2021年08月23日
『青天を衝け』第21回―杉浦愛蔵について
《令和6年10月4日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第21回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第21回のあらすじ
慶応(けいおう)2年(1866年)、幕府(ばくふ)の仕事が退屈で腐りかけていた渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)に転機が訪れる。
一橋(ひとつばし)家時代から親しい原市之進忠敬(尾上寛之)に呼び出され、主君・徳川権中納言慶喜より直々の命を伝えられる。
それは、パリ万博に派遣される慶喜の弟・民部公子(みんぶこうし)こと清水(徳川)民部大輔昭武(板垣李光人)に随伴して渡仏(とふつ)せよというもの。
篤太夫は二つ返事でそれを承諾し、渡仏への準備を始めた。
それに当たって、もしもの時に家を絶やさないため「見立て養子」を立てる必要があると告げられた篤太夫は、従兄・尾高新五郎惇忠(田辺誠一)の弟である平九郎昌忠(岡田健史)を立てたいと考えた。
京都(きょうと)では慶喜が正式に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任するも、彼を支持していた孝明天皇(尾上右近)が崩御し、慶喜は早くもその後ろ盾を失うのであった。
篤太夫は、民部公子の供として京都を出発し、横浜(よこはま)へ着いた。
そこで幕府勘定奉行(かんじょうぶぎょう)である小栗上野介忠順(武田真治)から、渡仏の重要な目的のひとつに600万ドルの借款(しゃっかん)を得ることがあると告げられる。
渡仏の準備を進める篤太夫は江戸(えど)に向かい、見立て養子のことを相談するために従兄の成一郎(高良健吾)を訪ねた。
成一郎は不在であったが、同じく従兄で獄中にいる尾高長七郎(満島真之介)を訪ねた時に偶然再会する。
成一郎、長七郎と話をした篤太夫は慶長3年(1867年)1月、フランスへと旅立つのであった。
ということで、
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2021年08月15日
『青天を衝け』第20回―土方家について
《令和6年8月28日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第20回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第20回のあらすじ
慶応(けいおう)2年(1866年)7月、大坂(おおさか)城にて将軍家(しょうぐんけ)・徳川右大臣家茂(磯村勇斗)が倒れ、数日後に亡くなるという大事件が起こった。
一橋(ひとつばし)家では、当主・権中納言慶喜(草彅剛)が将軍家を継ぐのでは?とまことしやかな噂が流れていた。
それを耳にした渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、他の家臣達の制止を振り切って慶喜に建白した。
将軍をやってはいけない。倒れるとわかっている幕府(ばくふ)の将軍をやってどうなるか。将軍をやれば、志士(しし)たちが慶喜の命を狙うに違いない。そんな危ない道を歩んでほしくない。
という内容であった。
篤太夫の必死の建白もむなしく、8月、慶喜は徳川宗家(とくがわ・そうけ)を相続した。
家茂の死後も続いていた長州征討(ちょうしゅう・せいとう)は、九州(きゅうしゅう)・小倉(こくら)での幕府軍の敗退をきっかけにして和睦(わぼく)への道をさぐり始めていた。
12月、ついに慶喜は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任した。
渋沢篤太夫と成一郎英明(高良健吾)は一橋家を離れ、幕臣(ばくしん)となった。
篤太夫は大坂にて陸軍奉行支配調役(りくぐんぶぎょうしはいしらべやく)という役職に就くも、退屈な日々に職を辞そうかと悩んでいた。
そんな時、謀反人(むほんにん)の疑いのある大沢源次郎(成田瑛基)捕縛(ほばく)の任を受け篤太夫は京都(きょうと)に向かう。
大沢(おおさわ)一派の抵抗を受けるものの、新選組副長(しんせんぐみ・ふくちょう)・土方歳三義豊(町田啓太)らの助けにより、無事捕縛の任を終える。
ということで、
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2021年08月07日
『青天を衝け』第19回―小栗家について
《令和6年10月12日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第19回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
第19回のあらすじ
慶応(けいおう)元年(1865年)、備中(びっちゅう)の一橋(ひとつばし)領での募兵(ぼへい)に成功した渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、今度は一橋家の懐を豊かにするため動き始めた。
領内の産物が不当に安く売られていることに気づき、一橋家でまとめて買い取って市場に売り出すことにした。
また、この頃貨幣として使われていた銀が重くて持ち運びが困難なことに目をつけ、「銀札(ぎんさつ)」を刷ることにした。
それを交換所にもってきた者に必ず銀を渡すことで「信用」を作り上げ、銀札の流通にも成功した。
一橋家の懐を豊にしたことで篤太夫は認められ、一橋権中納言慶喜(草彅剛)により勘定組頭(かんじょうくみがしら)に任命された。
一方、幕府(ばくふ)では勘定奉行(かんじょうぶぎょう)・小栗上野介忠順(武田真治)がヨーロッパとの交易で幕府財政を潤すため、兵庫(ひょうご)の港を開き、パリで開かれる万国博覧会への出展を目指していた。
しかし幕府とは別に、薩摩(さつま)藩では五代才助友厚(ディーン・フジオカ)が暗躍し、幕府を出し抜いてパリ万博へ薩摩藩単独で出展することを計画していた。
一橋慶喜は兵庫港開港を目指す幕府と、その勅許(ちょっきょ)を出さない朝廷との間に挟まれ苦しんでいたが、天子(てんし)様(尾上右近)より直々に兵庫港開港の許可を得た。
兵庫開港問題の一方で、幕府は長州征討(ちょうしゅう・せいとう)に苦戦していた。
兵力として恃(たの)みにしていた薩摩、阿波(あわ)、尾張(おわり)が兵を出さないと言ってきたからである。
さらに、薩摩が幕府を見限り長州と手を結んだと聞き、将軍家(しょうぐんけ)・徳川右大臣家茂(磯村勇斗)は倒れてしまう。
ということで、
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2021年08月03日
『青天を衝け』第18回―天狗党の乱について
《令和6年11月11日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第18回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第18回のあらすじ
元治(げんじ)元年(1864年)、京(きょう)へ向かい北陸道(ほくりくどう)を進軍していた武田耕雲斎(津田寛治)、藤田小四郎信(藤原季節)ら天狗党(てんぐとう)は貧窮にあえいでいた。
渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)は、従兄の成一郎英明(高良健吾)とともに集めた兵を率いて越前・敦賀(えちぜん・つるが)に向かった。
天狗党を討伐するためであった。
成一郎は、篤太夫に先んじて耕雲斎らに会い、一橋権中納言慶喜(草彅剛)からの密書(みっしょ)を手渡す。
主君に等しい慶喜の心情を慮った耕雲斎は、幕府軍に降伏することとした。
天狗党征討総督(せいとうそうとく)・田沼玄蕃頭意尊(田中美央)と会見した慶喜は、水戸(みと)藩の関係者である縁で耕雲斎らの身柄を引き受けたいと申し出るが、玄蕃頭は「公平な処置をする」と拒否。
耕雲斎ら天狗党の志士は捕らえられて衛生環境が劣悪なニシン倉に押し込められ、352人が斬首された。
篤太夫はこの一件を踏まえ、一橋(ひとつばし)家に独自の兵力が必要だと考え、それを慶喜に申し出た。
申し出は許可され、篤太夫は備中(びっちゅう)の一橋領に向かった。
地元の百姓らと生活を共にし、信頼を得た篤太夫は苦労しながらも募兵(ぼへい)に成功するのであった。
明けて慶応(けいおう)元年(1865年)、幕府(ばくふ)では二度目の長州征討(ちょうしゅうせいとう)が決定し、将軍家・徳川右大臣家茂(磯村勇斗)は大坂(おおさか)城へと出発した。
ということで、
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2021年07月26日
『青天を衝け』第17回―武田耕雲斎について
《令和6年1月30日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第17回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。
まずはあらすじ。
第17回のあらすじ
元治(げんじ)元年(1864年)6月、江戸(えど)の平岡円四郎方中(堤真一)邸に一橋(ひとつばし)家からの使いが訪れていた。
そこで夫・円四郎の死を告げられたやす(木村佳乃)は不意の悲報に涙するのであった。
7月、京(きょう)の一橋権中納言慶喜(草彅剛)の元には、長州(ちょうしゅう)の軍勢が大坂(おおさか)に入ったという情報がもたらされた。
孝明天皇(尾上右近)より「長州を討て」との勅命(ちょくめい)を受けた慶喜は、御所(ごしょ)になだれ込もうとした長州勢に苦戦するが、西郷吉之助隆永(博多華丸)率いる薩摩(さつま)軍が駆け付け、見事長州勢を撃退した。
慶喜が見事に幕府(ばくふ)軍の指揮を執る様子を見た吉之助は舌を巻いた。
一方、藤田小四郎信(藤原季節)率いる天狗(てんぐ)党は、説得に訪れた武田耕雲斎(津田寛治)を逆に説得し、耕雲斎を大将に迎えることとなった。
しかし鎮圧に来た諸生(しょせい)党との戦いに疲れ、天皇に会うことを目指し、また、慶喜にすがることを考え京へ向かうのであった。
関東(かんとう)で一橋家の兵を集めた渋沢篤太夫美雄(吉沢亮)と従兄の成一郎英明(高良健吾)は江戸にいた。
そこで恩人・平岡円四郎の死を知り衝撃を受けるのであった。
また、京での禁門(きんもん)の変や長州が欧米4か国に砲撃されたことを知る。
2人は深谷(ふかや)でそれぞれの妻子と再会し、京へ向かった。
ということで、
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2021年07月18日
『青天を衝け』第16回―池田屋事件について
《令和6年3月31日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第16回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
まずはあらすじ。
あらすじ
元治(げんじ)元年(1864年)、渋沢篤太夫(吉沢亮)と従兄の成一郎(高良健吾)らは自分達の献策により、仲間の志士(しし)たちを一橋(ひとつばし)家に仕官(しかん)させるため武州(ぶしゅう)へ旅立った。
一方、水戸(みと)では藤田東湖(渡辺いっけい)の子である小四郎(藤原季節)が天狗党(てんぐとう)を率いて蜂起し、関東(かんとう)は混乱の様相を示し始めていた。
京都(きょうと)では、池田屋(いけだや)事件の黒幕(くろまく)が一橋権中納言慶喜(草彅剛)であると噂されていた。
水戸藩士の間では、さらにその一橋権中納言をそそのかしたのは重臣である平岡円四郎方中(堤真一)であるという噂が流れ、円四郎の命を狙う者が現れた。
京都の街を歩く円四郎は水戸藩士に襲われ、志半ばで命を絶たれたのであった。
ということで、
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2021年07月14日
『青天を衝け』第15回―三島家について
《令和6年10月8日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第15回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に人物の読み仮名をのせています。
【『青天を衝け』の楽しみ方】 | |
---|---|
・第1回―渋沢家について | ・第2回―身分秩序について |
・第3回―平岡家について | ・第4回―阿部家について |
・第5回―藤田家について | ・第6回―美賀君の血筋 |
・第7回―井伊家について | ・第8回―岩瀬忠震の出自 |
・第9回―安政頃の西郷吉之助 | ・第10回―安藤信正について |
・第11回―高崎城について | ・第12回―一橋徳川家について |
・第13回―越前松平家について | ・第14回―島津家について |
まずはあらすじ。
第15回のあらすじ
元治(げんじ)元年(1864年)、正式に一橋(ひとつばし)家に仕えた渋沢栄一美雄(吉沢亮)は上席の平岡円四郎方中(堤真一)に「見た目が武士らしくない。せめて名前だけでも武士らしくしたらいい」と言われ、新たに「篤太夫」という名を与えられた。
また、従兄の喜作英明(高良健吾)は「成一郎」という名を受領した。
篤太夫は、円四郎に「薩長(さっちょう)の動向を知らなければ京(きょう)を守ることはできない」と進言した。
それを受けた円四郎は、早速篤太夫に薩摩藩(さつま・はん)関係者のところへの潜入を命じた。
薩摩藩士であり摂海防禦御台場築造御用掛(せっかい・ぼうぎょ・おだいば・ちくぞう・ごよう・がかり)となっていた折田要蔵年秀(徳井優)の動向を探るため、その内弟子となったのである。
故郷である血洗島(ちあらいじま)の従兄・尾高新五郎惇忠(田辺誠一)の塾に全国から志士(しし)が集まっていたことから、薩摩弁も江戸(えど)弁も聴きとることができた篤太夫は、薩摩弁を聴きとれない会津(あいづ)藩士たちに重宝がられていた。
それを見ていた薩摩藩士・三島弥兵衛通庸(松村龍之介)らは篤太夫を幕府(ばくふ)の間者(かんじゃ)と疑い暗殺を考えるが、篤太夫は西郷吉之助隆永(博多華丸)により救われた。
こうした篤太夫の活躍もあり、主君である一橋権中納言慶喜(草彅剛)は無事、朝廷(ちょうてい)により「禁裏御守衛総督(きんり・ごしゅえい・そうとく)」という役職に任命されることとなった。
ということで、
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2021年07月06日
『青天を衝け』第14回―島津家について
《令和6年8月20日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第14回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【『青天を衝け』の楽しみ方】 | |
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・第1回―渋沢家について | ・第2回―身分秩序について |
・第3回―平岡家について | ・第4回―阿部家について |
・第5回―藤田家について | ・第6回―美賀君の血筋 |
・第7回―井伊家について | ・第8回―岩瀬忠震の出自 |
・第9回―安政頃の西郷吉之助 | ・第10回―安藤信正について |
・第11回―高崎城について | ・第12回―一橋徳川家について |
・第13回―越前松平家について |
まずはあらすじ。
第14回のあらすじ
元治(げんじ)元年(1864年)、渋沢栄一(吉沢亮)と従兄(いとこ)の喜作(高良健吾)は一橋権中納言慶喜(草彅剛)に仕えることとなった。
ただし栄一らは、条件として慶喜に直接意見を述べることを提示した。
そして栄一らは、平岡円四郎(堤真一)の計らいで慶喜への建白(けんぱく)に成功した。
その慶喜は朝議参預(ちょうぎさんよ)として、自らの藩(はん)が政治的主導権を握るために朝廷(ちょうてい)へ働きかけ、幕府(ばくふ)を翻弄しようとする島津左近衛権少将久光(池田成志)らの他の参預の扱いに苦慮していた。
しかし渋沢栄一の影響か、久光の工作を受けていた中川宮(奥田洋平)を前にして、その場にいる他の参預を指して「大愚物(だいぐぶつ)」「大悪党(だいあくとう)」と罵倒し、参預会議を解散に追い込んだ。
ということで、
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2021年06月28日
『青天を衝け』第13回―越前松平家について
《令和6年2月6日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第13回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【『青天を衝け』の楽しみ方】 | |
---|---|
・第1回―渋沢家について | ・第2回―身分秩序について |
・第3回―平岡家について | ・第4回―阿部家について |
・第5回―藤田家について | ・第6回―美賀君の血筋 |
・第7回―井伊家について | ・第8回―岩瀬忠震の出自 |
・第9回―安政頃の西郷吉之助 | ・第10回―安藤信正について |
・第11回―高崎城について | ・第12回―一橋徳川家について |
まずはあらすじ。
第13回のあらすじ
文久(ぶんきゅう)3年(1863年)、渋沢栄一(吉沢亮)は高崎(たかさき)城襲撃計画の中止を受けて、従兄の渋沢喜作(高良健吾)とともに京都(きょうと)へ向かい、そこで志士(しし)として活動することにした。
そのためにまずは江戸(えど)に出て、以前栄一らを一橋(ひとつばし)家に仕官(しかん)するように誘った平岡円四郎(堤真一)を頼ることにした。
円四郎は不在であったが、円四郎の妻・やす(木村佳乃)が円四郎から栄一らのことをきいており、二人は彼らが一橋家の家臣(かしん)であることを証明する文書(もんじょ)を受け取った。
それを利用して京都へ上った二人は攘夷(じょうい)活動にいそしんだが、この頃の京都では攘夷派の勢力が後退しており、思うように活動が進まなかった。
父・市郎右衛門(小林薫)から受け取った金も使い果たし、さらには借金まですることになった二人だが、このままでは埒(らち)が開かないので、郷里の尾高長七郎(満島真之介)へ手紙を出し、長七郎を京都へ呼ぶことにした。
長七郎は京都へ向かったが、道中で幻影を見て罪もない飛脚(ひきゃく)を斬ってしまう。
栄一と喜作は尾高惇忠からの手紙でそのことを知り、さらに栄一が長七郎に出した手紙が役人(やくにん)の手に渡ったことを知る。
その手紙には、攘夷運動についてや幕府(ばくふ)を倒すことなどが書いてあり、栄一たちにも幕府の追手がかかることになった。
そんな中、二人に平岡円四郎から呼び出しがかかった。
二人はそれに応じ、円四郎を訪ねた。
円四郎が言うには、二人は幕府に手配されているが、一橋家臣だというので幕府から一橋家に掛け合いが来たということだった。
栄一らは手紙の内容等を正直に話した。
円四郎は、そういうことならいっそ本当に一橋家の家臣になれという。
腹をくくった栄一と喜作は、そろって一橋家の家臣となることになった。
ということで、
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2021年06月24日
『青天を衝け』第12回―一橋徳川家について
《令和6年5月4日更新》
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第12回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【『青天を衝け』の楽しみ方】 | |
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・第1回―渋沢家について | ・第2回―身分秩序について |
・第3回―平岡家について | ・第4回―阿部家について |
・第5回―藤田家について | ・第6回―美賀君の血筋 |
・第7回―井伊家について | ・第8回―岩瀬忠震の出自 |
・第9回―安政頃の西郷吉之助 | ・第10回―安藤信正について |
・第11回―高崎城について |
まずはあらすじ。
第12回のあらすじ
文久(ぶんきゅう)3年(1863年)、渋沢栄一(吉沢亮)は従兄の喜作(高良健吾)とともに江戸(えど)にいた。
高崎(たかさき)城襲撃のため、武器を調達していたのである。
栄一たちは自分達を監視する者がいることに気づき逃亡を図る。
しかし捕らえられ土間(どま)に座らされると、そこには一人の男がいた。
一橋権中納言慶喜(草彅剛)の家臣(かしん)・平岡円四郎方中(堤真一)であった。
栄一は斬られることを覚悟したが、彼の志を聞いた円四郎は栄一に、連れてこられた喜作と一緒に自分の家臣にならないかと誘った。
突然の誘いに戸惑った両名は断るが、円四郎は気が変わったら訪ねてくるように伝え、去っていった。
高崎城襲撃計画の日が近づき、血洗島(ちあらいじま)に戻った栄一と喜作は、京都(きょうと)から戻った尾高長七郎(満島真之介)を迎えた。
しかし、喜び勇んで謀議に加わると思われた長七郎は、計画への反対を表明した。
長州(ちょうしゅう)も薩摩(さつま)もイギリスと戦って負け、攘夷(じょうい)をあきらめたという情報に触れていた長七郎は、兄・惇忠らの計画が無謀であると感じていた。
長七郎の命がけの説得を受け、惇忠、栄一らは計画を中止した。
計画は中止したものの、それまでの動きによって幕府(ばくふ)の役人(やくにん)である八州廻り(はっしゅうまわり)に目をつけられていた栄一は、父・市郎右衛門に計画のすべてと家の稼ぎを横領したことを告白した。
市郎右衛門はすべてを受け止めた上で、さらに栄一にお金を渡し、「道理に外れたことだけはするな」と栄一を諭した。
父の言葉に感動した栄一は、喜作とともに京都へと旅立った。
ということで、
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