに済んだかもしれません。

しかし初めにはっきり言いますが、撤退のタイミングばっかりは非常に難しいです。

なぜならば、撤退に成功したときはほぼ必ず「撤退しないでもうちょっと頑張ってれば勝てたかも」といった後悔の念にさいなまれるからです。

確かに、及び腰になって撤退したパターンであれば「もうちょっと頑張った方がいい」部類に入るとは思うのですが、それ以外で「もうちょっと頑張ってたら…」と思える場合は大抵撤退して正解です。

では、どういった撤退パターンが正解なのか。

それは、

・感情的になる前に撤退すること

ですね。

人は、敗色が見え始めると弱気になってしまい、負の感情にとらわれてしまうものです。

このままいくとやばいかも、怖い、悔しい、つらい、みんなに嫌われてるかも、みんな逃げたり裏切ったりして独りになるかも、今まで頑張ってきたことも何もかもすべて失うかも…etc

こういった感情が湧いてくる以前にスイッチを設定しておいて、「そのラインを超えたら撤退する」といったような客観的なラインを決めておきます。

冷静な時に設定しておけば、ある程度の客観性のあるラインが作れると思います。

これ、ビジネスというよりも恋愛に例えると、もしかしたら万人にわかりやすいかもしれません。

僕は男性なので男性目線での話をしますが、好きな女性がいて、その女性とLINE交換したとします。

初めは仲良さげにやり取りをしていたのに、ある日突然返信が来なくなります。

こうなると気持ち的に焦ってしまい、返事がないのに追撃の連絡をしてしまったりするわけです。

この時点で負の感情にとらわれて冷静な判断ができなくなっているのですが、これが2回、3回と続くと完全に感情が暴走し、コントロールを失ってしまいます。

こうなると、精神的ダメージも大きいし、もしかしたら錯乱した精神状態でおかしな行動に出てしまうかもしれません。
(僕も実際に何度かやってしまったことがあります…)

これがいちばんダメな「負けパターン」ですね。

誰も喜ばないし、ダメージが最も大きい負け方です。

しかし、初めから「3回返信が来なかったら撤退する」と決めていたらどうでしょうか?

結局、ダメージを追うことには変わりませんが、「撤退する」ことを自分の意志で決めている分ダメージは少ないはずなんですよね。

そして、その後感情にとらわれて変な行動をとってしまう可能性もグンと減ります。

これを、恋愛以外のビジネスですとか他の分野に応用するわけです。

「撤退ライン」を決めるのも非常に難しいですが、そこで活きてくるのが経験ですとか、知識になるわけですね。

この業界では、こうなったら勝つのは難しいと言われている、とか、この企業はここで撤退した、とかの知識を詰め込みまくる訳です。

新規開拓の分野だったら先人の経験は使えませんが、他分野からの応用で、ある程度の目安は作れるはずです。

ということで、撤退のベスト・タイミングとは

・自分で決めた撤退ラインを超えたとき

となります。
撤退ラインを超えたら心を鬼にします。
巻き返しの方法があるかもしれない、などの雑念は一切捨てて、一目散に逃走してください。

それが、最終的な勝利へのステップです。

というわけで、まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田(諏訪) 四郎 源(神) 勝頼
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
・木曽 伊予守(通称は宗太郎) 源 朝臣 義昌
・馬場 美濃守(民部少輔) 源 朝臣 昌房(信忠、信光、信春)
・織田 源五郎 平(藤原、忌部) 長益(有楽如庵)
・安中 (官職・通称不明) 平 忠基
・下条 伊豆守(兵庫助。通称不明) 源 朝臣 信氏
・小笠原 掃部大夫(通称は十郎三郎) 源 朝臣 信嶺
・保科 弾正忠(越前守。通称は甚四郎) 源 朝臣 正直
・仁科(武田) 薩摩守(通称は五郎) 平(源) 朝臣 盛信(晴清、信盛)
・日向 大和守(通称不明) (氏不明) 朝臣 虎頭(玄徳斎宗栄)
・朝比奈 駿河守(兵衛大夫。通称は藤三郎、三郎兵衛、兵衛尉) 藤原(平) 朝臣 信置(元長、政貞)
・穴山 玄蕃頭(通称は彦六郎) 源 朝臣 信君(梅雪)
・徳川 右近衛権少将(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
・大熊 備前守(新左衛門尉) 源 朝臣 長秀
・依田(蘆田) 右衛門佐(常陸介。通称は源三郎) 源 朝臣 信蕃
・織田 左近衛中将(通称は勘九郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信忠(信重)
・真田(武藤) 安房守(通称は源五郎、喜兵衛) 滋野(源) 朝臣 昌幸
・小山田 左兵衛尉(越前守。通称は弥五郎) 平 朝臣 信茂(信有?)
・滝川 左近将監(通称は彦右衛門) 紀 朝臣 一益
・武田 太郎 源 信勝(昭勝?)
・刑部少輔(通称は新羅三郎) 源 義光
・武田 左京大夫(字不明) 源 朝臣 信虎
・武田 (官職・通称不明) 源 信顕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓武田四郎勝頼の生涯に興味がわいてきた方は下記リンクから情報収集してみてください!



モッピー!お金がたまるポイントサイト

参考
天目山の戦いに至る状況が分かりやすいです。
戦国時代
武田家滅亡までの流れがまとめられていてわかりやすいです。
武るる
武田四郎の経歴がわかりやすくまとめられています。
ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「権現山城の戦いから学ぶ―強大な相手の切り崩し方」。

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