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2020年09月13日

雑賀・根来合戦から学ぶ―つまらない職場を楽しくする方法

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第28弾として、「雑賀・根来合戦」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦
第19回 第二次高天神城の合戦
第20回 岩村城の合戦   第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い   第23回 天目山の戦い
第24回 権現山の戦い   第25回 天正伊賀の乱
第26回 石山合戦   第27回 新井城の戦い

※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の岸宏子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

仕事をしていてイマイチ面白くない、つまらないと思ってる人って多いと思います。

「そもそも仕事って楽しむものじゃないでしょう?
「楽しくても楽しくなくても仕事なんだからやらなきゃ」

と思ってる方も多いのではないでしょうか。

確かに仕事にはそういう側面はありますが、仕事が楽しいに越したことはありません。

実は、今回ご紹介する「雑賀・根来合戦」から仕事を楽しくする秘訣を読み取ることができます。

そのためにまずは合戦の流れをご覧ください!


<そもそも「雑賀」「根来」とは何か?>


「雑賀(さいか)」「根来(ねごろ)」とは何かという話ですね。

彼らは「雑賀衆」「根来衆」と呼ばれた傭兵集団で、織田上総介(※)信長が11年間に渡って戦い続けた「石山合戦」にて本願寺に味方し、上総介を苦しめた人々です。
※通称・官職がコロコロ変わる人物は著名な通称で統一して呼ぶことにしました。

参考:「石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー

「雑賀衆」も「根来衆」もそれぞれ独立した集団なので、まずは雑賀衆の簡単な経歴をご説明します。

彼らは紀伊・雑賀庄(現在の和歌山市)を中心としたいくつかの郷村の土豪たちの集まりです。
15世紀後半、当時紀伊守護だった畠山氏の要請で各地で転戦したことがきっかけとなり、傭兵として各地の大名に雇われるようになったと言われています。

天文4(1535)年ごろには大坂石山本願寺勢として戦っていたことがうかがえます。

16世紀初めごろは特に「最強集団」みたいな言われ方はしていなかったようですが、転機となったのは天文12(1543)年の鉄砲伝来です。

数年後にお隣の根来衆が持ち込んだ鉄砲が雑賀衆にも伝わり、彼らは根来衆と並ぶ天下一の鉄砲傭兵隊としてその名をとどろかすこととなります。

一方の根来衆についてです。

彼らは雑賀のお隣にある根来寺(現・和歌山県岩出市)の僧兵たちの軍隊です。

彼らは雑賀衆とは少し違い、もともとは本拠である根来寺を守る兵力として発達したようです。

その根来衆に属した人物が上記・種子島鉄砲伝来ののちに、根来に鉄砲をもたらしました。

そのことによって根来衆は、雑賀衆と同じく天下一の鉄砲傭兵集団となりました。
※根来衆について、詳しくは下記リンクをご覧ください。

参考:「大河ドラマを楽しむ方法(7)(『麒麟がくる』第13~14回)

<「石山合戦」に参戦>


雑賀衆・根来衆ともに初期は織田上総介の部隊に傭兵として参戦していたと言われています。

織田家の鉄砲隊の一部は雑賀衆・根来衆だったということですね。

しかし、ある時その一部が織田家を離れていきます。

それが、「淀川堤の戦い」です。

元亀元(1570)年、上総介は三好三人衆の籠る摂津・野田城・福島城を攻めました。

その目と鼻の先(というか手前)にあった石山本願寺は「三好三人衆の次は自分たちが攻められる」と思ったのか、突如挙兵し、織田軍に向かってきます。

この時上総介方として参戦していた雑賀衆・根来衆の一部が石山本願寺軍と合流し、この頃から雑賀衆・根来衆と上総介の戦いが始まります。

↓石山本願寺、雑賀・根来の位置関係
※クリックで拡大されます。
石山本願寺、雑賀、根来の位置関係図



参考:「石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー

<上総介の紀州攻め>


天正4(1576)年5月、本願寺との第一次木津川口の戦いと同時進行で、上総介は雑賀衆・根来衆の切り崩し工作を始めます。

雑賀衆は陸上の鉄砲隊の戦力もすさまじかったようですが、本拠地が紀ノ川河口で紀伊水道に面しており、操船技術が高かったんです。

高い操船技術に加え、船からの焙烙火矢によって織田水軍はさんざんな大敗を喫します。

これらのことから本願寺の主戦力は雑賀衆・根来衆だと見た上総介は、天正5(1577)年2月には根来衆の大半と雑賀衆の一部を懐柔することに成功します。

雑賀衆は実は統一された一つの集団ではありませんでした。

雑賀庄・十ヶ郷・宮郷・中郷・南郷という5つの集落ごとに独立した集団の共同体(「雑賀五組」などと言います)でした。

その中で宮郷・中郷・南郷の三勢力が上総介に味方しました。

上総介はこの機に雑賀衆・根来衆を攻めました。
陸側から

・織田勘九郎信忠
・北畠三介信雄
・神戸三七信孝
・織田三十郎信包
・佐久間右衛門尉信盛
・羽柴藤吉郎秀吉
・荒木弥助村重

海側からは
・滝川彦右衛門一益
・丹羽五郎左長秀
・明智十兵衛光秀

を進軍させ、雑賀衆を圧迫します。

この戦いでやはり上総介は苦戦しますが、翌3月には和睦します。

しかしこのことで雑賀衆内にもともとあった亀裂が深刻化したのか、翌年の天正6(1578)年、雑賀衆本願寺派の中心人物であった鈴木孫一(雑賀孫市)らが上総介に味方した宮郷を攻撃し、雑賀衆の親上総介勢力を一掃しました。

結局、このことで根来衆は上総介の味方となり、雑賀衆は弱体化したようです。

意思統一が図られたかに見えた雑賀衆でしたが、天正8(1580)年には本願寺が上総介と和睦してしまい、宙に浮いてしまいました。

参考:「石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー

その後鈴木孫一は同じ雑賀衆の土橋若太夫との争いに勝利し、上総介に恭順することになりました。

<結束による効果>


以上の流れでもうおわかりだと思うのですが、雑賀衆の弱体化を招いたのは明らかに雑賀五組の内紛が原因ですね。

大坂石山本願寺は「極楽浄土」という目標共有による強固な連帯をもっていましたが、実は雑賀衆・根来衆は一向宗門徒というわけではなかったと言われています。
※根来寺は真言宗の寺院で、雑賀衆は一部は一向宗門徒ではあったものの真言宗や浄土宗などの門徒も多かったと言います。

そのため本願寺の目標共有が通じず、利害や「今後どうなるか」という視点による説得が可能であったようです。

同様に、現在の日本は多くの人が無宗教であるので宗教的な連帯感の醸成ができません。

有志の団体ならともかく、職場などではその仕事が好きで集まっている人などは少数派だと思います。

雑賀五組のように各々の利害で勝手に動いていることが大半でしょう。
※業務命令には当然従っていると思いますが、多くの場合、命令外の部分で個々の利害判断が働いています。

このように利害がバラバラで各々が勝手に動いている、という状態が実は「楽しくない」原因の一つだったりします。

ところで、高校や大学のとき「学園祭」というのを経験したことのある人は多いと思います。

その学園祭の直前ってクラスやサークル全体が盛り上がりますよね?

それって、「学園祭」という目標をクラスやサークル全体で共有できているからこそ起こる現象で、そういうときだけチームワークが抜群になります。

それを「学園祭現象」と名付けましょう 笑

一部、ひねたタイプの人以外は学園祭のときの一体感って楽しかったと思うんですよ。

職場も同じです。

その「一体感」が演出できればめちゃめちゃ楽しい職場に変わると思いませんか?

その一体感を作り出す要素の一つが以前に提案した「目標設定」です。

参考:「石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー

「目標設定なんて、リーダーの仕事じゃん。私、平社員だから関係ない」

と思った方。

違います。

平社員であれば、

リーダーに提案すればいい

のです。

参考:「天正伊賀の乱から学ぶ―リーダーがいないと組織はどうなる?

チームワークについて問題提起をして、その解決策として目標設定を提案するんです。

楽しくない職場を楽しくしていくというのはこういうことなんですね。


今回は以上となりますが、お分かりいただけたでしょうか?

というわけで、「つまらない職場を楽しくする方法」について説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 右大臣(右府。総見公。通称は三郎、上総介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
・織田 左近衛中将(通称は勘九郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信忠(信重)
・北畠(織田) 侍従(通称は三介) 源(平、藤原) 朝臣 具豊(信雄)
・神戸(織田) 侍従(通称は三七) 平(藤原、忌部) 朝臣 信孝
・織田(長野) 上野介(通称は三十郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信包
・佐久間 右衛門尉 平 信盛
・羽柴(木下) 筑前守(通称は藤吉郎) 平(豊臣) 朝臣 秀吉
・荒木 摂津守(信濃守、通称は弥助) 藤原 朝臣 村重
・滝川 左近将監(通称は彦右衛門) 紀 朝臣 一益
・丹羽 五郎左衛門 良岑 長秀
・明智 日向守(通称は十兵衛) 源(惟任) 朝臣 光秀
・鈴木 孫一(孫六?) 穂積 重秀(雑賀孫市?)
(「鈴木孫一」に比定される人物としてはほかに鈴木重朝、平井重兼などがいる)
・土橋 若太夫 源 胤継(守重)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓『雑賀六字の城』はかなりお勧めです。僕は読んだ後泣きました!ぜひ下記リンクをのぞいてみてください!




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参考
「歴史の憧憬」
オーソレ、何それ?
今日は何の日?徒然日記

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ」。

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The Bay / Sosuke Washiya









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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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