2018年12月09日
長森原の合戦―負け上手は合戦上手
《令和6年7月7日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第3弾ということで「長森原(ながもりはら)の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の花ヶ前盛明氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【合戦シリーズの記事】
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
まずはどのような戦だったのかというと
永正(えいしょう)7年(1510年)、越後守護代(えちご・しゅごだい)長尾為景(上杉謙信の父)と山内上杉(やまのうち・うえすぎ)家の上杉顕定が越後国(えちごのくに)長森原(上野国(こうづけのくに)という説もあり)で争った戦いです。
上杉顕定は以前ご紹介した「江古田沼袋原合戦(えこ・だぬまぶくろはら・がっせん)」や「権現山(ごんげんやま)の合戦」にも絡んできている人物です。
江古田沼袋原合戦について知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦
参考記事:
江古田原沼袋の戦いから学ぶ―できないことをできるようにする方法
参考記事:
各合戦の動員人数について(2)権現山の戦い
参考記事:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方
ことの発端は、永正4年(1507年)に長尾為景が当時の越後守護上杉房能を討ったことです。
単にこのことだけをきくと為景は主君房能を裏切った奸臣(かんしん)ですが、どうやら為景は房能に逆心(ぎゃくしん)を疑われ、討たれそうになったところを逆に討ったというのが真相のようです。
(まぁ、実際に為景がもともと房能を裏切る気だったかどうかはわかりませんが)
房能の兄である顕定は房能の死に怒り、為景討伐のため越後に兵を出しました。
長尾家の一族である長尾房長は顕定方につき、坂戸(さかど)城に顕定を迎え入れます。
為景は顕定の軍に敗退し、上杉定実らとともに越中(えっちゅう)に撤退し、顕定は越後府中(ふちゅう)に入り越後を制圧します。
しかし、越後勢がもともと排他的であったことに加え、為景方についた勢力に苛烈に当たった顕定への反発で越後国内では顕定への不満が増大します。
それまでにもなんとか抵抗を続けていた為景勢ですが、顕定についていた上条(じょうじょう)上杉家の上条定憲が為景方に寝返ったことにより形勢が変わり、為景勢は顕定を追い詰めます。
関連記事:
三分一原の合戦―有力者を味方にする
いったん上野に撤兵して出直しを図ろうとした顕定ですが、坂戸城の長尾房長の寝返りにより退路を断たれ、長森原で為景勢と衝突。為景方の高梨政盛に討ち取られてしまいます。
というわけですが、この戦に関しては作戦勝ちというよりも顕定の自滅的色合いが強いような気がします。
為景方は、顕定方が寝返りにより崩れるまでよくも決定的な負けを迎えなかったな、という感想ですね。
そういう意味では為景方は負け方がうまかったのかもしれません。
「うまく負ける」というのは非常に難しいですね。
負けているときの心理状態としては「このまま戦い続ければ勝てるかもしれない」という希望的観測を常に抱いてしまうので、それを断ち切り、いわゆる「損切り」ができるかどうかが大きいと思います。
負けていて、精神的(肉体的にも?)ダメージを負っている状況で冷静に「これ以上戦っても勝てない」という判断をし撤退するのは実は非常に難しいです。
戦略的撤退というやつです。
ですから、「負け上手」の人は実は戦が強い傾向にあります。
(「負け上手」と「負け癖」は違います)
あとはもしかしたら為景勢は、越中にいながら越後勢の扇動(せんどう)や内応(ないおう)勧誘を行っていたのかもしれません。
というわけで、為景方の勝因としては
・決定的な「負け」を避ける撤退のうまさ
・扇動や内応を行う調略(ちょうりゃく)の力(これは実際に行ったかわかりませんが)
・顕定からの寝返りを迎えられる魅力(果たしてこの頃に「人徳」の概念があったのかどうかはわかりませんが、「利」の意味での魅力も含みます)
ということでしょうか。
特に「負け戦のうまさ」は学ぶべきところが多いと思います。
関連記事:
天目山の戦いから学ぶ―撤退のベスト・タイミングとは
関連記事:
金ヶ崎城の合戦―過去の実績にこだわらない
関連記事:
三増峠の合戦―撤退は計画的に
※写真はイメージです。
今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・長尾 信濃守〔通称は六郎、弾正左衛門尉〕 平 朝臣 為景
ながお しなののかみ〔通称はろくろう、だんじょうさえもんのじょう〕 たいら の あそん ためかげ
・上杉〔長尾〕 弾正少弼〔通称は平三〕 藤原〔平〕 朝臣 政虎〔景虎、輝虎。入道謙信〕
うえすぎ〔ながお〕 だんじょうのしょうひつ〔通称はへいぞう〕 ふじわら〔たいら〕 の あそん まさとら〔かげとら、てるとら。入道けんしん〕
・上杉 四郎〔官職不明〕 藤原 (朝臣?) 顕定
うえすぎ しろう〔官職不明〕 ふじわら の (あそん?) あきさだ
・上杉 民部大輔〔通称は九郎〕 藤原 朝臣 房能
うえすぎ みんぶのたゆう〔通称はくろう〕 ふじわら の あそん ふさよし
・長尾 越前守〔通称は新六〕 平 朝臣 房長
ながお えちぜんのかみ〔通称はしんろく〕 たいら の あそん ふさなが
・上杉 (官職・通称不明) 藤原 (朝臣?) 定実
うえすぎ (官職・通称不明) ふじわら の (あそん?) さだざね
・上条(上杉) 播磨守〔通称は弥五郎〕 藤原 朝臣 定憲
じょうじょう(うえすぎ) はりまのかみ〔通称はやごろう〕 ふじわら の あそん さだのり
・高梨 摂津守〔通称不明〕 源 朝臣 政盛
たかなし せっつのかみ〔通称不明〕 みなもと の あそん まさもり
参考
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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