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2020年09月01日

新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし

三浦市


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第27弾として、以前言及した「新井(あらい)城の戦い」について、ビジネス的視点で見直していこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

新井城の戦いの動員人数について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
各合戦の動員人数について(3)新井城の戦い

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第24回 権現山の戦い   第25回 天正伊賀の乱
第26回 石山合戦


以前から僕はブログ中でもtwitterでもfacebookでも「失敗を恐れずに行動すべし」ということを主張しています。


参考記事:
失敗は友達

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僕自身、失敗を恐れずに行動するようになったそもそものきっかけというのが「準備嫌い」という性格のせいだったりします。

しかし、戦国武将の戦い方を見ていると、慎重に準備を重ねた人が勝っている傾向があります。

今の僕自身はおそらく、失敗を恐れず突き進むイメージが強いと思います。

しかし実は、周到にリサーチを重ねた上で、失敗したとしても次につながるような行動をとっていたりします。

失敗を恐れず進むのに慎重に準備する?

矛盾しているように感じますよね?

今回はその辺の説明をしていきたいと思いますので、「準備できない人」は特に読んだ方がいいですよ!


新井城の戦いの流れ


この戦いは、相模国(さがみのくに)新井城(現・神奈川県三浦市(かながわけん・みうらし))で永正(えいしょう)11年(1514年)~同13年(1516年)伊勢宗瑞(北条早雲)三浦道寸・荒次郎父子との間に行われた合戦です。

合戦の詳しい流れは

各合戦の動員人数について(3)新井城の戦い

をご覧いただければと思いますが、ここでは大まかな流れのみをご説明しようと思います。

↓こちらの地図を参照しながら読んでみてください。
新井城の戦い 広域図

永正7年(1510年)、相模・権現山(ごんげんやま)の戦いで敗北を喫した伊勢宗瑞(北条早雲)は相模攻略には三浦(みうら)氏の打倒が必要だと悟り、三浦氏攻めを企図します。

最初の動きは2年後の永正9年(1512年)。
宗瑞は現在の伊勢原(いせはら)市にあった三浦道寸の居城・岡崎(おかざき)城を攻め落とします。
(上記地図①)

道寸は嫡子(ちゃくし)・荒次郎義意の居城する住吉(すみよし)城(現・逗子(ずし)市)へと逃亡します。

同年、宗瑞は鎌倉(かまくら)に入り玉縄(たまなわ)城を築きます。
(上記地図②)

永正10年(1513年)、三浦道寸の主筋(しゅうすじ)である上杉治部少輔朝良が、故・太田道灌の嫡子で扇谷上杉(おうぎがやつ・うえすぎ)家家宰(かさい)である太田源六資康をして玉縄城を攻めさせますが、源六は敗退、討ち死にします。
(上記地図③)

明けて永正11年(1514年)、道寸は住吉城から打って出て鎌倉を攻めますが、宗瑞に返り討ちに遭い、そのまま住吉城を落とされてしまいます。
(上記地図④)

宗瑞はその勢いで、三浦氏の最後の城である三崎(みさき)・新井城を包囲します。
(上記地図⑤)

その包囲中の永正13年(1516年)、上杉治部は養子である修理大夫朝興の軍に玉縄城を攻めさせます。

しかし上杉修理が玉縄城に向かっているとの情報を得た宗瑞は、新井城包囲の兵を残して玉縄に取って返し、上杉修理軍を撃退。
修理を捕虜とします。
(上記地図⑥)

宗瑞はこれにて上杉の援軍は尽きたと読んだのか、新井城に兵を戻した勢いで新井城を総攻撃。
ついに落城させます。
(上記地図⑦)

この籠城戦、実に3年ほどの月日がかかっており、日本史上最長の籠城戦と言われています。



安全の上に安全を重ねた宗瑞の戦略


僕は常々「失敗を恐れずに突き進むべし」と言っています。

有名な『孫氏の兵法』においても「兵は拙速を聞く(尊ぶ)」と書かれており、戦はスピード勝負のような側面が強調されがちです。


参考①:
失敗は友達

参考②:
村山孚『孫子・呉子』

参考③:
世の中は「巧遅」よりも「拙速」であるほうが結果が出やすいのに、「巧遅」の方が高級だと思っている人が多い気がする


しかしそれは、いったん戦が始まってからの話なんですね。

特に当時の伊勢宗瑞は伊豆(いず)一国と相模の一部を手にしていただけで、決して強大とは言えない勢力でした。

相手にしているのは関東管領(かんとうかんれい)上杉氏です。
扇谷上杉氏は相模・武蔵(むさし)の一部、山内(やまのうち)上杉氏は武蔵の一部と上野(こうづけ)・越後(えちご)を支配しているという巨大な勢力です。

そんな巨大な敵を相手に軽率な戦は仕掛けられないわけですね。

ですから宗瑞は上記の過程のようにゆっくりと時間をかけ、念入りに三浦氏攻めを計画し、実行していったわけです。

新井城の攻城戦も3年かかっていますが、それはおそらく新井城が堅城だったことの他に、扇谷上杉氏からの援軍を恐れていたからでしょう。

新井城を総攻撃している最中に玉縄城を攻められたらたちまち落とされてしまい、相模制圧の橋頭保(きょうとうほ)を失うことになります。

そのため、時間をかけて上杉氏が援軍を出すのを待ち、待っていたかのように兵を玉縄城に返し、援軍を撃退しています。

しかし一方で宗瑞は、①の岡崎城攻めから②の玉縄城築城、④の住吉城落城から⑤新井城包囲、⑥の上杉修理軍の撃退から⑦の新井城への総攻撃までは短時間であっという間に行っています。

これが「兵は拙速を尊ぶ」を体現した部分です。

つまり、

「用意は周到に。しかし、戦端が開いたら、電撃作戦であっという間に実行する」

ということが重要になります。
※要するに「風林火山(ふうりんかざん)」です。



準備は念入りに。しかし、完全を求めない


上記、宗瑞の戦略を見習って、準備は周到に行うべきです。

自分がビジネスを行おうとする業界の知識、状況、属している人々についての情報収集など…

しかし、完全な準備などできません。
できるわけがありません。

なぜだか分かりますか?

自分が今から挑戦しようとする業界の素人だからです。
素人なのだから、「完全」な形がなんだかわかりません。

だから考えうる限りの準備はしますが、ある程度まで準備出来たらあとは飛び込みます。

ここで飛び込まない人が多い印象があります。

知識ばかり手に入れて、それで終わり。

それでは何も変わりませんよね。
ただのノウハウコレクターになって終わりです。

人と会ってみるとか、その現場に実際に行ってみるとか、そういった行動も入念な準備には必要です。

結局、インターネットで情報収集するよりもそうやって「行動する」方が情報量が多いですし、自分自身の納得度が違います。

失敗すると痛い思いもしますが、その分得られるものも多いです。

伊勢宗瑞も実は失敗をおかしており、それを糧に新井城の攻略に成功したという経緯があります。

それが、「権現山の戦い」です。

参考①:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方

参考②:
各合戦の動員人数について(2)権現山の戦い


彼は、周到な準備をしつつも「権現山城の戦い」という行動を起こし、失敗し、そこから学んでいます。

そして今回の「新井城の戦い」ではその失敗経験を見事に活かして勝利しています。

必要なのは、

☆慎重な準備と、大胆な行動

です。

結局のところ、行動あるべし!

というところに行きつきます。

「準備」という行動が必要なんです。

というわけで、今回は「慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像は新井城の最寄り駅・京急三崎口駅前の写真です。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・伊勢 左京大夫?(通称は新九郎) 平 朝臣? 盛時(長氏、入道早雲庵宗瑞。いわゆる北条早雲)
いせ さきょうのだいぶ?(通称はしんくろう) たいらの あそん? もりとき(ながうじ、入道そううんあんそうずい。いわゆるほうじょうそううん)
・三浦(介) 陸奥守(通称は不明) 平 朝臣 義同(入道道寸)
みうら(のすけ) むつのかみ(通称は不明) たいらの あそん よしあつ(入道どうすん)
・三浦 弾正少弼(通称は荒次郎) 平 朝臣 義意
みうら だんじょうのしょうひつ(通称はあらじろう) たいらの あそん よしおき
・(扇谷)上杉 治部少輔(通称は五郎) 藤原 朝臣 朝良
(おうぎがやつ)うえすぎ じぶのしょう(通称はごろう) ふじわらの あそん ともよし
・太田 備中守(左衛門少尉、左衛門大夫。通称は不明) 源 朝臣 資長(持資。入道道灌)
おおた びっちゅうのかみ(さえもんのしょうじょう、さえもんのだいぶ。通称は不明) みなもとの あそん すけなが(もちすけ。入道どうかん)
・太田 源六 源 資康
おおた げんろく みなもとの すけやす
・(扇谷)上杉 修理大夫(通称は五郎) 藤原 朝臣 朝興
(おうぎがやつ)うえすぎ しゅりのだいぶ(通称はごろう) ふじわらの あそん ともおき
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
新井城の戦いまでの経緯と戦いの様子が詳しく書かれています。
歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪
前回に引き続き、今回も参考にさせていただきました。
山城ガールむつみの出陣ノススメ
こちらも前回にひき続きで、おなじみの茶々さんのブログです。
今日は何の日?徒然日記

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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)趣味
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