古典は必要なのか

鷲谷 城州

2019年01月30日 20:00




皆さんこんばんは。
今回は記事「『古典は本当に必要なのか』討論会へ行ってきた」を読んで感じたことです。

記事の概要としては、オーナーさんが討論会に行き、その議論内容について「古典いらない派」は高校生の限られた授業時間の中で古典に割くべき時間はそれほど要らないのではないか、というような地に足のついた論説なのに対し、「古典必要派」は「古典は幸せのために必要だ」などの地に足のついていない反論しか言えず、議論になっていない点を指摘しています。しかし、オーナーの立ち位置としては「古典は必要」派なのでその必要度合いを可視化するなどの地に足のついた論説を考えていらっしゃいます。

僕の立ち位置としては、

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「古典は必要」派です。

「古典」という読み物はほとんどの人にとって直接的な能力を育てるものではありませんが(実のところ、学校で習うほとんどの教科は「実用的」ではありませんが)、地頭や知識を育てるのにとても有効な学問だと思います。

現代語と似ている単語、異なる単語、意味の変化した単語など、頭を使う要素が盛りだくさんですね。
「係り結び」の「こそ」とか、謎の「已然形」とか現代語にその片鱗が残っているのですが、そういうことを10年くらい頭の片隅で考えていると、そのうちなぜかスルスルっと謎が解けていくんですね。

さらには大和言葉の面白さがありまして、古い日本語の単語はひらがなで表すと一文字で意味をもつ単語が割りと多くてですね、「ち」とか「ぬ」とか「め」とか、非常に面白いです。

関連記事:
森田良行『日本語をみがく小辞典<名詞篇>』

他には「同訓異義語」や似た訓読みの単語などはかなりの確立で語源が同じだったりします。

そういうことを毎日考えていると、毎日頭のトレーニングになっている気がします。

そんな材料を授けてくれたのは中学高校で習った古典ですし、こうやってトレーニングした知能を日常生活に活かせるわけです。

さらには、いろいろな方がおっしゃっていますが、何百年、時には千年を超えて残り続けた作品というのは内容が非常にいいです。
とても勉強になるか、味わい深い作品しか残っていないので、そんな作品に触れる機会を少なくするのはもったいないです(現代語で教えればいいじゃないか、という人もいますが、その作品の本来の味わいは古文でないと味わえません)

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というわけで、
・頭をよくするトレーニングになる
・役に立つ知恵や味わい深い作品に触れることができる

という点で僕は「古典推し」です!

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※写真はイメージです。

参考
武蔵野書院のブログ
基礎学(キソガク)
黄昏草日記

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