2021年10月06日
『青天を衝け』第28回―大隈重信について
《令和6年3月5日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第28回に関しての楽しむためのヒントを解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
あらすじ
明治2年(1869年)7月、版籍奉還(はんせきほうかん)が実施され、駿府(すんぷ)藩は「静岡(しずおか)藩」と改名した。
渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は商法会所(しょうほうかいしょ)の運営に精を出していたが、そんな篤太夫の元へ新政府から召喚がかかった。
新政府は、戊辰(ぼしん)戦争により武力で幕府を滅ぼしておきながら旧幕臣(ばくしん)に頼ろうとする。
篤太夫は、そんな新政府の恥知らずな姿勢に憤慨する。
招聘(しょうへい)のかかった大蔵省(おおくらしょう)を切り盛りしているのは大隈八太郎重信(大倉孝二)と伊藤俊輔博文(山崎育三郎)。
篤太夫は、彼らに会って直接断りを入れるべく、東京(とうきょう)へ向かった。
篤太夫はいきり立って皇城(こうじょう)〔江戸城が改称〕に赴いたが、案内に立った伊藤博文がかつて自分達が考えていたような焼き討ちを実行していたことを知り、虚を突かれるのであった。
しかし、大隈重信と対面し怒りが爆発した。
「政治のことなど誰も何も知らない」とのたまわく大隈に対して、
「なら、なぜ徳川を切ったか?徳川を切らずに協力して政(まつりごと)をするべきだった」
と吠えたのであった。
篤太夫の剣幕にひるむ大隈であったが、「知らないうちに岩倉(いわくら)と薩長(さっちょう)が徳川(とくがわ)を攻撃し、慶喜が逃げた」と逃げ口上を立てた。
かと思えば、
「壊れた政府を立て直さなくてはいけない」
と言い、
「君は、新しい世を作りたいと思ったことはないか?」
と篤太夫に問う。
篤太夫はその言葉に心を揺さぶられ、悔しさを胸に駿府に戻った。
主君・徳川前内府慶喜(草彅剛)に相談するも、「この先は日本のために尽くせ」と後押しされた篤太夫は、名を以前の「栄一」に戻し、家族を連れて東京へと旅立った。
皇城を見て回った栄一は、大隈、大久保一蔵利通(石丸幹二)、松平春嶽(要潤)、伊達大蔵卿宗城(菅原大吉)、岩倉具視(山内圭哉)、三条右大臣実美(金井勇太)らの前で新政府を批判する。
「何もできていない」
と吠える栄一は、大蔵省内に「改正掛(かいせいがかり)」を作ることを建言する。
しかし、そこは大蔵省ではなく新政府の首脳の会する場であった…
ということで、
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