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2019年10月13日

小豆坂の合戦-つべこべ言わず決断せよ

岡崎城と本多平八郎


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第4弾として「小豆坂(あずきざか)の合戦」について書きます。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

第1回 今山の合戦
第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦

『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の徳永真一郎氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

ということで、


どういう戦いだったのかというと、三河国(みかわのくに)小豆坂(現愛知県岡崎市(あいちけん・おかざきし))にて織田信秀(信長の父)と今川義元の間で起こった戦いです。この戦いは2回起こっているのですが(1回しかなかったという説もあり)、1回目は天文(てんぶん)11年(1542年)、2回目は同17年(1548年)です。


小豆坂の戦いが登場する他の記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:
『麒麟がくる』第3~4回ー美濃の情勢/織田家の状況

同関連記事:
平和への願いとともに生まれた徳川家康(山岡荘八『徳川家康』第1巻)


三河を平定し、尾張(おわり)にまで進出した松平清康(徳川家康の祖父)ですが、尾張の守山(もりやま)にて家臣に刺されて死亡します。
これによって松平(まつだいら)宗家の力は弱まり、松平一族の内紛によって三河は秩序を失い、再び群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代に戻ります。

その隙をついて尾張の織田信秀は西三河に進出し、安祥(あんじょう)城(現愛知県安城市(あんじょうし))を奪取します。
一方の松平氏は清康の子広忠(家康の父)が跡を継ぎますが、かつての覇権は失われ、駿河(するが)の今川義元の庇護(ひご)を受けます。


織田信秀関連の記事:
大河ドラマを楽しむ方法(14)(『麒麟がくる』総集編第1回)

同関連記事:
『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽

同関連記事:
『麒麟がくる』第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係

同関連記事:
『麒麟がくる』第7~8回ー尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢


義元は尾張に進出した信秀を討つべく三河に兵を進め、信秀も城を出て両勢力が小豆坂で衝突したのが1回目の戦いです。

2回目は、広忠が信秀に攻められそうな気配があったため義元に援軍を依頼し、義元がそれに呼応して太原雪斎和尚と朝比奈泰能を派遣して起きた戦いです。

1回目の戦いは実在が疑われてはいますが、伝えられているところによると4万の今川(いまがわ)軍に対して織田(おだ)軍は4千と、相当の兵力差がありながらも織田軍の勝利に終わっています。

4千の軍が野戦(やせん)で4万の軍に勝つには狭隘地(きょうあいち)に誘うという手がありますが、小豆坂は狭隘地でもなければ大した坂もありません。
そんな土地で寡勢(かせい)が勝つことは不可能に近いのですが、織田軍は坂を下る勢いを使ったのと、小勢ならではの機動力で今川軍を翻弄(ほんろう)して勝ったといわれています。

2回目の戦いは今川軍2万に対して織田軍4千とのことですが、はじめ織田軍が優勢だったものの、今川方の岡部元信率いる伏兵(ふくへい)が織田軍の横腹をつき、織田軍は壊滅して今川軍の勝利に終わったとのことです。

今回も戦の詳細が分からないのでビジネスに活かすために抽象化することが非常に難しいのですが、1回目は小勢ならではの機動力を活かしたという点で、中小企業、特にベンチャー系は決定力と行動力のスピードで勝て!ということですかね。

しかし実際のところ、中小企業やベンチャー企業といえども上層部の決定が遅いことが多く、機動力に欠けたために後手に回ってうまくいかなかった、という例をたくさん見てきました。

結局のところ上層部の優柔不断やリスク、責任を負いたくないという気持ちが社員全体に伝染し、利己的な人々が集まるという事態になっている中小ベンチャー企業が多いという印象です。

トライ&エラーのエラーを怖がる気持ちはわかるのですが、トライしないと成功もしないのだから、経営者の人たちはエラーする覚悟しましょうね。
そもそもエラーが怖いならなんで会社始めたの?
サラリーマンやってた方がよっぽど安全じゃないですか。

起業するというリスクを負ったのだから、小さな財産を守りに入るのじゃなくて、新事業を行うリスクも負って機動力を活かして勝ちに行きましょうって感じですかね笑

小豆坂の合戦、1回目だけで結構分量が書けたので2回目はスルーで笑

※画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 弾正忠(通称は三郎) 藤原(忌部) 朝臣 信秀
おだ だんじょうのちゅう(通称はさぶろう) ふじわらの(いんべの) あそん のぶひで
・織田 右大臣(右近衛大将。通称は三郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
おだ うだいじん(うこんえのだいしょう。通称はさぶろう) たいらの(ふじわらの、いんべの) あそん のぶなが
・今川 治部大輔(通称不明) 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのたゆう(通称不明) みなもとの あそん よしもと
・松平 次郎三郎 源 清康
まつだいら じろうさぶろう みなもとの きよやす
・徳川 内大臣(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
とくがわ ないだいじん(通称はじろうさぶろう) みなもとの あそん いえやす
・松平 次郎三郎 源 広忠
まつだいら じろうさぶろう みなもとの ひろただ
・庵原 (通称・官職不明) 藤原 崇孚(太原雪斎)
いはら (通称・官職不明) ふじわらの すうふ(たいげんせっさい)
・朝比奈 備中守(通称は又太郎、弥次郎) 藤原(平) 朝臣 泰能
あさひな びっちゅうのかみ(通称はまたたろう、やじろう) ふじわらの(たいらの) あそん やすよし
・岡部 丹波守(通称は五郎兵衛) 藤原 朝臣 元信(長教、真幸、元綱)
おかべ たんばのかみ(通称はごろうべえ) ふじわらの あそん もとのぶ(ながのり、さねゆき、もとつな)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
仙人奇行5
織田信長と戦国武将
家康の足跡 IN 東海

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天下人の父・織田信秀――信長は何を学び、受け継いだのか(祥伝社新書)

<今川義元と戦国時代>今川家の屋台骨 太原雪斎と岡部元信 (歴史群像デジタルアーカイブス)

織田家臣団の謎 (角川選書)

超ビジュアル! 歴史人物伝 織田信長




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Posted by 鷲谷 城州 at 22:00│Comments(0)趣味
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