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2020年08月12日

天正伊賀の乱から学ぶ―リーダーがいないと組織はどうなる?

甲賀


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第25弾として、「天正伊賀の乱」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。

第1回 今山の合戦    第2回 耳川の合戦
第3回 沖田畷の合戦   第4回 小豆坂の合戦
第5回 長良川の合戦   第6回 桶狭間の合戦
第7回 稲葉山城の合戦  第8回 金ヶ崎城の合戦
第9回 姉川の合戦    第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦  第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦  第14回 叡山焼き討ち
第15回 一乗谷城の合戦 第16回 小谷城の合戦
第17回 第一次高天神城の合戦
第18回 長篠の合戦
第19回 第二次高天神城の合戦
第20回 岩村城の合戦 第21回 高遠城の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い 第23回 天目山の戦い
第24回 権現山の戦い

※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の岸宏子氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

仕事をしていて、リーダーが気に入らないことってあると思います。

能力が低い、人間的に気に入らない、不誠実だ、等々…

しかし、会社であれば大騒ぎしてリーダーをすげ替える訳にもいきません。

「あなた、おかしいですから!」

と大声で指摘するなんて下策中の下策です。

しかし、そんな状況でもやはりリーダーは必要なんです。

リーダーを立てずに話し合いで進めますか?

世界の主要国はみんな民主主義だし(※)、学級会も話し合いで物事を決めていたのだから、別にリーダーはいらなくない?等々の意見もあるかもしれません。
※民主主義にもリーダーはいます。

そこで今回はリーダーを立てなかった場合どうなるか?なぜリーダーが必要か?ということを学びたいと思います。

まずは合戦の流れをご覧ください!



<信長次男の伊勢入り>


北畠権左中将(ごんのさちゅうじょう)は当時、諱(いみな)を信意(のぶおき)といいました。

北畠信意といわれても誰のことか分からないと思いますが、幼名・茶筅丸(ちゃせんまる)、通称・三介といいまして、前右大臣(右府)織田信長の次男・織田信雄の当時の名前です。

右府は長年、伊勢国司・北畠氏と争っていましたが、永禄12(1569)年、ついに和睦を迎えました。

その和睦の条件だったのが、次男・茶筅丸の養子入りです。

茶筅丸は北畠権左中将具房の養嗣子となり、伊勢に入りました。

その後、茶筅丸は元亀3(1572)年に元服し、北畠三介具豊と名乗ります。

天正3(1575)年、三介は北畠家の家督を継ぎ、諱を信意に改めます。

翌天正4(1576)年には養父の父・権中納言具教を攻め滅ぼし、養父・権左中将具房を幽閉し、北畠家の実権を握ります。

<伊賀惣国一揆の台頭>


一方、当時の伊賀国はどのような状況だったのでしょうか?

現在は三重県管轄の地域で滋賀県や奈良県から伊勢へ抜けるのに便利な交通路ですが、当時は山深い地域でした。

国全体は守護である仁木氏が治めていましたが、実権はなく、在地の半農の土豪たちが力をもっていました。

ただ、他の地域のように一人のカリスマティック?なリーダーが引っ張った訳ではなく、国内の各地域のリーダーたちが寄り集まって国内を取り仕切っていました。

これを「伊賀惣国一揆」といっています。

「伊賀惣国一揆」の面々は天正6(1578)年、守護仁木氏を追い出し、自治を始めました。

しかし、「伊賀惣国一揆」は統率が取れておらず、中には北畠権左中将信意(以下「権左中将」)を伊賀に引き込もうという勢力も存在しました。

※ちなみに、伊賀といえば「伊賀忍者」で有名ですが、黒や紺の装束で全身を覆って手裏剣を投げるステレオタイプの忍者はフィクションであると言われています。

また、忍者だと言われている服部半蔵保長・正成父子などはれっきとした武士であり、忍術は使いません。

伊賀や甲賀(読みは「こうか」です)にいた武士たちは、実際は忍術ではなくゲリラ戦術に優れていたと言われています。


<権左中将の軽挙>


伊賀惣国一揆が守護・仁木氏を追い出した天正6(1578)年、北畠権左中将は伊賀国内の丸山城の修築を始めました。

真意はわかりませんが、権左中将には伊賀を領国にしようという野心があったと言われています。

これを見て驚いた惣国一揆は、丸山城の完成前に攻撃を仕掛けます。

この戦いで権左中将軍は敗退。
伊勢に逃げ帰ります(この時本人は参加していません)。

これに対して翌天正7(1579)年、権左中将は8,000の兵で伊賀国内へ攻め込みます。
丸山城の敗戦の報復と、伊賀の征服を企図していたのかもしれません。

しかし、これは伊賀惣国一揆のゲリラ戦術によって失敗。
権左中将軍は再び敗走します(第一次天正伊賀の乱)。
※伊賀惣国一揆の戦い方は、「権現山の戦い」でご紹介した戦法を同じですね。

これに怒ったのは権左中将の父・右府信長。
何に怒ったかというと、無断で伊賀に攻め込み、なおかつ敗退した我が子・権左中将に対してです。
※下記「散文的で抒情的な、わたくしの意見」さんは、おそらく織田家内(家臣・一門含む)で右府に無断で他国に攻め込んだのは権左中将くらいでは?という意味のことをおっしゃっていますが、僕もそう思います。

右府は激怒したといいますが、当時は対本願寺戦で手一杯。
とても伊賀に報復戦を仕掛けられる余裕はありませんでした。

<右府信長の報復>


権左中将の敗退から2年後、天正9(1581)年、ついに右府が動きます。

伊賀惣国一揆約9,000に対して織田軍なんと4万数千。
※一説によると10万。

城攻めのセオリーとしては10倍の兵を用意せよとは言いますが、伊賀の国衆相手に5倍の4万数千の軍隊を動員したわけです。

右府は近江の甲賀に逃げ込んだ六角承禎のゲリラ戦や、石山本願寺、長島一揆等の一向宗勢力との戦いで学んだのでしょうね。

名だたる武将がいなくても、国衆のゲリラ戦は見くびってはいけないんですね。

織田軍の内訳は、

・伊勢地口:北畠左中将 1万
・柘植口:丹羽五郎左、滝川左近 1万2,000
・玉滝口:蒲生忠三郎、脇坂甚内 7,000
・笠間口:筒井順慶 3,000
・長谷口:浅野弥兵衛、戸田弾正(※) 1万
・多羅尾口:堀久太郎 2,000

という大所帯です。

※「戸田弾正」とは誰のことであるか不明。織田家臣の戸田氏は戸田民部(勝隆)や戸田武蔵(勝成)です。戸田弾正といえば戸田康光がいるが、彼はこの時とっくに死んでいるし、子は徳川家臣となっています。

参考:「これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

↓天正伊賀の乱 周辺図
※クリックで拡大されます。
天正伊賀の乱 周辺図

※筒井順慶、浅野弥兵衛の名前が切れてしまいました。

衆寡敵せず。
若いとは言え、すでに数々の戦を経験していた権左中将に一泡も二泡も吹かせた伊賀惣国一揆は、織田家の大軍を前に露と消えました。

<リーダーの重要性>


というわけで、今回は伊賀惣国一揆の敗因を分析したいと思います。

言わずもがな、リーダーの不在ですね。

では、なぜリーダーがいないせいで負けたのでしょうか?
リーダーはいないといけないのでしょうか?



人というのは、それぞれが別個の思惑をもっています。

それぞれ別の欲望をもっていると言い換えてもいいかもしれません。

日常生活を送っていてもそうです。
会社の課などで例えてみると分かりやすいかもしれません。

構成員のAさんは熱血30代。
とにかく仕事を効率的にこなすこと、実績を作ることに情熱を注いでいます。

B子さんはベテラン女子社員。
仕事中は、仕事のことよりも今日の晩御飯のことを考えています。
今日は凝った料理を作ろうと思ってるから、残業なんかしてないで早く帰らなきゃ。

そんな感じです。

Cくんは新卒3年目。
つい先日彼女ができたばかりで、頭の中は彼女のことでいっぱい。
LINEの返事来ないかな。今度はどこにデートに行こうかな。
そういえば先輩はどこどこの料理がおいしいっていってたっけな。

そんな感じです。

この課は現在課長空席。
部長から次期課長と見込まれているAさんは、何とか課をまとめようと思っています。

今日もお客さんからなんとかしてほしい案件がある、といって泣きつかれたので、内心、B子さん、Cくんに手伝ってほしいと思っていました。

3人でやれば1時間ほどで終わりそうです。

しかし、Aさんは課長ではないのでB子さん、Cくんにお願いしづらい状況です。

きちんと話ができないまま、2人は帰ってしまいます。

結局、Aさんは一人で残業することになり、今日も終電で帰ることになりました。

この場合Aさんは肩書という「大義名分」がないので、統率を執る動きをとりづらいことが一つの問題となっています。

もしAさんが課長職に任命されていたら、あらかじめB子さんとCくんに話をしやすくなるんですね。

また、Aさんを旗頭にして課のミッションを決めておくと、B子さんもCくんも、仕事上は何を最優先にすればいいかわかります。

そして、「課長に言われたのなら」という気持ちが加われば多少残業してでも手伝ってくれる可能性が高まります。

本当は課長職でなくても統率はできますが、課長という肩書があった方がAさんは圧倒的に動きやすくなります。

また、部下となるB子さん、Cくんも従いやすくなります。

人というのは不思議なもので、(優秀かどうかは関係なく)「平社員に言われた」ときと「課長に言われた」ときでは印象が変わってしまうんですね。

肩書なんてただのお飾りなはずなのに。

同じ人から言われたとしても、この現象はおきます。

それは、どんな人にも「プライド」があるからです。

「自分と同格の人に命令された」と思ってしまうと多少ムッとしたりしますが、「会社から認められた課長に命令された」という事実があると溜飲が下がるんです。

言い訳も立ちます。
「課長に言われたんだから、仕方ない」という感じです。

実際、僕は似たような状況にいたことがありました。

めちゃめちゃ仕事を頑張って猛スピードで習得していったことを認めてもらえたのか、次期課長として抜擢されたのです。

大先輩が辞めるタイミングで、他の先輩社員をごぼう抜きしての大抜擢でした。

しかし、当時会社が傾きかけていたこともあって管理職手当を出したくなかったのだと思いますが、なかなか正式に辞令を出してもらえませんでした。
※社長から直接「課を引っ張ってほしい」と言われていたので、勘違いではなかったはずです 笑

そのため、課の中では「最終的にだれが決定するの?」という空気があり、僕が出しゃばっても変な空気になるだけで、課をまとめるのに一苦労しました。
※アドバイザーになってくれた方のお陰と、メンバーがもともといい人たちだったこともあり、最終的には無冠の管理職として課をまとめることに成功しました 笑
参考:「ビジネスに活かす戦国合戦術(18)長篠の合戦


こんな感じで、リーダーがいないとその組織は統一的な行動がとれず、構成員それぞれが個人の基準に従って行動することになります。

伊賀惣国一揆の場合は、天正6(1578)年にようやく守護の支配を抜けた状態で、まだまだ混沌の時期だったのでしょうね。

国人たちの中には織田家に味方する者もいて、まさに「構成員それぞれが個人の基準に従って行動する」状態だったようです。

では、冒頭に書いた「リーダーが気に入らない」状態のときはどうすればいいのでしょうか?

自分が影のコーチになって、リーダーを教育すればいいんです 笑

その細かいやり方について書くと、ただでさえ長い記事がもっと長くなってしまうので、別の機会にさせてください!

というわけで、今回は「なぜリーダーが必要か?」ということについて説明させていただきました。

もし自分がリーダーになったら部下が働きやすい環境を作る、もし自分が部下の立場だったらリーダーが統率しやすいようにサポートする、そんな動き方ができればいいですね。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像は伊賀ではありませんが、ほど近い甲賀の里の写真です。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・織田 右大臣(右府。総見公。通称は三郎、上総介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
・北畠 左近衛権中将(権左中将。通称は三介) 源 朝臣 信意(具豊)
(織田 内大臣(通称は三介) 平(藤原、忌部) 朝臣 信雄)
・北畠 左近衛権中将(権左中将。通称不明) 源 朝臣 具房(信雅)
・北畠 権中納言(通称不明) 源 朝臣 具教
・(佐々木)六角 左京大夫(通称は四郎) 源 朝臣 義賢(承禎)
・丹羽 五郎左衛門 良岑 長秀
・滝川 左近将監(通称は彦右衛門) 紀 朝臣 一益
・蒲生 忠三郎 藤原 賦秀(教秀、氏郷)
・脇坂 甚内 藤原 安治
・筒井 権少僧都(通称不明) 大神 朝臣 藤勝(藤政。入道順慶)
・浅野 弥兵衛 源 長吉(長政)
・戸田 弾正(通称不明) (氏不明) (諱不明)
・堀 久太郎 源 秀政
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

↓天正伊賀の乱に興味が湧いてきたら、下記リンクも是非ご覧ください!



モッピー!お金がたまるポイントサイト

参考
「信雄の独断専行」の視点で論じられています。
散文的で抒情的な、わたくしの意見
おなじみ茶々さんのブログです。
今日は何の日?徒然日記
刀剣ワールド 日本刀ブログ[ 刀ブロ ]

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「三日坊主を抜け出すには―自分をシステム化する方法」について。

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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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