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2020年04月30日

『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽

高島市 白髭神社


皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第11~12回)に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係


大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!

まずはあらすじ。



第11~12回のあらすじ


織田弾正忠信秀(高橋克典)が弱っているという噂の真偽を確かめるべく、知多半島を次々と制圧する今川家。

信秀は斎藤山城守利政(本木雅弘)に援軍を要請するが、山城守は援軍を断る

その断りの使者として信秀の嫡男・三郎信長(染谷将太)を訪れる明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、帰蝶(きちょう。川口春奈)と信長よりある依頼を受ける。

それは、将軍家足利義輝(向井理)へ和議の調停を依頼することであった。

十兵衛は京に向かったが、京は義輝と仲違いした三好筑前守長慶(山路和弘)の警戒により、簡単に入ることができなくなっていた

近江で立往生する十兵衛だったが、そこで偶然細川与一郎藤孝(眞島秀和)と出会い、琵琶湖西岸にある朽木谷(くつきだに)にいる義輝のもとに向かうのであった。

十兵衛の尽力で今川家と和議を結ぶことができた信秀。

しかし、命の炎は今にも燃え尽きようとしていた。
信秀は嫡男・信長とその同母弟・勘十郎信勝(信行)(木村了)を呼び出し、末盛(すえもり)城を信勝に譲るという。

その裁定に納得のいかない信長だったが、帰蝶の機転に救われる

一方、十兵衛は同じ土岐の一族である妻木家の娘・煕子(木村文乃)を正室に迎えた

稲葉山(いなばやま)城の斎藤山城守は守護・土岐美濃守頼芸(尾美としのり)から自慢の鷹を譲りうけ、上機嫌であった。
しかし、飛び立ったその鷹の爪が近習の腕に食い込むや否や、近習は倒れて死んでしまった

爪に毒が塗ってあったのである。

そのことで激怒した山城守は頼芸を討つ、といきり立った。

ということで、


第11回「将軍の涙」の感想


織田家のための使者として十兵衛が将軍家のもとを訪れるというのがちょっと不自然ではありましたが、なかなか面白かったと思います。
(織田家のため=斎藤家のため、でもあるので「なし」ではないとは思いますが)

展開として、斎藤山城守の息子・新九郎高政(伊藤英明)が父に反感を抱いていく過程も丁寧に描かれていて面白かったです。
土岐美濃守頼芸のキャラクターの描き方も素晴らしかったです。

土岐一族についてもっと詳しく知りたい方は、下記リンクをクリックしてください(参考記事に飛びます):
『麒麟がくる』第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係

そして今回特筆したいのが、近江朽木の登場ですね。

僕の祖母の家系は丹波福知山(ふくちやま)藩朽木家の家老の家で、朽木家とはただならぬご縁があるので、朽木が描かれると誇らしい気持ちになります!笑
(Wikipediaの「朽木稙綱」の記述の9割は僕が書いたものです笑)

僕自身も朽木村を訪れたことがあり、紀行を見てなつかしさを覚えました

※福知山城は明智十兵衛による築城ですので、おそらく後々ドラマ中で少しは登場するものと思われます。

関連記事:
『麒麟がくる』第30回―三淵氏の来歴

関連記事:
『麒麟がくる』第19~20回―足利将軍家の動きと桶狭間の戦い

関連記事:
ビジネスに活かす戦国合戦術⑧金ヶ崎城の合戦

関連記事:
軽く旅行記

関連記事:
訪滋賀




第11回の楽しみ方―なぜ朽木谷か?―


ドラマ中に突然登場した近江の「朽木」。
(谷になっているので朽木谷と呼ばれることが多いです)

足利将軍家(義輝)は近江坂本(さかもと)や六角氏の観音寺(かんのんじ)城ではなく、なぜ「朽木」というマイナーなところに逃げ込んだのか?

戦国入門者はそこがひっかかると思います。

そこでまず将軍家と朽木谷との関係を説明しましょう。


朽木谷は鎌倉時代から朽木家が治めている土地です。

朽木家というのは宇多源氏(うだげんじ)佐々木家の一族で、北近江を治めていた京極家、南近江を治めていた六角家同族に当たります。

↓朽木氏略系図(クリックで拡大します)
朽木氏略系図

(系図内に「ぼく」と入っているのは気にしないでください笑
我慢できずに入れてしまいました笑)
※令和4年3月19日注:筆者は令和3年5月に通称を「山城守(城州)」と改めています。


朽木家は鎌倉時代から将軍家の御家人として活躍し、南北朝時代には北朝足利家に協力。
南北朝合一後も室町将軍家と近い関係にありました。


足利家についての記事:
『麒麟がくる』第36回―足利家について(1)

同関連記事:
『麒麟がくる』第37回―足利家について(2)


というのも、家柄のほかに「朽木谷」という地の利があったためです。

今でこそ陸運は電車や自動車などが担うようになり、ターミナル駅周辺や高速道路や大きな幹線道路沿いが栄えていますが、昔は違いました

荷物は人か馬が担っていたので当然自動車が通れる幅は不要で、馬が通れれば十分でした。

広い道路が敷けるか、ということよりも単純に距離と道の通りやすさが重視されました

その観点で見ると、朽木谷は京都から日本海へ出るための最も通りやすく短いルートとなる街道沿いにあったため、当時は人の往来が盛んな土地でした。

※この街道は京都へ運ぶ海産物が多く通ったため、「鯖(さば)街道」とよばれています。
昔話の「やまんば」の舞台になっているのもこの「鯖街道」です。

↓朽木谷付近図(クリックで拡大します)
朽木谷付近図

そういった地の利がある中で、大永(たいえい)から天文(てんぶん)年間に活躍した朽木家当主民部少輔稙綱は将軍家足利義稙の代に幕府奉公衆(ほうこうしゅう)、つまり幕府の役人となりました。

朽木民部は次代の将軍家義晴にも重用され、そういった縁で、細川氏に京都を追われた義晴は朽木谷に逃げ込みました

大河に登場した足利義輝は幼少時に義晴のこの逃避行に同行しており、子供のころから朽木谷にはなじんでいました。

そのような縁で義輝は朽木谷に逃げ込んだというわけです。

※ちなみに近世朽木家隆盛?の基盤を作った朽木民部は義晴の内談衆(ないだんしゅう)、義輝の御供衆(おともしゅう)に任命されており、幕府政治にも関与していたが、大河ドラマで描かれたころにちょうど亡くなっている(没年には異説あり)

朽木家と関係の深い三淵家について:
『麒麟がくる』第30回―三淵氏の来歴




第12回「十兵衛の嫁」の感想


面白かったです!
文句はありましたが、すごく面白かったです!
これを期待していました。

いろいろなブログさんがおっしゃっていますが、第10回までは沢尻エリカ氏逮捕の影響で撮り直しをし、少なくなった尺を埋めるために無理やり「駒パート」を増やしたそうですね。

急遽とってつけたのだから、そりゃあ面白くないですよね!

今までそれを知らないでさんざん文句を言ってすみませんでした。

第11回からは池端俊策氏の本領発揮ということです。

何が面白かったのかと言えば、やはり斎藤山城守の激情ですね。
そして土岐頼芸の血なまぐささ

下記でもご紹介しているブログ『2020、映像メディアは死んだ ~ テレビドラマ・映画・Web動画をめぐって』さんが第10回の記事でおっしゃっていますが、この「不穏な空気」があるからこそ面白いということが分かりました。

僕が好きな平成8年の『秀吉』も平成26年の『軍師官兵衛』も、この「不穏な空気」があったればこそ面白かったのでしょうね。
(80年代以前の大河に比べればずいぶんと霞んでいるようですが、残念なことに僕はまともに見たことがありません)

しかし不満はあります。

セリフの中だけですが、佐久間盛重と柴田勝家が登場しましたね。

柴田権六関係の記事:
賤ケ岳の戦いに学ぶ―相手の心に寄りそう

僕は常々「武士の諱は用いずに、通称を使うべし」ということを主張しています(参考:「武家や公家の名前について」)。

佐久間盛重の通称「大学允(だいがくのじょう)」は一般的にはあまりメジャーじゃないし、呼びにくいので仕方ないかもしれませんが、柴田勝家は通称で呼ぶべきでしょう!

勝家の通称は「権六」ですよ!「権六」!
※読みは「ごんろく」です。

なんて親しみやすい名前でしょう笑

「勝家」なんていかめしい名前ではなく、「権六」といった方がはるかに親しみがわくじゃないですか笑

というわけで、大河関係者の皆さんはもっと「通称」を使うように心がけていただけるとすごくありがたいです。

武家の「通称」を現代にもよみがえらせましょう!
※僕の「壮介」も通称で、諱は別にあります!
(リアルの友達は諱の方がなじみ深いと思います)
※令和4年3月19日注:筆者は令和3年5月に通称を「山城守(城州)」と改めています。





第12回の楽しみ方―信長家臣団の萌芽―


今まで平手(中務丞)政秀くらいしか出てこなかった織田家臣団ですが、ここへきてようやく上記・柴田権六と佐久間大学が登場したので、家臣団についてちょっと触れてみようかなと思います。

後々「軍団」とか「方面軍」とか呼ばれる織田家の軍制ですが、このころは領地も小さく、よその大名家と同様の家臣団をもっていました。

後々に「重役」と呼べるレベルまで出世し、活躍した人物たちはまだこのころは無名です。

彼らの姿を、のちの出世を知っていて見るとなお面白いと思いますのでちょっとだけ説明します。

まず、「軍団」が最初に登場したのは天正(てんしょう)元年(1573年)。

※ちょうど「一乗谷城の合戦」で朝倉左衛門督(義景)が、「小谷城の合戦」で浅井備前守(長政)が滅んだ時期です。

上総介信長(通称は天正元年当時のもの)の嫡男・勘九郎信重(信忠。官職はのち左近衛中将・略称:左中将)が尾張の一部と東美濃を与えられたのが始まりです。

天正4年には織田家臣団の副社長レベルである佐久間右衛門尉(信盛)、柴田修理亮(勝家)(官職は天正4年時)がそれぞれ大坂方面、北陸方面を任されます。

同8年には佐久間右衛門が失脚し、代わりというわけではないのですが、この大河ドラマの主人公である明智日向守(光秀)(官職は同8年時)が畿内~山陰方面を、羽柴筑前守(秀吉)(官職は同)が山陽方面を任され、四軍団が成立します。

そして本能寺の変の直前天正10年には滝川左近衛将監(一益)が関東管領(かんとうかんれい)軍を、右大臣(略称:右府)になった信長の次男・神戸侍従(信孝)が四国方面軍を任されたことによって六つの軍団が成立します。

ここで右府が本能寺で撃たれ、軍団制は瓦解しました。

↓天正10年時点の軍団長
※クリックで拡大されます。
織田右府軍団制

6人(佐久間右衛門も合わせたら7人)の軍団長のうち、明智日向(十兵衛)は主人公ですし、羽柴筑前は三英傑の豊臣秀吉なので目立ちますが、そのほかの3人(息子2人は除く)、つまり佐久間右衛門、柴田修理(権六)、滝川左近がドラマに登場したら、ちょっと注目してみてください!

※参考:信長の方面軍について→戦国ヒストリー

こんな風に、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 弾正忠(通称は三郎) 藤原(忌部) 朝臣 信秀
おだ だんじょうのじょう(だんじょうのちゅう)(通称はさぶろう) ふじわらの(いんべの) あそん のぶひで
・斎藤 山城守(通称は新九郎) 藤原 朝臣 利政(他諱多数。入道道三)
さいとう やましろのかみ(通称はしんくろう) ふじわらの あそん としまさ(他諱多数。入道どうさん)
・織田 右大臣(通称は三郎、上総介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
おだ うだいじん(通称はさぶろう、 かずさのすけ) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶなが
・明智(惟任) 日向守(通称は十兵衛) 源(大神) 朝臣 光秀
あけち(これとう) ひゅうがのかみ(通称はじゅうべえ) みなもとの(おおがの) あそん みつひで
・征夷大将軍(将軍家) 足利 左近衛中将(略称「左中将」。通称不明) 源 朝臣 義藤(義輝)
せいいたいしょうぐん(しょうぐんけ) あしかが さこんえのちゅうじょう(略称「さちゅうじょう」。通称不明) みなもとの あそん よしふじ(よしてる)
・三好 筑前守(通称は孫次郎) 源 朝臣 長慶
みよし ちくぜんのかみ(通称はまごじろう) みなもとの あそん ながよし
・細川 与一郎 源 藤孝
ほそかわ よいちろう みなもとの ふじたか
・織田 勘十郎 藤原(忌部) 信勝(信行)
おだ かんじゅうろう ふじわらの(いんべの) のぶかつ(のぶゆき)
・土岐 美濃守(通称不明。左京大夫) 源 朝臣 頼芸
とき みののかみ(通称不明。さきょうのだいぶ) みなもとの あそん よりのり(よりあき)
・斎藤 新九郎 藤原 高政(義龍)
さいとう しんくろう ふじわらの たかまさ(よしたつ)
・(佐々木)朽木 民部少輔(通称は弥五郎) 源 朝臣 稙綱(稙広)
(ささき)くつき みんぶのしょう(通称はやごろう) みなもとの あそん たねつな(たねひろ)
・征夷大将軍(将軍家) 足利 右近衛大将(略称「右大将」。通称不明) 源 朝臣 義晴
せいいたいしょうぐん(しょうぐんけ) あしかが うこんえのだいしょう(略称「うだいしょう」。通称不明) みなもとの あそん よしはる
・佐久間 大学允 平 盛重
さくま だいがくのじょう たいらの もりしげ
・柴田 修理亮(通称は権六) 源 朝臣 勝家
しばた しゅりのすけ(通称はごんろく) みなもとの あそん かついえ
・平手 中務丞(通称は五郎左衛門) 源 朝臣 政秀
ひらて なかつかのじょう(通称はごろうざえもん) みなもとの あそん まさひで
・織田 左近衛中将(通称は勘九郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信忠(信重)
おだ さこんえのちゅうじょう(通称はかんくろう) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶただ(のぶしげ)
・朝倉 左衛門督(通称は孫次郎) 日下部 朝臣 義景
あさくら さえもんのかみ(通称はまごじろう) くさかべの あそん よしかげ
・浅井 備前守(通称は新九郎) 藤原 朝臣 長政(賢政)
あざい(あさい) びぜんのかみ(通称はしんくろう) ふじわらの あそん ながまさ(かたまさ)
・佐久間 右衛門尉 平 信盛
さくま うえもんのじょう たいらの のぶもり
・羽柴(木下) 筑前守(通称は藤吉郎) 平(豊臣) 朝臣 秀吉
はしば(きのした) ちくぜんのかみ(通称はとうきちろう) たいらの(とよとみの) あそん ひでよし
・滝川 左近衛将監(通称は彦右衛門) 紀 朝臣 一益
たきがわ さこんえのしょうげん(通称はひこうえもん) きの あそん かずます
・神戸(織田) 侍従(通称は三七郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信孝
かんべ(おだ) じじゅう(通称はさんしちろう) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶたか
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
第11回
ゆーくんはどこ?
ぴえーるのテレビブログ
平成エンタメ研究所
第12回
2020、映像メディアは死んだ ~ テレビドラマ・映画・Web動画をめぐって
元映画業界営業マンうろたんのまちがいない!ブログ
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Posted by 鷲谷 城州 at 21:00│Comments(4)テレビ
この記事へのコメント
早速おじゃましました。
丹羽福知山藩に所縁の御家系だったのですか。明智光秀、秀満と関係が深いので、後半楽しみですね!

ドラマの諱呼びの怪。なかなか直らないでしょうね。そもそも諱の概念がすでになくなった現代では、ピンとこないでしょう。当時に習い役職で呼んだとしても、出世したらその都度変わるし、せめて通称でしょうか。
今回の大河では、織田彦五郎だけ正解で、
何で彦五郎だけ?と私も不思議に思ってました笑
Posted by ゆーくんまま at 2020年05月03日 12:28
>ゆーくんままさん

コメントありがとうございます!

同じ人物でも官職名が変わっていくのは僕も懸念しておりまして(笑)、小説だと振り返りができるので官職名で呼ばせやすいのかもしれませんが、映像だと難しいのかもしれませんね。

映画の『清須会議』のように一時期を切り取れば可能ですが(しかし、羽柴筑前は修理亮になっていた柴田勝家のことをずっと「権六」と言っていたような気がします笑)

おっしゃる通り、ずっと通称で呼ぶと分かりやすいですよね。 (通称ではないですが、信長は前田利家のことを元服後もしばらく「犬千代」と呼んでいたようですしね)
Posted by Sosuke WashiyaSosuke Washiya at 2020年05月04日 12:02
拝読しました。
『歴史への深い造詣』からの視点、面白かったです!

史実とフィクション。
これをどうブレンドさせるかは、作家の腕の見せ所ですよね。
大河ドラマの場合は、日曜よる8時の視聴者や45分という尺という制約や役者さんの降板という不測の事態もありますし、なかなか大変。
鷲谷さんのように歴史に造詣が深い方もいらっしゃる。

今作は、司馬遼太郎が描いたような既存の信長像や秀吉像をうまく裏切っていて、面白いですね。
少しずつ既存の人物像に近づいていくのかもしれませんが、現状はふたりとも若くて未熟。
藤吉郎などは完全に猿!(笑)

池端俊策さんの筆の冴えに注目しています。
Posted by 平成エンタメ研究所 at 2020年05月05日 09:41
>平成エンタメ研究所さん

コメントありがとうございます!

おっしゃる通り、大河ドラマは視聴者の層が広く、一般的ドラマ性も求められつつ、なおかつ歴史的知識・考証も必要となるため、脚本を書くのは非常に難しいと思います。

しかし、大河ドラマの役割のひとつは「歴史って面白い!」ということを広く伝えていくことだと思うので、僕もそれに少しでも貢献できればと思って書いてます笑

今年の大河は例年より困難が大きいですが、十兵衛、信長、秀吉ともに成長が楽しみですね!

秀吉の猿の鳴き声はやりすぎだと思いましたけどね笑
Posted by Sosuke WashiyaSosuke Washiya at 2020年05月05日 10:06
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