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2020年11月28日

円覚寺(1)―元寇が生んだ禅寺

円覚寺


皆さんこんばんは。
今回は断続的に続いている「平成28年 鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第8弾で、「円覚寺(えんがくじ)」について記事の初回となります。

【今までの記事】
鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)
平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ
平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン
平成28年の小町通(3)―原点回帰したい人のためのおしゃれ団子
鶴岡八幡宮を味わう(1)―太鼓橋と舞殿
鶴岡八幡宮を味わう(2)―大銀杏と本宮
鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物

日本有数の観光地である鎌倉ですが、その魅力とは何なのかについて語りたいと思います。

とりあえず有名だから行ってみたけど、人は多いしなんだかよくわからない建物ばかりだしよ何がいいのかわからない!という人のために楽しみ方を説明したいと思います。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)レジャー

2020年11月24日

『麒麟がくる』第28回―摂津晴門とは何者?

大徳寺


皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第28回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係 ・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い ・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家 ・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回 ・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2) ・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜・第26回―摂関家の系譜
・第27回―「会合衆」とは何者か?


まずはあらすじ。



第28回のあらすじ


永禄(えいろく)11年(1568年)9月、足利左馬頭義昭(滝藤賢一)を擁して上洛(じょうらく)した織田尾張守信長(染谷将太)は、非武装での京都制圧に成功し、今井宗久(陣内孝則)との約束を守った。

信長はそのままの勢いで三好三人衆(みよし・さんにんしゅう)の本拠地・摂津(せっつ)・芥川山(あくたがわやま)城を占拠した。

戦勝を祝うため、周辺の武将たちが続々とそこにやってきていた。

その中には大和(やまと)にて三好三人衆と交戦している松永弾正久秀(吉田鋼太郎)も混じっていた。

明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、義昭の兄・左近衛中将義輝の代からの政所頭人(まんどころとうにん)・摂津掃部頭晴門(片岡鶴太郎)を紹介されるが、義輝を守れなかった晴門に不信感を抱く。

芥川山城を後にした義昭は、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任し、京都(きょうと)・本圀寺(ほんこくじ)に入り、そこを仮の御座所(ござしょ)とした。
そして信長は十兵衛らに義昭を託して岐阜(ぎふ)に帰っていった。

しかし、翌12年(1569年)、三好三人衆が警戒をかいくぐって本圀寺を襲撃したのである。

辛くも三好勢を撃退した足利(あしかが)勢だが、十兵衛は京都に三好の軍勢が入ってこれたことを疑問に感じる。
幕府(ばくふ)の中に、三好三人衆の手引きをしたものがいるのではないか…と。

数日後、京都に駆け付けた信長は、義昭を守れなかった摂津らに激怒する。

これからは信長が信頼するものを名代(みょうだい)とし、京都に城を築くという。

かくして二条(にじょう)城の築城が始まったが、石材の中に仏像が混じっているのを見て、複雑な思いを抱く十兵衛であった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2020年11月20日

『麒麟がくる』第27回―「会合衆」とは何者か?

茶道 茶道具


皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第27回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係 ・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い ・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家 ・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回 ・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2) ・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜・第26回―摂関家の系譜


まずはあらすじ。



第27回のあらすじ


明智十兵衛光秀(長谷川博己)の導きで美濃(みの)に入った足利左馬頭義昭(滝藤賢一)。

織田尾張守信長(染谷将太)は義昭を歓迎し、軍資金1千貫を献上するも、それを見て「どれだけ貧しい民を救えるか」とつぶやく義昭の武家の棟梁(とうりょう)としての資質に不安を抱くのであった。

信長は十兵衛に、京都(きょうと)の様子を見てくるように命じた。

京都についた十兵衛は、先行していた木下藤吉郎秀吉(佐々木蔵之介)と合流する。

京都での義昭の評判を探るべく、十兵衛は駒(こま)(門脇麦)、伊呂波太夫(いろはだゆう)(尾野真千子)を伝って探りを入れ、堺(さかい)の豪商・今井宗久(陣内孝則)に会うこととなった。

宗久は、京都と堺の安寧を願っていた。
三好(みよし)一派を援助してはいたが、それは京都と堺の平穏のため。

織田信長ら一党が鎧兜をつけずに上洛(じょうらく)するのなら、三好支持を止めると約束する宗久であった。

岐阜(ぎふ)に戻った十兵衛はこのことを信長と家臣団に話すが、家臣団の反発に遭う。

そこで信長は、義昭に判断をゆだねた。

義昭は、鎧兜をつけずに上洛するという。

こうして織田(おだ)家の面々は南近江(みなみ・おうみ)の六角(ろっかく)氏を打ち破り、三好一派は京都を去り、武装を解いて上洛することで宗久との約束を守ったのであった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2020年11月16日

備中高松城の戦いから学ぶ―変化を受け入れる

備中高松城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第34弾として、「備中高松(たかまつ)城の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事】
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第18回 長篠の合戦   第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い   第23回 天目山の戦い
第24回 権現山の戦い   第25回 天正伊賀の乱
第26回 石山合戦   第27回 新井城の戦い
第28回 雑賀・根来合戦   第29回 第一次国府台の戦い
第30回 上月城の戦い   第31回 河越城の戦い
第32回 三木合戦   第33回 鳥取城の戦い

※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の斉藤典子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

新型コロナウイルスの流行により在宅ワークへの切り替えが加速され、多くの企業は変化を余儀なくされています。

しかし、もともと世の中はIT化によって急速な変化を強いられつつある状況でした。

「在宅ワーク」はウイルスの蔓延以前から進められていましたし、その他AIの普及やRPA化(パソコンによる作業の自動化)の波が押し寄せており、もはや「今までのやり方」を急速に変えなくては生き残るのが難しい時代となっています。

しかし、実際の状況はどうでしょう?

「業務を効率化するので、これからはこういうやり方でやってください」

と言われたらどう思いますか?

まずは脳内に「嫌だ」という気持ちが浮かんでくるのではないでしょうか?

人は変化を嫌う生き物なので、たとえそれが「よくなるための変化」であっても大体拒否反応を示します。

それでいいのでしょうか?

そこで今回は、「変化を受け入れる」達人であった羽柴筑前守秀吉の戦い「備中松山城の戦い」をご紹介しようと思います。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)趣味

2020年11月12日

「今の気分」で映画を選びたいと思いません か?おすすめの映画検索サイトの紹介

ビンテージカメラ
PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像


皆さんこんばんは。
今回は映画そのもののご紹介ではなく、観たい映画を探したい時などにぴったりのサイトをご紹介します。

僕は一時期「映画狂か」、と思われるくらい映画を観まくっていた時期があります。

「なんとかロードショー」はもちろんチェックするし、各局の深夜映画も観て、なおかつレンタル屋に行ってDVD(当初はVHSでしたw)を借りてきて…というような生活です。

そのような生活をしていると話題の映画はあっという間に観終わってしまって、次は何の映画を観ようか、判断基準がなくなってしまうんですよね。

初めの方はレンタル屋に行ってミステリーとかサスペンスとか、好きなジャンルの棚を物色していたのですが、ジャケットに書いてあるあらすじを見てもよくわからないし、このやり方だとジャンルが偏ってしまって、素晴らしい映画との出会いの機会を失う可能性もあります。

で、やり始めたのが「あいうえお順」で片っ端から観ていくというやり方。

実はこのやり方で『あの頃のペニー・レインと』などの名作に出会ったりもしているのですが、あいうえお順の最後の方にたどり着くのに時間がかかります。

『あの頃のペニー・レインと』について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
あの頃のペニー・レインと

で、次にやり始めたのが、レンタル屋の「店員のお勧め」の棚にある作品を片っ端から観るというやり方。

このやり方はすでに人が「面白い」と評価しているもの見ていくので、やはり「あいうえお順」よりも面白い作品に出会う可能性が高かったです。
※このやり方で出会った名作?が『赤ちゃんの逆襲』です。

関連記事:
赤ちゃんの逆襲

しかし、このやり方も結局情報量が少なすぎて、今の自分の気分に会う映画を選ぶのは難しいということがわかりました。

そんな悩みを十数年抱え続けていたのですが、最近…
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)映画

2020年11月08日

『麒麟がくる』第26回―摂関家の系譜

一乗川


皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第26回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係 ・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い ・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家 ・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回 ・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2) ・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜


まずはあらすじ。



第26回のあらすじ


足利左馬頭義昭(滝藤賢一)の話を聞いた明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、義昭に将軍(しょうぐん)の器を見出し、朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)にそのことを進言した。

義昭の元服(げんぷく)の際に烏帽子親(えぼしおや)を務め、すっかり上洛(じょうらく)する気になった義景であったが、一族や重臣たちは乗り気ではない。

その様子を見た十兵衛は朝倉(あさくら)家に上洛は難しいと見て取って、稲葉山(いなばやま)城改め岐阜(ぎふ)城に拠る織田尾張守信長(染谷将太)を訪れた。

信長は上洛に前のめりで、十兵衛に義昭を連れてこいと言う。

越前(えちぜん)に戻った十兵衛は、義景の下を去り義昭らとともに信長を頼ることを考えるが、上洛に乗り気になっていた義景の説得に頭を悩ます。

そこで、三淵弾正左衛門尉藤英(谷原章介)は、朝倉一族や重臣たちと謀り事をめぐらす…

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2020年11月04日

地元の英雄―身を挺して民を救った佐倉惣五郎

歴博


皆さんこんばんは。
今回は記事「地域特有の偉人っているよな」にちなんで、僕が少年時代を過ごした旧佐倉(さくら)藩領内の英雄「佐倉惣五郎」をご紹介したいと思います。
※上記記事中にも「佐倉惣五郎」の名前が登場しています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。

小学校の教科書には地元について学ぶ教材があったと思います。

地元の産業やら地理やら歴史やら…

そんな中で、千葉(ちば)県の教科書に載っていたと思われるのがこの「佐倉惣五郎」という人物です。

僕は学校で習った記憶があるので、おそらく千葉県出身の人はみんな名前くらいは知っているのではないかなと思います。

また、彼が祀られている「宗吾霊堂(そうごれいどう)」(※)は当時僕が住んでいた家から車でひょいっと行けるところにあり、子供の頃に連れて行ってもらったことがあります。
※表記が「惣五(郎)」ではなく「宗吾」となっていますが、昔は現在ほど漢字の表記が厳密ではなかったためだと思われます。また、「郎」が略される例は多いです。

では、佐倉惣五郎とはどのような人物だったのか?
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)趣味