2018年04月09日
各合戦の動員人数について(6)第二次国府台の合戦

皆さんこんばんは。
今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの6回目で「第二次国府台(こうのだい)の合戦」についてです。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
『第一次~」について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ
関連記事:
各合戦の動員人数について(4)第一次国府台の合戦
関連記事:
『関八州古戦録』
今までの記事
第1弾 江古田原沼袋合戦
第2弾 権現山の戦い
第3弾 新井城の戦い
第4弾 第一次国府台の合戦
第5弾 川越城の合戦
「第二次国府台の合戦」はどんな戦いかというと…
参考記事:
第二次国府台合戦に学ぶ―小さな勝ちに酔わない
まぁ今回も合戦の詳しい流れは下記ブログをご参照いただきたいのですが、大体の流れとしては、
・永禄(えいろく)7年(1564年)、上杉謙信と結び、武田信玄の背後を脅かしたい里見義弘(※)が、下総(しもうさ)・武蔵(むさし)・相模(さがみ)に進出することを企てて下総国府台に進出。
※「第一次国府台の合戦」時の義尭の子。第一次にも参戦。
・それを察知した北条氏康(※)が里見軍を奇襲し、勝利を収めた戦い。
という感じです。
※「第一次…」で指揮を執った氏綱の子。第一次にも参戦。「川越(かわごえ)城の合戦」の総大将
関連記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない
関連記事:
各合戦の動員人数について(5)川越城の合戦
関連記事:
合戦における戦術について⑧三増峠の合戦
さて、肝心の参加人数ですが上記『歴史と旅』の記事によると
・里見軍(里見本軍:6,000人、太田軍:2,000人):8,000人
・北条軍:2万余り
ということで、動員人数から石高に換算してみましょう。
参考:
大名が動員できる人数は?
・里見軍(里見本軍(外征):約30万石、太田軍(外征):約10万石):約40万石
・北条軍(外征):約100万石
実際の推測石高は
・里見軍(里見本軍(安房・上総):約42万4,000石、太田軍(武蔵の3分の1と仮定):22万2,000石):約64万6,000石
・北条軍(伊豆・相模・武蔵の3分の2):約70万9,000石
ということで、里見軍は多少少なめに動員し、北条軍は少しがんばって多めに動員したとも考えられなくはない数字ですね。
参考:
大国・上国・中国・下国一覧
というわけで、今回はあんまり論じるスキがなくてつまらないのですが、
結論
里見軍(里見本軍;6,000人、太田軍:2,000人):8,000人
北条軍:2万人
ということになります。
そしてこのシリーズ、そもそもが「大航海時代に日本が侵略されなかった理由(1)―ヨーロッパと日本の距離について」に端を発したものなので、次回からは同時代のヨーロッパ中心の戦いにも目を向けてみたいと思います。
(本当はこのまま日本の戦いをやりたいのですが 笑)
今回登場した人物のフルネーム(参考:(参考:「武家や公家の名前について」)
・上杉(長尾) 弾正少弼(通称は平三) 藤原(平) 朝臣 輝虎(政虎、景虎、入道謙信)
うえすぎ(ながお) だんじょうのしょうひつ(通称はへいぞう) ふじわらの(たいらの) あそん てるとら(まさとら、かげとら、入道けんしん)
・武田 大膳大夫(通称は太郎) 源 朝臣 晴信(入道信玄)
たけだ だいぜんのだいぶ(通称はたろう) みなもとの あそん はるのぶ(入道しんげん)
・里見 左馬頭(通称は太郎) 源 朝臣 義弘
さとみ さまのかみ(通称はたろう) みなもとの あそん よしひろ
・里見 刑部少輔(通称は権七郎) 源 朝臣 義尭
さとみ ぎょうぶのしょう(通称はごんしちろう) みなもとの あそん よしたか
・北条 左京大夫(通称は新九郎) 平 朝臣 氏康
ほうじょう さきょうのだいぶ(通称はしんくろう) たいらの あそん うじやす
・北条(伊勢) 左京大夫(通称は新九郎) 平 朝臣 氏綱
ほうじょう(いせ) さきょうのだいぶ(通称はしんくろう) たいらの あそん うじつな
参考
薔薇の古城
今日は何の日?徒然日記
城跡散策の記録
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Posted by 鷲谷 城州 at 19:00│Comments(0)
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