2020年06月25日
岩村城の合戦ー後ろ指を指されそうなことはしない
《令和6年11月19日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第20弾として「岩村(いわむら)城の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の萩原裕雄氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
三度にわたる攻防戦
舞台になったのは美濃(みの)東部にある岩村城(岐阜県恵那市(ぎふけん・えなし))。
この岩村城付近は斎藤(さいとう)家臣である加藤遠江守光泰などと同じ、加藤次藤原景廉を先祖とする遠山(とおやま)氏が勢力をもっていました。
加藤遠江守に興味のある方は、下記リンクをタップしてください(遠江守の登場する記事に飛びます):
『麒麟がくる』第15~16回―織田一族の関係性と斎藤新九郎高政の重臣たち
遠山氏は右大将源頼朝に重用された加藤次以来、長らく岩村付近に勢力をもっていました。
下掲地図を見ていただけると分かると思うのですが、この東美濃の辺りというのは南信濃(しなの)・三河(みかわ)に通じる地域で、東山道(とうさんどう)ルートの交通の要衝となっておりました。
※今でもこの付近を中央道(ちゅうおうどう)が通っていますね。技術が発達しても、陸路のルートはあまり変わらないものです。
それだけ重要な土地ですから、甲斐(かい)・信濃を領する武田(たけだ)軍と尾張(おわり)・美濃を領する織田(おだ)軍は三度にわたって攻防戦を繰り広げます。
遠山氏の立場
はじめは独立勢力的な性格をもっていた遠山氏ですが、弘治(こうじ)元年(1555年)、南信濃を手にした武田大膳大夫晴信〔のちの信玄〕による侵攻を受けます。
遠山氏は本家の岩村遠山氏のほかに北部苗木(なえぎ)城に拠る苗木遠山氏、南部の明知(あけち)城に拠る明知遠山氏などのいくつかの流れに分かれます。
上記、武田大膳の侵攻により遠山氏のいくつかは武田氏に降ります。
しかしある程度の独立は保っていたようで、翌弘治2年(1556年)の斎藤新九郎高政による明智(あけち)城攻めのときに、遠山氏のいくつかの勢力は新九郎に加勢しています。
関連記事:
『麒麟がくる』第17~18回―斎藤家の血族関係と永禄元年までの織田家
また織田氏との関係も良好で、時期は不明ですが、織田備後守〔弾正忠〕信秀の妹であり織田上総介信長の叔母であるおつやが岩村遠山氏の当主大和守景任に嫁いでいます。
※この婚姻は、尾張を統一してすらいない備後守の時代に結ばれたとの説もあり、だとしたら備後守の先見の明に驚きます。
この、遠山大和守とおつやとの婚姻が、のちに悲劇を生むことになります。
武田軍による侵攻
武田家に浸食されつつも、何とか半独立を保ち、織田氏と武田氏との同盟の仲介役を担っていた遠山氏に転機が訪れます。
苗木遠山氏が断絶したことを受けて、織田上総介は、織田氏の血を引く飯羽間(いいばま)遠山氏の子を苗木遠山氏へ養子に行かせます。
また、本家岩村遠山氏の当主大和守が跡継ぎがいないまま病死したことによって本家も断絶の危機に立たされました。
そこで上総介は、自身の五男である御坊丸〔のちの源三郎勝長〕を養子として岩村城に送ります。
↓織田弾正忠家略系図
※クリックで拡大されます。
またこのころ、比叡山(ひえいざん)焼き討ちや足利将軍家義昭の呼びかけによって、武田信玄は織田家と敵対し始めていました。
関連記事:
叡山焼き討ち―問題が山積みのときの対処法
織田氏による上記の遠山氏懐柔により織田方とみなされた遠山氏は、武田家臣で信濃飯田(いいだ)城主であった秋山伯耆守虎繁の侵攻を受けることとなります。
第一次岩村城の合戦
元亀(げんき)3年(1572年)10月、飯田城に拠る秋山伯耆守は主君武田信玄の遠江(とおとうみ)侵攻、同じ武田家臣の山県三郎兵衛の三河侵攻に合わせて東美濃岩村城を目指しました。
関連記事:
二俣城の合戦―「見る」のではなく「観る」
当主、遠山大和守の病死により城主不在となっていた岩村城ですが、大和守の正室(せいしつ)であり織田上総介の叔母であるおつやが指揮を執り、秋山伯耆守に決死の抵抗を試みました。
遠山氏は去る元亀元年(1570年)にも秋山伯耆守の攻撃を受けていて、主だった武将が討ち死にするなど結構な打撃を受けていました。
激戦の末、岩村城は秋山伯耆守の包囲網に降ってしまいます。
その条件のひとつが、
「おつやを秋山伯耆守の正室とすること」
でした。
秋山伯耆守はこの条件を記した勧告文書を岩村城に送る間に本気でおつやに恋するようになり、その熱烈なラブレターを受け取ったおつやも伯耆守に恋するようになったといいます。
この降服によって織田上総介改め弾正大弼(だんじょうのだいひつ)は、重要拠点であった岩村城を失ってしまいます。
加えて、五男御坊丸も人質として甲府(こうふ)に送られる、という痛手を受けます。
織田弾正は激怒したといいます。
弾正は同年12月には嫡子(ちゃくし)・勘九郎信重〔信忠〕の軍を送り込み岩村城奪還を試みますが、敵わず。
※第二次岩村城の合戦。
そして、月日が流れます。
※参考:同時期に武田信玄の本隊によって二俣(ふたまた)城の合戦、一言坂(ひとことざか)の合戦、三方ヶ原(みかたがはら)の合戦が行われています。
関連記事:
一言坂の戦い合戦に学ぶ―がむしゃらになれ
関連記事:
三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」
織田信長の岩村城奪還
元亀4年(1573年)の野田(のだ)城の合戦後に武田信玄が死んだことにより、跡を継いだ武田四郎勝頼の猛攻が始まりました。
関連記事:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力
天正(てんしょう)2年(1574年)1月、武田軍は軍を岩村城からさらに進め、明知城が落城。
※大河ドラマ『麒麟がくる』に登場する「明智城」とは別の城です。
4月には軍を三河に進め、足助(あすけ)城も落城しました。
※その後、5月に第一次高天神(たかてんじん)城の合戦が勃発。
関連記事:
第一次高天神城の合戦-場を俯瞰する
武田四郎により更なる圧迫を受けていた織田氏・徳川(とくがわ)氏ですが、翌天正3年(1575年)年、転機が訪れます。
5月に起こった長篠(ながしの)の合戦によって武田軍は壊滅、山県三郎兵衛、馬場美濃守等主だった武将を失います。
関連記事:
長篠の合戦―プライドよりも信頼関係を重視せよ
勢いを得た織田弾正大弼改め右大将は、再び嫡子・勘九郎改め秋田城介信忠を総大将とした大軍を岩村城に向かわせます。
↓岩村城の合戦時の周辺図(広域)※クリックで拡大されます。
長篠の合戦の大敗によって武田家を見限った武将もいたとは思いますが、遠山一族の多くは心の底から武田家に臣従(しんじゅう)していたわけではなかったようです。
秋田城介の侵攻によって、岩村城を除くほとんどの城砦が織田方に呼応します。
↓恵那郡十八砦(鶴ヶ城(つるがじょう)以外の青字の城砦が織田家に呼応した「十八砦」です)
※クリックで拡大されます。
上記地図を見ると分かると思うのですが、岩村城は完全に包囲されております。
武田四郎は援軍として岩村に向かいますが、伊那高遠(いな・たかとお)城で雪に阻まれ進軍できず。
※上掲地図を見ると、進軍できていたとしても美濃に入ったところで進路を阻まれているので、岩村城には到着できなかったものと思われます。
岩村城は耐え切れずに落城。
秋山伯耆守とおつやの方は助命を条件に降服しますが、織田右大将は彼らを岐阜(ぎふ)に連行しました。
そして、長良川(ながらがわ)畔にて両名とも逆さ磔(はりつけ)の刑にて処刑。
おつやの方と、秋山伯耆守による色恋による裏切りを許せなかったからだと言います。
※一説によると、長篠の合戦前夜に、人質として甲府に留め置かれていた徳川家臣・奥平美作守貞昌〔信昌〕の妻子が処刑されたことへの報復とも言います。
これにて、織田家の支配下に収まった岩村の地は二度と武田家の支配を受けることはありませんでした。
※以上が第三次合戦です。
ビジネスに活かす要素は?
この合戦では秋山伯耆守の敗因を見ていきたいと思います。
まずは長篠の合戦にて武田軍本隊が大ダメージを受けていたことによりますね。
ただ、その要因は第一次高天神城の合戦や長篠の合戦で言及しているので、今回は岩村城周辺の局地的な要因についてみていきましょう。
上記解説に書いているのでお分かりかと思いますが、秋山伯耆守の敗因はずばり「恵那郡十八砦の離反」ですね。
第二次高天神城の合戦などでも述べていますが、合戦というのはミクロの視点での作戦や各兵たちの頑張りも重要なのですが、それ以前に勝敗を左右するのがマクロの視点で見た「戦略」です。
囲碁は拠点攻略戦をうまく抽象化したゲームだと思いますが、現実の拠点攻略戦は囲碁そのもの。
いかに味方の補給線をつないで、敵の補給線を断って囲むかが重要です。
参考記事:
第二次高天神城の合戦-勝者の戦法を徹底的にトレースせよ
そういった意味で、「恵那郡十八砦」が織田方についた時点で秋山伯耆守の命運は決まっておりました。
しかし、それを招いたのはそれ以前の伯耆守の行動にあると思います。
遠山諸家を心服させられていなかったんでしょうね。
遠山諸家はもともと武田家にいい印象をもっていなかったのかもしれません。
しかし、ここからは僕の推測ですが、秋山伯耆守の岩村城の落とし方に問題があったのではないでしょうかね。
これ、おつやの方が伯耆守と結婚せず、人質として御坊丸とともに甲府に送られていたら少し違っていたかもしれません。
もしかしたら、僕らが抱くのは現代的感覚なので、当時の感覚とは違ったかもしれません。
それに、秋山伯耆守との結婚を決断したおつやの方にも相当な苦悩があったものとも思われます。
しかし、「敵方の城主を妻とする」ってドン引きしませんか?
仮に自分が遠山家の武将で、それまで討ち死にするつもりで戦っていたのだとしたら、秋山伯耆守にもおつやの方にもいい印象もちませんよね。
色恋で決着かよ、と。
(政治的判断が多分に含まれた「色恋」ですが、あくまでも遠山家の武将の視点の想像ということで)
現に織田弾正(当時)も激怒していることですし、当時の遠山諸家も反感をもったのではないでしょうか。
ということで、今回のポイント。
・後ろ指さされそうなことはしない!
これですね。
これが一般人の恋愛だったら大恋愛で終わるんです。
ですが、この二人は一軍の大将同士。
批難の的になったかもしれません。
ここで、「後ろ指さされる」という点で抽象化して、話を進めますね。
以前僕が勤めていた会社の社長さんが、取引相手に内緒でこそこそと契約違反行為をしていたことがあったんです。
一般社員としては社長の行動に干渉できませんでしたが、社長のそういう姿を見てしまうと、その社長は僕らにも内緒で裏切り行為をしているのではないかと勘繰ってしまいますよね。
秋山伯耆やおつやのやったことは決して悪いことではありませんが、なんだかもやもやしますよね。
もしかしたら遠山家の武将たちは、自分たちが本当についていっていい人なのか疑問に思ったのかもしれません。
ちょっとした反社会的行為や不誠実な行為によって、すべてが信用できなくなってしまうことがあります。
日常の小さなことについて考えてみると、思わず不誠実な行動をとってしまうことってあると思うんです。
しかし、結局のところそれは自分のためにはならないし、当然、人のためにもなりません。
それを見ている人や、不誠実な雰囲気を感じ取っている人は案外いるものです。
人間ですから、不誠実な行動の一つや二つ、取ってしまうことはあります。
しかし、そういうときには自分の不誠実さを素直に受け止めて反省し、改めていきましょう!
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
高遠城の合戦から学ぶ―自分よりキャリアが上の部下と信頼関係を築く方法
以下もご覧ください!
今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・加藤 遠江守〔通称は権兵衛〕 藤原 朝臣 光泰
かとう とおとうみのかみ〔通称はごんべえ〕 ふじわら の あそん みつやす
・加藤 左衛門少尉〔通称は藤次郎、加藤次〕 藤原 朝臣 景廉
かとう さえもんのしょうじょう〔通称はとうじろう、かとうじ〕 ふじわら の あそん かげかど
・征夷大将軍 右近衛大将〔=右大将。通称は三郎〕 源 朝臣 頼朝
せいいたいしょうぐん うこんえのだいしょう〔=うだいしょう。通称はさぶろう〕 みなもと の あそん よりとも
・斎藤 新九郎 藤原 高政〔義龍〕
さいとう しんくろう ふじわら の たかまさ〔よしたつ〕
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・織田 備後守〔弾正忠。通称は三郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信秀
おだ びんごのかみ〔だんじょうのちゅう。通称はさぶろう〕 ふじわら〔いんべ〕 の あそん のぶひで
・織田 権大納言兼右近衛大将〔弾正大弼。通称は三郎、上総介〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ ごんのだいなごんけんうこんえのだいしょう〔だんじょうのだいひつ。通称はさぶろう、かずさのすけ〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・遠山 大和守〔通称は左衛門尉等〕 藤原 朝臣 景任
とおやま やまとのかみ〔通称はさえもんのじょう等〕 ふじわら の あそん かげとう
・織田〔遠山、武田〕 源三郎〔御坊丸〕 平〔藤原、忌部、源〕 勝長〔信房〕
おだ〔とおやま、たけだ〕 げんざぶろう〔ごぼうまる〕 たいら〔ふじわら、いんべ、みなもと〕 の かつなが〔のぶふさ〕
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき
・秋山 伯耆守〔通称は善右衛門尉〕 源 朝臣 虎繁〔信友、晴近、春近、晴親、信近〕
あきやま ほうきのかみ〔通称はぜんうえもんのじょう〕 みなもと の あそん とらしげ〔のぶとも、はるちか、はるちか、はるちか、のぶちか〕
・山県 三郎兵衛尉 源 昌景
やまがた さぶろうひょうえのじょう みなもと の まさかげ
・織田 秋田城介〔通称は勘九郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信忠〔信重〕
おだ あきたじょうのすけ〔通称はかんくろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶただ〔のぶしげ〕
・武田〔諏訪〕 四郎 源〔神〕 勝頼
たけだ〔すわ〕 しろう みなもと〔みわ〕 の かつより
・馬場 美濃守〔通称不明〕 源 朝臣 信春〔信房〕
ばば みののかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん のぶはる〔のぶふさ〕
・奥平 美作守〔通称は九八郎〕 源〔丈部〕 朝臣 貞昌〔信昌〕
おくだいら みまさかのかみ〔通称はくはちろう〕 みなもと〔はせべ〕 の あそん さだまさ〔のぶまさ〕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)
第一次~第三次合戦について
今日は何の日?徒然日記
第三次合戦について
今日は何の日?徒然日記
お城散歩
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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「納豆を作るという盲点」。
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今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
【Cover】Nowhere Man / Joshu Washiya
※The Beatlesの楽曲のカバー。ボーカル・コーラスは筆者の声。楽器隊は打ち込みですが、機材が整い次第自分で演奏する予定です。
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ
安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ
安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
Posted by 鷲谷 城州 at 21:00│Comments(2)
│趣味
この記事へのコメント
こんにちは。お城散歩の管理人をしている上原と申します。このたびは私のブログを参照のうえ、コメントまでいただきありがとうございました。
今回の記事を興味深く拝見しました。確かに東美濃は戦略上の要地にもかかわらずその攻防戦はあまり知られていないですね。初めて知ることも多く勉強になりました。
また今後ともよろしくお願いします。
今回の記事を興味深く拝見しました。確かに東美濃は戦略上の要地にもかかわらずその攻防戦はあまり知られていないですね。初めて知ることも多く勉強になりました。
また今後ともよろしくお願いします。
Posted by Castle Walker at 2020年06月28日 20:45
>Castle Walkerさん
コメントありがとうございます!
交通の要衝で、しかもこんなにドラマチックな戦いなのにあまり知られていないいないのは本当に不思議です。
当時の遠山家に謎が多いからでしょうか?
おつやの一代で大河ドラマを作れそうですよね。
岐阜県全体としても、古代から交通の要衝なのに、知名度の低い県として有名ですよね。
僕の中では超重要な県なので、多くの人に知られるようになってほしいです!
コメントありがとうございます!
交通の要衝で、しかもこんなにドラマチックな戦いなのにあまり知られていないいないのは本当に不思議です。
当時の遠山家に謎が多いからでしょうか?
おつやの一代で大河ドラマを作れそうですよね。
岐阜県全体としても、古代から交通の要衝なのに、知名度の低い県として有名ですよね。
僕の中では超重要な県なので、多くの人に知られるようになってほしいです!
Posted by Sosuke Washiya at 2020年06月29日 19:47
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