第一次高天神城の合戦-場を俯瞰する

鷲谷 城州

2020年05月08日 21:00


《令和6年8月18日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第17弾として「第一次高天神(たかてんじん)城の合戦」について書きます。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。


【これまでの記事】・第1回 今山の合戦・第2回 耳川の合戦・第3回 沖田畷の合戦・第4回 小豆坂の合戦・第5回 長良川の合戦・第6回 桶狭間の合戦・第7回 稲葉山城の合戦・第8回 金ヶ崎城の合戦>・第9回 姉川の合戦・第10回 二俣城の合戦・第11回 一言坂の合戦・第12回 三方ヶ原の合戦・第13回 野田城の合戦・第14回 叡山焼き討ち・第15回 一乗谷城の合戦・第16回 小谷城の合戦


『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の萩原雄二郎氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

合戦の概要がわからなければ何を学べるかわからないので、まずは合戦概要です!


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第二次高天神城の合戦-勝者の戦法を徹底的にトレースせよ

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第一次高天神城の合戦までの流れ


この戦いは天正(てんしょう)2年(1574年)、遠江国(とおとうみのくに)高天神城〔現静岡県掛川市(しずおかけん・かけがわし)〕にて武田信玄の跡を継いだ四郎勝頼と徳川(とくがわ)方の部将(ぶしょう)小笠原与八郎長忠〔信興・氏助〕との間で行われた戦いです。

同じ小笠原家の分流である三好家について:
『麒麟がくる』第22回―三好氏の血縁関係

ことの発端は、元亀(げんき)2年(1571年)、武田信玄高天神城を攻めたことにあります。

しかし高天神城は非常に堅い城で、信玄は落城をあきらめて撤退しています。
(一説によると、戦略上大して重要でなかったのでこだわらなかったともいいます)

そして翌元亀3年(1572年)年には信玄は信濃(しなの)方面から遠江を攻めますが(参考:「二俣(ふたまた)城の合戦」、「一言坂(ひとことざか)の合戦」、「三方ヶ原(みかたがはら)の合戦」)、「野田(のだ)城の合戦」後に信玄は亡くなり、四郎勝頼が跡を継ぐことになりました。


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四郎自身、数々の合戦を潜り抜けてきた歴戦の勇士なのですが、何しろ信玄が偉大すぎました。
いや、四郎が信玄のことを偉大だと思い込みすぎたんでしょうね、きっと。

四郎は「家臣たちは自分のことを主君として認めていないのではないか」という疑念を抱いていたといいます。

それを払拭(ふっしょく)するために、「父・信玄さえも落とせなかった」遠江高天神城を落としたい、という執念を抱いたようです。



高天神城落城


下記「はぐれ遍路のひとりごと」さんが掲載されている城構えを見ていただくと分かる(?)と思うんですが、高天神城の縄張(なわば)はすごすぎます笑
(西の丸(現在高天神社があるところ)はこの合戦の後、四郎勝頼が作らせたようです)

急峻(きゅうしゅん)な崖に囲まれていて、曲輪(くるわ)からの見晴らしは最高です。

登るだけで精いっぱいの急峻なのに、上から鉄砲やら弓やら石やら小便やら…が降ってくるんですから、攻める方はたまったものではありません。

しかしどんなに急峻な坂を擁していようとも、城攻めというのは兵糧(ひょうろう)や水の道を断てばあとは時間の問題となります。

そしてもう1つ城攻めで肝心要(かんじんかなめ)なのは、いかに援軍を寄せ付けないかということになります。

小笠原与八郎率いる高天神城兵たちは主君・徳川三河守家康の援軍を待ちわびましたが、待てども待てども来ません。

なぜならば、三方ヶ原の合戦で武田(たけだ)軍の脅威を痛感した三河守は慎重になっていたからです。

自軍だけで援軍を送ることをよしとせず、織田上総介信長の援軍が来てからの出陣をもくろみました。

しかし同年1月に徳川家と同様に武田方に東美濃(ひがし・みの)を制圧された上総介はそれどころではなく、高天神城に援軍を送りませんでした。

そのため、5月中旬に始まったこの合戦は1か月もちこたえたのち開城。

四郎勝頼は城兵たちに寛大な処置を取りました。

武田方に投降するものは武田方の武将として扱うこととし、投降をよしとしない者は徳川方へ帰ることを許しました。
(この時、「横須賀党(よこすか・とう)」として有名な大須賀五郎左衛門尉康高は浜松(はままつ)城へ帰参し、開城に反対しとらえられた大河内源三郎政局は投降せずに牢獄内で数年の時を耐え忍びました)

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ビジネスに活かす要素は?


今回取り上げる点としては、合戦そのものについてではなく、下記「はぐれ遍路のひとりごと」さんもおっしゃっているように、「この戦の有用性そのもの」ですね。

高天神城は「難攻不落(なんこうふらく)の堅城(けんじょう)」だの「高天神を制する者、遠州(えんしゅう)を制す」だの言われていたようなのですが、いまいちピンとこないんですよね。

というのも、高天神城の位置は東海道(とうかいどう)〔現在の国道1号線辺り〕からは外れた位置にありまして。

ちょっとした山奥になっているので東海道を進軍する敵を討つのにも一苦労しそうな位置にあります。

↓高天神城周辺図(クリックで拡大します)


言ってしまえば、信玄のように無視しても特に差しさわりのない城なんですよね。

同様に信玄が落とせなかった城である久野(くの)城(上図参照)は東海道沿いですから、こちらの方が戦略的にはよっぽど価値があると思うんですよね。
(久野城を落とせば武田方は二俣城、久野城、諏訪原(すわはら)城の防衛ラインを作ることができ、天方(あまがた)城を孤立させられる。さらに街道を分断するので高天神城をも孤立させられます

ただし、街道沿いのため徳川方も援軍を送りやすい位置にあります。

四郎勝頼が久野城を狙わなかったのは、徳川からの援軍の送りやすさという面でも落としがたいと踏んだためか?

それとも、「高天神を制する者、遠州を制す」と言われた高天神城を落とした方が名声が高まると判断したためか?

とにかく、四郎勝頼は戦略的にミスと思えるような抑え方をしています。



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※参考までに、遠江侵攻のときに信玄は丁寧に自陣営の防衛ラインを作りながら相手のラインを寸断するという、非常にうまい用兵を行っています。
↓信玄の遠江侵攻ルート(※クリックで拡大します)



四郎勝頼はこの戦いで結果的には勝利を収めますが、家臣の信望を失っていきます。

理由は家督相続後の不安定な状況で、遠征に続く遠征を行い疲弊(ひへい)したためです。

武田軍はこの戦いの前にも東美濃攻略戦を行っていますし、高天神城の合戦の後に行われた長篠(ながしの)の合戦では家臣の疲弊があらわになり(ほかの要因も大きいですが)、ついに武田軍は壊滅します。

結局、古来言われているし他の方もよくおっしゃっていますが、

・「焦り」などの感情的要因によって大局的な判断を誤った

ことが大きく響いてくる戦いでした。

人間、つい目の前のことに没入してしまいがちです。

僕自身もよくやってしまいます。

それを防ぐためには、気が付いたときには常に「抽象化」を意識する必要があります。

「具体化」の方は放っておいても勝手に脳みそが考え始めます。

まずは状況を「抽象化」することに注力すればいいのだと思います。

今、自分の仕事はこうだけど、係は?課は?部は?会社は?地方自治体は?国は?…みたいな感じです。

少しずつ抽象化することを心掛けるだけでも、一時の感情にとらわれすぎることを防げると思います。

さんざん私心に惑わされて失敗してきた僕が言うのもなんですが、「抽象化」していき私心を離れることで、自ずとうまくいくことが多い気がします。

というわけで、今回の教訓は私心を離れて全体を見ることで正しい判断をしよう!

となります。

今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!


次回の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
長篠の合戦―プライドよりも信頼関係を重視せよ


※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ
・武田(諏訪) 大膳大夫〔通称は四郎〕 源〔神〕 勝頼
たけだ〔すわ〕 しろう みなもと〔みわ〕 の かつより
・小笠原 与八郎 源 信興〔氏助〕
おがさわら よはちろう みなもと の のぶおき〔うじすけ〕
※高天神城の戦いでは「長忠(ながただ)」という名前が有名ですが、実は誤伝のようです。

・徳川 三河守〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 家康
とくがわ みかわのかみ〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん いえやす
・織田 上総介〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ かずさのすけ〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・大須賀 五郎左衛門尉 平 康高
おおすが ごろうざえもんのじょう たいら の やすたか
・大河内 源三郎 源 政局
おおこうち げんざぶろう みなもと の まさちか
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
はぐれ遍路のひとりごと
城めぐりん
おいしいBlog


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