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2019年02月27日

合戦における戦術について⑧三増峠の合戦

春日山城


皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第8弾ということで「三増峠の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の羽村滋氏の記事を参考にしています。

参考
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
第3弾 長森原の合戦
第4弾 三分一原の合戦
第5弾 栃尾城の合戦
第6弾 川中島の合戦
第7弾 箕輪城の合戦

まずはどのような戦だったのかというと


永禄12(1569)年に相模国愛甲郡と津久井郡の境の三増峠(現神奈川県愛甲郡愛川町)にて武田信玄と北条氏照・氏邦との間に行われた合戦です。

同年5月に信玄は信濃から上野に侵入し、氏邦の武蔵鉢形城、氏照の滝山城を攻めて北条氏の本拠地相模小田原城に達しました。

しかし、すぐに攻城をあきらめ甲斐に撤退しますが、その撤退時に行われたのがこの三増峠の合戦です。

合戦の内容には諸説あるのですが、小田原を撤退した信玄は「鎌倉に向かう」との流言飛語を流し、途中で折れて津久井方面に向かいます。

津久井には氏照・氏邦の部隊がすでに陣取っていましたが、信玄はそこを突破する作戦を採ります。
三増峠に到着する前に信玄は小幡重貞を津久井城に向かわせて城からの援軍を押さえ、山県昌景らを北条勢の背後に回らせました。

武田軍は緒戦こそ苦戦しますが、内藤昌豊に小荷駄を放棄させて戦いに参加させ、さらに背後の昌景らの急襲により北条軍は総崩れとなり、峠を突破することに成功し、甲斐に撤退します。

北条氏康も戦場に向かっていましたが、氏照・氏邦の敗退を聞いて小田原に引き返しました。

信玄の勝因としては

・鎌倉に向かうという流言により、北条氏康の本隊を陽動したこと
・あらかじめ津久井城勢を押さえることにより援軍を防いだこと
・山県昌景の隊を氏照・氏邦の背後に回らせることで挟み撃ちをしたこと

でしょうかね。

この戦いも、戦場周辺を俯瞰して両軍の動きを見極めたうえで、碁盤に碁石を配置するかのように用兵を行った信玄の匠さが伺えますね。

やはり戦上手です。

※写真はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫(字は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
・北条 陸奥守(字は源三) 平 朝臣 氏照
・北条 安房守(字は新太郎) 平 朝臣 氏邦
・小幡 (官職・字不明) 平 重貞(憲重)
・山県 三郎兵衛尉 源 昌景
・内藤 修理亮(字は源左衛門) 藤原 朝臣 昌豊
・北条 左京大夫(字は新九郎) 平 朝臣 氏康



参考
時空散歩
戦国武将列伝Ω
銀狐の つれづれシッポ通信

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記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい。
次回は「ネット社会における精神力の消耗について」。

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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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