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2020年11月04日

地元の英雄―身を挺して民を救った佐倉惣五郎

歴博


皆さんこんばんは。
今回は記事「地域特有の偉人っているよな」にちなんで、僕が少年時代を過ごした旧佐倉藩領内の英雄「佐倉惣五郎」をご紹介したいと思います。
※上記記事中にも「佐倉惣五郎」の名前が登場しています。

小学校の教科書には地元について学ぶ教材があったと思います。

地元の産業やら地理やら歴史やら…

そんな中で、千葉県の教科書に載っていたと思われるのがこの「佐倉惣五郎」という人物です。

僕は学校で習った記憶があるので、おそらく千葉県出身の人はみんな名前くらいは知っているのではないかなと思います。

また、彼が祀られている「宗吾霊堂」(※)は当時僕が住んでいた家から車でひょいっと行けるところにあり、子供の頃に連れて行ってもらったことがあります。
※表記が「惣五(郎)」ではなく「宗吾」となっていますが、昔は現在ほど漢字の表記が厳密ではなかったためだと思われます。また、「郎」が略される例は多いです。

では、佐倉惣五郎とはどのような人物だったのか?


<惣五郎の直訴>


江戸時代初期17世紀中ごろの人物とされていて、本名は木内惣五郎というそうです(※)。
当時の佐倉藩領内の名主だったと言われています。
※下総の木内氏といえば桓武平氏千葉氏族に木内氏がおり、佐倉惣五郎が活躍した地域と木内氏が活躍した地域は重なるので、惣五郎が千葉氏族の木内氏であった可能性は高いです→武家家伝_木内氏

当時下総は大飢饉に見舞われており、農民たちは困窮していたといいます。
しかし、領主の堀田上野介正信は慶安4(1651)年に藩主を継ぐと増税をし、農民たちの中には田畑や家屋を売る者なども現れ、年貢を納められない農民たちは処罰されました。

名主であった惣五郎は他の名主たちとともに、役人に農民たちの窮状を訴えますが聞き入れられず。

江戸に行き、堀田藩江戸藩邸や老中に訴えるも取り上げられず。

最終的には惣五郎が全責任を負う、という形で承応2(1653)年、上野・寛永寺に参詣していた当時の将軍家徳川家綱の駕籠に直訴をしました。

惣五郎の願いは聞き入れられ、佐倉藩の農民たちは重税の苦しみから解放されたといいます。

しかし当時将軍家に直訴することは重罪でした。

惣五郎は罪が妻子に及ぶことを恐れ、前もって妻を離縁し、子供たちを水戸藩の叔母のところに預けたとされますが、許されませんでした。

目の前で妻子が処刑され、惣五郎自身も最後に磔にかけられて処刑されました。

<佐倉惣五郎の怨霊>


惣五郎は処刑されるときに、堀田家に対して呪詛の言葉を放ったとされています。

惣五郎の怨霊により上野介は不幸に見舞われたといいます。
正室は変死し、上野介本人は気がおかしくなったことで幕政批判を行い改易されます。
※堀田家に代わり、佐倉藩には大給松平家が入りました。

怨霊を恐れた領民たちは領内の将門山(※)に惣五郎を祀ったそうです。
※現千葉県印旛郡酒々井町・佐倉市にまたがる地域で、千葉氏が居城していた本佐倉城の所在地と言われています。

約100年後の延享3(1746)年、堀田上野介の弟・筑前守正俊の孫・侍従正亮は佐倉藩主に戻り、佐倉藩は再び堀田家による治世を迎えます。

堀田侍従は惣五郎の怨霊を鎮めるため、将門山の口ノ宮神社に惣五郎を祀ります。


また、惣五郎の遺体を埋葬したと言われる東勝寺は明治時代になって「宗吾霊堂」という御廟を建てており、現在は惣五郎を参拝する人はこちらにお参りすることが多いようです。


↓佐倉惣五郎関係地図
※クリックで拡大されます。
佐倉惣五郎 関係地図


<史実との照合>


以上が惣五郎にまつわる伝説なのですが、実は彼の直訴についての同時代史料は存在しません。

しかし、同時代の同じ地域の史料に裕福な農民として「惣五郎」の名が見られ、承応2(1653)年に処刑されたことや子供が同時に処刑されたこと、祟りを恐れた付近の民が祠を建てたことなどが確認できるそうです。

彼が実際に農民のために直訴したかどうかという肝心な部分が書かれた同時代史料はまだ見つかっていないそうです。

ただ、彼の処刑後に堀田上野介が改易となったのは「幕府の失政で民や旗本・御家人が窮乏しているので、自分の領地を返上する」といって無断で佐倉に帰城したことが理由だったそうで、状況的には惣五郎事件の原因を幕府に転嫁した、とも言えなくはなさそうです。

というわけで、史実かどうかは定かではないにしろ、惣五郎の伝説は18世紀ごろには全国に広まり、農民たちの心の支えになったようです。
また、幕末から明治にかけては福沢諭吉などの影響力のある人々にも取り上げられ、尊崇を集めたそうです。

彼は今でも、貧しい民を救った悲劇の英雄として地元の人々に大切にされています。

こんな感じで、全国的にはあまり知られていないけれど地元では有名な人、というのはどこにでもいると思います。

ご自身の地元の英雄について調べてみると面白いかもしれません。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像は舞台となった佐倉藩の政庁・佐倉城址に建てられた国立歴史民俗博物館です。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・佐倉(木内) 惣五郎 平? (諱不明)
・堀田 上野介(通称不明) 紀 朝臣 正信
・(征夷大将軍) 徳川 右大臣(通称不明) 源 朝臣 家綱
・堀田 筑前守(備前守。通称は久太郎) 紀 朝臣 正俊(正吉)
・堀田 侍従(相模守。通称不明) 紀 朝臣 正亮
・福沢(中村) 諭吉 源(神) 範
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
佐倉惣五郎を題材とした浪曲について
赤坂で浪曲ブログ
gooブログはじめました!古代からのウソの歴史の訂正と真実を
Magome Quartet : まごめ☆カルテット


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Posted by Sosuke Washiya at 20:00│Comments(0)趣味
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