2021年02月16日
一宮城の戦いに学ぶ―キレた勢いで行動してはいけない
《令和6年6月17日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第39弾として、「一宮(いちのみや)城の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の今野信雄氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。
日常生活を送っていて、腹が立つことはよくあると思います。
心に強いストレスがかかり、心の中は相手を批難する気持ちでいっぱいになり、その感情を相手にぶつけたくなります。
「怒り」という感情はとてもエネルギーが強いので、「キレた」勢いで行動し物事が一気に進んでいくという側面もあるのですが、結局のところ、相手の心に傷を残してしまいます。
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キレたことに対して相手が「いいよ」と許してくれたとしても、相手の心には傷が残り、わだかまりをずっと引きずることになります。
自分の心にも傷が残ります。
相手にした行為は、自分のところにもそっくり返ってきます。
今回取り上げる「一宮城の戦い」は羽柴(はしば)軍が長宗我部(ちょうそかべ)軍に勝利した戦いで、「怒り」を振り切って難局を乗り切った人々が登場します。
というわけで、今回のテーマは「キレた勢いで行動してはいけない」です。
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一宮城の戦いまでの流れ
天正(てんしょう)12年(1584年)、羽柴筑前守秀吉は小牧長久手(こまき・ながくて)の戦いで織田侍従信雄を擁する徳川右近衛権少将家康〔以下「権右少将」〕と対決し、戦では負けましたが外交的勝利を収めました。
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この時四国(しこく)では、長宗我部宮内少輔元親〔以下「宮内」〕が宿敵・三好(みよし)家を継いだ三好民部大輔義堅〔十河存保〕の居城・十河(そごう)城を攻め落とし、四国の三好方の勢力を一掃していました。
徳川権右少将は羽柴家の後方攪乱(かくらん)のために長宗我部宮内と通じており、羽柴家の重要拠点である摂津(せっつ)・播磨(はりま)を攻めるために宮内に渡海を要請していました。
小牧長久手の本戦が終わるまでに長宗我部軍が渡海することはかないませんでしたが、小牧で徳川軍と対陣中の羽柴筑前にとって長宗我部軍の存在は脅威でした。
翌天正13年(1585年)春、長宗我部宮内はついに伊予(いよ)を平定し、四国を統一しました。
しかしその頃、羽柴筑前守改め内大臣〔以下「内府」〕秀吉は長宗我部宮内に降服勧告を行っており、その条件は「伊予、讃岐(さぬき)、阿波(あわ)の割譲」でした。
せっかく統一した四国中三国を割譲するという条件に納得できなかった宮内は、妥協案として「伊予の割譲」を提示しました。
しかし交渉は決裂。
羽柴内府の四国攻めが始まります。
一宮城の戦い
同年6月、羽柴内府は毛利(もうり)家に伊予を攻めることを要請し、備前(びぜん)・播磨(はりま)から讃岐に向けては宇喜多八郎秀家・黒田官兵衛孝高の部隊を、淡路(あわじ)からは弟・羽柴美濃守秀長〔以下「美濃(守)」〕、甥・羽柴孫七郎信吉〔秀次〕を阿波に向けて派兵しました。
羽柴軍はあっという間に伊予、讃岐、阿波を席捲(せっけん)し、残るは阿波一宮城のみとなりました。
この城は阿波守護(しゅご)の小笠原(おがさわら)家が築城した城で、その後小笠原家の分流・一宮家が領していました。
しかし、天正10年(1582年)に長宗我部宮内により城主が暗殺され、それ以来長宗我部重臣の谷忠兵衛忠澄、江村孫左衛門親俊が守っていました。
一宮城は堅城であるためなかなか落ちず、羽柴美濃は苦戦しました。
配下の藤堂与右衛門高虎は本陣にまで切り込まれてしまいます。
持久戦を覚悟した美濃は与右衛門にトンネルを掘らせたり、水の手を断つ作戦に切り替えます。
7月下旬になって藤堂与右衛門のトンネルは一宮城の本丸(ほんまる)に通じ、城の防衛網を内部から崩壊させることに成功。
水の手を断つ作戦も功を奏し、一宮城は落城します。
しかし、谷忠兵衛と江村孫左衛門は事前に戦況の不利なことを看破し、ひそかに城を脱出し主君・長宗我部宮内の拠る白地(はくち)城に入りました。
実は重要なのはここからです。
羽柴軍の強大なことを目の当たりにした谷忠兵衛は、宮内に降服することを進言します。
しかし、宮内は納得しません。
忠兵衛らを腰抜け呼ばわりし、席を蹴って出ていきました。
忠兵衛ら家臣は怒りに震え、一時はこのまま戦って討死することを覚悟したそうですが、ここで思い止まります。
怒りに任せて討死してしまっては元も子もない。
そんな思いで、冷静になった宮内と話し合い羽柴美濃に降服の使者を送ります。
※諸説あり。
この判断により、長宗我部家は土佐(とさ)一国に封じ込められはしましたが関ヶ原(せきがはら)の戦いまでは存続することができたのでした。
キレた勢いで行動してはいけない
もし上記合戦時に谷忠兵衛らがキレていたら、白地城にいた長宗我部主力軍は玉砕していたでしょう。
その後、長宗我部家自体が滅亡していたであろうことは想像に難くないですね。
「キレる、キレない」の選択に家の存亡がかかっていたわけです。
一定の世代以上の人限定の感覚なのかもしれませんが、「キレる」ことで停滞していた状況を打開できる、と思っている人は少なくないと思います。
僕自身もかつてはそう思っていて、相手が説得に応じないときにキレることで事態を前に進めたこともあります。
上に書いたように、「怒り」のエネルギーはものすごく強いので状況を変化させるパワーがあるからですね。
しかし、それは相手との深い信頼関係がある、つまり「信頼の貯金」が十分にあった状態で初めて有効な手段なのであって、しかも回数が限定されるやり方です。
関連記事:
上月城の戦いに学ぶ―信頼の貯金を作る
そして、お互いにどれほどの「信頼の貯金」があった賭しても、「キレる」度に確実にそれは減っていきます。
何度か「キレる」と負債まみれになり、関係が破綻します。
一度破綻した人間関係は、お互いが修復しようと思っていてもまず修復できません。
心の傷が深いからですね。
僕がかつて勤めていた会社に、仲の良い、お世話になっていた先輩がいました。
その方は営業職としてはエースで、会社の売り上げのかなりの部分を担っている人でした。
※僕は事務方でした。
営業のうまい人でしたが仕事に厳しく、たびたび他の営業さんにキレている場面を目撃していました。
そのうち、僕が取り仕切っていた営業事務のチームの人が発注ミスをして、ついに僕がキレられる場面が訪れました。
その時はこちら側が100%悪かったのでひたすら謝るしかなかったのですが、「キレられた」という事実により心の中に反感が残りました。
「キレる」という行為には、力づくで相手の意見を封じ込め、押さえつけて制すという行動の裏に、相手に対して「キレてもこいつは反撃しないだろう」という見くびりや「おれの方が上だ」というマウンティングの気持ちも含まれるので、相手のプライドを徹底的に叩き壊す行為であると言えます。
やられた方は、「自分は人として認められていない」という屈辱感を味わうことになります。
ですから、仮にキレた方の意見が正しかったとしても相手との「信頼の貯金」を崩してしまう行為になります。
※ただ、危険が迫っていたり人の命が関わっている場合はキレて然るべきだと思います。丁寧に説明している余裕がない状態ですからね。
その後、再び彼が僕にキレる機会が訪れました。
この時は僕は会社の方針に従って淡々と対応していたのですが、彼は僕に、その方針に逆らう指示をしました。
そのため僕は「それはできません」と答え、頑として彼の意見を容れませんでした。
彼は激怒し、僕に対して人格攻撃をしました。
頭が悪いとののしり、お前に事務方を取り仕切る能力はないと罵倒しました。
そのことで僕の彼に対する信頼は全くなくなってしまいました。
ゼロになってしまいました。
その後僕は転職を決意しその会社を去りましたが、彼にそのことを告げたのは退職するその日でした。
しかも、顔を合わさずに電話で告げただけでした。
信頼貯金がゼロになっていたので、何も話がしたくなかったからです。
こんな風に、「キレる」という行為はその度に相手との関係を破壊していきます。
「怒り」そのものを我慢する必要はないのですが、少なくともその場で反射的に怒りに任せた行動はしない方がいいと痛感した出来事でした。
ということで、今回は「キレた勢いで行動してはいけない」ということについて説明させていただきました。
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・羽柴〔木下〕 内大臣〔通称は藤吉郎〕 平〔豊臣〕 朝臣 秀吉
はしば〔きのした〕 ないだいじん〔通称はとうきちろう〕 たいら〔とよとみ〕 の あそん ひでよし
・織田〔北畠〕 侍従〔通称は三介〕 平〔藤原、忌部、源〕 朝臣 信雄〔具豊、信意〕
おだ〔きたばたけ〕 じじゅう〔通称はさんすけ〕 たいら〔ふじわら、いんべ、みなもと〕 の あそん のぶかつ〔ともとよ、のぶおき〕
・徳川 右近衛権少将〔権右少将。通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
とくがわ うこんえごんのしょうしょう〔ごんのうしょうしょう。通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・長宗我部 宮内少輔〔土佐守。通称は弥三郎〕 秦 朝臣 元親
ちょうそかべ くないのしょう〔とさのかみ。通称はやさぶろう〕 はた の あそん もとちか
・三好〔十河〕 民部大輔〔通称は孫六郎、三郎〕 源〔讃岐〕 朝臣 義堅〔正安、政泰、存康、存保〕
みよし〔そごう〕 みんぶのたゆう〔通称はまごろくろう、さぶろう〕 みなもと〔さぬき〕 の あそん よしかた〔まさやす、まさやす、まさやす、まさやす〕
・宇喜多 八郎 三宅〔平、藤原〕 秀家
うきた はちろう みやけ〔たいら、ふじわら〕 の ひでいえ
・黒田 官兵衛 源 孝高〔祐隆、好高、孝隆〕
くろだ かんべえ みなもと の よしたか〔すけたか、よしたか、よしたか〕
・羽柴〔木下〕 美濃守〔通称は小一郎〕 平〔豊臣〕 朝臣 秀長〔長秀〕
はしば〔きのした〕 みののかみ〔通称はこいちろう〕 たいら〔とよとみ〕 の あそん ひでなが〔ながひで〕
・羽柴〔三好〕 孫七郎 平〔豊臣、源〕 朝臣 信吉〔秀次〕
はしば〔みよし〕 まごしちろう たいら〔とよとみ、みなもと〕 の あそん のぶよし〔ひでつぐ〕
・谷 忠兵衛 大神 忠澄
たに ちゅうべえ おおみわ の ただずみ
・江村 孫左衛門 秦 親俊
えむら まござえもん はた の ちかとし
・藤堂 与右衛門 藤原〔中原〕 高虎
とうどう ようえもん ふじわら〔なかはら〕 の たかとら
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
なぽのブログ
歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記
今日は何の日?徒然日記
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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