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2005年06月30日

僕にとっての「大学生」の歴史

鶴岡八幡宮
《令和5年12月31日更新》

今日はなんとなく、気まぐれで、僕がやった大学の「歴史」ってどんなもんか、というのを自分なりに書いてみよう。

これから大学の歴史学科を受けようと思っていたりする方々の参考になったりならなかったりしたらいいな、と勝手に思って書いてみます。


まずはやはり、高校までの歴史と大学でやる歴史はだいぶ違う。何が違うかっていうと、高校までは「〜年にこうこう、こういう出来事が起こりました」と断定形で教わるけど、大学に入ってまず教わるのが、「歴史は実は謎だ」ということ。

実は過去に起こった出来事って、「八割方こうだけど、絶対とは言えない」ことしかない。自分自身の人生だって、記憶違いがずいぶんあったりする。

だから、高校までは実は、いちばんたくさんの人が納得している「仮説」を習っているだけで、大学では、「それは実は違うかもしれない」ということを習う。

そして、疑問を提示することを習います(5W1Hです)。
(たとえば源平(げんぺい)時代で言えば「源氏(げんじ)が悪い」「平氏(へいし)が悪い」「源頼朝(みなもと の よりとも)は嫌なやつだ」ではなくて、「なぜ源氏(平氏)が悪いと言われるようなことをやったのか」「なぜ源頼朝が嫌なやつと言われるようなことをやったのか」ということです)

二年生や三年生では「卒業論文」を書くトレーニングのため、先生(教授等)が選んだ文献をみんなで読みすすめ、その文献に関連して、先生が提示したテーマを選んで(もちろん自信があればその範囲の中で、自分で選んだテーマを持ち出してもかまいません)、それに関する論文を集めたり、他の文献ではどう書いてあるかなどをまとめて、発表します(文献の基本的な読み方なども、ここで習ったり、自主的に身に付けたりします)。

焦点が「誰々がこういうことをした」というストーリーにあるのではなく、「誰々は本当にこういうことをしたのか、なぜしたのか」という疑問にあり、それに関するデータ集めをやったりするので、非常〜に無機質に感じる場合もあるかもしれません。


歴史学者の著作の例を知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
中川収『奈良朝政争史』

歴史学者の著作の例②:
森田悌『受領』

歴史学者の著作の例③:
川副武胤『古事記の世界』


だから、見方によっては非常〜につまらないです。
ただ、受身になってないで、アンテナを張っているうちに、「あれ?足利(あしかが)幕府の実務官僚ってちょっとおもしろいぞ…」とか、「あれ…この人、なんでこんな仏像作ったんだ?」みたいな問題にぶち当たったりします(笑

「足利幕府の実務官僚」に興味をもつのとか、ちょっと常人ではない響きがありますが、要は子供の頃電車に興味もったり、恐竜に興味もったり、昆虫が好きになったりするのとおんなじ次元なんじゃないかとおもいます(笑

そういう「面白い」と思えるものが見つかったら、論文をよんだり、文献を読んだりして調べてみてください。何を読めばいいかは先生に聞けば教えてくれます(可能なところまでは事前に自分で調べ、「〜をするには〜をどうすればいいか」という具体的なレベルまで煮詰めると、先生は喜びます)。

興味をもって調べはじめたら、楽しくてしょうがなくなります。

このように、「自分で調べ、どうしてもわからないところをその道のプロにきく」というようなことが簡単にできるのが、「大学」というめぐまれた環境だということです。

だから、要は「教えてもらう」という受身の姿勢ではいつまでたっても大学の勉強は面白くならないと思います。

何でもそうかもしれないけど、「わからないことは教えてもらう前に自分で調べる。先生の言葉に何か引っかかったらわかるまできく、調べる」みたいな攻めの姿勢になってやっと楽しめると思います。

でも、「歴史学科に入りたい」とちょっとでも思える人は、それができる才能があると思います。
しり込みしないでやってみよう。

―――

という偉そうなことをほんとに気まぐれで書いてみました(><)
鮭缶さん、反論あったらよろしく(笑

―――

歴史学者の著作の例④:
井上辰雄『熊襲と隼人』

歴史学者の著作の例⑤:
庄司浩『辺境の争乱』

歴史学者の著作の例⑥:
阿部猛『摂関政治』


今日はCOLDPLAY"X&Y"でした。


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Posted by 鷲谷 城州 at 00:57│Comments(8)趣味
この記事へのコメント
間違ってはいないと思うよ。
  まっ多くの史学科生はそんなものに興味はないんだけれど。
 学問ができてもモテナイし、モテルやつは学問なんてやってる暇ないし、抑えきれない巨大な怒りを学問にぶつけるものなのかな
Posted by ゲスト at 2005年06月30日 12:38
間違ってはいないと思うよ。
  まっ多くの史学科生はそんなものに興味はないんだけれど。
 学問ができてもモテナイし、モテルやつは学問なんてやってる暇ないし、抑えきれない巨大な怒りを学問にぶつけるものなのかな
Posted by ゲスト at 2005年06月30日 13:19
コメントありがとう。

価値観の違いだからね。
ただ、「モテルやつ」は「モテナイやつ」の価値観に目を向けるべきだし、「モテナイやつ」は「モテルやつ」の価値観に目を向けるべきだと思う。

あと史学に本当に興味がある学生も、ない学生も、お互いのこともっとよく知るべきだと思うな。「なんでこの人こんなに歴史が好きな(または歴史に興味ない)んだ?」って。

あとは僕の場合は動機は「怒り」ではないな。
抑えきれない「愛情」か?(冗談です 笑)
Posted by choujurou at 2005年07月01日 01:05
学問とはそもそも健全な精神にはやどらない。一種の精神病理だと思う。

先輩の論文が『回顧と展望』に載ったけど病んでるね。やっぱり
Posted by ゲスト at 2005年07月01日 01:48
その解釈、捨て置けないので公衆の面前で反論するけど、偏った理解だと思うよ。

まずは鮭缶氏の理解する「『健全な精神』とはなんぞや」、ということを説明してくれ。
Posted by choujurou at 2005年07月02日 01:48
世に偏ってないことはあるのかね・・・

 さて「健全な精神」正確には「健全とされている精神」なのだが、「世の中に認知されている精神」と理解されたい。時代・地域によって様々・一様ではないのは網野・阿部僅・フーコーなどでご存知だろう。

 それでは現在の社会に認知されている価値とは何だろうか?私見によれば「明るく元気で社交的・楽しく恋をして青春謳歌、ちゃんと就活して働こう」なんてところだろうか。

 史学に限定するが、史料と向き合うというてんで引きこもりまがいだ。
 嵌ると就活しないでお勉強・・・潰しが利かないこと山の如し

 そもそも「足利幕府の実務官僚」だの「尾崎行雄の対外認識」だのに皆が興味を持つ国は滅ぶ!気持ち悪いし、マイノリティーなのだ・・・
Posted by ゲスト at 2005年07月02日 20:36
まず
「世に偏ってないことはない」
これは言われてみればそうだ。共感する。

「現在の健全とされている精神」→「明るく元気で…(省略)」
というのも納得。
ただ、そんな人はいないかもしれない。。。
「明るく元気で…」がそもそも「健全」なのかってことみんなで考えた方がいいと思う。
むしろ「明るく元気で…」悩まないでいることは危険なんじゃないだろうか(今回は論点が大きく違うので、あとで説明します)。

確かに「足利…」とか「尾崎…」にみんなが興味もつ世界は非常に気持ち悪い(笑

ただ、自分とは違う価値観の人に対して「あの人は自分と違う」といって終わらせてしまったら、各価値観ごとに閉鎖的になってしまって、(極論すれば)国民全員「おたく」化する危険性をはらんでる。

自分と違う人の価値観を理解しようとしないでいたら、自分と相手の「本当の意味での」違いがわからないから、「相手を批判する」ことでアイデンティティが成立してしまいそうなので、それがつまらないいさかいの元になる気がする。
僕が言いたいのは「そうなってほしくない」ということね。

そうならないためには、きれい事に聞こえるけど、「お互い歩みより」が必要ということ。
「歩みより」ってのは具体的に、まず他人の「世界」を知ろうと努力して、さらに自分の「世界」を相手にわかるように伝えようと努力すること。
(「野球が大好きなAさんが、サッカーの大好きなBさんについて『なぜBはサッカーが好きなのか』を聞いて一緒にサッカーを見たり、『自分がなぜ野球が好きなのか』を考え、整理して、Bさんにわかる言葉で伝えること」

完全にはできないまでも、やらなければ世の中住みにくくなる気がする。

だから、僕は史学の世界や一部の音楽の世界、一部の一般企業の世界、一部の大学の世界(サークル等)などに違和感を抱くことがあるのはそれ。
「似た価値観を共有する仲間同士」の交流で終わってしまって、閉鎖的な印象がある。
いわゆる「大人の世界」もそう。この価値観は子供を占め出す(同じ「人間」としての価値を認めていない)。

「似た価値観」をもった仲間同士の交流に終始していると、「違った価値観」をもった人たちのことがわからないから、実は共感できる部分があるかもしれないのに、表面的な相違点ばかりが目について批判をしたくなるんじゃないだろうか?
それは多くの人が違和感を感じてる「おたく」と何も変わらない。

それが僕の意見です。
(そして、僕自身がこういう考え方をもっているからこそ、価値観の「寄る瀬(港)」がないのも事実)

あとは「史学」→「引きこもりまがい」についてだけど、確かに言えてるんだよね。
つぶしもきかない。
「つぶしがきかない世界に入り込む」
っていう点が「精神的病理」なら、それは当たってると思う。

ただやっぱり「史学」も「自分の考えを他人に伝える」のが仕事なので、その点では「コミュニケイション能力(会話ではなくて文章によってだとしても)」が必要なことは一般企業とは変わりないと思う。

「史学」の本来の意義は、「一般企業に勤めるなどして、日々働いてくれる人たちの代わりに、歴史を研究し、それをみんなにわかるように伝える」ことだと僕は捕らえている。

だから結局人間社会に生きてる限り「コミュニケイション能力」が必要だというのは観念した方がいいと思う。

今(僕も含めて)その「愛情」から発するそのスキルが弱くなってきていると感じるから、僕はこういうことをやっている。

(要は僕が言いたいのは、ここでは「史学」をやっている人とやっていない人とで、お互いをよく「見て」、「共感部分」を探してみてもいいいんじゃないか、ということ。「国際化」の前に国内で「異文化交流」しなきゃ)
Posted by choujurou at 2005年07月03日 01:09
最初に一言、長い!

>悩まないでいることは危険なんじゃないだろうか
 するどいね〜、是非森岡正博『無痛文明論』を読みなさい。たぶんお宅の直感はいい線ついてる。痛みを感じられないと人間は危険に対応でないからね。

>コミニケーション
 については悪いとは言わないが、甘いと思うね。世の中には思考様式が異なる人間、前提となる文化の共有ができていない人達が多い。
 まっ彼等と関係を構築する方法は無いわけでもないんだけれど。教育実習先では俺の下ネタが受けに受けたね。その浦には膨大な教養があることに彼等はきずきもしない、女子には受けない。

>史学
 に関しては「日々働いてくれる人たちの代わりに」云々という認識は持たない方がいい。ある種の傲慢だと思うから。「もしかしたら役に立てるかも、立てたらいいな」程度は持つべきだろうが、持たないやつは何を伝えたいのかな?

 最後に「世に偏ってないことはない」ことを知ったのは良いが、ちと遅いな。大学に入って1・2年で気づくもんだ(もしくは一生気づかないか、そっちの方が「幸せ」だと思うけど)。
 後、「世に偏ってないことはない」という考え方自体偏った考え方であることを忘れずに
 
Posted by ゲスト at 2005年07月03日 22:41
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