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2018年01月11日

各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦

松阪城


皆さんこんばんは。
今回は「記事『大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww』について」に代わる新シリーズということで、いろいろな合戦における動員人数を調べてみようと思います。

成功した?ケースの隣の分野を攻めろということで、「大航海時代」のときに言及した「戦の動員人数」について深掘りしてみようという魂胆です 笑

といっても僕は歴史学者ではないですし、原典史料に当たれるほどの余裕も時間もないので、信憑性という意味での評価のそんなに高くないインターネットの情報と、手持ちの文献を基に書くことをお許しください。

つまり、僕の記事の信憑性はそれほど高くないという前提でお読みください 笑


という訳で初回は「江古田原沼袋の合戦」ということで、なぜこの合戦を選んだかというと、僕が中学生のときから愛読している『歴史と旅』の増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」という雑誌に載っている中で応仁の乱後の最初の合戦だからです(新井英生氏の記事)。

それと、戦場が東京に出てきてからよく通る場所だというのもあります 笑

詳細な戦の流れは下記ブログを参考にしてください。
簡単にいうと、文明9年(1477年)、長尾景春太田道灌が対立し、景春方の包囲網を破るために太田道灌が豊島泰経泰明兄弟と戦った合戦です。

合戦そのものの呼び名としては「江古田合戦」、「江古田沼袋原合戦」、「江古田沼袋合戦」などいろいろとありますが、戦場となったのは今で言う西武新宿線沼袋駅から都営大江戸線新江古田駅の間くらいで、新青梅街道沿いの哲学堂公園のあたりです。

合戦の経過そのものとか戦略についても論じたいのですが、今回は「動員人数」がテーマなので、焦点をそこに絞りたいと思います。

下記「今日は何の日?徒然日記」さんによれば
豊島勢:200騎
太田勢:50騎
とのことで、「Wikipedia」によればそのうち豊島勢は150騎が討たれたとのことですが、「今日は何の日?徒然日記」さんのおっしゃるようにこれは騎馬武者の数なので、足軽小者を入れたらもっと数は多かったと思われます。

では、騎馬武者1騎につき足軽はどれくらいの人数がついていたのかというと、「足軽の階級と組織」さんによると足軽小頭1人につき30人程度、足軽大将は小頭も含めた50~100人程度ということです。

この頃は足軽軍法(足軽戦法)が定着していなかったというのはよく言われることですが、太田道灌が勝った要因がその「足軽軍法」とのことなので、豊島勢には足軽がついていなかったと仮定しましょう。

そして、太田道灌の方でも「足軽軍法」の黎明期の戦いな訳ですから慣れていないと仮定して、もっとも少ない30人で考えてみると、足軽30人×騎馬武者50騎ということで、1,500人の軍勢ということになりますね。

のちの戦の動員人数を考えてみると少ない方ですが、まぁ、なくはない数字かなと思います。

そう考えると、一般的に多勢の豊島勢を寡勢で破った太田道灌がすごい!という定説どおりではないということになりますが、まぁ、足軽はカウントされていないということですかね。

ちなみに、豊島勢にも足軽小者が騎馬武者1人につき30人いたと考えると、
足軽30人×騎馬武者200人→6,000人

豊島勢、太田勢ともに1騎につき50人と考えると
豊島:足軽50人×騎馬武者200人→10,000人
太田:足軽50人×騎馬武者50人→2,500人

1騎100人と考えると
豊島:足軽100人×騎馬武者200人→20,000人
太田:足軽100人×騎馬武者50人→5,000人

となります。

そう考えると、当時の勢力規模として豊島氏の10000人とか20,000人とかは考えにくいかなと思います。
(のちの豊臣秀吉小田原合戦でも、国持ち大名クラスの動員数が10,000人いくかいかないかくらい)
それに対して太田氏の5,000人くらいだとありうるかな、と思いますが、まぁ同じく勢力規模で考えると2,000人くらいが妥当というところでしょうか。

ということで、1477年辺りの合戦動員人数は大体武将一人につき1,000~2,000人くらいかなというところでしょうね。
(もう一度いいますが、この検証は原典史料などにあたって検証したものではないので、事実としては捉えないでください。あくまでこのブログオーナーの推測です)

結論
豊島勢:騎馬武者200騎 足軽0人?
太田勢:騎馬武者50騎 足軽1,000~2,000人?

今回登場した人物のフルネーム
・長尾 左衛門尉(字は孫四郎) 平 朝臣 景春
・太田 備中守(左衛門少尉、左衛門大夫。字は不明) 源 朝臣 資長(持資。入道道灌)
・豊島 勘解由左衛門尉(字不明) 平 朝臣 泰経?
・豊島 平右衛門尉(官職不明) 平 泰明?
・羽柴 関白太政大臣 豊臣 朝臣 秀吉 

※写真はイメージです。



参考
合戦前夜から合戦そのものの経過についてについて
サムライ銅像研究会
趣味の部屋
今日は何の日?徒然日記

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「箸の持ち方が悪い人を見るとげんなりする」。

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Posted by Sosuke Washiya at 19:00│Comments(0)趣味
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