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2017年02月01日

武家や公家の名前について

近藤勇と土方歳三のお墓
《令和6年8月5日更新》

皆さんこんばんは。
この記事を書いている平成29年1月3日現在では、幕末北越戦争(ばくまつ・ほくえつせんそう)で活躍した河井継之助(かわい つぎのすけ)が話題になっているようですが、それに因んでといいますか(あんまり関係ないんですが 笑)武家(ぶけ)や公家(くげ)の男性の名前の形式について書こうと思います。

現在は名前といえば名字(苗字、氏、姓)と名前の二つというのが普通ですが、それは実は江戸(えど)時代まではあまり一般的ではなく、フルネームは4~5つのパートに分かれていました。
(要するに、西洋人のミドルネームのように、名前が4~5つあったということです)

順番は正式に決まっていたわけではないようですが、大体、
1.名字
2.通称〔仮名(けみょう)もしくは官職名
3.(うじ)
4.(かばね)
5.(いみな)〔=実名(じつみょう)

の5パートです。

※令和2年8月27日注:この記事を書いた当時は通称と字(あざな)を混同していましたが、日本においては区別があるようです。僕がこの記事で話題にしているのは「通称」の方です。

実際の歴史上の人物の「5つの名前」を詳しく知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称


説明する順番でいうと「氏」から説明した方が多分わかりやすいのですが、これは血族をあらわしている名前です。武士は基本的にほとんどが公家の子孫とされていますので、どの公家の一族かということを表しています。
平安(へいあん)時代までの歴史によく出てくる「源(みなもと)」「平(たいら)」「藤原(ふじわら)」「橘(たちばな)」「清原(きよはら)」「菅原(すがわら)」「紀(き)」「大江(おおえ)」「蘇我(そが)」「物部(もののべ)」「中臣(なかとみ)」などの名前ですね。

河井継之助に関してはWikipediaでも氏は不明なのですが、徳川家康(とくがわ いえやす)を例に取ると、彼は源氏(げんじ)を名乗っていますから「源」が氏にあたります。


徳川家康について詳しく知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
言葉と人間の本質を見極めた「人間学」―山岡荘八『徳川家康』第3巻

関連記事:
『麒麟がくる』第21回―松平蔵人の親族

関連記事:
小牧長久手の戦いに学ぶ―勝ちすぎてはいけない

関連記事:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

関連記事:
第二次高天神城の合戦-勝者の戦法を徹底的にトレースせよ


「姓」に関しては今は名字と同じような意味ですが、要するに飛鳥(あすか)時代の「氏姓制度(しせいせいど)」の「姓」の流れの名前です。本来はその氏の役職をあらわしていましたが、平安時代中には形式化し、「この氏にはこの姓」というようにお決まりとなっていたようです。
(ほとんどの氏は「朝臣(あそん、あそみ)」です。また、一般的には官職を得ないとこの姓は名乗れなかったようです)

そして、次に「諱」ですが、これは今でいう「下の名前」で、もともとは「田村麻呂(たむらまろ)」や「武智麻呂(むちまろ)」のような日本式の形式でしたが、のち中国の習慣に倣(なら)い、中国式の漢字二字の形式で安定しました。普段使ってはいけない神聖な名前とされていました。
形式としては上記のように基本的には漢字二字で、訓読みは四音となります。
(例外として嵯峨(さが)源氏の漢字一文字訓二~三音の名前や、「義視(よしみ)」のような漢字二字訓三音、「義詮(よしあきら)」のような漢字二字訓五音のものもあります)

藤原武智麻呂を含む藤原四子について触れている記事:
『麒麟がくる』第26回―摂関家の系譜

河井継之助でいうと、彼は「秋義(あきよし)」という諱をもっています。
徳川家康でいうと「家康」ですね。

これは神聖な名前なので、幕末(ばくまつ)のように口伝で残っているような近い時代の武士は一般的にはこの諱で呼ばれることは少ないようです。しかし、戦国時代など古い時代は徳川家康のように諱で呼ばれることが多いようです。
(当時は、普段から「家康、家康」などと諱で呼んではいなかったようです)

また、幼少時には与えられていない名前で(ご存知の方も多いと思いますが)「元服(げんぷく)」という成人の儀式を終えたあとに名付けられたものです。

そして、上記のように諱はめったに使えないし、氏はみんないっしょだし、どうやって個人を区別していたのかというと、それが「名字」と「通称」になります。

もともと、名字は通称の一部でその人の居住地や本拠地などを表していたようですが、名字の部分だけ世襲することが多くなり、通称とは分離して代々名乗るようになっていきました(通称を世襲することも多いですが)。

河井継之助でいうと、「河井」が名字で「継之助」が通称です。
徳川家康は「徳川」が名字で、通称は「次郎三郎(じろうさぶろう)」と言います。

通称は「あだ名」みたいなものです。
これは諱を普段使えない代わりに用いた呼称なので、自由奔放、いろいろな形式があり、「太郎」「次郎」から派生した「~郎」系、官職名から派生した「~兵衛」「~右衛門」「~左衛門」「~助」「~介」「~丞」系、発生のよくわからない「~作」「~吉」「~松」などさまざまです。
(これも現在の「下の名前」の形式として残っていますね)

この通称は主家や朝廷に認められて官職をもらうと、その官職に取って代わられます。
去年の大河ドラマで、真田「源三郎」信幸(さなだ「げんざぶろう」のぶゆき)が真田「伊豆守(いずのかみ)」信幸、真田「源次郎」信繁(さなだ「げんじろう」のぶしげ)が真田「左衛門佐(さえもんのすけ)」信繁になったという状態ですね。

現在知られている武士や公家は実はほぼすべて、この4~5つのパートで構成された名前をもっています。
(史料などで残っていない場合もあります)

前述の徳川家康は
徳川 次郎三郎〔のち蔵人(くらんど)、三河守(みかわのかみ)、内大臣(ないだいじん)等さまざま〕 源 朝臣 家康
織田信長(おだ のぶなが)
織田 三郎(さぶろう)〔のち上総介(かずさのすけ)、右大臣(うだいじん)等〕 平(自称) 朝臣 信長
となります。


関連記事:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

関連記事:
苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻

関連記事:
長篠の合戦―プライドよりも信頼関係を重視せよ


さらに、幕末の志士(しし)などは名字と通称しか一般的に知られていませんが、
坂本龍馬(さかもと りょうま)
坂本 龍馬 紀(き の) 直陰(なおかげ)〔のち直柔(なおなり)
高杉晋作(たかすぎ しんさく)
高杉 晋作 源 春風(はるかぜ)
大久保利通(おおくぼ としみち)
大久保 一蔵(いちぞう) 藤原 朝臣 利通
です(諸説あり)。

関連記事:
『西郷どん』、不覚にも感動しました(第46~47回)

そして、新撰組(しんせんぐみ)なんかは氏が不明な人が多いですが、
近藤勇(こんどう いさみ)
近藤 勇 昌宜(まさよし)
土方歳三(ひじかた としぞう)
土方 歳三 義豊(よしとよ)
沖田総司(おきた そうじ)は氏も伝わっていて
沖田 総司 藤原 春政(はるまさ)
といいます。
※上記写真の墓碑銘は「近藤勇宜昌」となっていますが、正しくは「昌宜」です。

明治時代になって民法か何かで名字ひとつ、名前ひとつの形式に統一されて、上記の4~5つの形式は廃れていきましたが、現在は契約時(戸籍上の名称を用いる)以外は特に通称の規制はないようで、家系によってはいまだに通称や氏、諱をフルネームとして名乗っている家系も存在しているようです。

という訳で、武家や公家の子孫だという方は、ぜひこの通称や諱、氏などを名乗ってみてはどうでしょうか?
※筆者の場合、「鷲谷(わしや)」は名字で「壮介(そうすけ)」は通称にあたり、諱を別にもっています。氏は血縁上「紀」氏を名乗っていますが「鷲谷」は本来は「平」氏です。
※令和4年1月9日注:現在は「山城守(やましろのかみ)」の受領名を名乗っているため、通称として「山城国(やましろのくに)」の州名表記である「城州(じょうしゅう)」を用いています。


関連記事(豊臣秀吉の名前について):
『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称


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Posted by 鷲谷 城州 at 22:05│Comments(0)趣味
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