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2021年02月24日

『麒麟がくる』第39回―原田備中守について

大阪 四天王寺 庚申堂
《令和5年11月6日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第39回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写 ・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢 ・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係 ・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い ・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち
・第17~18回―斎藤家の血族関係/永禄元年までの織田家 ・第19~20回―足利将軍家の動き/桶狭間の戦い
・第21回―松平蔵人の親族
・『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回―斎藤道三二代説/前田利家の生涯
・『麒麟がくるまでお待ちください』第4回―羽柴藤吉郎の名称
・総集編第1回 ・第22回―三好氏の血縁関係
・第23回―三好氏の血縁関係(2) ・第24回―剣豪の系譜
・第25回―朝倉氏の系譜・第26回―摂関家の系譜
・第27回―会合衆とは何者か? ・第28回―摂津晴門とは何者?
・第29回―押領と何か・第30回―三淵氏の来歴
・第31回―浅井家の来歴 ・第32回―森可成とは?
・第33回―延暦寺の歴史 ・第34回―松永弾正の出自
・第35回―細川藤孝について ・第36回―足利家について(1)
・第37回―足利家について(2) ・第38回―斎藤内蔵助について


まずはあらすじ。



第39回のあらすじ


天正(てんしょう)3年(1575年)、織田参議信長(染谷将太)は権大納言兼右近衛大将に任命された。
内大臣三条西実澄(石橋蓮司)は岐阜(ぎふ)を訪れ、任官の挨拶をせずに岐阜に戻ってしまった信長に苦言を呈すが、帝(みかど)(坂東玉三郎)が信長から贈られた蘭奢待(らんじゃたい)を毛利(もうり)にあげてしまったことを指摘する。

明けて天正4年(1576年)、信長は原田備中守直政、佐久間右衛門尉信盛(金子ノブアキ)、明智十兵衛光秀(長谷川博己)、細川兵部大輔藤孝(眞島秀和)らを天王寺砦(てんのうじ・とりで)に入れ、信長に激しく抵抗する大坂本願寺(おおさか・ほんがんじ)の制圧を目指していた。

しかし織田(おだ)軍は苦戦し、原田直政が討死してしまう。
しびれを切らした信長は自ら天王寺砦に乗り込み前線に立つも、鉄砲による狙撃を受け脚を負傷してしまう。

この戦いで十兵衛は負傷し、京都(きょうと)の自邸に担ぎ込まれる。
妻の煕子(ひろこ)(木村文乃)は望月東庵(もちづき とうあん)(堺正章)らを呼び決死の看病をし、雨の日も神社に通い、十兵衛の回復を祈り続けた。

その甲斐あってか十兵衛は回復するも、今度は煕子が病に倒れてしまう。

ということで、


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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(2)テレビ