2018年09月20日
各合戦の動員人数について(16)志賀城の合戦

皆さんこんばんは。
今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの16回目で「志賀(しが)城の合戦」についてです。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
今までの記事
第1弾 江古田原沼袋合戦
第2弾 権現山の戦い
第3弾 新井城の戦い
第4弾 第一次国府台の合戦
第5弾 川越城の合戦
第6弾 第二次国府台の合戦
第7弾 ワイアットの乱
第8弾 アルマダの海戦
第9弾 ラヴェンナの戦い
第10弾 チェリニョーラの戦い
第11弾 ホルムズ占領
第12弾 ディーウ沖の海戦
第13弾 上条河原の合戦
第14弾 瀬沢の合戦
第15弾 上原城の合戦
というわけで、「志賀城の合戦」とはどういう戦いだったのかというと、
信濃上原(うえはら)城、高遠(たかとお)城を落とした武田晴信(のちの信玄)は次のターゲットとして佐久(さく)郡を手中に収めるべく機をうかがっていました。
天文(てんぶん)16年(1547年)に、内山(うちやま)城の大井貞清(『真田丸』に登場した大井政吉の親戚)を降伏させ、続いてすぐそばにある笠原清繁の拠る志賀城を攻め落とした戦いがこの「志賀城の戦い」です。
『真田丸』の大井政吉が登場した回についての記事を読みたい方は、下記リンクをクリックしてください:
『真田丸』、竹本義太夫はそっとしておくべきか?(第37回)
この戦いは戦国時代を代表する残虐行為が行われた戦いのひとつとして有名です。
武田軍が志賀城を包囲したときいて、笠原氏の味方であった関東管領(かんとうかんれい)上杉憲政は救援として、上野より金井秀景の部隊を送りこみますが、迎え討った板垣信方、横田高松、甘利虎泰の部隊により壊滅します。
上杉憲政関連の記事:
各合戦の動員人数について(5)川越城の合戦
同関連記事:
御館の乱―勝つためにはこだわりをすべて捨てる
同関連記事:
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない
武田方は討ち取った金井秀景の将兵の首約3,000を志賀城下にさらし、笠原氏の戦意喪失を狙ったとされます。
(金井秀景自身は生き残っています)
勝ち目がないと判断した笠原氏は武田軍に対して決死の総攻撃をかけ、将兵の大半は討ち死に。
城に立てこもっていた100人あまりの女子供、及び城下の民は捕まり、その場で競売に出されて安値で売り飛ばされたといいます。
(笠原清繁の妻は武田家の武将小山田信有に買われ、側室になったとされます)
空恐ろしい話ですね。
戦国時代最強の武将と謳われ褒め称えられている武田信玄も、このような残虐行為をやっているんですね。おそろしや…
というわけで合戦の参加人数ですが、
上記記事『歴史と旅』の記事を参考にすると
・笠原清繁の篭城勢:800人
・上杉憲政の援軍:3,000人
となっています。
武田軍の兵数は言及がありません。
上の人数を石高換算してみると(参考:大国・上国・中国・下国一覧、大名が動員できる人数は?)
・笠原氏:約2万3,000石(上野からの援軍も篭城しているので、実際はもっと少ないはず)
まぁ、信濃のうち佐久郡の一豪族の石高としては妥当(少し多め?)なのかなという数字ですね。
一方上杉からの援軍金井氏の勢力はというと:約8万6,000石
ということになります。
まぁ、おかしな数字ではありませんね。
しかし、下記「城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行」さんの記事によると
・笠原氏:2,000人(記事中の記述から計算)、援軍の高田憲頼:1,000人
・金井秀景:10,000人
・武田氏:8,000人
とのことです。
これを石高換算してみると
・笠原氏:約5万7,000石、高田氏:約5万石
・金井氏:約50万石
・武田氏:約40万石
となります。
笠原氏は一郡を抑えているわけではない小豪族としては多めの数字だと思いますし、高田氏や金井氏の数字は援軍としては大きすぎる気がします。
武田氏はというと、甲斐一国と信濃の3分の1を治めていたと考えると約36万4,000石となり、ちょっと頑張れば動員できそうな兵数となります。
ということで、またまた複数の説をミックスして、
・笠原氏・高田氏:800人
・金井氏:3,000人
・武田氏:8,000人
ということにしましょう。
篭城勢800人に対して包囲勢8,000人という数は前回言及した「3倍の法則」を踏まえた上で、援軍を撃破する遊撃軍を入れた数と考えると妥当ですしね。
前回の記事:
各合戦の動員人数について(15)上原城の合戦
以上、「志賀城の戦い」でした。
武田晴信関連の記事:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力
※写真はイメージです。
今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信
たけだ だいぜんのだいぶ(通称はたろう) みなもとの あそん はるのぶ
・大井 左衛門督(通称は宮内?) 源 朝臣 貞清
おおい さえもんのかみ(通称はくない?) みなもとの あそん さだきよ
・大井 民部少輔(通称不明) 源 朝臣 政吉
おおい みんぶのしょう(通称不明) みなもとの あそん まさよし
・笠原 新三郎 神(源? 平?) 清繁
かさはら しんざぶろう かみの(みなもとの? たいらの?) きよしげ
・(山内)上杉 兵部少輔?(通称は五郎) 藤原 朝臣 憲政
(やまのうち)うえすぎ ひょうぶのしょう?(通称はごろう) ふじわらの あそん のりまさ
・金井 淡路守(通称は小源太) 源 朝臣 秀景
かない あわじのかみ(通称はこげんた) みなもとの あそん ひでかげ
・板垣 駿河守(通称不明) 源 朝臣 信方(信形)
いたがき するがのかみ(通称不明) みなもとの あそん のぶかた(のぶかた)
・横田 備中守(通称は十郎兵衛) 源 朝臣 高松
よこた びっちゅうのかみ(通称はじゅうろうべえ) みなもとの あそん たかとし
・甘利 備前守(通称は九衛門) 源 朝臣 虎泰
あまり びぜんのかみ(通称はきゅうえもん) みなもとの あそん とらやす
・小山田 出羽守(通称不明) 平 朝臣 信有
おやまだ でわのかみ(通称不明) たいらの あそん のぶあり
・高田 小次郎 源 憲頼
たかだ こじろう みなもとの のりより
参考
今日は何の日?徒然日記
らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行
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Posted by 鷲谷 城州 at 19:00│Comments(0)
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