2019年01月10日
栃尾城の合戦―どんな手を使ってでも味方を増やす
《令和6年5月24日更新》
皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第5弾ということで「栃尾(とちお)城の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の花ヶ前盛明氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
参考
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
第3弾 長森原の合戦
第4弾 三分一原の合戦
まずはどのような戦だったのかというと
天文(てんぶん)13年(1544年)に越後国(えちごのくに)の栃尾城〔現新潟県長岡市(にいがたけん ながおかし)〕で長尾景虎〔のちの上杉謙信〕と中条藤資ら(※)との間に起きた戦いです。
※上記『歴史と旅』には反乱を起こしたのは「中条藤資ら」と書いてありましたが、諸説あります。
越後の梟雄(きょうゆう)長尾為景が天文5年(1536年)の三分一原(さんぶいちはら)の合戦後に病に倒れたあと家督(かとく)を継いだ嫡男(ちゃくなん)晴景は病弱であり、家臣(かしん)たちに、武将(ぶしょう)としての実力を見限られ始めていました。
長尾景虎〔上杉謙信〕の戦いの総括を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
碁石戦略と戦前勝利型戦略―武田・上杉・毛利・長宗我部の戦い方
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そんな中、中条藤資、本庄房長、色部勝長は晴景の命に服さず、それを見て危機感を感じた本庄実乃が晴景に連絡をし、起こった戦いです。
派遣されたのは晴景の弟の景虎、のちの上杉謙信です。当時15歳。
景虎は三条(さんじょう)城に入り本成寺(ほんじょうじ)の寺領を安堵(あんど)し、実乃の守る栃尾城に入り守門(すもん)神社に社領を寄進(きしん)したあと地域の晴景派の武将の協力を得て、攻めてきた藤資らを撃退しました。
これは景虎にとっての初陣(ういじん)であり、この勝利によって越後国内に威容を示した景虎は国内の反対勢力を次々と平らげ、天文17年(1548年)に晴景より守護代(しゅごだい)長尾(ながお)家の家督を継承しました。
で、この戦の戦略についてですが、情報がなさ過ぎてよくわかりません 笑
しかし、わかりませんで終わらせるわけにもいかないので強いて探すとすれば、合戦前に景虎が行った寺社(じしゃ)への安堵・寄進と周辺豪族(ごうぞく)との協力ですかね。
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中条氏らも地元の勢力ではありましたが、景虎はあらかじめ他の勢力に通じておくことによって、地元勢力が一挙に反長尾氏方に回るのを防ぎ、中条氏らの勢力が強まるのを防いだと見ることができます。
そして、もうひとつは中条氏らが景虎を若輩者として見くびってかかったことですかね。
流言飛語でも流したのかもしれません。わざと油断させた可能性があります。
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というわけで景虎の勝因としては、
・周辺勢力を味方につけた外交力
・相手に弱いと思わせて油断させた情報戦略
ということになるでしょうか。
(相手に弱いと思わせながら、他の周辺勢力を味方につけるのって難しいですが、どうやったんでしょうね?)
分析してみると面白いですね!
※写真は長尾晴景の居城春日山城です。
今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・長尾〔上杉〕 平三〔官職はのち弾正少弼〕 平〔藤原〕 (朝臣) 景虎〔政虎、輝虎。入道謙信〕
ながお〔うえすぎ〕 へいぞう〔官職はのちだんじょうのしょうひつ〕 たいら〔ふじわら〕 の (あそん) かげとら〔まさとら、てるとら。入道けんしん〕
・中条 越前守〔通称は弥三郎〕 平 朝臣 藤資
なかじょう えちぜんのかみ〔通称はやさぶろう〕 たいら の あそん ふじすけ
・長尾 信濃守〔通称は六郎、弾正左衛門尉〕 平 朝臣 為景
ながお しなののかみ〔通称はろくろう、だんじょうさえもんのじょう〕 たいら の あそん ためかげ
・長尾 左衛門尉〔通称は弥六郎〕 平 朝臣 晴景
ながお さえもんのかみ〔通称はろくろう〕 たいら の あそん はるかげ
・本庄 大和守〔通称不明〕 平 朝臣 房長
ほんじょう やまとのかみ〔通称不明〕 たいら の あそん ふさなが
・色部 修理進〔通称は弥三郎〕 平 朝臣 勝長
いろべ しゅりのじょう〔通称はやさぶろう〕 たいら の あそん かつなが
・本庄 美作守〔通称は新左衛門尉?〕 平 朝臣 実乃
ほんじょう みまさかのかみ〔通称はしんざえもんのじょう?〕 たいら の あそん さねより
参考
こにるのお城訪問記
お城散歩
えいきの修学旅行
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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