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2021年04月17日

摺上原の戦いに学ぶ―次善策を用意する

猪苗代湖
《令和5年11月11日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第42弾として、「摺上原(すりあげはら)の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】
第1回 今山の合戦 第5回 長良川の合戦
第6回 桶狭間の合戦 第8回 金ヶ崎城の合戦
第10回 二俣城の合戦 第11回 一言坂の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦 第13回 野田城の合戦
第14回 叡山焼き討ち 第18回 長篠の合戦
第22回 江古田原沼袋の戦い 第24回 権現山の戦い
第26回 石山合戦 第29回 第一次国府台の戦い
第30回 上月城の戦い 第31回 河越城の戦い
第32回 三木合戦 第34回 備中高松城の戦い
第35回 本能寺の変 第37回 賤ケ岳の戦い
第41回 人取橋の戦い


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の今野信雄氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

物事を滞りなく、うまく進めたいと誰もが考えると思います。

契約もすんなり済ませ、手続きもうまくいき、バラ色の未来を想像するのは楽しいですよね。

しかし、世の中そんなにうまくいきませんw

トラブルや不備などによって滞るのは常で、歴史上の数々の成功譚の陰にはさまざまな困難が隠れています。

一歩進むのにいちいちトラブルが起こる。

それを乗り越えての成功ですよね?

しかし、そういったトラブルを想定している人がどれだけいるのでしょうか?

コロナウイルスによる影響がこれだけ長引くことを想定していた人はどれだけいたのでしょうか?

今回は、蘆名平四郎義広が伊達左京大夫政宗に敗れた摺上原の戦いから「次善策の大切さ」を学びます。
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。




摺上原の戦いまでの流れ


天正(てんしょう)期、奥州会津(おうしゅう・あいづ)の戦国大名(せんごくだいみょう)・蘆名(あしな)家は家督(かとく)相続問題に揺れていました。

蘆名家出身と言われる南光坊天海に興味のある方は、下記リンクをタップしてください(関連記事に飛びます):
『麒麟がくる』第44回―南光坊天海について

天正12年(1584年)、当主の蘆名左京亮盛隆は家臣に暗殺され、跡を継いだ嫡子(ちゃくし)・亀王丸(かめおうまる?)も同14年(1586年)に急逝(きゅうせい)し、当主不在の状態となりました。

蘆名嫡流(ちゃくりゅう)にはもはや跡を継げる者がいなくなり、跡継ぎ候補として名が挙がったのが伊達美作守改め左京大夫政宗の弟・小次郎政道と、常陸(ひたち)の覇者・佐竹常陸介義重の次男、平四郎義広です。

蘆名家中は伊達(だて)派と佐竹(さたけ)派に二分されました。

結果的に佐竹派が優位となり、平四郎義広が蘆名家を継いで蘆名義広と名乗りました。

蘆名一族であり、猪苗代(いなわしろ)城主である猪苗代家の隠居、猪苗代弾正忠盛国は隠居してもなお実権を握っていました。

伊達小次郎派であった弾正は天正16年(1588年)に当主・猪苗代盛胤の不在の隙をついて猪苗代城を乗っ取り、城ごと伊達家へと寝返りました。

伊達左京大夫はこれを好機ととらえ、2万の兵を率いて猪苗代湖の東にある安子島(あこがしま)城、次いで高玉(たかたま)城を攻め落とします。


伊達家関連の記事:
人取橋の戦いに学ぶ―最悪の想定を受け入れる

同関連記事:
『青天を衝け』第8回―岩瀬忠震の出自


左京大夫はここで突如北上して相馬(そうま)家を牽制し、安子島城に戻り、その後猪苗代城に入城しました。

一方の蘆名平四郎は1万8000の兵を率いて猪苗代城の西、高森山(たかもりやま)に布陣し、左京大夫を挑発しました。

左京大夫は城を打って出て、摺上原にて両軍が激突しました。




摺上原の戦い


当初は蘆名軍が圧倒的に有利であり、さらに東風の勢いもあり伊達軍を押しまくりました。

ところが、蘆名家の重臣(じゅうしん)衆は傍観を決め込んでいた上、ひそかに伊達家に寝返っていた富田氏実が撤退を始めました。
さらに風向きが西風に変わったことで形勢が逆転し、伊達軍が押し始めます。

蘆名軍は総崩れとなり、撤退を始めました。

平四郎も撤退を始めましたが、先行して撤退していた富田氏実が唯一の退路である日橋川(にっぱしがわ)の橋を落としたため、蘆名軍は退路を断たれ大混乱。

壊滅しました。

その後、平四郎は父・常陸介の下に逃亡し、蘆名家は滅亡しました。




蘆名家の敗因


この戦いでは、兵力も負けておらず、初めは優勢だった蘆名軍が家臣の裏切りや傍観によって一気に崩れたことで敗戦に至りました。

敗因としては、ここに至るまでに家臣の心がバラバラとなり、各々の利害のために勝手に動き始めたことに因ると思われます。

さらにその要因としては、相次ぐ当主の死去により家中を統率するリーダーがいなくなり、伊達派・佐竹派に二分されたことで確執が生まれたことがあります。
※そもそも、蘆名家中は独立性の強い国人(こくじん)衆の寄り集まりだったことも要因としてあるようです。

ここに至るまでにこの敗戦を防ぐ手立てがあったとすれば、それは筆頭(ひっとう)家臣を作っておくことだったのではないかと思っています。

生き残った大名家には一族中にナンバーツーとなる有力者がいたり、参謀(さんぼう)となる筆頭家老がいたりして当主の補佐として家中をまとめています。

独立性の強い蘆名家臣団ではそれは難しかったのかもしれませんが、蘆名左京亮盛隆が有事の時に備えて、「当主不在の時は〇〇に従うべき」という指針を用意しておくべきだったのではないかと考えています。




次善策を用意する


何か物事を進める時、一本道しか考えない人が多いですよね。

明日の契約時に用意する書類はこれとこれ、あとこれ。
準備は万端だから大丈夫!

といった具合ですね。

全然大丈夫ではありませんねw

まずは正道でうまくいく道に全力を尽くすべきですが、世の中何が起こるかわかりません。

書類不備だった場合はどうするか、遅刻した場合はどうするか、契約書の内容が思ったものと違った場合はどうするか、事前に考えて準備しておくべきです。

二の手、三の手を常に考えておき、準備しておくんです。
シナリオの分岐を考えておくんです。

こうすることで心に余裕が生まれます。
安心感も生まれます。

これは、最悪の事態が起こることを想定しておく「覚悟」にもつながります。


参考記事:
本能寺の変に学ぶ―覚悟を決める

関連記事:
新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし


常に二の手、三の手を考えておけば成功する可能性は高まります。
事前に、冷静なうちに対処しておくんです。

関連記事:
天目山の戦いから学ぶ―撤退のベスト・タイミングとは

ということで、今回は「次善策を用意する」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・蘆名 左京亮〔通称は平四郎、三浦介〕 平 朝臣 盛隆
あしな さきょうのすけ〔通称はへいしろう、みうらのすけ〕 たいら の あそん もりたか
・伊達 左京大夫〔陸奥守。通称は藤次郎〕 藤原 朝臣 政宗
だて さきょうのだいぶ〔むつのかみ。通称はとうじろう〕 ふじわら の あそん まさむね
・伊達 小次郎 藤原 政道(※同時代史料に諱を「政道」とするものはない)
だて こじろう ふじわら の あそん まさみち
・佐竹 常陸介〔通称は次郎〕 源 朝臣 義重
さたけ ひたちのすけ〔通称はじろう〕 みなもと の あそん よししげ
・蘆名〔佐竹、白河〕 平四郎 平〔源、藤原〕 義広〔盛重、義勝〕
あしな〔さたけ、しらかわ〕 へいしろう たいら〔みなもと、ふじわら〕 の あそん よしひろ〔もりしげ、よしかつ〕
・猪苗代 弾正忠〔通称は平太郎〕 平 朝臣 盛国
いなわしろ だんじょうのじょう〔通称はへいたろう〕 たいら の あそん もりくに
・猪苗代 (官職・通称不明) 平 盛胤
いなわしろ (官職・通称不明) たいら の もりたね
・富田 (通称・官職不明) 藤原 氏実
とみた (官職・通称不明) ふじわら の うじざね
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
乾パンのブログ
日本の歴史ガイド~日本のお城 城跡 史跡 幕末~
人は城 人は石垣 人は堀

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は『青天を衝け』第3回について。

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※筆者は右側でギターとコーラスをやっています。


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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)趣味
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