さぽろぐ

映画・TV・音楽  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


2021年06月24日

『青天を衝け』第12回―一橋徳川家について

皇居 大手濠
《令和5年6月30日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第12回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しみ方】
・第1回―渋沢家について ・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について ・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について ・第6回―美賀君の血筋
・第7回―井伊家について ・第8回―岩瀬忠震の出自
・第9回―安政頃の西郷吉之助 ・第10回―安藤信正について
・第11回―高崎城について


まずはあらすじ。




第12回のあらすじ


文久(ぶんきゅう)3年(1863年)、渋沢栄一(吉沢亮)は従兄の喜作(高良健吾)とともに江戸(えど)にいた。

高崎(たかさき)城襲撃のため、武器を調達していたのである。

栄一たちは自分達を監視する者がいることに気づき逃亡を図る。

しかし捕らえられ土間(どま)に座らされると、そこには一人の男がいた。

一橋権中納言慶喜(草彅剛)の家臣(かしん)平岡円四郎方中(堤真一)であった。

栄一は斬られることを覚悟したが、彼の志を聞いた円四郎は栄一に、連れてこられた喜作と一緒に自分の家臣にならないかと誘った。

突然の誘いに戸惑った両名は断るが、円四郎は気が変わったら訪ねてくるように伝え、去っていった。

高崎城襲撃計画の日が近づき、血洗島(ちあらいじま)に戻った栄一と喜作は、京都(きょうと)から戻った尾高長七郎(満島真之介)を迎えた。

しかし、喜び勇んで謀議に加わると思われた長七郎は、計画への反対を表明した。

長州(ちょうしゅう)も薩摩(さつま)もイギリスと戦って負け、攘夷(じょうい)をあきらめたという情報に触れていた長七郎は、兄・惇忠らの計画が無謀であると感じていた。

長七郎の命がけの説得を受け、惇忠、栄一らは計画を中止した。

計画は中止したものの、それまでの動きによって幕府(ばくふ)の役人(やくにん)である八州廻り(はっしゅうまわり)に目をつけられていた栄一は、父・市郎右衛門に計画のすべてと家の稼ぎを横領したことを告白した。

市郎右衛門はすべてを受け止めた上で、さらに栄一にお金を渡し、「道理に外れたことだけはするな」と栄一を諭した。

父の言葉に感動した栄一は、喜作とともに京都へと旅立った。

ということで、


第12回「栄一の旅立ち」の感想


栄一&喜作と平岡円四郎の邂逅(かいこう)、楽しかったですね!

軽妙で芯を捉えた平岡円四郎の話し方は、天然で頭の回転の早い人の話し方そのものですね。
(それを作れる脚本家の方がすごいです)

話のテンポがよくて楽しいです。

ただ、ドラマの中では円四郎が栄一や喜作を見初めたのはあの一瞬だった、みたいな描かれ方でしたが、下記ゆーくんままさんのブログで引用されている渋沢栄一の自伝『雨夜譚(あまよがたり)』の記述では、その前からちょこちょこ会っていて、家臣に誘われる頃にはすでに仲良くなっていたような感じですね。

このドラマで初めて脚色らしい脚色を感じた気がします。

そして、長七郎の命がけの制止は名演でしたね!

あの鬼気迫る演技もすごかったですし、長七郎が何となく精神をやられてるんじゃないかという目運びにも恐れ入りました。

締めくくりは栄一の父・市郎右衛門の懐!

子供のやることに「いいよ、いいよ」と何でも許容するのは愛とは言えないとは思いますが、止めたい気持ち、否定したい気持ちを踏み越えての許容には力を感じますね。

器ですね!

これも、下記ゆーくんままさんのブログによると史実とのことで、こんなにすごい人が名の知られていない農村にいたんだなと思うと、なんだかほっとしますw




第12回の楽しみ方―一橋徳川家について―


今回は一橋慶喜が当主を務め、平岡円四郎らが活躍し、後に渋沢栄一・喜作が仕えることになる一橋(ひとつばし)家について書こうと思います。

まずは呼称についてなのですが、このブログでも大体「一橋家、一橋家」と書いていますが、正確には「一橋徳川(ひとつばし・とくがわ)家」となります。

「一橋家」と書いている例を見たい方は、下記リンクをタップしてください:
『青天を衝け』第11回―高崎城について

当時は現代のように戸籍で名前がガチガチに固められていたわけではありませんが、「一橋」という呼称は名字(みょうじ)として認知されていたわけではなく、あくまで「徳川家」の枠の中での「一橋流」であり、正式な名字は「徳川」となります。
※御三家(ごさんけ)の尾張(おわり)家、紀州(きしゅう)〔紀伊(きい)〕家、水戸(みと)家の名字も「徳川」です。

参考記事:
武家や公家の名前について

一橋徳川家の大元は、8代将軍家・徳川右大臣吉宗にさかのぼります。

吉宗は徳川宗家(そうけ)の分流・紀州家の四男であり、本来であれば紀州家相続も夢のまた夢、と思われる相続順位にいました。

しかし次兄(じけい)は早世し、長兄(ちょうけい)の権中納言綱教、三兄(さんけい)の左近衛権少将頼職が相次いで死去したため、22歳で紀州徳川家を継いでいます。

さらにその後、徳川宗家では7代将軍家(しょうぐんけ)・内大臣家継が死去し、男系(だんけい)が絶えるという事件が起こりました。

多少の曲折がありつつも、徳川家の分家(ぶんけ)・紀州家の四男という境遇から宗家、つまり征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を継いだ吉宗は、男系直系(ちょっけい)の相続がなかなかに難しいことを実感していたのでしょう。

そもそも御三家のうち尾張家と紀州家は、東照大権現(とうしょうだいごんげん)徳川家康が徳川宗家の血筋が絶えた時に宗家を継ぐ家格(かかく)として建てた家でしたが(※)、その紀州家も当主の相次ぐ死を経験していました。
※水戸(みと)家は元々は水戸松平(まつだいら)家と呼ばれており、尾張家・紀州家と並ぶ家格ではありませんでした。


徳川家康について:
苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻

同関連記事:
小牧長久手の戦いに学ぶ―勝ちすぎてはいけない

同関連記事:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻


そういった経緯からか、より徳川宗家に近い血筋として、宗家の直系が絶えた時に宗家を継ぐ家として建てた家のひとつが一橋徳川家でした。
※もう一家は田安(たやす)家で、9代将軍家・右大臣家重の代に作られた清水(しみず)家を加えて「御三卿(ごさんきょう)」と呼ばれています。

その一橋家は、10代将軍家・右大臣家治の養子として太政大臣家斉が将軍家を継ぐことでその役割を果たします。

しかし、一橋家4代当主・参議斉礼以降5代続けて当主の早世(そうせい)を繰り返し、参議斉礼の死後、たった17年で9代目当主を迎えました。

その9代目当主が、今回のドラマで活躍している権中納言慶喜です。


他ドラマでの徳川慶喜:
『西郷どん』、不覚にも感動しました(第46~47回)

同関連記事:
『西郷どん』、面白くはある(第35~36回)

同関連記事:
『西郷どん』、盛り上がってきたかな?(第34回)


今ほど医療の発達していないこの時代、男系相続がどれだけ難しかったかということを物語っていますね。

こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・渋沢 栄一〔栄二郎、栄一郎〕 源 美雄
しぶさわ えいいち〔えいじろう、えいいちろう〕 みなもと の よしお
・渋沢 喜作〔成一郎〕 源 英明
しぶさわ きさく〔せいいちろう〕 みなもと の ひであき
・(一橋)徳川〔松平〕 権中納言〔幼名は七郎麻呂〕 源 朝臣 慶喜〔昭到〕
(ひとつばし)とくがわ〔まつだいら〕 ごんのちゅうなごん〔幼名はしちろうまろ〕 みなもと の あそん よしのぶ〔あきむね〕
・平岡〔岡本〕 円四郎 源?〔清原?〕 方中
ひらおか〔おかもと〕 えんしろう みなもと?〔きよはら?〕 の けたち
・尾高 長七郎 (氏不明) 弘忠
おだか ちょうしちろう (氏不明) ひろただ
・尾高 新五郎 (氏不明) 惇忠
おだか しんごろう (氏不明) あつただ(ドラマ中では「じゅんちゅう」)
・渋沢 市郎右衛門〔元助〕 源 美雅
しぶさわ いちろううえもん〔もとすけ〕 みなもと の よしまさ
・征夷大将軍〔将軍家〕 (紀州、紀伊)徳川〔松平〕 右大臣〔通称は新之助〕 源 朝臣 吉宗〔頼久、頼方〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 (きしゅう、きい)とくがわ〔まつだいら〕 うだいじん〔通称はしんのすけ〕 みなもと の あそん よしむね〔よりひさ、よりかた〕
・(紀州、紀伊)徳川 権中納言〔通称不明〕 源 朝臣 綱教
(きしゅう、きい)とくがわ ごんのちゅうなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん つなのり
・(紀州、紀伊)徳川〔松平〕 左近衛権少将〔通称不明〕 源 朝臣 頼職〔頼元〕
(きしゅう、きい)とくがわ〔まつだいら〕 さこんえごんのしょうしょう〔通称不明〕 みなもと の あそん よりもと〔よりもと〕
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川〔世良田〕 内大臣兼右近衛大将〔通称不明〕 源 朝臣 家継
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ〔せらだ〕 ないだいじんけんうこんえのだいしょう〔通称不明〕 みなもと の あそん いえつぐ
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川 太政大臣〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ だじょうだいじん〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川 右大臣〔通称不明〕 源 朝臣 家重
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ うだいじん〔通称不明〕 みなもと の あそん いえしげ
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川 右大臣〔通称不明〕 源 朝臣 家治
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ うだいじん〔通称不明〕 みなもと の あそん いえはる
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川 太政大臣〔通称不明〕 源 朝臣 家斉
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ だじょうだいじん〔通称不明〕 みなもと の あそん いえなり
・(一橋)徳川 参議〔通称不明〕 源 朝臣 斉礼
(ひとつばし)とくがわ さんぎ〔通称不明〕 みなもと の あそん なりのり
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
ぴえーるのテレビブログ
ゆーくんはどこ?
韓ドラ大好きおばさんの「言いたい放題いわせてヨ!」

☆「この人の書いてること、ちょっと面白いかも」と思った方はぜひメルマガ登録してみてください!

歴史を学んで、知識をつけるだけではなく「歴史を活かして自分の生きたい人生を歩む」というテーマで、ブログでは語れない話などを書いています。

↓こちらの画像をタップしてください↓
歴史愛通信

また、メルマガに登録してメルマガに記載されているメールアドレス宛にリクエストを送っていただければ、順次お応えします。


・○○(武将、合戦等)について語ってほしい
・大河ドラマ(『軍師官兵衛』以降)について語ってほしい
・今、○○について悩んでいるが、どの武将を参考にしたらいいか

…等々

ブログと違ってほぼリアルタイム配信なので、会話をしているかのようなコミュニケーションが楽しめます!

登録、お待ちしています!

※メルマガが迷惑メールフォルダや「プロモーション」フォルダに入っている可能性があります。
不定期配信なので、ちょこちょこチェックして、迷惑メールフォルダ等に入らないように設定しておいてください。



↓時代背景のイメージを感じられたかなと思ったら下記リンクをタップしてドラマガイドなどを購入して、ぜひドラマの内容を復習してみてください!

2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」完全読本 (NIKKO MOOK)

青天を衝け 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

青天を衝け 一 (1)




twitterfacebookでのフォロー、お待ちしてます!

/
記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は『青天を衝け』第13回について。

//
今期イチオシ曲!ぜひ聞いてください!
I Didn't Know Them All / SLEEPY HOLLOW
※筆者は作詞とメロディの作成、ボーカル、ギターを担当しています。






あなたにおススメの記事


follow us in feedly
同じカテゴリー(テレビ)の記事画像
『青天を衝け』第31回―井上家について
『青天を衝け』第30回―五代家について
『青天を衝け』第29回―伊藤博文について
『青天を衝け』第28回―大隈重信について
『青天を衝け』第27回―「藩」はどうなったのか?
『青天を衝け』第26回―高松凌雲について
同じカテゴリー(テレビ)の記事
 『青天を衝け』第31回―井上家について (2021-10-30 20:00)
 『青天を衝け』第30回―五代家について (2021-10-22 20:00)
 『青天を衝け』第29回―伊藤博文について (2021-10-14 20:00)
 『青天を衝け』第28回―大隈重信について (2021-10-06 20:00)
 『青天を衝け』第27回―「藩」はどうなったのか? (2021-10-02 20:00)
 『青天を衝け』第26回―高松凌雲について (2021-09-24 20:00)

Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)テレビ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。