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2020年09月17日

第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ

国府台公園 古井戸
《令和6年1月26日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第29弾として、以前言及した「第一次国府台(こうのだい)の戦い」について、ビジネス的視点で見直していこうと思います。
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。

この戦いの動員人数の考察が読みたい方は、下記リンクをタップしてください(参考記事に飛びます):
各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦

関連記事:
『関八州古戦録』

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事】
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第18回 長篠の合戦   第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い   第23回 天目山の戦い
第24回 権現山の戦い   第25回 天正伊賀の乱
第26回 石山合戦   第27回 新井城の戦い
第28回 雑賀・根来合戦

突然ですが、ご自身の行動、特にリスク対策について確固たる自信はありますか?

こう問われて「自信がある!」と答える人はまずいないと思いますが、自信がないというのにそれ以上の対策をしない人が大半なのも不思議なものです。

昔、自動車教習所に通っていた時、教官によく言われていたことがあります。


参考記事:
自動車教習合宿

参考記事:
運転免許を取った


それは、

「『~だろう』運転はだめだ。『~かもしれない運転』に切り替えなさい」

ということでした。

どういうことかというと、道路上では何が起こるか分からないので「安全だろう」という思い込みで運転しないこと、という意味です。

常に「歩行者が飛び出してくるかもしれない」などの「~かもしれない」を想定して運転しなさい、ということです。

これを聞いて「何をいい子ぶって…」を思う人もいるかもしれませんが、いい子ぶってていいんですよ。

いい子ぶってでも、全力でリスク対策をやる方が正解です!

普段いろいろな人に接していて、運転以外にも結構いろいろな場面で「~だろう」という甘い想定をしている人が多いなという印象があります。

この「~だろう」は「~はずがない」とも言い換えられると思うのですが、今回はこの「~はずがない」という考えによって大敗し、討ち死にした人の話です。

まずは合戦の流れをご覧ください!


合戦の流れ


延元(えんげん)3年/暦応(りゃくおう)元年(1338年)、足利又太郎(※)尊氏は征夷大将軍宣下(せいいたいしょうぐんせんげ)を受け、室町幕府(むろまちばくふ)を開きます。
※官職名はコロコロ変わって大変なので、原則として武将の名前には通称を用いることにしました。

又太郎はその後、遠い関東(かんとう)を治めるために鎌倉公方(かまくらくぼう)を設置しました。

その鎌倉公方の系譜を引く、足利高基〔通称不明〕の話から始まります。

高基の祖父・左馬頭成氏は関東管領(かんとうかんれい)・上杉氏(うえすぎ)と対立し鎌倉を追い出されたため、下総・古河(しもうさ・こが)〔茨城県(いばらきけん)古河市〕に居館を構え、「古河公方」を称していました。

永正(えいしょう)7年(1510年)、古河公方を継いだ高基は上杉氏の跡継ぎをめぐって父・左馬頭政氏、叔父・上杉四郎顕実と対立します。

この混乱の最中、高基の弟・右兵衛佐義明は高基に反旗を翻し、上総(かずさ)の戦国大名(せんごくだいみょう)・真里谷八郎五郎信清(※)の支援を得て下総・小弓(おゆみ)に城を構えました。
※甲斐武田(かい・たけだ)氏の分流です。


関連記事:
天目山の戦いから学ぶ―撤退のベスト・タイミングとは

関連記事:
鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物

関連記事:
高遠城の合戦から学ぶ―自分よりキャリアが上の部下と信頼関係を築く方法


永正15年(1518年)7月、右兵衛佐は「小弓公方」を名乗り、古河公方方であった千葉(ちば)氏家臣を攻撃するなどして、古河公方との対立を深めていきます。

その後、右兵衛佐は真里谷(まりやつ)氏に加えて安房(あわ)の戦国大名・里見権七郎義尭の支援を得ることにも成功します。

力をつけた右兵衛佐は天文(てんぶん)7年(1538年)、兄・高基の死後跡を継いだ甥・左兵衛督晴氏らの拠る古河を目指して下総を北上します。
※鎌倉を目指したという話もあります。

↓第一次国府台の戦い 広域図
※クリックで拡大されます。
第一次国府台の戦い 広域図




新進気鋭の北条氏の介入


当時の関東の勢力として無視できなかったのが小田原北条(おだわら・ほうじょう)です。

祖である伊勢宗瑞は後半生をかけて相模(さがみ)を統一しましたが、相模は元々扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の領国でした。


参考記事:
各合戦の動員人数について(2)権現山の戦い

参考記事:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方

参考記事:
各合戦の動員人数について(3)新井城の戦い

参考記事:
新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし


そのため、伊勢(いせ)氏改め北条氏は宗瑞の死後も扇谷上杉氏と対立し、戦いの舞台は武蔵(むさし)へと移りました。

宗瑞のあとを継いだ新九郎氏綱は勝ち負けを繰り返しながらも、天文6年(1537年)に扇谷上杉氏の本拠地、武蔵・河越(かわごえ)城を落とします。

次いで天文7年(1538年)には下総・葛西(かさい)城を落城させ、下総への進出をうかがわせます。

これを察知した古河公方・足利左衛門督は新九郎に対して小弓退治を命じます。



北条軍と小弓公方軍の衝突


そして同年10月、現在の千葉県市川市(ちばけん・いちかわし)から松戸(まつど)市にかけての江戸川(えどがわ)沿いで両軍が衝突します。

兵数については諸説ありますが、ここでは自説を採って

北条軍7,000:小弓公方軍3,000

としておきます。

参考記事:
各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦

国府台城に陣取った小弓公方軍に対して北条軍は国府台よりも北の辺りから江戸川の渡河を開始します。

それを知った里見権七郎は右兵衛佐に対して、渡河中の北条軍を攻撃するよう進言します。

右兵衛佐はまさかまさか北条家が、足利将軍家の血を引き小弓公方を名乗っている自分を攻撃してくるはずがないとたかをくくっていたようです。

また、渡河中に攻撃するなどという卑怯な真似はできない、と権七郎の進言を退けました。

このことでやる気をなくした権七郎は大将である右兵衛佐の後方に陣取りました。

そうこうしているうちにただでさえ数で勝る北条軍が渡河を終えて、勢いに乗って国府台城に向かってきます。

武勇に優れていたと言われる右兵衛佐は城を打って出て、相模台で北条軍と激突します。

奮戦するも北条軍の数には勝てず、小弓公方軍は敗退。
右兵衛佐は討ち死にしてしまいます。

また、すでに右兵衛佐を見限っていた里見権七郎はこの敗戦を見て早々に退却してしまいます。



「~はずがない」は日常にあふれている


もうお分かりだとともいますが、足利右兵衛佐の敗因は北条家が足利将軍家の血を引き小弓公方を名乗っている自分を攻撃してくるはずがないとたかをくくっていたこと、また、渡河中に攻撃するなどという卑怯な真似はできない、と権七郎の進言を退けたことだと考えられます。

下剋上(げこくじょう)の戦国時代に古い権威なんか通用すると思った右兵衛佐はバカだなぁ、と思いますか?
思いますよね?

でも、こういった類の「~はずがない」という考えは現代でもしょっちゅう起こっています。

今から8年前、僕が塾講師をやっていた時代の話です。
学習塾と言えば学生講師が多い印象かと思いますが、僕の所属していた某大手塾ではベテランの社会人講師、いわゆる「プロ講師」と言われる人たちも多く、僕もその「プロ講師」の1人でした。

受験生を教えていると情が湧いてきて、受験を終えた中3をねぎらうために外へ連れ出すことがあります。
そのような場合、未成年である彼らに何かがあると困るので、僕らは所属校舎の校長の許可を取り、連れ出す生徒の保護者に連絡して直接許可をもらうようにしていました。

僕の所属校舎には優秀な学生講師が何人かいて、ある日、そのうちの1人が上記のように中3を連れ出す計画をしていることが発覚しました。

その人はとても優秀な講師で僕は信頼を寄せていたのですが、その時は上記手順を全く踏んでおらず、僕も校長もその計画を知らされていませんでした。
※おそらく僕らには介入されずに、自分がイニシアチブをとった状態で行いたいという野心があったのでしょう。

僕としては

あんなに優秀な人が、こんなミスをするはずがない。

という衝撃のためか、感情の統制を失って激怒してしまいました。


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本人には僕が激怒していることが先に伝わってしまい、結局話ができずに連絡が取れなくなってしまいました…
※結局、計画は中止になりました。

これは、僕がその講師が「授業が優秀だから他のことも大丈夫だ」と思い込んでいたがために起こってしまったことです。

あらかじめ、「中3を連れ出すときはこうするんだ」という話をしていれば防げたかもしれません。

こんな風に「~はずがない」という思い込みによるミスは、日常生活でもよく起こっているんです。

特に自分の能力についての過信はよく起こります。
※自分は能力が低いから大丈夫だ、と思ってる方は特に危ないです。
それは、人はだれしも「自分は優秀だ」と思っている一面があるからです。
たとえば「歩きスマホ」や「チャリスマホ」。
これ、「自分が事故なんて起こすはずがない」という自分への過信が裏に隠されています。


この「~はずがない」は思い込みによって起こるので、非常に気づきづらいです。
しかし何かミスが起こるたびに自らの過信を反省する、ということを繰り返せば自ずと減ってくるはずです。

というわけで、今回は「『~はずがない』は失敗フラグ」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・【征夷大将軍〔将軍家〕】足利 権大納言〔通称は又太郎〕 源 朝臣 尊氏〔高氏〕
【せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕】あしかが ごんのだいなごん〔通称はまたたろう〕 みなもと の あそん たかうじ〔たかうじ〕
・【古河公方】足利 (官職・通称不明) 源 (朝臣?) 高基〔高氏、義基〕
【こがくぼう】あしかが (官職・通称不明) みなもと の (あそん?) たかもと〔たかうじ、よしもと〕
・【鎌倉公方→古河公方】足利 左馬頭(通称不明) 源 朝臣 成氏
【かまくらくぼう→こがくぼう】あしかが さまのかみ(通称不明) みなもと の あそん しげうじ
・【古河公方】足利 左馬頭〔通称不明〕 源 朝臣 政氏
【こがくぼう】あしかが さまのかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん まさうじ
・上杉〔足利〕 民部大輔〔通称は四郎〕 藤原〔源〕 朝臣 顕実〔義綱〕
うえすぎ〔あしかが〕 みんぶのだゆう〔通称はしろう〕 ふじわら〔みなもと〕 の あそん あきざね〔よしつな〕
・【小弓公方】足利 右兵衛佐〔通称不明〕 源 朝臣 義明〔法名空然〕
【おゆみくぼう】あしかが うひょうえのすけ〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき〔法名くうねん〕
・真里谷(武田) 三河守〔通称は八郎五郎〕 源 朝臣 信清
まりやつ(たけだ) みかわのかみ〔通称ははちろうごろう〕 みなもと の あそん のぶきよ
・里見 刑部少輔〔通称は権七郎〕 源 朝臣 義尭
さとみ ぎょうぶのしょう〔通称はごんしちろう〕 みなもと の あそん よしたか
・【古河公方】足利 左兵衛督〔通称不明〕 源 朝臣 晴氏
【こがくぼう】あしかが さひょうえのかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん はるうじ
・伊勢 左京大夫?〔通称は新九郎〕 平 朝臣? 盛時〔長氏、入道早雲庵宗瑞。いわゆる北条 早雲〕
いせ さきょうのだいぶ?〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん? もりとき〔ながうじ、入道そううんあんそうずい。いわゆるほうじょう そううん〕
・北条〔伊勢〕 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏綱
ほうじょう〔いせ〕 さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじつな
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
江戸の退屈御家人
落人の夜話
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)趣味
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