2021年02月24日
『麒麟がくる』第39回―原田備中守について
《令和5年11月6日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第39回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第39回のあらすじ
天正(てんしょう)3年(1575年)、織田参議信長(染谷将太)は権大納言兼右近衛大将に任命された。
内大臣三条西実澄(石橋蓮司)は岐阜(ぎふ)を訪れ、任官の挨拶をせずに岐阜に戻ってしまった信長に苦言を呈すが、帝(みかど)(坂東玉三郎)が信長から贈られた蘭奢待(らんじゃたい)を毛利(もうり)にあげてしまったことを指摘する。
明けて天正4年(1576年)、信長は原田備中守直政、佐久間右衛門尉信盛(金子ノブアキ)、明智十兵衛光秀(長谷川博己)、細川兵部大輔藤孝(眞島秀和)らを天王寺砦(てんのうじ・とりで)に入れ、信長に激しく抵抗する大坂本願寺(おおさか・ほんがんじ)の制圧を目指していた。
しかし織田(おだ)軍は苦戦し、原田直政が討死してしまう。
しびれを切らした信長は自ら天王寺砦に乗り込み前線に立つも、鉄砲による狙撃を受け脚を負傷してしまう。
この戦いで十兵衛は負傷し、京都(きょうと)の自邸に担ぎ込まれる。
妻の煕子(ひろこ)(木村文乃)は望月東庵(もちづき とうあん)(堺正章)らを呼び決死の看病をし、雨の日も神社に通い、十兵衛の回復を祈り続けた。
その甲斐あってか十兵衛は回復するも、今度は煕子が病に倒れてしまう。
ということで、
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