2020年12月02日
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第35弾として、「本能寺(ほんのうじ)の変」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の左方郁子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
日常生活を送っていて、人間の力ではどうしようもない事象に出くわすことってありますよね。
小さな出来事で言えば天気。
雨が降ったらイベントが中止になる場合に雨が降るとがっかりしますよね。
そして、他人の気持ち。
多少影響を与えることができたとしても、何を選択するかはその本人次第。動かしがたいですね。
さらに大きな例でいえば、災害や新型コロナウイルス。
その大きすぎる力を前にして、人間は己の無力さを感じるしかありません。
このような「自分の力ではどうしようもない事象」に出くわしたときどうしますか?
「あの時こうすればよかった」という後悔はまだましですが、「あの人がこうしたからこんなことが起こった」等、他人のせいにしていませんか?
自治体や政府のせいにしていませんか?
こんな時、どのような心境でいればいいのか、そのお手本となるのが今回取り上げる「本能寺の変」です。
まずは「本能寺の変」に至るまでの流れをご紹介します。
本能寺の変の流れ
天正(てんしょう)10年(1582年)3月、織田前右大臣信長(以降「右府」)の長男(※)・織田左近衛中将信忠を総大将とした織田(おだ)主力軍が甲斐(かい)・武田(たけだ)家を滅ぼしました。
※次男説あり。
織田家の講習征伐について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
高遠城の合戦から学ぶ―自分よりキャリアが上の部下と信頼関係を築く方法
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右府は平定された信濃(しなの)・甲斐の状況を見たあと、徳川右近衛権少将家康(以降「権右少将」)のもてなしにより東海道(とうかいどう)を通り帰途に就きました。
4月下旬に安土(あづち)城に到着し、5月中旬には明智日向守光秀(以降「日向守」)に、徳川権右少将や穴山梅雪の饗応役(きょうおうやく)(接待役)となるように命じます。
日向守が権右少将らをもてなしている矢先に、備中(びっちゅう)に出陣していた羽柴筑前守秀吉(以降「筑前守」)から右府へ援軍を要請する手紙が届きます。
日向守は、右府の命令で接待役を解かれて筑前守への援軍の先鋒を務めるよう命じられます。
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右府は徳川権右少将らをもてなした後、権右少将らを京(きょう)・堺(さかい)へ送り出し、自身は5月末に京・本能寺へ向かい、そこで茶会を開きました。
一方の明智日向守は丹波(たんば)の拠点である亀山(かめやま)城に戻って戦支度を済ませ、6月1日に出陣しました。
この時日向守は軍を京都(きょうと)に向けますが、右府が日向守の部隊の閲兵(えっぺい)をするという話もあり、京都に向かったこと自体はさほど疑問ではないようです。
その後日向守は重臣らに右府を襲う計画を打ち明け、一路本能寺へ向かいました。
そして6月2日未明、本能寺は日向守の軍勢に囲まれ、右府は寺に火をかけて自害して果てました。
最期を迎えた織田信長の姿勢
この時日向守がなぜ右府を襲ったのか、古来様々な説が飛び交っていますが、真相がわからないまま400年以上の時が流れています。
新しい史料が発見されない限り、真相は解明されることはないでしょう。
ここで言及したいのはそのような「本能寺の変の真相」ではなく、明智日向守に襲撃されたとわかったときの織田右府の姿勢ですね。
これはあくまで『信長公記(しんちょうこうき)』に書かれている内容なので、実際の右府がどういう態度だったかはわかりませんが、この『信長公記』に書かれている内容が人が生きていく上でとても重要なものとなります。
その内容を簡単に言うと、
6月2日の未明に外がなんだか騒がしいのを感じ取った右府は謀反(むほん)だと察知し、誰の謀反かときいたところ、森蘭丸が「明智(あけち)の者です」と答えた。
それを聞いた右府は「是非(ぜひ)に及ばず」と言って弓矢を取って戦い始める。
という感じです。
この「是非に及ばず」が生きる姿勢として超重要です。
「是非」とは「いいわるい」という意味なので、「是非に及ばず」とは「いいも悪いもない」というような意味になります。
この状況での「いいも悪いもない」とはどういう状態かと言えば、「明智が謀反を起こした」ことに「いいも悪いもない」つまり、「論じる必要はない」→「ただ受け入れるだけ」ということですね。
…
……「受け入れる」んです。
明智日向守が謀反を起こしたという不都合な現実を受け入れ、飲み込むんです。
これが「覚悟」です。
生きている上で不都合なことってたくさん起きます。
僕も今まで「不都合なこと」をたくさん経験していますが、この「受け入れる」という行為についてのエピソードをひとつご紹介します。
僕は結婚してしばらく経つのですが、結婚してすぐの頃は子供ができませんでした。
僕はどうしても子供が欲しかったのですが、妻はそんなに子供が欲しいと思っていませんでした。
そのことで喧嘩になることもしばしばありました。
子供がいる友人・知人等、いろいろな人に相談しました。
そして二人で話し合って一つの結論を出したんです。
「夫婦そろって不妊検査をして、それで妊娠できないとわかったらきっぱりとあきらめよう」
という結論です。
この結論が出てからも、僕はいろいろと葛藤しました。
結婚した理由の一つに子供がほしいということがあったためです。
我が家の血筋を絶やしたくないという公的な理由の他に、子育てを経験してみたい、子供がいる喜びを味わってみたい、もちろん苦労も経験してみたい。
そういう気持ちがありました。
しかし、夫婦で検査を進めていく段階で、段々と「子供がいない未来」を受け入れられるようになってきたんです。
子供がいれば子供がいるなりの幸せがあるし、子供がいないのであれば夫婦二人でしか味わえない幸せを味わえる、そういう未来を受け入れられるようになったんですね。
そうすると、今まで悩んでいたことが嘘のようにスッキリしてしまいました。
今目の前にある現実が不都合な現実だったとしても、それを受け入れることで精神的に解放され、楽になっていくんです。
本能寺の変で右府は命を絶つことになりましたが、僕ら現代の庶民の人生では生き死にが関わるピンチは一生に2~3回くらいしか来ないと思います。
しかし、それに準じる「不都合な現実」は割としょっちゅう起こっていると思います。
それによって起こる不都合な未来を一旦は受け入れるんです。
自分は今後、財産を失うかもしれない。
自分や身近な人が新型コロナウイルスに感染して苦しむかもしれない。
それを「是非に及ばず」と一旦受け入れることで見えてくる打開策もあります。
天災や疫病のように、人間の力ではどうしようもない災禍に見舞われたときはそれを一旦受け入れ、俯瞰(ふかん)した目線を取り戻してこそ「ベスト」な行動ができるようになるのだと思います。
それが「覚悟を決める」ということです。
今までの経験上、「覚悟を決め」た後になぜか事態が好転することも多いのですが、まずは「覚悟を決める」ことです。
※実際にこの後僕が望んでいた未来が訪れましたが、その話はまた別の機会に。
というわけで、今回は「覚悟を決める」ということについて説明させていただきました。
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 左近衛中将(通称は勘九郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信忠(信重)
おだ さこんえのちゅうじょう(通称はかんくろう) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶただ(のぶしげ)
・織田 右大臣(右府。総見公。通称は三郎、上総介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
おだ うだいじん(うふ。そうけんこう。通称はさぶろう、かずさのすけ) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶなが
・徳川 右近衛権少将(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
とくがわ うこんえごんのしょうしょう(通称はじろうさぶろう) みなもとの あそん いえやす
・明智(惟任) 日向守(通称は十兵衛) 源(大神) 朝臣 光秀
あけち(これとう) ひゅうがのかみ(通称はじゅうべえ) みなもとの(おおがの) あそん みつひで
・穴山 玄蕃頭(通称は彦六郎) 源 朝臣 信君(梅雪)
あなやま げんばのかみ(通称はひころくろう) みなもとの あそん のぶただ(ばいせつ)
・羽柴(木下) 筑前守(通称は藤吉郎) 平(豊臣) 朝臣 秀吉
はしば(きのした) ちくぜんのかみ(通称はとうきちろう) たいらの(とよとみの) あそん ひでよし
・森 蘭丸 源 成利(長定、長康)
もり らんまる みなもとの なりとし(ながさだ、ながやす)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
戦国時代
ひらめきブログ
今日は何の日?徒然日記
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本能寺の変の首謀者はだれか: 信長と光秀、そして斎藤利三 (読みなおす日本史)
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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