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2020年02月14日

鶴岡八幡宮を味わう(1)―太鼓橋と舞殿

太鼓橋
《令和6年10月7日更新》

皆さんこんばんは。
今回は断続的に続いている「鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第5弾で、「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」について語ります!


【鎌倉シリーズの今までの記事】
・鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)・平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ
・平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン・平成28年の小町通(3)―原点回帰したい人のためのおしゃれ団子



日本有数の観光地である鎌倉ですが、その魅力とは何なのかについて語りたいと思います。

とりあえず有名だから行ってみたけど、人は多いしなんだかよくわからない建物ばかりだし、階段は急だしよくわからない!という人のために楽しみ方を説明したいと思います。
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。


鶴岡八幡宮についての他の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
鶴岡八幡宮を味わう(2)―大銀杏と本宮

関連記事:
鶴岡八幡宮を味わう(3)―源平池とゆかりの人物

「鎌倉」関連の記事:
円覚寺(2)―戦国の兵火


知れば楽しい鎌倉の魅力


結局は「麒麟がくる」で解説したことと同じ結論に達するのですが、世の中のいろいろなことは「知らないから」楽しくない。
つまり、「知れば楽しい」んですね。

参考記事:
『麒麟がくる』第1~2回―当時の三傑と明智家、リアルな戦の描写

旅行に行く前にいろいろと調べておけばいいのですが、それも面倒臭い。

そういう方のために僕が注目した場所について解説していきます



鎌倉御家人たちの権力争いの跡―太鼓橋―


というわけでトップ写真についてです。
この写真、鶴岡八幡宮入口のただの雑踏を写しているだけのようなんですが、実は違うんですよ笑

中央部分のグレーの橋、「太鼓橋(たいこばし)を写しています。

何も知らないとただの橋なんですが、この橋は右兵衛権佐〔略称:武衛〕源頼朝の御家人(ごけにん)である和田義盛最期の地と言われています。

※令和5年1月6日訂正:「和田義盛最期の地」というのは間違いで、討たれたのは岡崎四郎義実の子で和田軍に加わっていた土屋次郎義清でした。

和田義盛って誰だ?という話ですが、彼は桓武平氏三浦氏族(かんむ・へいし・みうらしぞく)という一族で武衛頼朝の(伊勢(いせ))平氏討伐に早くから味方をした人物です。官職名は左衛門尉です。

寿永(じゅえい)4年(1180年)に武衛頼朝が伊豆(いず)で挙兵した直後に参加しているので、ずいぶんな忠臣です。
治承(じしょう)・寿永の乱〔いわゆる「源平合戦(げんぺいがっせん)」〕のときは武衛の弟三河守範頼を支えて九州(きゅうしゅう)にわたっています。
その時、のちの執権(しっけん)北条右京権大夫〔略称:右京兆〕義時や、足利上総介義兼(子孫は室町将軍家(むろまち・しょうぐんけ)です)らとともに活躍しています。

関連記事:
『麒麟がくる』第36回―足利家について(1)

鎌倉幕府(ばくふ)成立後には侍所別当(さむらいどころ・べっとう)(現代の役職に置き換えるのは難しいのですが、軍隊のトップ的な役職ですかね)として活躍します。

その後、右京兆義時との権力争いの結果、右京兆の策謀により反乱を起こすまでに追い込まれました。

建暦(けんりゃく)3年(1213年)、一族を率いて「和田合戦(わだがっせん)」という反乱を起こしてしまいます。
(一説にはこれは義時の策謀ではなく、能動的に反乱を起こそうとしていた、という話もありますが)

「和田合戦」は最終的には鎌倉での市街戦となり、左衛門尉はこの太鼓橋で討ち取られました。
(参考記事:鎌倉手帳(寺社散策)

※令和5年1月6日訂正:討ち取られたのは土屋次郎です。

※和田左衛門尉の子孫
・佐久間右衛門尉信盛
・佐久間玄蕃允盛政
(織田信長家臣)
・佐久間象山(女系。幕末(ばくまつ)の偉人)

関連記事:
『真田丸』最終回―松代藩の偉人佐久間象山

関連記事(佐久間右衛門尉が登場する戦い):
雑賀・根来合戦から学ぶ―つまらない職場を楽しくする方法

関連記事(同上):
長篠の合戦―プライドよりも信頼関係を重視せよ

関連記事(佐久間右衛門尉、佐久間大学が登場するドラマ):
『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽



静御前の舞―舞殿―


舞殿(遠景)

こちらは本宮(ほんぐう)へ向かう石段の下にある「舞殿(まいどの)」と呼ばれる建物です。
(参考:鶴岡八幡宮施設案内

割と有名な話ですが、伊予守(略称:豫州)源義経の妾(めかけ)であった静御前(しずか・ごぜん)が舞った場所と言われています。

実際には静はこの「舞殿」で舞ったわけではなく、舞殿が建てられる以前にこの場所にあった回廊にて舞ったとされています。

この建物自体は鎌倉大火のあと、建久(けんきゅう)4年(1193年)に建てられたものです。

静御前の話はどういった話かというと、平家(へいけ)滅亡の直後の文治(ぶんじ)元年(1185年)にさかのぼります。

平家滅亡後、豫州は平家との合戦中の態度がよくなかったことや朝廷(ちょうてい)から武衛の許可を得ずに官位をもらったことによって武衛の怒りを買い、追われる身となります。

静は途中まで豫州に同行しますが、先を心配した豫州は静と別れ、静は(きょう)に向かう途中に武衛方にとらわれてしまいます。

舞殿
その後文治2年、鎌倉にて武衛の請いによって舞ったのがこの場所と言われています。

静はこの時豫州を想う唄を唄ったと言われています。

その頃静は豫州の子を身ごもっていましたが、その子は生まれたあと武衛の命令によって由比ヶ浜(ゆいがはま)に沈められてしまい、静は京で失意のまま亡くなったとされています。
(参考:鶴岡八幡宮-御朱印

(そんなはかない恋物語の主人公である静御前ですが、上に「妾」と書いている通り豫州の正室(せいしつ)ではありません。要するに「愛人」です笑)



歴史的建物にはエピソードがある


こんな感じで、歴史的な建物にはほぼ必ずそれにまつわるエピソードがあります。

それを掘り下げて知識を得ると感慨深くもなり、普段は一瞥して終わる場所に5分でも10分でもいられるようになります。

ちなみに今回ご紹介した「舞殿」では結婚式をすることが可能で、確か上の写真を撮った直前か直後にも結婚式をやっていて、少し羨ましかった記憶があります。
(由緒ある鶴岡八幡で結婚式を挙げられるというのはうらやましい!笑)


「結婚」関連の記事:
関ヶ原の戦いに学ぶ―相手に納得感を与える

同関連記事:
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める


今回は以上です!


次回の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
鶴岡八幡宮を味わう(2)―大銀杏と本宮


○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・征夷大将軍 右近衛大将〔右兵衛権佐〔=武衛〕。通称は三郎〕 源 朝臣 頼朝
せいいたいしょうぐん うこんえのだいしょう〔うひょうえごんのすけ〔=ぶえい〕。通称はさぶろう〕 みなもと の あそん よりとも
・和田 左衛門尉〔通称は小太郎〕 平 朝臣 義盛
わだ さえもんのじょう〔通称はこたろう〕 たいら の あそん よしもり
・岡崎〔三浦〕 四郎〔平四郎、悪四郎〕 平 義実
おかざき〔みうら〕 しろう〔へいしろう、あくしろう〕 たいら の よしざね
・土屋 次郎〔小次郎〕 平 義清
つちや じろう〔こじろう〕 たいら の よしきよ
・三河守〔通称は蒲冠者、蒲殿〕 源 朝臣 範頼
みかわのかみ〔通称はかばのかじゃ、かばどの〕 みなもと の あそん のりより
・北条 右京権大夫〔=右京兆〕 平 朝臣 義時
ほうじょう うきょうごんのだいぶ〔=うけいちょう〕 たいら の あそん よしとき
・足利 上総介 源 朝臣 義兼
あしかが かずさのすけ みなもと の あそん よしかね
・佐久間 右衛門尉〔通称不明〕 平 朝臣 信盛
さくま うえもんのじょう〔通称不明〕 たいら の あそん のぶもり
・佐久間 玄蕃允〔通称不明〕 平 朝臣 盛政
さくま げんばのじょう〔通称不明〕 たいら の あそん もりまさ
・織田 右大臣兼右近衛大将〔通称は上総介、三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ うだいじんけんうこんえのだいしょう〔通称はかずさのすけ、さぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・佐久間 修理 平 国忠〔象山〕
さくま しゅり たいら の くにただ〔しょうざん〕
・伊予守〔豫州。通称は九郎、九郎判官〕 源 朝臣 義経
いよのかみ〔よしゅう。通称はくろう、くろうほうがん〕 みなもと の あそん よしつね
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
車椅子での観光ガイドという観点が面白いです!
車椅子で行く神社仏閣・パワースポットの旅
鶴岡八幡宮で結婚式とは羨ましいです!
家と子供と、今日のおじさん(仮)
鎌倉コラージュ。


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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「ビジネスに活かす戦国合戦術⑫三方ヶ原の合戦」。

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今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
【Cover】Nowhere Man / Joshu Washiya

※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。









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Posted by 鷲谷 城州 at 22:00│Comments(0)レジャー
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