2018年03月24日
各合戦の動員人数について(5)川越城の合戦
《令和6年2月1日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの5回目で「川越(かわごえ)城の合戦」についてです。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
「川越城の合戦」も収録されている『関八州古戦録』に興味のある方は、下記リンクをタップしてください:
『関八州古戦録』
今までの記事
第1弾 江古田原沼袋合戦
第2弾 権現山の戦い
第3弾 新井城の戦い
第4弾 第一次国府台の合戦
「川越の合戦」はどんな戦いかというと…
いつもの通り詳しくは下記リンクをご覧いただきたいのですが、16世紀初めごろ、伊勢宗瑞〔北条早雲〕により伊豆(いず)・相模(さがみ)を平定した後北条(ご ほうじょう)氏は武蔵(むさし)制覇を狙っており、息子の氏綱は大永(だいえい)4年(1527年)に扇谷上杉(おうぎがやつ うえすぎ)家の江戸(えど)城を、翌大永5年(1528年)には岩槻(いわつき)城を、天文(てんぶん)6年(1537年)には川越〔河越〕城を奪取し、扇谷上杉は武蔵のほとんどを失い、近くの松山(まつやま)城に逃げ込みました。
(上記「第一次国府台(こうのだい)の合戦」はこの1年後に行われたもの)
関連記事:
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ
関連記事:
各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦
関連記事:
新井城の戦いから学ぶ―慎重に準備し、且つ大胆に行動すべし
関連記事:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方
関連記事:
各合戦の動員人数について(3)新井城の戦い
その後北条家では氏綱が死に3代目氏康の時代になり、天文14年(1545年)に扇谷上杉家の朝定は山内上杉(やまのうち うえすぎ)家の憲政と結んで川越城奪回を図ったのですが、そのときの戦いがこの「川越城の合戦(「川越夜戦(かわごえやせん)」とも伝わります)」です。
上杉家は古河公方足利晴氏や駿河(するが)の今川義元と結んで陽動作戦を行いながら川越城を攻めますが、結局北条家の奇襲(これが夜襲だったという説もあります)を受けて大敗しました。
関連記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない
上記雑誌の記事ですとこのときの人数は
両上杉家:6万5,000人
北条家(篭城勢):3,000人、(援軍)8,000人→計1万1,000人
と書かれていますが、両上杉家については長谷氏が「いくらなんでもこの数字は大きすぎる」と述べているように大げさな数字のようですが、いつものように石高(こくだか)で計算してみるとどうでしょうか?
(参考:大名が動員できる人数は?)。
両上杉家:6万5,000人÷(外征)200人→350万石
北条家:1万1,000人÷(守勢)350人→31万4,000石
ということで、確かに両上杉家の350万石はおかしいですね。
(安土桃山(あづちももやま)時代に関東5カ国と下野(しもつけ)の一部+伊豆を治めた徳川家でさえ250万石。当時の両上杉家の領地は武蔵国約3分の1+上野国(こうづけのくに))
守勢の万石当たり350人で計算してみても
6万5,000人÷350人→185万7,000石と多すぎる気がします。
ちなみに下記「お城散歩」さんには両上杉勢8万人と書いてありますが、それだと上記石高より多くなってしまうので、さすがにないでしょう。
実際の石高は(参考:大国・上国・中国・下国一覧)
両上杉家(上記地域):約71万9,000石→約1万4,000人(外征で万石当たり200人で計算)
北条家(伊豆、相模+前回は武蔵3分の1と推測しましたが、江戸城・岩槻城・川越城を押さえていたら3分の2でしょうね):約70万9,000石→約2万5,000人(守勢で万石当たり350人で計算)
ということで、北条家は計算上問題ないのですが、やはり両上杉家の6万人とか8万人は多すぎですね。
守勢の万石当たり350人で計算しても約2万5,000人ほどで、やはり6万人にはほど遠いですね。
ということで、北条家の数字はそのままで問題ないとして、両上杉家は多く見積もった2万5,000人としておきましょう。
結論
両上杉家:約2万5,000人(約71万9,000石分)
北条家:約1万1,000人(約31万4,000石分→実際は約70万9,000石ほど)
今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・伊勢 左京大夫?〔通称は新九郎〕 平 朝臣? 盛時〔長氏、入道早雲庵宗瑞。いわゆる北条早雲〕
いせ さきょうのだいぶ?〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん? もりとき〔ながうじ、入道そううんあんそうずい。いわゆるほうじょうそううん〕
・北条〔伊勢〕 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏綱
ほうじょう〔いせ〕 さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじつな
・北条 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏康
ほうじょう さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじやす
・(山内)上杉 兵部少輔?〔通称は五郎〕 藤原 朝臣 憲政
(やまのうち)うえすぎ ひょうぶのしょう?〔通称はごろう〕 ふじわら の あそん のりまさ
・(扇谷)上杉 修理大夫〔通称は五郎〕 藤原 朝臣 朝定
(おうぎがやつ)うえすぎ しゅりのだいぶ〔通称はごろう〕 ふじわら の あそん ともさだ
・【古河公方】足利 左兵衛督〔通称不明〕 源 朝臣 晴氏
【こがくぼう】あしかが さひょうえのかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん はるうじ
・今川 治部大輔〔通称不明〕 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのたゆう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしもと
参考
川越城について
気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行
お城散歩
☆「この人の書いてること、ちょっと面白いかも」と思った方はぜひメルマガ登録してみてください!
歴史を学んで、知識をつけるだけではなく「歴史を活かして自分の生きたい人生を歩む」というテーマで、ブログでは語れない話などを書いています。
↓こちらの画像をタップしてください↓
また、メルマガに登録してメルマガに記載されているメールアドレス宛にリクエストを送っていただければ、順次お応えします。
・○○(武将、合戦等)について語ってほしい
・大河ドラマ(『軍師官兵衛』以降)について語ってほしい
・今、○○について悩んでいるが、どの武将を参考にしたらいいか
…等々
ブログと違ってほぼリアルタイム配信なので、会話をしているかのようなコミュニケーションが楽しめます!
登録、お待ちしています!
※メルマガが迷惑メールフォルダや「プロモーション」フォルダに入っている可能性があります。
不定期配信なので、ちょこちょこチェックして、迷惑メールフォルダ等に入らないように設定しておいてください。
人生の自由度を自分でコントロールでき、
自分だけではなく他人も自由にして、
『子どもが憧れるような、人生を遊べるカッコいい大人』
が集まるコミュニティに参加させていただいています。
上記を既に実現している人だけでなく、これから実現したいという人も参加可能で、実際にそれらを実現している人々の空気感に触れるチャンスだったりします。
一緒に遊び、成長する仲間を募集しているので、
人生を変えたい!
と少しでも思う人は、下記リンクをタップして、とりあえず説明を聞いてみてください。
(ウェビナー配信です)
→リバタリストBootCampセミナー
セミナーに参加するだけでも大きな影響があり、自分の人生について深く向き合い、人生を変えるきっかけになります!
少しでも気になった方は、お気軽に参加してみてください!
/
記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「相手の思考をある程度トレースできないと人にものを教えることはできない」。
//
今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
I Feel Glad (BGM Ver.) / Joshu Washiya
※筆者が中学生の時に作詞・高校生の時に作曲した曲を平成22年に自作RPGのBGM用に再アレンジしたものです。
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ
安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ
安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
Posted by 鷲谷 城州 at 19:00│Comments(0)
│趣味
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。