リスク

鷲谷 城州

2005年08月10日 10:19



昨日は野田誠司氏に、1983年にエリック・クラプトン、ジェフ・べック、ジミー・ペイジらイギリス三大ギタリストが競演したチャリティコンサート"ARMS"を見せていただいた。


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三人が三人でかつての覇気がなくて、寂しい感じがしたが、「チャリティコンサート」の歴史の一コマとして重要だという。

そのあとは大学時代世話になった先輩方と酒を飲んだ。
その先輩らとの話の中ででてきたのが、「就職するにも就職しないにも、結局リスクがある」という話だった。

その話に対する僕の理解をば。
難しいのでちゃんと説明できるか不安ですが。

就職する場合は毎日貴重な時間を企業に提供しなければいけないわけだし、労働で自分の健康が損なわれる危険性は大きい。これが就職のリスクかな?

就職しない場合は社会的保障や、信用が犠牲になる。フリーターやニートに生活保障はないし、社会人として信用もされない。これが非就職のリスクか?

要は、これらのリスクをわかった上で、その道を選択することが必要だという。
そのリスクをわかっていれば、それに見合うか、もしくはそれ以上のリターンを得るだけの努力ができるという。

もしリスクを知らない状態での選択でも、あとで「過去の選択のリスク」を理解すれば、取り戻せるともいう。

なるほどなと思った。

何をするにも、自分が「支払う」ものって存在する。お金そのものもそうだし、労働力、精神的エネルギーなんかもそうだと思う。でもただ「支払う」だけじゃだめだ。
自分が「支払っ」ているということを自覚しなきゃだめだ、ってことかな?

やっぱり「支払っ」たらなくなってしまう。「心」も支払ったらなくなってしまう。そんな気がする。

「心」がなくなってしまうっていうのは大変なことだ。
「心」を「お金」と一緒に考えるのは間違ってる。
だけど、自分が「支払っ」た分の「心」を理解して、それと同じか、それ以上の「心」を補充しなくてはいけない。

「心」がなくなってしまえば、自分以外の人も悲しませることになってしまう。
それは、その人の「心」も取り去ってしまうことだと思う。


リスク計算について:
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リスクをとることの意義について:
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