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2019年04月16日

合戦における戦術について⑪郡山城の合戦

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第11弾ということで「郡山城の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の作家の祖田浩一氏の記事を参考にしています。

参考
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
第3弾 長森原の合戦
第4弾 三分一原の合戦
第5弾 栃尾城の合戦
第6弾 川中島の合戦
第7弾 箕輪城の合戦
第8弾 三増峠の合戦
第9弾 七尾城の合戦
第10弾 御館の乱

まずはどのような戦だったのかというと


天文10(1541)年、安芸吉田郡山城にて尼子晴久と毛利元就との間に行われた合戦です。

尼子経久の代に出雲・隠岐・石見・伯耆・因幡・安芸・備後に勢力を広げ、孫晴久の代には備中・備前・美作・播磨を支配した尼子氏でしたが、安芸には毛利氏がおり、全域を支配しているとはいいがたい状況でした。

そこで晴久は、一挙に毛利氏の本拠地をたたいて毛利氏との雌雄を決するため、安芸吉田郡山城を攻める決定をしました。祖父経久は病床で反対したのですが、晴久は断行しました。

毛利氏の拠る吉田郡山城は防衛について考えつくされた山城であるため、攻略は容易ではありません。
なおかつ、尼子軍は出雲月山富田城からの遠征であったため疲弊しており、合戦は最初から尼子氏不利の展開でした。

そうこうしているうちに大内氏よりの援軍である陶隆房(のちの晴賢)の軍が毛利氏に加わり、尼子氏は惨敗します。

さて、この戦の勝因ですが、勝因云々というよりも尼子氏の自滅のような様相ですよね。

しかし、元就は並の策謀家ではなく、敵の自滅を待つのではなく絶対に勝ちにいっているはずです。
それが吉田郡山城の防衛力なんでしょうね。普段から敵から攻められることを想定して作っている城です(想定していない城なんて存在しませんが笑)。
(また、元就は城外の兵と城内の兵を匠に用いて、尼子軍をたびたび挟撃しています)

ですから、勝因を挙げるとすれば、
・徹底的に敵からの攻略を防ぐ城構え

となるのでしょうか。
具体的な城構えは下記ブログさんをご覧ください。

では、本日はこの辺で!笑

※写真はイメージ(春日山城)です。

【今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)】
・尼子 民部少輔(字は三郎) 源 朝臣 晴久
・毛利 右馬頭(字は少輔次郎) 大江 朝臣 元就
・尼子 民部少輔(字は又四郎) 源 朝臣 経久
・陶 尾張守(字は五郎) 多々良 朝臣 隆房(晴賢)



参考
こにるのお城訪問記
安芸.石見地方神楽紀行
名城・名跡紀行(パクス・ジャポニカ Vol.3)

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「元号『令和』について」について。

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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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