さぽろぐ

  映画・TV・音楽  |  その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


2020年06月09日

ビジネスに活かす戦国合戦術(19)第二次高天神城の合戦

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第19弾として「第二次高天神城の合戦」について書きます。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦

『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の萩原雄二郎氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!


<二度の合戦と長篠の戦い>


これまで二度にわたって、徳川家と武田家による遠江高天神城をめぐる争奪戦が行われました。

一度目は元亀2(1571)年。
徳川家の手にあった高天神城が武田信玄により攻められています。

このとき信玄は、城を落とさずに撤退しています。
理由としては2つ考えられ、ひとつは
①高天神城が予想以上の堅城で落とせなかった。

二つ目の理由としては
②戦略上、高天神城は苦労して落とすほど重要な城ではなかった。

僕は②を支持していますが、どちらにしろ信玄が高天神城を落とせなかったのは事実です。

その後、天正2(1574)年、今度は信玄の跡を継いだ四郎勝頼により攻められています。

このときは元亀3(1572)年の三方ヶ原の戦いの傷がいえず、徳川家には援軍を送る余力がありませんでした。

そのため高天神城将の小笠原与八郎長忠(信興・氏助)は奮闘の末、降服。
武田家臣となりました。
第一次高天神城の合戦
※四郎は城将として、岡部丹波守元信(長教)を配置。

翌天正3(1575)年、長篠の合戦にて織田・徳川連合軍によって武田軍は敗れました。

このことにより勢いを得た徳川侍従改め右近衛権少将(略称:権右少将(ごんのうしょうしょう))家康は、武田方に落とされた城を次々と奪還していきます。

同年6月 二俣城包囲

8月 諏訪原城落城:今川治部大輔氏真を配置

12月 二俣城奪還:大久保七郎右衛門忠世を配置
※七郎右衛門忠世は新八郎忠俊の甥
※天方城は天正2(1574)年3月、つまり第一次高天神城の合戦前に徳川家に奪還されていました。

これによって高天神城は補給線を断たれ、孤立してしまいます。
※権右少将はこの後駿河国境である大井川沿いにある小山城を攻めますが、四郎の援軍により撤退しています。

相良城建設前

※画像はクリックで拡大されます。

<高天神城補給線をめぐる戦い>


しかし四郎勝頼もさるもの。

翌天正4(1576)年3月には、高天神城への補給線の最前線となっていた小山城と高天神城の間の海沿いに相良城を築城します。

このことにより小山城→相良城→高天神城という海側のラインが生きることになり、高天神城は息を吹き返します。

横須賀城建設前
※画像はクリックで拡大されます。

相良城の築城で権右少将は高天神城を攻めあぐねます。

権右少将は天正6(1578)年に、高天神城の西に横須賀城を築城します。

そこには大須賀五郎左衛門尉康高をはじめとした、第一次高天神城の合戦時に高天神城にこもり、敗退するという辛酸をなめた武将たちを配置しました。
※彼らは「横須賀衆」と言われ、その一部は紀州和歌山藩の屋台骨を作っていくことになります。

高天神六砦建設

※画像はクリックで拡大されます。

これによって徳川方は高天神城を攻めるための補給線を短くすることに成功します。

そして横須賀城からの出撃で、相良城から高天神城への補給路を断とうとします。

しかしそのためには高天神城を通り過ぎて回り込まねばならず、うまくいきませんでした。

そこで三河守は、天正8(1580)年8月、相良城→高天神城のラインを完全に断つために、6つの砦を築きます。

それが下掲地図の「高天神六砦」です。

高天神六砦建設後
※画像はクリックで拡大されます。

地図を見てお分かりになると思うのですが、これによって完全に相良城→高天神城の補給路は断たれ、同時に徳川方の補給線を強固なものにしています。

<その後の武田家の運命を決定づけた敗戦>


同年10月、徳川権右少将は高天神城に兵糧攻めを行います。

第一次高天神城の合戦」の記事で書きましたが、籠城戦は城外からの援軍が生命線となります。

囲まれた状態では援軍が来なければ守り切るのが難しくなります。

しかし、四郎勝頼はこの時高天神城へ思うように援軍を送れませんでした。

四郎は、天正6~7(1578~1579)年の御館の乱時に上杉弾正少弼景勝を支持しました。

このことにより相模伊豆の北条家は完全に武田家の敵に回り、当時武田領であった駿河は北条家からの攻撃にさらされます。

さらに、織田家との和睦を模索していた四郎は外交戦略として高天神への援軍を送りたくなかった、という指摘もあります。

結果的に四郎は高天神城への援軍を送ることができず、天正9(1581)年3月、落城。
※徳川家への忠義を貫き石牢に幽閉されていた大河内源三郎政局は、このときようやく救出されました。

城将はことごとく討ち死に、もしくは処刑されました。
これは、右府織田信長の目論見により、武田家中の士気を落とすためだったと言われています。

狙い通りだったのかどうか、この敗戦により四郎勝頼は今まで以上に家臣からの信頼を失い、武田家は次々と内応者を出すことになります。

武田家の滅亡が確実なものになった、と言える戦いでした。

<ビジネスに活かす要素は?>


こうして武田信玄、四郎勝頼、徳川権右少将の戦い方を比較してみると、面白いことがわかります。

信玄の戦い方は、ターゲットとなった城を中心とした広い範囲を碁盤と見立て、碁石を配置していくかのように拠点を落としながら攻め進んでいく戦い方です。
(参考:「二俣城の合戦」、「三方ヶ原の合戦」等)

↓信玄の遠江侵攻ルート(※クリックで拡大されます)
武田信玄の遠江侵攻ルート


それに比べて四郎勝頼の戦い方はどうにも指向性がないというか、その場その場で発生する状況に対処するため右往左往しているように思えます。
(参考:「第一次高天神城の合戦」、「長篠の合戦」)

↓四郎勝頼の遠江攻めの様子(クリックで拡大します)
※「長篠の合戦」の方が分かりやすいです。

【訂正】高天神城周辺図


たまたま同じフィールドで三者三様の攻め方をしているので面白いのですが、権右少将の攻め方が信玄に非常によく似ているんですよね。
(といっても抽象的に似ているので、非常に伝わりづらいと思いますが)

権右少将は信玄と同様に、碁盤に碁石を一つ一つ配置していくように拠点を落としていく戦い方をしています。

これって、三方ヶ原以前の三河守の戦い方を研究したことがないので一概に言えませんが、権右少将が信玄の戦い方を徹底追究した結果なのではないでしょうか?

それに比べて、信玄の子である四郎は父親の戦い方を全くトレースできていない。

勝敗の差はここにあると思っています。

これ、「三方ヶ原の合戦」での結論と重複するところがあるのですが、

・勝者の戦法を徹底的にトレース

することができた権右少将の完全勝利と言える気がします。

しかも権右少将の場合は自分を死地に追い込んだにっくき敵(かたき)のやり方をトレースしたわけです。

それって、下手なプライドや傷つきやすい心があるとできないことだと思います。

自分が死にかけた、という心身に及ぶ傷を乗り越えて、自分を負かせた相手のやり方を徹底的にトレースできたのが徳川権右少将家康という男のすごみだと思います。

ということで、今回の教訓としては

・勝者の戦法を徹底的にトレースせよ!

ということになります。

ビジネスだけでなく、あらゆる分野に通用しますね。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もぜひご覧ください!

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
・武田(諏訪) 四郎 源(神) 勝頼
・小笠原 与八郎 源 信興(氏助。高天神城の戦いでは「長忠」という名前が有名ですが、実は誤伝のようです)
・岡部 丹波守(通称は五郎兵衛) 藤原 朝臣 元信(長教、真幸、元綱)
・徳川 右近衛権少将(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
・今川 治部大輔(通称は彦五郎) 源 朝臣 氏真
・大久保 七郎右衛門(新十郎) 藤原 忠世
・大久保 新八郎 藤原 忠俊
・大須賀 五郎左衛門尉 平 康高
・上杉(長尾) 弾正少弼(字は喜平次) 藤原(平) 朝臣 景勝(顕景)
・織田 前右大臣兼右近衛大将(通称は三郎、上総介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
・大河内 源三郎 源 政局
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓今は時間に余裕がなくて作れませんが、ほんとこのジオラマほしいです!高天神城についてもっと知りたい方は下記リンクを是非入手してみてください!



モッピー!お金がたまるポイントサイト

参考
小太郎の野望
憧れの大地へ
時空思いつくまま

「高天神六砦」の情報
はぐれ遍路のひとりごと

/
記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「『ダイの大冒険』、10月にアニメ放送開始!」。

//
今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
The Beautiful / Sosuke Washiya









パーソナルトレーニング【Global fitness】


書籍ベストセラー
PC周辺機器・パーツ
台所用品



あなたにおススメの記事


follow us in feedly
同じカテゴリー(趣味)の記事画像
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ
雑賀・根来合戦から学ぶ―つまらない職場を楽しくする方法
新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし
石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー
天正伊賀の乱から学ぶ―リーダーがいないと組織はどうなる?
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方
同じカテゴリー(趣味)の記事
 第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ (2020-09-17 20:00)
 雑賀・根来合戦から学ぶ―つまらない職場を楽しくする方法 (2020-09-13 20:00)
 新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし (2020-09-01 20:00)
 石山合戦から学ぶ―「理念」のもつパワー (2020-08-28 20:00)
 天正伊賀の乱から学ぶ―リーダーがいないと組織はどうなる? (2020-08-12 20:00)
 権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方 (2020-07-31 20:00)

Posted by Sosuke Washiya at 21:00│Comments(0)趣味
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。