2020年04月22日
小谷城の合戦―「言葉」ではなく「行動」を注視せよ
《令和6年6月9日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第16弾として「小谷(おだに)城の合戦」について書きます。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
第1回 今山の合戦
第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦
第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦
第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦
第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦
第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦
第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の渡辺守順氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!
小谷城の合戦までの流れ
元亀(げんき)元年(1570年)、金ヶ崎(かねがさき)城の合戦に始まる信長包囲網の流れの中での合戦です。
金ヶ崎城の戦いについて知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
金ヶ崎城の合戦―過去の実績にこだわらない
足利(あしかが)将軍家(しょうぐんけ)(義昭)は近隣大名(だいみょう)を巻き込んで織田上総介(信長)を包囲していくわけですが、上総介は各個撃破をしていきます。
(※「将軍家」は本来は家ではなく個人を表す呼称)
・元亀2年 叡山(えいざん)焼き討ちで比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)敗退
・元亀4年 野田(のだ)城の合戦後に武田信玄が死去
・同年 槇島(まきしま)城の合戦で足利将軍家が京都(きょうと)を追放される
・天正(てんしょう)元年(元亀4年と同年)一乗谷(いちじょうだに)城の合戦で朝倉左衛門督(義景)が自刃(じじん)
参考記事:
叡山焼き討ち―問題が山積みのときの対処法
参考記事:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力
参考記事:
一乗谷城の合戦に学ぶ―決断しないことで状況は悪化する
ということで、見事に瓦解していきました。
今回俎上(そじょう)に載せる「小谷城」については、ここへきて初めて攻められたわけではありません。
元亀元年6月の姉川(あねがわ)の合戦時に上総介は小谷城に相対する虎御前山(とらごぜやま)に城を築いており、そこを拠点に断続的に小谷城を攻めています。
参考記事:
姉川の合戦-即座に方針転換する
一乗谷城の合戦時に上総介は大嶽(おおづく)城〔砦〕を落としていますが、元来その大嶽城は小谷城の本丸(ほんまる)だったとの説があり、小谷城と大嶽城は一つの山〔小谷山(おだにやま)〕の尾根上に存在しています。
浅井備前守(長政)の代にはもう本丸としては使われていず、救援のために朝倉(あさくら)家に間貸ししていたような城でした。
そのように大事な大嶽城を織田方に落とされてしまったということは、浅井(あざい)勢にとっては喉元に刃物を突き付けられている状態になったということです。
(頼りにしていた朝倉氏に預けていた大事な城だっただけに「オイオイ…」という感じだったと思います)
上総介はこのような状態まで浅井を追い詰めておきながら、まずは越前(えちぜん)朝倉氏を攻めます。
朝倉氏を滅ぼすことによって、完全に浅井家を孤立させたのです。
木下藤吉郎の活躍で小谷落城
そして肝心の小谷城本戦です。
一乗谷城から凱旋(がいせん)した上総介は、大半の軍を越前から帰陣させ小谷城を包囲します。
そこで活躍したのが木下藤吉郎(秀吉)(のちの豊臣秀吉)です。
↓小谷城の曲輪(くるわ)配置(茶色の線が尾根を表しています。図が汚くてすいません笑)
※クリックで拡大します。
小谷城は、上掲地図のように馬蹄(ばてい)状になった尾根の最上部に大嶽城があり、その下に山王丸(さんのうまる)、小丸(こまる)、京極丸(きょうごくまる)、中丸(なかまる)、本丸と曲輪(くるわ)が連なっていました。
尾根に囲まれた中央部分は谷になっており、「清水谷(しみずたに)」と呼ばれていました。
当然、頂きの大嶽城の標高が最も高いわけで、南側の出丸(でまる)の標高は低くなります。
ということは通常ですと出丸から攻めたくなるのですが、そうではなく、度肝を抜く攻め方をした人物がいたわけですね。
上にも書いているし地図にも出ているのでもうネタバレしていますが、皆さんご存じの木下藤吉郎です。
藤吉郎は清水谷から急斜面を駆け上がり、なんとも中途半端な京極丸を攻めたわけです。
(上掲地図の青矢印は藤吉郎の攻めたルートをイメージしています)
浅井勢はいきなり京極丸が攻められるなんて予想外中の予想外。
全然守りを厚くしていなかったわけです。
ですから京極丸はいとも簡単に落ち、これによって小丸にいた父浅井下野守(久政)と本丸にいた当主の浅井備前守(長政)が分断されるという事態に陥ります。
父下野守はいきなり藤吉郎隊の猛攻撃にさらされることになり、もはやこれまでと自刃します。
本丸の備前守の方はもう少し頑張ったのですが、京極丸、小丸が落ちたことで城が機能不全に陥り、父と同様自刃して果てました。
これで浅井家三代の夢は露と消え、織田上総介にとっては3年越しでやっと小谷城を落城させることができたのでした。
ビジネスに活かす要素は?
今回も負けた側である浅井家からの方が学ぶことが多いですね。
浅井家の敗因は、完全に朝倉家を恃んだ(たのんだ)ことですね。
備前守長政の父・下野守からしてみれば、朝倉氏を高く評価していたのでしょうね。
朝倉家は南北朝(なんぼくちょう)期から活躍し、応仁(おうにん)の乱時に実力で越前守護(しゅご)をもぎ取った家です。
※朝倉家が「越前守護」であったことについては異説あり。
それに対して織田(おだ)氏はついこの間まで国内の一族同士の紛争に明け暮れていた家で、ポット出の田舎大名だったわけです。
しかも、越前では織田氏は朝倉氏よりも格下でした。
(織田氏は越前発祥)
関連記事:
『麒麟がくる』第25回―朝倉氏の系譜
そんな田舎大名がいい気になって近隣大名に檄(げき)を飛ばすようになったのが気に入らなかったのでしょうね。
(※「檄を飛ばす」とは「活を入れる」という意味ではなく、「決起等を促す(ための文書を送る)」という意味です)
しかしこの評価の仕方に問題があった訳です。
これ、現代でも通じるし、ビジネスでも日常生活でも恋愛でもなんにでも応用できますが、他人を判断するときはその人の「行動」を見なくてはだめです。
学歴とか、役職とか、住んでいる場所とか乗っている車とか、務めている会社とか、資格とか、その人の周辺にはたくさんの情報がありますし、本人はいろいろしゃべりますが、全部白紙で考えてください。
その人の「行動」だけ見てください。
人間は言葉では嘘をつくことができますが、行動を見れば本音を見通すことが可能です。
悪意のあるなしにかかわらず、嘘をついている人間は行動に矛盾が生じますし、実力があるかないかも行動を見ればわかります。
浅井氏の場合は、朝倉氏がしっかりと戦に勝てる行動をしているかどうかを見極めるべきだったと思います。
金ヶ崎城の合戦のときも、姉川の合戦のときも、朝倉左衛門督本人は出陣しませんでした。
本気じゃなかったんですよね。
戦に身が入っていませんでした(理由は一乗谷城の合戦の記事で少し触れています)。
(現代人の目で結果を知ってから振り返っているのでどうとでも言えるのかもしれませんが)その時点で明らかに左衛門督の挙動はおかしいのです。
(現に、朝倉家内からも浅井家内からも多数の内応者が出ています)
それを応用して、現代でも他人と何かプロジェクト等を進めるときは「行動」をよく見た方がいいです。
なんだかんだ理由をつけて自分の役割を進めない人は、「やらない」人です。
やる意志がないってことです。
そういう人と組んでいても時間の無駄なので、別の人と組んだ方がいいです。
最悪の場合浅井備前守のように損失を被ることになります。
というわけで、
・相手を見るときは「ステータス」や「言葉」ではなく「行動」を注視せよ!
ということになります。
もちろん、他人の思考を100%読むことなんて到底不可能ですが、この「行動を見る」というやり方は相当的中率が高いです。
試しにだれか身近な人をマークして、発言通りの行動をとっているか観察してみてください。
その人の本音が見えて面白いですよ。
今回は以上です!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 上総介〔右近衛大将、右大臣。通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ かずさのすけ〔うこんえのだいしょう、うだいじん。通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき
・朝倉 左衛門督〔通称は孫次郎〕 日下部 朝臣 義景
あさくら さえもんのかみ〔通称はまごじろう〕 くさかべ の あそん よしかげ
・浅井 備前守〔通称は新九郎〕 藤原 朝臣 長政〔賢政〕
あざい びぜんのかみ〔通称はしんくろう〕 ふじわら の あそん ながまさ〔かたまさ〕
※長政の名前についてWikipediaには「『賢政』の名も新九郎に戻した」という記述がありますが、それは不正確です。
「賢政」は諱で「新九郎」は通称ですから、どちらかがどちらかにとって代わるということはありません。
おそらく「浅井新九郎賢政→浅井新九郎」と諱を名乗るのを一時辞めたのか、別の諱を名乗ったけれどそれが記録されていないのだと思います。
・木下 藤吉郎 平 秀吉
きのした とうきちろう たいら の ひでよし
・浅井 下野守〔宮内少輔。通称は新九郎、左兵衛尉〕 藤原 朝臣 久政
あざい しもつけのかみ〔くないのしょう。通称はしんくろう、さひょうえのじょう〕 ふじわら の あそん ひさまさ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
「城塞」征旅飛翔:装鉄城戦記2010~2019
なぽのブログ
ウマさんの気ままな行動日記(その2)
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今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
【Cover】Nowhere Man / Joshu Washiya
※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。
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Posted by 鷲谷 城州 at 21:00│Comments(0)
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