さぽろぐ

映画・TV・音楽  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


2019年03月31日

御館の乱―勝つためにはこだわりをすべて捨てる

春日山城
《令和5年7月13日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第10弾ということで「御館(おだて)の乱」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の花ヶ前盛明氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

参考
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
第3弾 長森原の合戦
第4弾 三分一原の合戦
第5弾 栃尾城の合戦
第6弾 川中島の合戦
第7弾 箕輪城の合戦
第8弾 三増峠の合戦
第9弾 七尾城の合戦

まずはどのような戦だったのかというと


天正(てんしょう)7年(1579年)、越後(えちご)にて上杉景勝と上杉景虎の間に行われた合戦です。


上杉景勝の登場する他の戦いについての記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る

同関連記事:
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ

同関連記事:
九戸城の戦いに学ぶ―事態を過小評価しない


前年の天正6年3月に上杉謙信が亡くなると、家督(かとく)相続を巡って謙信の養子の景勝と景虎に争いが起きました。

景勝は謙信の遺言に則るという形で春日山(かすがやま)城の本丸(ほんまる)、金蔵(かねぐら)、兵器蔵(へいきぐら)を占拠し、5月には大場(おおば)というところで景勝軍と景虎軍が初めて衝突します。

その後景勝は春日山城の本丸から景虎のこもる二の丸(にのまる)に鉄砲や矢を射かけ、景虎はたまらず前関東管領(かんとうかんれい)上杉憲政の住む御館に向かい、そこを拠点とします。


関連記事:
各合戦の動員人数について(16)志賀城の合戦

関連記事:
各合戦の動員人数について(5)川越城の合戦

関連記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない


景虎方の武将(ぶしょう)が続々と御館に集まり、春日山城城下を焼き払い攻撃しますが景勝はそれを撃退します。

その後景勝方は揚北衆(あがきたしゅう)の支援を受けられるようになりますが、ここで武田勝頼が景虎方を支援するという形で越後に向かってきます。
そこで景勝の参謀樋口〔直江〕兼続の提案により、武田(たけだ)方の使者へ賄賂を送り、黄金1万両と東上野(ひがし・こうづけ)の上杉(うえすぎ)領を武田家に割譲するという条件で武田勝頼を撤退させました。

9月には景虎の兄である北条氏照・氏邦が樺沢(かばのさわ)城に進出したものの、年が明けて、樋口兼続と関係の深い上田衆(うえだしゅう)が樺沢城を奪還したことにより氏照は撤退し、景勝は御館への食糧ルートを遮断し、3月に入って御館はあえなく陥落しました。

この一連の戦いでの勝因はやはり、樋口兼続が武田軍を撤退させたことでしょうね。
緒戦で景勝が若干押され気味だった時期に武田の2万の兵が敵方に加わったら士気も落ちますし、物量的に圧倒的に敗退したでしょう。
(そもそも勝頼は、景虎の兄の北条氏政がなかなか兵を出さなかったことに疑念を抱いていたという話もあります)

というわけで、
・敵方の勢力を味方につける調略(ちょうりゃく)力と、そのためには出費を惜しまない果断

が勝因となったというところでしょうか。
なかなかマネのできない業ですね。
こういうこともあって直江兼続は評価が高いんですね。

次回もよろしくお願いします!

※写真は春日山城です。

【今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)】
・上杉〔長尾〕 弾正少弼〔通称は喜平次〕 藤原〔平〕 朝臣 景勝〔顕景〕
うえすぎ〔ながお〕 だんじょうのしょうひつ〔通称はきへいじ〕 ふじわら〔たいら〕 の あそん かげかつ〔あきかげ〕
・上杉〔北条〕 三郎 藤原〔平〕 景虎〔氏秀〕
うえすぎ〔ほうじょう〕 さぶろう ふじわら〔たいら〕 の かげとら〔うじひで〕
・上杉〔長尾〕 弾正少弼〔通称は平三〕 藤原〔平〕 朝臣 輝虎〔景虎、政虎。入道謙信〕
うえすぎ〔ながお〕 だんじょうのしょうひつ〔通称はへいぞう> ふじわら〔たいら〕 の あそん てるとら〔かげとら、まさとら。入道けんしん〕
・(山内)上杉 兵部少輔?〔通称は五郎〕 藤原 朝臣 憲政
(やまのうち)うえすぎ ひょうぶのしょう?〔通称はごろう〕 ふじわら の あそん のりまさ
・武田〔諏訪〕 大膳大夫〔通称は四郎〕 源〔神〕 朝臣 勝頼
たけだ〔すわ〕 だいぜんのだいぶ〔通称はしろう〕 みなもと〔かみ〕 の あそん かつより
・樋口〔直江〕 与六 中原〔藤原〕 兼続
ひぐち〔なおえ〕 よろく なかはら〔ふじわら〕 の かねつぐ
・北条 陸奥守〔通称は源三〕 平 朝臣 氏照
ほうじょう むつのかみ〔通称はげんぞう〕 たいら の あそん うじてる
・北条 安房守〔通称は新太郎〕 平 朝臣 氏邦
ほうじょう あわのかみ〔通称はしんたろう〕 たいら の あそん うじくに
・北条 左京大夫〔相模守。通称は新九郎〕 平 朝臣 氏政
ほうじょう さきょうのだいぶ〔さがみのかみ。通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじまさ

参考
ゆーくんはどこ?
観楽読楽-観て楽しみ、読んで楽しむー
こにるのお城訪問記

☆「この人の書いてること、ちょっと面白いかも」と思った方はぜひメルマガ登録してみてください!

歴史を学んで、知識をつけるだけではなく「歴史を活かして自分の生きたい人生を歩む」というテーマで、ブログでは語れない話などを書いています。

↓こちらの画像をタップしてください↓
歴史愛通信

また、メルマガに登録してメルマガに記載されているメールアドレス宛にリクエストを送っていただければ、順次お応えします。


・○○(武将、合戦等)について語ってほしい
・大河ドラマ(『軍師官兵衛』以降)について語ってほしい
・今、○○について悩んでいるが、どの武将を参考にしたらいいか

…等々

ブログと違ってほぼリアルタイム配信なので、会話をしているかのようなコミュニケーションが楽しめます!

登録、お待ちしています!

※メルマガが迷惑メールフォルダや「プロモーション」フォルダに入っている可能性があります。
不定期配信なので、ちょこちょこチェックして、迷惑メールフォルダ等に入らないように設定しておいてください。



↓御館の乱についてもっと知りたいと思ったら、下記リンクをタップして関連書籍を購入して、ぜひ知識を増やしてみてください!

関東戦国史と御館の乱 ~上杉景虎・敗北の歴史的意味とは? (歴史新書y)

上杉景虎―謙信後継を狙った反主流派の盟主

御館の乱 (1979年) (調査報告〈第1号〉)

越後激震、御館の乱: 上杉謙信の後継者をめぐる内戦 (歴史ソウゾウ文庫)




twitterfacebookでのフォロー、お待ちしてます!



/
記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「仕事に対する価値観は変わった」。

//
今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
I Didn't Know Them All / SLEEPY HOLLOW
※筆者は作詞とメロディの作成、ボーカル、ギターを担当しています。






あなたにおススメの記事


follow us in feedly
同じカテゴリー(趣味)の記事画像
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない
大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す
大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る
長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ
安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない
田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する
同じカテゴリー(趣味)の記事
 第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない (2021-11-08 20:00)
 大坂夏の陣に学ぶ―覚悟して手放す (2021-11-03 20:00)
 大坂冬の陣に学ぶ―自分のプライドを自分でたたき折る (2021-10-18 20:00)
 長谷堂城の戦いに学ぶ―算盤勘定をもつ (2021-09-28 20:00)
 安濃津城の戦いに学ぶ―小さな局面での勝敗に捕らわれない (2021-09-08 20:00)
 田辺城の戦いに学ぶ―不都合な現実を直視する (2021-08-19 20:00)

Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)趣味
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。