賤ケ岳の戦いに学ぶ―相手の心に寄りそう

鷲谷 城州

2021年01月11日 20:00


《令和6年4月16日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第37弾として、「賤ケ岳(しずがたけ)の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。




【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】


第1回 今山の合戦
第5回 長良川の合戦

第6回 桶狭間の合戦
第8回 金ヶ崎城の合戦

第10回 二俣城の合戦
第11回 一言坂の合戦

第12回 三方ヶ原の合戦
第13回 野田城の合戦

第14回 叡山焼き討ち
第18回 長篠の合戦

第22回 江古田原沼袋の戦い
第24回 権現山の戦い

第26回 石山合戦
第29回 第一次国府台の戦い

第30回 上月城の戦い
第31回 河越城の戦い

第32回 三木合戦
第34回 備中高松城の戦い

第35回 本能寺の変
第36回 山崎の戦い


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の邦光史郎氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

他人と何かひとつのことを推し進めるには「信頼関係」が重要です。

この「信頼関係」とは何かというと、「この人は私の利益を尊重してくれる」もしくは「私の権利を侵害しない」と思えることではないでしょうか。

相手にこう思ってもらうにはどうすればいいでしょうか?

世の中には小手先のテクニックがはびこっています。

相手にハードルの低い要求をして「YES」と言わせ続けることで断りにくい状況を作り、最終的な交渉でも「YES」と言わせる「YESセット」

逆に大きな要求を先にして「NO」と言わせ続けることで軽い罪悪感を与え、その後に本命の要求をして「YES」と言わせる「NOセット」等々。

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戸次川の戦いに学ぶ―逸って決断してはいけない

そういったテクニックの有用性は確かにありますが、それだけでは相手の心からの信頼を得ることはできません。

交渉の場を去ったあと、相手が「あれ?私、なんでYESっていったんだろう?」という疑問にさいなまれることも少なくないはずです。

今回は「賤ケ岳の戦い」に勝利した羽柴筑前守秀吉〔以降「(羽柴)筑前守」〕の動きから、そういった小手先のテクニックではない、心からの信頼を得る方法を学びたいと思います。

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賤ケ岳の戦いまでの流れ


天正(てんしょう)10年(1582年)6月2日、「本能寺(ほんのうじ)の変」によって織田前右大臣信長〔以降「(織田)右府」〕は明智日向守光秀〔以降「(明智)日向守」〕によって討たれました。

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その後、備中高松(びっちゅう・たかまつ)城にいた羽柴筑前守秀吉はわずか10日間で230kmの道のりを戻り、6月21日「山崎(やまざき)の戦い」で明智日向守を破りました。


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織田(おだ)家中でのイニシアティヴをとった羽柴筑前守は6月27日に尾張・清須(おわり・きよす)城にて織田家後継者を決める会議を開きます。
いわゆる清須会議です。

この時、織田家の筆頭家老(ひっとう・がろう)柴田修理亮勝家〔以降「(柴田)修理亮」〕は織田右府の三男である侍従信孝〔以降「(織田)侍従」〕を推しましたが、羽柴筑前は右府の嫡孫(ちゃくそん)である三法師(さんぽうし)〔のちの岐阜中納言秀信〕を推します。

羽柴筑前は「右府の仇を討った」という強みと、織田家重臣であった丹羽五郎左衛門長秀、池田紀伊守恒興を味方につけることにより、自らの意見を通すことに成功します。
※この時、筑前は長年の拠点であった近江・長浜(おうみ・ながはま)城を柴田修理亮に譲っています。

しかし水面下では修理亮と筑前守の対立は解消せず、10月、修理亮は筑前守の清須会議の制約違反を責め立てます。

11月、この時期修理亮の領する越前(えちぜん)は雪に埋もれ、大軍の進軍が困難であったため、修理亮は与力(よりき)であった前田又左衛門利家〔以降「(前田)又左」〕、金森五郎八長近〔以降「金森五郎八」〕、不破彦三勝光〔以降「不破彦三」〕を筑前の元に派遣し、和睦(わぼく)をします。


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これがかりそめの和睦と見抜いていた筑前は、12月に近江・長浜城を攻め、城将であり修理亮の養子であった伊賀守勝豊〔以降「(柴田)伊賀守」〕を降伏させています。
※この時、柴田伊賀守は筑前の調略(ちょうりゃく)にあい、城ごと寝返ったと言われています。

筑前はそのまま美濃(みの)に侵攻し、修理亮とともに反筑前の動きをとっていた織田侍従を降伏させます。

明けて天正11年(1583年)1月、羽柴(はしば)、柴田(しばた)、丹羽(にわ)、池田(いけだ)と並ぶ織田家の重臣であった滝川左近将監一益が柴田修理に同調し、北伊勢(きた・いせ)で挙兵します。

筑前は伊勢へ軍勢を向け、滝川左近が落とした諸城を落城させています。
※詳しくは下記「今日は何の日?徒然日記」さんをご覧ください。
※この時の戦いで蒲生忠三郎賦秀〔のちの氏郷〕が活躍しています。


そして2月、ついに柴田修理は前田又左、甥の佐久間玄蕃允盛政ら諸将を率いて越前を進発します。


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賤ケ岳本戦


天正11年(1583年)3月、近江に到着した柴田修理は琵琶湖(びわこ)の北方、柳ケ瀬(やながせ)に布陣します。

一方の羽柴筑前は伊勢から取って返し、余呉湖(よごのうみ)を挟んで南側にある木ノ本(きのもと)に布陣しました。

4月に入り、柴田・滝川(たきがわ)と呼応した岐阜(ぎふ)織田侍従が再び挙兵したため、羽柴筑前は近江に兵を残して自らは美濃に向かいます。
しかし揖斐川(いびがわ)が氾濫していたため大垣(おおがき)城で足止めを食らいます。

そしてそのころ近江では佐久間玄蕃の部隊が羽柴方の中川瀬兵衛清秀隊を急襲。瀬兵衛を討ち死にさせています。

この報を知った筑前は美濃・大垣城から52kmの道のりをわずか5時間で舞い戻ります。

修理亮の撤退命令をきかず前線に陣取っていた佐久間玄蕃隊と柴田三左衛門勝政隊は羽柴筑前の急襲を受け、崩れます。

それを受けてか、修理亮に従っていた前田又左、ついて金森五郎八、不破彦三が相次いで退却を始めます。

これによって柴田軍はあっという間に崩れ、柴田修理自身も退却を始めます。




柴田軍が崩れた要因


この戦いで柴田軍が崩れた要因はいろいろあると思います。

・前線の佐久間玄蕃が撤退せず、戦線の乱れを招いたこと。
・前田、金森、不破の相次いで退却し、柴田修理本体へ羽柴軍が殺到したこと。


この中で今回フォーカスするのは「前田、金森、不破」の退却です。

この話はだいぶ昔から言われていることなので目新しい説ではないのですが、この3名は戦に先立つ柴田と羽柴の和睦交渉の時、柴田方として羽柴筑前を訪問した3名です。

この3名、実はこの時に羽柴筑前の調略を受けていたという話があり、それを踏まえての退却だったという説があります。

また、前哨戦である長浜城の戦いの時も、柴田修理の甥である伊賀守勝豊は筑前に内応(ないおう)したとされています。

情勢的に羽柴筑前の方が有利だったのかもしれませんが、これほどまでに調略を成功させるために筑前はどのような手を使ったのでしょうか?




相手の心に寄りそう


ここから先は僕の考えになります。

上記の羽柴筑前がやったような調略って、テクニックの側面ばかりがフォーカスされているような気がするんですよ。

そのテクニックとは、まず、羽柴筑前は自分が偉く見えるような演出をします。

そのうえで謁見(えっけん)時に相手の苦境などを慮る発言をし、上段から相手のところに降りていって「頼りにしておるぞ」などと言って肩を叩き、相手の自尊心を満たします。

その時に、内応を示唆(しさ)する言葉をかけるんです。

こういったテクニックがすべて演技なのか、嘘なのか。
演技だとしたら、羽柴筑前は大詐欺師ですよ。大ペテン師です。

羽柴筑前はのち、すべての大名(だいみょう)家を従えて天下を統一する人です。
軍事的なパワーもあったでしょうし、策略もあったでしょう。

しかし、それだけですべての大名を従えることはおそらく不可能でしょう。
どこかしらで反乱の絶えない状況となるはずです。

おそらく、彼の言葉には本心も多分に含まれていたと思うんですよね。

では、どうすれば嘘や演技ではなく、本心で相手の心をつかむことができるのか。

それはよく言われていることですが、「相手を知ること」です。

重要度によりあらかじめ相手のことをリサーチするかどうかは変わりますが、少なくとも会話によって相手のことを深く知る努力をします。

・この人のゴールはどこにあるのか。

・この人は何を求めているのか。

・この人は何に価値を置いているのか。

・この人は何をしたら喜ぶのか。

・この人は自分のどういう部分を誇りに感じているのか。


そういったことを、会話の中に質問を織り交ぜていき、探っていきます。
なんなら直接質問してもいいと思います。

こうすることによって、自分の中に相手に与えられるものがあれば相手に与えることができます。
そして、信頼関係が構築されていきます。

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世の中、何も対立や競争ばかりではないんですよね。

自分の余っているものを与え、相手の余っているものをもらう。

これが本来の交易であり、相手も自分も発展する道です。

それをやるためには相手の話を「聴いて」、相手の欲しいものを洞察していく必要があるんですね。
※これ、恋愛にも共通してますよね。


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このような努力をして、誰もが繁栄できる世界を構築できたら素敵だなと思っています。

ということで、今回は「相手の心に寄りそう」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・羽柴〔木下〕 筑前守〔通称は藤吉郎〕 平〔豊臣〕 朝臣 秀吉
はしば〔きのした〕 ちくぜんのかみ〔通称はとうきちろう〕 たいら〔とよとみ〕 の ひでよし
・織田 右大臣〔右府。総見公。通称は三郎、上総介〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ うだいじん〔うふ。そうけんこう。通称はさぶろう、かずさのすけ〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・明智〔惟任〕 日向守〔通称は十兵衛〕 源〔大神〕 朝臣 光秀
あけち〔これとう〕 ひゅうがのかみ〔通称はじゅうべえ〕 みなもと〔おおが〕 の あそん みつひで
・柴田 修理亮〔通称は権六(郎)〕 源 朝臣 勝家
しばた しゅりのすけ〔通称はごんろく(ろう)〕 みなもと の あそん かついえ
・織田〔神戸〕 侍従〔通称は三七〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信孝
おだ〔かんべ〕 じじゅう〔通称はさんしち〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶたか
・織田 中納言〔通称は三郎。幼名は三法師〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 秀信
おだ ちゅうなごん〔通称はさぶろう。幼名はさんぽうし〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん ひでのぶ
・丹羽〔惟住〕 五郎左衛門 良岑〔大神〕 長秀
にわ〔これずみ〕 ごろうざえもん ながみね〔おおが〕 の ながひで
・池田 紀伊守〔通称は勝三郎〕 源 朝臣 恒興〔信輝、勝入〕
いけだ きいのかみ〔通称はかつさぶろう〕 みなもと の あそん つねおき〔のぶてる、しょうにゅう〕
・前田 又左衛門 菅原 利家
まえだ またざえもん すがわら の としいえ
・金森 五郎八 源 長近〔可近〕
かなもり ごろうはち みなもと の ながちか〔あり
ちか〕

・不破 彦三 藤原〔源〕 勝光〔直光〕
ふわ ひこぞう ふじわら〔みなもと〕 かつみつ〔なおみつ〕
・柴田 伊賀守〔通称は伊介〕 源 朝臣 勝豊
しばた いがのかみ〔通称はいすけ〕 みなもと の あそん かつとよ
・滝川 左近将監〔通称は彦右衛門〕 紀 朝臣 一益
たきがわ さこんのしょうげん〔通称はひこうえもん〕 き の あそん かずます
・蒲生 忠三郎 藤原 賦秀〔教秀、氏郷〕
がもう ちゅうざぶろう ふじわら の やすひで〔のりひで、うじさと〕
・佐久間 玄蕃允〔通称は理助、理介〕 平 朝臣 盛政
さくま げんばのじょう〔通称はりすけ、りすけ〕 たいら の あそん もりまさ
・中川 瀬兵衛 源 清秀
なかがわ せべえ みなもと の きよひで
・柴田 三左衛門 源 勝政
しばた さんざえもん みなもと の かつまさ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)
応仁の乱以降の畿内史
前哨戦である亀山城の戦いについて
今日は何の日?徒然日記


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