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2020年10月11日

徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

徳川家康4巻
《令和5年7月4日更新》

皆さんこんばんは。
今回は山岡荘八氏の大作『徳川家康』(全26巻)の草創期である第4巻「葦(あし)かびの巻」のご紹介です。

個人的にはこの『徳川家康』は祖母が愛読していたということで、愛着のある作品です。

読み始めたのは去る平成24年。今から8年前です。

他の本に浮気しつつも全26巻を最初に読み終えたのが、2年後の平成26年ごろだったと思います。

直後に2回目を読み始め、それが終わったのがまた2年後の平成28年ごろ。
またすぐに3回目を読み始めて今は23巻を読み終わったところです。

徳川家康というと、「織田信長と豊臣秀吉が作り上げた天下統一の功績を、関ヶ原(せきがはら)の戦いと大坂(おおさか)の陣で豊臣(とよとみ)家を滅ぼしてかっさらった」みたいな言われ方をしていますが、僕はそれを払拭(ふっしょく)したい!

この小説は全26巻あるので非常にハードルが高いのですが、この小説さえ読んでいただければ、家康のそういった「古狸(ふるだぬき)」的なイメージは一新できると信じているのです。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【これまでのレビュー】
平和への願いとともに生まれた徳川家康(山岡荘八『徳川家康』第1巻)

これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

言葉と人間の本質を見極めた「人間学」―山岡荘八『徳川家康』第3巻

では、まずは第4巻のあらすじです。
※説明の都合上、エピソードの登場順は多少前後しています。



桶狭間の戦いと清州〔清須〕同盟


永禄(えいろく)3年(1560年)、桶狭間(おけはざま)の戦いに参加していた松平蔵人佐元康は、織田(おだ)方の阿古居(あぐい)にいた母・於大(おだい)と再会します。


松平蔵人〔徳川家康〕の親族についてもっと知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
『麒麟がくる』第21回ー松平蔵人の親族

関連記事:
『麒麟がくる』第19~20回―足利将軍家の動きと桶狭間の戦い

関連記事:
桶狭間の合戦―不利な状況を受け止める


3歳で生き別れて以来16年振りの再会でしたが、敵味方に分かれていたため長居はできませんでした。

そして、今川治部大輔義元の討ち死に。

いち早く尾張(おわり)を離れなければ織田勢が押し寄せてくると判断した松平(まつだいら)勢は、三河(みかわ)へ向かいます。

岡崎(おかざき)に着いたところで岡崎城には今川(いまがわ)家から派遣された留守居役(るすいやく)がいました。

そこで松平家の菩提寺(ぼだいじ)である大樹寺(だいじゅじ)に入った元康ですが、そこで、自分の進むべき道を見出します。

それは「欣求浄土 厭離穢土」という言葉でした。
※意味は後程説明します。

そうこうしているうちに、岡崎城から今川勢が逃げ出し、元康は空になった岡崎城に入城します。
6歳で人質として岡崎城を離れて以来、13年振りの帰城でした。
※一時、二の丸には入っていますが本丸は13年振りでした。

永禄5年(1562年)、尾張・清州(きよす)城を訪れた元康は、幼いころ遊んでくれた織田上総介信長と同盟を結びます。
世に言う「清州〔清須〕同盟」です。




妻子の帰還と正室との不仲


元康は桶狭間の戦いに出陣して以来、正室(せいしつ)・瀬名(せな)と嫡男(ちゃくなん)・竹千代(たけちよ)、長女・亀姫(かめひめ)を駿府(すんぷ)に残していました。

このまま妻子を駿府に置いたままでは今川治部大輔義元のあとを継いだ治部大輔氏真の支配から抜け出すことはできません。

そこで元康は一計を案じました。

今川方の武将・鵜殿長門守長照の拠る西郡(にしのこおり)の城を攻めます。
※史実では鵜殿長門がいたのは上ノ郷(かみのごう)城です。

西郡の城を攻め落とした元康は鵜殿長門を斬りますが、長門の2人の子は生かします。
駿府の瀬名らと人質交換をするためです。

元康は腹心・石川与七郎数正を駿府へ派遣し、与七郎は治部大輔氏真と見事に渡り合い、瀬名らを取り返すことに成功します。
与七郎は自分の馬に幼い竹千代を乗せ、涙の帰還を果たします。

せっかく岡崎城に入城することのできた瀬名、こと築山御前(つきやまごぜん)ですが、自分が今川一族であるというプライドを捨てられずに苦しみます。
そんな中、愛する息子・竹千代と憎き織田信長の娘・徳姫(とくひめ)との婚姻が決まり、怒りに悶えます。

築山御前のそんな様子に元康の愛は覚めていき、元康は、築山御前の帰還以前に手を付けた滝川左近一益の間者(かんじゃ)可禰(かね)を寵愛(ちょうあい)し続けます。

その様子を察した築山御前は侍女のお万(まん)を忍ばせ、可禰の様子を探らせます。

しかし、その挙動を元康に見とがめられたお万は成り行きから元康に体を許してしまいます。

築山御前の元に帰ったお万でしたが、元康に体を許したことを御前に知られ、折檻(せっかん)を受けます。

その様子を見かねた元康の忠臣(ちゅうしん)・本多作左衛門重次はお万を救い出し、一族の本多豊後守広孝のもとに預けます。
※お万はのち、元康の次男・秀康を生みます。

そして主君・元康の無節操を見かねた作左衛門は元康に説教をします。

寵愛するならきちんと側室(そくしつ)に迎えるべき。
お互い算盤勘定(そろばんかんじょう)を忘れて燃え上がるような色恋は慎むべき、と。




三河一向一揆と吉田城の落城


(いみな)を「元康」から「家康」に改めた松平蔵人佐家康は三河一国を席捲(せっけん)する勢いでしたが、永禄6年(1563年)、大きな試練を迎えます。
三河一向一揆(いっこういっき)です。

家臣の多くが一向一揆側についたとされるこの一揆は松平家を二分し、家康を悩ませます。
怒りに打ち震える家康を、岡崎城に迎えられた母・於大が諭します。

於大の言葉に考えを改めた家康は、一向一揆側に着いた家臣を受け止め、許すことを心に誓います。

その家康の想いに動かされた蜂屋半之丞、渡辺半蔵をはじめとする一向一揆勢は永禄7年(1564年)、ついに家康に降服し、多くの家臣は許され、松平家に帰参しました。

その後、家康は東三河の重要拠点・吉田(よしだ)城を攻めます。
吉田城は落城させたものの、この戦いで蜂屋半之丞を失います。

家康は、家臣の命を預かる重圧と責任の重さを痛感します。




嫡子・竹千代と信長の娘・徳姫との婚姻


永禄10年(1567年)、織田上総介信長はついに美濃(みの)・稲葉山(いなばやま)城を落城させます。

参考記事:
稲葉山城の合戦―人に好かれる人が勝つ

信長はかねてからの約束通り、娘・徳姫を松平蔵人佐、改め徳川左京大夫家康の嫡子・竹千代の元に嫁がせます。

信長の元からは豪勢な進物が届きます。

その中に、大きな鯉がいました。

信長の口上によれば「この鯉を信長だと思って大事に養うべし」とのこと。

家臣(かしん)に丁重に扱うように命じた左京大夫家康ですが、少しして、家臣たちがお酒を飲んで大騒ぎしていることに気づきます。

聞けば、鯉がふるまわれ、みんなで喜んでその鯉を食べながらお酒を飲んでいるという。

探ってみると、家臣の鈴木久三郎が命じたという。

その鯉はまさかの信長の鯉でした。

久三郎を罰しようと見つけ出し、理由を聞いた左京大夫家康は驚愕しました。

―この鯉はいずれ死ぬ。もし死んでしまったら、殿が言いがかりをつけられる。
―鯉ごときで腹を切れというならば、喜んで切ってやる。家臣の命と鯉の命、どちらが大事か。そんな判断ができないような殿ならおれが腹を切って殿の目を覚まさせてやる。
※久三郎のセリフの要約です。

ということでした。

その言葉に己の至らなさを痛感した家康は久三郎を罰しませんでした。




曳馬野の城の落城とお愛の方


ついに三河を統一した家康は、遠江(とおとうみ)に進出します。

西遠江の重要拠点・曳馬野(ひくまの)の城を攻めた家康には一つの感慨がありました。

曳馬野の城を守っているのはかつて駿府にいたころあこがれた女性、飯尾御前(いのおごぜん)でした。

関連記事:
言葉と人間の本質を見極めた「人間学」―山岡荘八『徳川家康』第3巻

なんとか飯尾御前を生かして城を落としたい家康ですが、御前はかたくなに城を明け渡しません。

そんな中、徳川勢が陣を張っている井伊谷(いいのや)のかつての領主・井伊肥後守直親の忘れ形見・万千代(まんちよ)を名乗る少年が現れます。


関連記事:
『おんな城主直虎』、子ども時代はセオリー通り(第1~5回)

関連記事:
『おんな城主直虎』、終盤でやっと面白くなってきた(第41~45回)


初めは真偽を疑った家康ですが、少年が飯尾御前からの手紙をもっていたことで信用します。

その手紙から御前の覚悟を読み取った家康は、御前の救出をあきらめるのでした。

曳馬野の城の落城後、同地に新しく浜松(はままつ)城を築城した家康。

新しい城の中で、飯尾御前と瓜二つの女性を見かけます。

家臣・西郷弥左衛門正勝の孫娘・お愛(あい)です。

お愛を見初めた家康は、お愛に側室になるよう声を掛けます。
※お愛の方はのちの二代将軍・秀忠の母です。




「厭離穢土 欣求浄土」の誓い


というわけで、この巻の冒頭で蔵人佐元康は早々に自身の活動理念を見出します。

それは
「厭離穢土 欣求浄土」
という言葉です。
※読みは「おんりえど ごんぐじょうど」です。

これは仏教の中でも浄土教(じょうどきょう)の言葉で、意味は
「けがれた世を嫌い、離れ、清められた世を喜び求めよう」
といった意味です。
※徳川家の宗派は浄土宗です。

通常ですとこの言葉は「けがれたこの世を去って、死後に極楽浄土に召されよう」といったような意味合いで使われますが、この小説では違います。

「けがれた世」=戦乱に明け暮れる戦国の世

「清められた世」=武士も民も教化され、争いをやめた平和な世

といった意味で「浄土」をこの世に実現しようというのが蔵人佐元康の活動理念である、という描かれ方です。

この思想は太平洋戦争(たいへいようせんそう)を経験した作者・山岡荘八氏の願いでもあるのですが、そのままこの小説『徳川家康』に流れ続ける軸となります。


関連記事:
硫黄島からの手紙

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徳川家康という人物の行動の背景にはいつもこの「厭離穢土 欣求浄土」、つまり「戦いの世を終わらせ、平和な世を実現しよう」という理念が描かれています。

僕はこの解釈に感動しました。

「浄土」というと普通は上記のように死後の世界を思い浮かべます。
あの世でやっと報われるわけで、この世に救いはない、という解釈が一般的です。

しかし、山岡荘八氏は松平蔵人佐元康という人物を借りて「この世に『浄土』を作り出そう」と宣言しているのです。

この言葉に感銘を受けた僕は勝手に山岡氏の遺志を継いで、世の中の教育レベルを上げ、理性的で平和的な問題解決方法をもってお互いが相乗していくような関係性を築ける世の中にしたいと願っています。

簡単に言うと
①みんなで一生懸命勉強する
②みんな感情の制御ができるようになる。
③(①と②の合わせ技で)みんな、相手の気持ちや要求を穏やかに聞き、自分の気持ちや要求を穏やかに説明できるようになる。
ということです。

そのためにはまずは自分の教育レベルを上げ、理性的で平和的に問題を解決する力をつけ、お腹でも背中でも語っていく必要があります。

日々他者から学び、感情を制御し、理性的で平和的なコミュニケーションを続けていくことが大切です。

というわけで本当は、上記の本多作左のエピソードについてとかも書きたかったのですが、この時点でだいぶ長くなってしまいました。

ですので、こんな感じで夢を語って終わりにさせていただければと思います。
今回は以上となります!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・徳川〔松平〕 左京大夫〔蔵人佐、三河守。通称は次郎三郎〕 源〔藤原〕 朝臣 家康〔元康〕
とくがわ〔まつだいら〕 さきょうのだいぶ〔くろうどのすけ、みかわのかみ。通称はじろうさぶろう〕 みなもと〔ふじわら〕 の あそん いえやす〔もとやす〕
・織田 上総介 藤原〔忌部〕 信長
おだ かずさのすけ ふじわら〔いんべ〕 の のぶなが
・関白 羽柴 太政大臣〔通称は藤吉郎〕 豊臣 朝臣 秀吉
かんぱく はしば だじょうだいじん〔通称はとうきちろう〕 とよとみ の あそん ひでよし
・今川 治部大輔〔通称不明〕 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのたゆう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしもと
・今川 治部大輔〔通称は彦五郎〕 源 朝臣 氏真
いまがわ じぶのたゆう〔通称はひこごろう〕 みなもと の あそん うじざね
・鵜殿 長門守〔通称は藤太郎〕 藤原 朝臣 長持
うどの ながとのかみ〔通称はとうたろう〕 ふじわら の あそん ながもち
・石川 与七郎 源 数正
いしかわ よしちろう みなもと の かずまさ
・滝川 左近将監〔通称は彦右衛門〕 紀 朝臣 一益
たきがわ さこんのしょうげん〔通称はひこうえもん〕 き の あそん かずます
・本多 作左衛門 藤原 重次
ほんだ さくざえもん ふじわら の しげつぐ
・本多 豊後守〔通称は彦三郎〕 藤原 朝臣 広孝
ほんだ ぶんごのかみ〔通称はひこさぶろう〕 ふじわら の あそん ひろたか
・松平〔結城、羽柴〕 権中納言〔通称不明〕 源〔藤原、豊臣〕 朝臣 秀康
まつだいら〔ゆうき、はしば〕 ごんのちゅうなごん〔通称不明〕 みなもと〔ふじわら、とよとみ〕 の あそん ひでやす
・蜂屋 半之丞 源 貞次
はちや はんのじょう みなもと の さだつぐ
・渡辺 半蔵 源 守綱
わたなべ はんぞう みなもと の もりつな
・鈴木 久三郎 (穂積?) (諱不明)
すずき きゅうさぶろう (ほづみ? の) (諱不明)
・井伊 肥後守〔通称不明〕 藤原 朝臣 直親
いい ひごのかみ〔通称不明〕 ふじわら の あそん なおちか
・西郷 弥左衛門 源 正勝
さいごう さざえもん みなもと の まさかつ
・征夷大将軍 徳川 太政大臣〔通称不明〕 源 朝臣 秀忠
せいいたいしょうぐん とくがわ だじょうだいじん〔通称不明〕 みなもと の あそん ひでただ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
人は城 人は石垣 人は堀
問はず語り
宿六日記-松之山温泉 和泉屋

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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(2)
この記事へのコメント
「徳川家康」第4巻 葦かびの巻 の記事、
読ませていただきました。
情熱的な文章にシビレました。(^ァ^)

四巻といえば、井伊直政(のちの)登場の回でしたね。
(記事を読んでいて想い出しました w)
この小童も、いつか猛将に・・・・
成長を追ってゆけるのは、大河小説ならではの醍醐味ですね。

登場人物欄は・・・・ アレは、完全に勢いで書いてました。(笑)
幾らなんでも多過ぎますね。w

しかも、今頃になって気が付いたんですけど、
伊井万千代クンを2度カウントしていた始末!orz

ワタシのほうは、まぁ、そんな好い加減なブログです。(^ァ^)
更新ものんびりですけれど、ひとつ、よろしくお願い致します。
Posted by もとよし at 2020年10月20日 20:04
>もとよしさん

コメントありがとうございます!
さらに情熱的だなんて言っていただいてありがとうございます!

井伊万千代等、主人公以外の人物の成長も楽しい小説ですよね。

秀吉の母・大政所を迎えたときの直政と重次のエピソードとか、たまりませんね。

あとは、かなり後になりますが嫡子・秀忠とか安藤直次や成瀬正成の成長も楽しいですよね。

語り始めると止まりません 笑
Posted by 鷲谷 壮介 at 2020年10月21日 01:02
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