2018年09月24日
「結果がすべて」ではない
皆さんこんばんは。
今回は記事「『美味しいと言うのは義務』という主張に条件反射のように『義務なわけない』と反論する人を見て思ったこと。」を読んで感じたことを書きます。
記事概要としては、主夫として家事を担当しているブログオーナーが料理を作る立場から考えて、食べた方がお礼の意味を込めて「おいしい」というのは義務だと述べたところ、「義務なわけがない」と条件反射的に反論した人々に対して、「他人の気持ちを想像するスキルがないのでは?」という推論を立てたという内容です。
(いつもどおり、正確なところは上記の実際の記事をご覧ください)
これ、大同意です。
もちろん料理についてもさることながら、これ、部下の仕事を評価する上司も心がけるべきことなのではないかと思いました。
仕事というのは「上司・部下」という命令体系があり、上司の業務命令を部下が遂行するのは当たり前の話ですし、それをやらない部下は社員失格なのですが、それはあくまで「システム」上の話なんですね。
さらに、結果を残すのは社会人として仕事をする上で当たり前の話ですし、その結果によって賃金が上がったり出世したりするのも納得なのですが、やはりそれも「システム」上の話なんですね。
料理を作るのも、仕事をするのも「人間」なんですよね。
簡単にちょいちょいと仕事をしてしまう人もいますが、ほとんどの人にとってしんどい仕事は多いですし、やりたくないことを我慢してやっていることって非常に多いですよね。
それをやることって職務上は「当たり前」なのですが、感情の上では「当たり前」で割り切れる人って少ないと思うんです。
それって、家事をやっている主婦(または主夫)の立場も同様だと思うんです。
家事をやるのって簡単ではありません。
一人暮らしをしたことのある人は大体わかっているはずなのですが、いつの間にか「やって当たり前」になっているのが不思議でたまりません。
「当たり前」なことを評価しない、という姿勢の意味がわかりません。
感謝すること、ほめることに何かリスクってありますか?
消耗することってありますか?
ほめすぎることで相手が調子に乗ることを懸念している人もいますが、調子に乗った時点で初めて諌めればよくないですか?
自分だっていやな仕事をたくさん我慢して出世してきてるのだから、部下もいやな思いをしているときがあるかもしれない、という想像力が働かない、もしくは「仕事なんだからやって当たり前」「当たり前のことはほめない」という考え方が僕には理解できないんです。
(さらに、人それぞれ今いる「ステージ」があるので、自分にとっては「当たり前」なこともその人にとっては「当たり前」ではない場合も多いです)
上に述べたように賃金とか地位は結果が出ないと上げるのは難しいかもしれませんが、「いつもありがとう」というのはタダですよね?
その労力を惜しむ理由が僕には理解できません。
感謝の言葉を惜しむ意味が理解できません。
それだけで人は喜んで働くときがあるのに。
※写真は記事内容とは関係ありません。
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参考
1990年代~2000年代に広まった成果主義について
人事組織の研究ブログ by jinjisoshiki
ゲームクリエーターの随筆アップロード
高橋伸夫氏著『虚妄の成果主義』について
西東京日記 IN はてな
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次回は『西郷どん』第34回について。
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Posted by 鷲谷 城州 at 19:00│Comments(0)
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