2021年04月01日
『麒麟がくる』第44回―南光坊天海について
《令和6年9月26日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第44回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第44回のあらすじ
天正(てんしょう)10年(1582年)5月、徳川右近衛権少将家康(風間俊介)の饗応役(きょうおうやく)を解かれた明智日向守(十兵衛)光秀(長谷川博己)は安土(あづち)城にて、織田前右大臣信長(染谷将太)から、饗応時に叱った理由を聞かされていた。
信長は、家康の反応を見たかったのだという。
また信長は、四国(しこく)の長宗我部(ちょうそかべ)を攻めるという。
羽柴筑前守秀吉(佐々木蔵之介)が言うには、中国(ちゅうごく)攻めに当たって長宗我部の動きが危なく、中国攻めに集中できないというのが理由であった。
長宗我部家は十兵衛が窓口となり、融和政策を進めていた相手である。
また、十兵衛の家臣・斎藤内蔵助利三(須賀貴匡)の異父妹(いふまい)の嫁ぎ先でもある。
さらに信長は、十兵衛に将軍家・足利権大納言義昭(滝藤賢一)を殺せという。
6月、十兵衛は、わずかな手勢で京に入った信長の居所・本能寺(ほんのうじ)を目指して行動を開始した。
世にいう「本能寺の変」の勃発である。
ということで、
第44回「本能寺の変」の感想
素晴らしかったです!
十兵衛が信長を討つ理由がしっかりと丁寧に描かれていました。
中国攻めを進める秀吉が、瀬戸内海(せとないかい)の対岸にいる長宗我部の動きが危なくて中国攻めに集中できないと言っているという形で本能寺の変の「四国説」に触れているのもよかったですね。
「四国説」について詳しく知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
『麒麟がくる』第38回―斎藤内蔵助について
また、本能寺の変後の動きにきちんとつながるように細川兵部大輔藤孝(眞島秀和)と秀吉の接近を描いているのもよかったです。
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『麒麟がくる』第35回―細川藤孝について
この後、秀吉は「中国大返し」という驚異的な帰還劇を行いますが、その布石として、本能寺の変勃発前に藤孝からの知らせで謀反(むほん)の可能性を知っていた、という解釈は面白かったです。
※黒田官兵衛役の濱田岳さん、セリフは二つでしたが素晴らしかったです。『軍師官兵衛』の時の栗山善助が懐かしかったです。
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そして、本能寺の変。
本能寺を囲み、馬に乗り本能寺をじっと見つめる十兵衛。
他のブログさんはあまり言及していなかったのですが、ここ、藤孝と最初に出会って剣を構えて向かい合ったところですよね。
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『麒麟がくる』第5~6回―当時の京都の情勢
十兵衛の謀反を知った時の信長の表情や「是非もなし」のセリフも感動的でしたが、この門前の景色が感慨深くて、今までのドラマでのいろいろな情景が思い浮かびました。
ラストに関しては、「光秀生存説」には異論がありますが、バッドエンドにしないための妙案だったのではないかと思います。
なんだか素敵な後味でした。
素晴らしかったです。
出演陣も脚本家の方も、スタッフさん皆に感謝しています。
そして、一緒に視聴してくださったブロガーの方々やtwitterのフォロワーさん達にも感謝です!
共有できる人がいると楽しさも増しますね。
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第44回の楽しみ方―南光坊天海について―
さて、今回は明智日向守(十兵衛)光秀が生き残っていたことをほのめかすラストシーンで話題になった「光秀生存説」ですが、その最有力説「光秀天海説」に登場する南光坊(なんこうぼう)天海について書きたいと思います。
南光坊天海とはだれか?
彼は天文(てんぶん)5年(1536年)頃の生まれで、桓武平氏鎌倉氏族三浦家(かんむへいし・かまくらしぞく・みうらけ)の分流・蘆名(あしな)家の出だと言われています。
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三浦
前半生はよくわかっていないのですが、「随風」と名乗り、下野国粉河寺(しもつけのくに・こかわでら)で修業したのちに比叡山延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)や園城寺(おんじょうじ)、興福寺(こうふくじ)などで学び、織田右府による比叡山焼き討ちに遭ったと言います。
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このことで武田信玄に呼ばれて甲斐(かい)に向かい、蘆名修理大夫盛氏の招きで陸奥(むつ)・黒川(くろかわ)城に移住しました。
天正16年(1588年)には武蔵国無量寿寺北院(むさしのくに・むりょうじゅじ・きたいん)〔現在の喜多院(きたいん)〕に入り、「天海」を名乗ります。
天正18年(1590年)の関白羽柴太政大臣秀吉による小田原(おだわら)攻めの際にはすでに徳川前左近衛大将家康(以下「左大将」)の陣幕(じんまく)にいたため、既にこの時には左大将のアドヴァイザー的位置にいたものと思われます。
慶長(けいちょう)4年(1599年)には喜多院の住職となり、左大将こと内府家康の参謀として活躍を始め、慶長18年(1613年)には大坂(おおさか)の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件(ほうこうじ・しょうめい・じけん)にもかかわったとされています。
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元和(げんな)2年(1616年)には大御所家康に「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」の諡号(しごう)を贈り、久能山(くのうざん)から日光山(にっこうさん)に改葬し、寛永(かんえい)元年(1624年)には上野(うえの)・寛永寺(かんえいじ)を創建します。
その後は寛永20年(1643年)まで生きたとされます。
彼の「正体は明智光秀説」は通説としては否定されていますが、面白いのは「蘆名家の娘婿の子」説ですね。
母系(ぼけい)は上記のように蘆名家なのですが、父親は船木兵部少輔景光なる人物だという説です。
この船木(ふなき)氏は土岐(とき)氏の一族であるという話があり、明智日向守の娘婿(ドラマでは従弟として描かれました)左馬助秀満が船木左馬助と名乗っていたという話もあります。
このことから、天海は光秀ではなく秀満なのではないかという説も存在します。
歴史って面白いですね!
こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
大河ドラマについての次の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
『青天を衝け』第1回―渋沢家について
以下もご覧ください!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・前征夷大将軍〔大御所〕 徳川 太政大臣〔右近衛権少将、左近衛大将、内大臣。通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
さきのせいいたいしょうぐん〔おおごしょ〕 とくがわ だじょうだいじん〔うこんえごんのしょうしょう、さこんえのだいしょう、ないだいじん。通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・明智〔惟任〕 日向守〔通称は十兵衛〕 源〔大神〕 朝臣 光秀
あけち〔これとう〕 ひゅうがのかみ〔通称はじゅうべえ〕 みなもと〔おおが〕 の あそん みつひで
・織田 前右大臣兼前右近衛大将〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ さきのうだいじんけんさきのうこんえのだいしょう〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・関白 羽柴〔木下〕 太政大臣〔筑前守。通称は藤吉郎〕 豊臣〔平〕 朝臣 秀吉
かんぱく はしば〔きのした〕 だじょうだいじん〔ちくぜんのかみ。通称はとうきちろう〕 とよとみ〔たいら〕 の あそん ひでよし
・斎藤 内蔵助 藤原 朝臣 利三
さいとう くらのすけ ふじわら の あそん としみつ
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭〔義秋、一乗院覚慶〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき〔よしあき、いちじょういんかくけい〕
・細川 兵部大輔〔通称は与一郎〕 源 朝臣 藤孝〔幽斎玄旨〕
ほそかわ ひょうぶのたゆう〔通称はよいちろう〕 みなもと の あそん ふじたか〔ゆうさいげんし〕
・黒田 官兵衛 源 孝高〔祐隆、好高、孝隆〕
くろだ かんべえ みなもと の よしたか〔すけたか、よしたか、よしたか〕
・栗山 備後守〔通称は善助、四郎右衛門〕 源 朝臣 利安
くりやま びんごのかみ〔通称はぜんすけ、しろううえもん〕 みなもと の あそん としやす
・蘆名 (通称・官職不明) 平 (諱不明)〔法号随風、天海〕
あしな (通称・官職不明) たいら の (諱不明)〔法号ずいふう、てんかい〕
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・蘆名 修理大夫〔通称は平四郎〕 平 朝臣 盛氏
あしな しゅりのだいぶ〔通称はへいしろう〕 たいら の あそん もりうじ
・船木 兵部少輔〔通称不明〕 源 朝臣 景光
ふなき ひょうぶのしょう〔通称不明〕 みなもと の あそん かげみつ
・明智〔三宅〕 左馬助〔通称は弥平次〕 源 朝臣 秀満
あけち〔みやけ〕 さまのすけ〔通称はやへいじ〕 みなもと の あそん ひでみつ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
吉野紅伽の美女研究所
ぴえーるのテレビブログ
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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は『青天を衝け』第1回について。
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今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
【Cover】Nowhere Man / Joshu Washiya
※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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