2020年11月04日
地元の英雄―身を挺して民を救った佐倉惣五郎
《令和5年12月26日更新》
皆さんこんばんは。
今回は記事「地域特有の偉人っているよな」にちなんで、僕が少年時代を過ごした旧佐倉(さくら)藩領内の英雄「佐倉惣五郎」をご紹介したいと思います。
※上記記事中にも「佐倉惣五郎」の名前が登場しています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。
小学校の教科書には地元について学ぶ教材があったと思います。
地元の産業やら地理やら歴史やら…
そんな中で、千葉(ちば)県の教科書に載っていたと思われるのがこの「佐倉惣五郎」という人物です。
僕は学校で習った記憶があるので、おそらく千葉県出身の人はみんな名前くらいは知っているのではないかなと思います。
また、彼が祀られている「宗吾霊堂(そうごれいどう)」(※)は当時僕が住んでいた家から車でひょいっと行けるところにあり、子供の頃に連れて行ってもらったことがあります。
※表記が「惣五(郎)」ではなく「宗吾」となっていますが、昔は現在ほど漢字の表記が厳密ではなかったためだと思われます。また、「郎」が略される例は多いです。
では、佐倉惣五郎とはどのような人物だったのか?
惣五郎の直訴
江戸時(えど)代初期17世紀中ごろの人物とされていて、本名は木内惣五郎というそうです(※)。
当時の佐倉藩領内の名主(なぬし/みょうしゅ)だったと言われています。
※下総(しもうさ)の木内(きうち)氏といえば桓武平氏(かんむへいし)千葉氏族に木内氏がおり、佐倉惣五郎が活躍した地域と木内氏が活躍した地域は重なるので、惣五郎が千葉氏族の木内氏であった可能性は高いです→武家家伝_木内氏
千葉氏の登場する記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ
同関連記事:
郷土愛
同関連記事:
林陸朗『古代末期の反乱』
当時下総は大飢饉に見舞われており、農民たちは困窮していたといいます。
しかし、領主の堀田上野介正信は慶安(けいあん)4年(1651年)に藩主を継ぐと増税をし、農民たちの中には田畑や家屋を売る者なども現れ、年貢(ねんぐ)を納められない農民たちは処罰されました。
名主であった惣五郎は他の名主たちとともに、役人に農民たちの窮状を訴えますが聞き入れられず。
江戸に行き、堀田(ほった)藩江戸藩邸や老中(ろうじゅう)に訴えるも取り上げられず。
最終的には惣五郎が全責任を負う、という形で承応(じょうおう)2年(1653年)、上野(うえの)・寛永寺(かんえいじ)に参詣していた当時の将軍家(しょうぐんけ)徳川家綱の駕籠(かご)に直訴(じきそ)をしました。
惣五郎の願いは聞き入れられ、佐倉藩の農民たちは重税の苦しみから解放されたといいます。
しかし当時将軍家に直訴することは重罪でした。
惣五郎は罪が妻子に及ぶことを恐れ、前もって妻を離縁し、子供たちを水戸(みと)藩の叔母のところに預けたとされますが、許されませんでした。
目の前で妻子が処刑され、惣五郎自身も最後に磔(はりつけ)にかけられて処刑されました。
堀田家の登場する記事:
『青天を衝け』第7回―井伊家について
同関連記事:
『西郷どん』、若干減速か?(第13~16回)
佐倉惣五郎の怨霊
惣五郎は処刑されるときに、堀田家に対して呪詛(じゅそ)の言葉を放ったとされています。
惣五郎の怨霊(おんりょう)により上野介は不幸に見舞われたといいます。
正室は変死し、上野介本人は気がおかしくなったことで幕政(ばくせい)批判を行い改易(かいえき)されます。
※堀田家に代わり、佐倉藩には大給松平(おぎゅう・まつだいら)家が入りました。
大給松平家の登場する記事:
『麒麟がくる』第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い
怨霊を恐れた領民たちは領内の将門山(まさかどやま)(※)に惣五郎を祀ったそうです。
※現千葉県印旛(いんば)郡酒々井町(しすいまち)・佐倉市にまたがる地域で、千葉氏が居城していた本佐倉(もとさくら)城の所在地と言われています。
約100年後の延享(えんきょう)3年(1746年)、堀田上野介の弟・筑前守正俊の孫・侍従正亮は佐倉藩主に戻り、佐倉藩は再び堀田家による治世を迎えます。
堀田侍従は惣五郎の怨霊を鎮めるため、将門山の口ノ宮(くちのみや)神社に惣五郎を祀ります。
また、惣五郎の遺体を埋葬したと言われる東勝寺(とうしょうじ)は明治時代になって「宗吾霊堂」という御廟を建てており、現在は惣五郎を参拝する人はこちらにお参りすることが多いようです。
↓佐倉惣五郎関係地図
※クリックで拡大されます。

史実との照合
以上が惣五郎にまつわる伝説なのですが、実は彼の直訴(じきそ)についての同時代史料は存在しません。
しかし、同時代の同じ地域の史料に裕福な農民として「惣五郎」の名が見られ、承応2年(1653年)に処刑されたことや子供が同時に処刑されたこと、祟りを恐れた付近の民が祠(ほこら)を建てたことなどが確認できるそうです。
彼が実際に農民のために直訴したかどうかという肝心な部分が書かれた同時代史料はまだ見つかっていないそうです。
ただ、彼の処刑後に堀田上野介が改易となったのは「幕府(ばくふ)の失政で民や旗本(はたもと)・御家人(ごけにん)が窮乏しているので、自分の領地を返上する」といって無断で佐倉に帰城したことが理由だったそうで、状況的には惣五郎事件の原因を幕府に転嫁した、とも言えなくはなさそうです。
というわけで、史実かどうかは定かではないにしろ、惣五郎の伝説は18世紀ごろには全国に広まり、農民たちの心の支えになったようです。
また、幕末(ばくまつ)から明治にかけては福沢諭吉などの影響力のある人々にも取り上げられ、尊崇を集めたそうです。
彼は今でも、貧しい民を救った悲劇の英雄として地元の人々に大切にされています。
こんな感じで、全国的にはあまり知られていないけれど地元では有名な人、というのはどこにでもいると思います。
ご自身の地元の英雄について調べてみると面白いかもしれません。
まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
※トップ画像は舞台となった佐倉藩の政庁・佐倉城址に建てられた国立歴史民俗博物館です。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・佐倉〔木内〕 惣五郎 平? (諱不明)
さくら〔きうち〕 そうごろう たいら? の (諱不明)
・堀田 上野介〔通称不明〕 紀 朝臣 正信
ほった こうづけのすけ〔通称不明〕 き の あそん まさのぶ
・征夷大将軍) 徳川 右大臣〔通称不明)〕 源 朝臣 家綱
せいいたいしょうぐん とくがわ うだいじん〔通称不明〕 みなもと の あそん いえつな
・堀田 筑前守〔備前守。通称は久太郎〕 紀 朝臣 正俊〔正吉〕
ほった ちくぜんのかみ〔びぜんのかみ。通称はきゅうたろう〕 き の あそん まさとし〔まさよし〕
・堀田 侍従〔相模守。通称不明〕 紀 朝臣 正亮
ほった じじゅう〔さがみのかみ。通称不明〕 き の あそん まさすけ
・福沢〔中村〕 諭吉 源〔神〕 範
ふくざわ〔なかむら〕 ゆきち みなもと〔みわ〕 の はん
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
佐倉惣五郎を題材とした浪曲について
赤坂で浪曲ブログ
gooブログはじめました!古代からのウソの歴史の訂正と真実を
Magome Quartet : まごめ☆カルテット
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00│Comments(0)
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