2020年02月02日
一言坂の戦い合戦に学ぶ―がむしゃらになれ

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第11弾として「一言坂(ひとことざか)の合戦」について書きます。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
第1回 今山の合戦
第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦
第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦
第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦
第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦
第10回 二俣城の合戦
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の今川徳三氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!
武田信玄の遠江進出
前回は元亀(げんき)3年(1572年)の二俣(ふたまた)城の合戦について書きました。
参考記事:
二俣城の合戦―「見る」のではなく「観る」
この「一言坂の合戦」は二俣城の合戦と同時期に起こりました。
二俣城の合戦の前に犬居(いぬい)城に拠った武田信玄は、四男四郎勝頼と、馬場美濃守(信春)を二俣城へ派遣したことは前回書きました。
その後彼が自身で遠江(とおとうみ)に深入りすることで一言坂の合戦が起こりました。
(下地図参照)
信玄はまず南東の天方(あまがた)城に向かいますが、天方城は一戦もせずに降服しました。
信玄はそのまま南西の久野(くの)城を攻めますが、城将の久野三郎左衛門宗能は持ちこたえ、信玄は久野城をあきらめてさらに南西の木原・西島(きわら・じしじま)に陣を敷きました。
参考:一言坂の合戦広域図(青字は徳川(とくがわ)方、赤字は武田(たけだ)方の城です)
※クリックで拡大されます。

武田信玄の他の戦い:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力
同関連記事:
三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」
同関連記事:
三増峠の合戦―撤退は計画的に
徳川侍従の斥候
信玄が居城浜松(はままつ)城に迫っていることを知った徳川侍従家康は斥候(ものみ)として大久保七郎右衛門忠世、本多平八郎忠勝、内藤三左衛門信成らを派遣しました。
(大久保七郎右衛門は『徳川家康』1巻に登場した大久保新八郎忠俊の甥で、甚四郎忠員の嫡男(ちゃくなん)です)
参考記事:
平和への願いとともに生まれた徳川家康(山岡荘八『徳川家康』第1巻)
内藤三左衛門らは信玄に陣に迫りますが、本多平八郎はさらに深入りし、信玄に発見されるという憂き目に遭います。
兵を繰り出した武田軍を目前にして内藤三左衛門は退却を始めますが、本多平八郎は殿軍(しんがり)を申し出ます。
一言坂で両軍激突
本多(ほんだ)隊は馬場美濃守の部隊に追いつかれ、合戦の名前になっている「一言坂」でついに両軍が交戦しました。
(この戦いは上記のように二俣城の合戦と同時に行われています。
おそらくこのとき、二俣城を囲んでいた馬場美濃守本人と一部の部隊が信玄のところに来ていたものと思われます)
煙幕を張りつつも奮戦する本多隊でしたが、武田方の小杉左近が先回りをしてゆく手をふさぎます。
しかし、本多隊の死に物狂いで戦う様子に心を打たれた(Wikipediaによると「恐れ」た)小杉は本多隊に道を開け、平八郎は無傷で浜松城に帰還することができました。
(本多隊そのものは3陣中第2陣まで壊滅したといわれています)
※ちなみに、合戦が始まったのは二俣城の方が先ですが、二俣城が落城したのはこの一言坂の合戦の後です。
ビジネスに活かす要素は?
この合戦でビジネスに活かす要素といえば、本多平八郎の死にもの狂いの戦いですかね。
以前、津本陽氏の『名臣伝』について書いたときに、言及したのですが、徳川軍には羽柴筑前守秀吉や竹中半兵衛重治のようにスマートに戦う人物が少ない印象があります。
参考記事:
武士道を追究したい人はコレ!!津本陽『名臣伝』
大久保(おおくぼ)一族しかり、井伊万千代しかり、猪突猛進型の武将が多いような気がします。
その中で本多平八郎は際立っており、その戦い様はまさに「死兵」、「狂兵」。
今回の合戦で平八郎が生き残ったはその猪突猛進ぶりにより小杉左近が心を打たれた(または恐れをなした)ためであり、本多隊のがむしゃらな戦い方が功を奏したわけです。
実際のビジネスの世界で猪突猛進は危険です。
常に考えを巡らせていなくてはいけません。
しかし、ときに無策でがむしゃらに頑張ることが相手の心を打つという話はよくある話です。
普段は知識を求め、策を巡らせることが必要ですが、場合によっては「自分はこうしたい」「何が何でも結果を出したい」という情熱を前面に出すことも必要というわけですね。
要は、自分のやることに情熱をもって取り組むべきということですね。
情熱と策の両輪でいきましょう!
今回は以上です!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
たけだ だいぜんのだいぶ(通称はたろう) みなもと の あそん はるのぶ(入道しんげん)
・武田(諏訪) 四郎 源(神) 勝頼
たけだ(すわ) しろう みなもと(みわ) の かつより
・馬場 美濃守(通称不明) 源 朝臣 信春(信房)
ばば みののかみ(通称不明) みなもと の あそん のぶはる(のぶふさ)
・久野 三郎左衛門 藤原 宗能
くの さぶろうざえもん ふじわら の むねよし
・徳川 侍従(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
とくがわ じじゅう(通称はじろうさぶろう) みなもと の あそん いえやす
・大久保 七郎右衛門 藤原 忠世
おおくぼ しちろううえもん ふじわら の ただよ
・本多 平八郎 藤原 忠勝
ほんだ へいはちろう ふじわら の ただかつ
・内藤 三左衛門 藤原 信成
ないとう さんざえもん ふじわら の のぶなり
・大久保 新八郎 藤原 忠俊
おおくぼ しんぱちろう ふじわら の ただとし
・大久保 甚四郎 藤原 忠員
おおくぼ じんしろう ふじわら の ただかず
・小杉 左近 (氏不明) (諱不明)
こすぎ さこん (氏不明) (諱不明)
・井伊 万千代(兵部少輔) 藤原 直政
いい まんちよ(ひょうぶのしょう) ふじわら の なおまさ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
戦国武将列伝Ω 1100記事
本多平八郎について
草の実堂
◆戦国の足跡を求めて...since2009◆
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Posted by 鷲谷 城州 at 22:00│Comments(0)
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