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2021年07月10日

関ヶ原の戦いに学ぶ―相手に納得感を与える

関ヶ原古戦場記念館


皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第46弾として、「関ヶ原の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。

【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】
江古田原沼袋合戦 権現山の戦い
第一次国府台の合戦 川越城の合戦
志賀城の合戦 郡山城の合戦
厳島の合戦 四万十川の合戦
今山の合戦 耳川の合戦
金ヶ崎城の合戦一言坂の合戦
三方ヶ原の合戦 叡山焼き討ち
江古田原沼袋の戦い② 石山合戦
雑賀・根来合戦 第一次国府台の戦い②
三木合戦 本能寺の変
九戸城の戦い 文禄・慶長の役


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の二木謙一氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

相手を説得したいとき、つい表面的なテクニックに走ってしまいたくなります。

・まずは相手と世間話をしてラポールを作り、信頼感を得る。

・信頼感を得たら相手のニーズを刺激し、商品のメリットを説明する。

・相手がいいな、買いたいな、という気持ちになったら「キャンペーン」や「残りわずか」などの文言で「焦り」を誘い、契約にこぎつける。

この「焦りを誘う」という部分がくせ者ですね。

人間、焦ると思考力が奪われ、正常な判断ができなくなります。

このような「焦り」によって結んだ契約って、どれほど有効なのでしょうか?


自然に落ちている木の実を拾って食べる生活には限界があります。
拾いつくしたら、木の実はなくなってしまいますから。

「焦り」を誘う手法は、このように「木の実」を拾って食べる生活に似ていると思っています。

自然に落ちている木の実を拾うのではなく、「実のなる木」を植え、育てていかなくてはなりません。

今回は、徳川内府家康が石田治部少輔三成を破った「関ヶ原の戦い」から「実のなる木」の植え方を学ぼうと思います。


<関ヶ原の戦いまでの流れ>


慶長3(1598)年8月、文禄・慶長の役の最中に太閤・羽柴前太政大臣秀吉が死去しました。

参考記事:
文禄・慶長の役に学ぶ―「叱るマネージメント」は下策である

これにより、徳川内府家康や伊達権左少将政宗らが私的に姻戚関係を結ぼうとしていたことが発覚します。

このことで内府と前田前権大納言利家との間に緊張関係が生じますが、すんでのところで武力衝突は回避されます。


徳川内府関連の記事:
苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻

伊達権左少将関連の記事:
摺上原の戦いに学ぶ―次善策を用意する

前田前権大納言関連の記事:
大河ドラマを楽しむ方法(12)(『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回)


慶長4(1599)年閏3月には前田前権大納言が死去します。

それにより、今までなんとか抑えられていた不満が爆発したのか、加藤主計頭清正、福島侍従正則、黒田甲斐守長政、藤堂和泉守高虎、細川越中守忠興、蜂須賀阿波守家政、浅野左京大夫幸長の七将が、石田治部少輔三成を襲撃します。

この事件により、石田治部は奉行職を解かれ居城・佐和山城に蟄居します。


加藤主計頭の登場する記事:
司馬遼太郎『関ヶ原』下

福島侍従の登場する記事:
司馬遼太郎『関ヶ原』中

藤堂和泉守の登場する記事:
一宮城の戦いに学ぶ―キレた勢いで行動してはいけない


同年9月、前田前権大納言の子・権中納言利長を首謀者とした内府暗殺計画が発覚します。

計画自体は事前に発覚したことでとん挫していますが、これに関わったとして浅野左京大夫の父・弾正長吉(長政)が処罰され、内府は諸大名に前田権中納言討伐を命じます。

このことを知った前田権中納言は弁明に努め、翌慶長5(1600)年正月、母の芳春院を江戸に人質に送っています。

そんな中、内府はそれまで太閤正室の北政所がいた大坂城西の丸に入り、諸大名への加増・転封を行いました。

また一方で、この頃会津を領していた上杉権中納言景勝が軍事力の増強を始めます。

内府はこのことを咎めますが、上杉権中納言は聞かず。
二者の関係が悪化しています。
※この時仲裁に尽力した藤田能登守信吉は上杉家中で裏切りを疑われ、徳川家に出奔しています。


関連記事:
『青天を衝け』第5回―藤田家について

上杉権中納言関連の記事:
合戦における戦術について⑩御館の乱


結局交渉は決裂し、内府は5月に上杉征伐を決定。

6月18日には諸大名を引き連れて会津に向けて大坂を出発します。

<関ヶ原の戦い>


7月1日、内府は江戸に到着します。

上方では、7月15日に石田治部らが徳川内府征伐のために決起しています。

7月19日には石田治部らが、徳川内府の家臣・鳥居彦右衛門元忠らの守る伏見城を攻めています。

鳥居彦右衛門関連の記事:
これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

内府が石田治部の決起をいつ知ったのかは定かではないのですが、7月23日には確実に知っていたようで、26日に諸将に会津征伐を中止して西へ向かうように命じています。

8月1日には伏見城が落城します。

8月5日には内府が下野小山から江戸に戻っています。

8月8日、毛利勢が伊勢に出陣し、治部は尾張に向けて出発。

8月17日には島津勢が美濃垂井に到着しています。

8月22日には東軍諸将が岐阜城にいた織田右府信長の孫、権中納言秀信と戦い、23日には岐阜城が落城しています。


織田右府関連の記事:
『麒麟がくる』第44回―南光坊天海について

同関連記事:
『麒麟がくる』第43回―波多野家について

同関連記事:
『麒麟がくる』第42回―荒木摂津守について


徳川内府は9月1日になってようやく江戸を出発し、美濃へ向っています。

9月7日、毛利勢が南宮山に到着。

9月14日、小早川金吾中納言秀秋が松尾山に着陣。

金吾中納言関連の記事:
『青天を衝け』第3回―平岡家について

そのころ内府はようやく美濃赤坂に到着し、翌15日、ついに決戦が行われます。

最初は石田治部らの西軍有利と思われましたが、有名な金吾中納言と四将の寝返り、吉川侍従広家の静観などにより、東軍が勝利します。

吉川侍従の登場する記事:
『真田丸』、竹本義太夫はそっとしておくべきか?(第37回)

四将の1人・朽木信濃守元綱関連の記事:
『麒麟がくる』第30回―三淵氏の来歴

同関連記事:
『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽

<内府は無理押しをしなかった>


ここで肝心なのが、決戦に至るまで徳川内府が力づくでことを進めた形跡がないことです。

もちろん、加賀征伐や会津征伐は言いがかりに近いものがあるかもしれませんが、下野・小山で諸将に西進を命じたとき、西軍・東軍どちらにつくかの判断は諸将に任せたと言います。

また、治部の決起を知ったら全速力で西に戻りそうなものですが、内府は8月5日に江戸について以来約1か月もの間逗留し、江戸を発ったのは9月1日です。

この間、西軍諸将に対して自分へ着くように手紙を送っていたのかもしれませんが、うかうかしていたら先発した福島侍従ら太閤子飼いの大名たちがどう転ぶかわかりません。

なぜ、これだけ時間をかけたのでしょうか?

<相手に納得感を与える>


ここから先は僕の解釈になりますが、内府は自分に味方した太閤子飼いの諸将に「納得感」を与えたかったのではないかと思います。

以前、下記記事で相手を「急かす」ことで契約に持ち込む営業手法について書きました。

参考記事:
戸次川の戦いに学ぶ―逸って決断してはいけない

「明日までのキャンペーンです」

「残り3つしかありません」

等の文言で相手を急かし、思考力を奪うことで契約にこぎつける手法です。

「急かし」は、本当に相手に必要なものを売る時には決断の後押しになるかもしれませんが、大抵の場合は「よく考えたら要らないもの」を売る時によく使われる手法である気がします。

営業を受けている時は焦って思考力が奪われているので、その場の雰囲気で「いいな」と思って買ってしまうのですが、後で冷静になってみると「騙された」という感覚が襲ってくるんですね。

この営業手法は契約数自体は取れるので、表面的には売上が上がっているように見えます。

しかし、「後で冷静に」なったお客さん達が次々とキャンセルを申し出てくるので、結局売り上げはあまり上がっていないことが多いです。

徳川内府は、この「後で冷静になって」考えたら「騙された」と感じる感覚に諸将が襲われることを防ぎたかったのではないかと思うんです。

これはすごく繊細な手法で、相手に熟慮させると契約数自体はとんでもなく少なくなります。

世の中、「よく考えたらいらないもの」ばかりですから。

しかし、熟慮して「納得感」をもって買ってくれたお客さんというのは信頼が厚く、クレーマーにもなりづらいですし、その後もファンになってくれやすいです。
※僕自身、結婚前に妻と付き合い始める時にこの「熟慮」をしてもらったのですが、それは上記の理由からです。ただ、このエピソードはあまりにプライヴェートな内容ですし、いろいろ濃厚なノウハウが詰まっているのでここでは語りませんw

まとめると、

・相手を「急かす」手法は、表面的には成功するが長続きしない

・「熟慮」によって「納得感」を得た相手はアツく、ファンになってくれやすい


ということですね。

表面的な「テクニック」を駆使すると一瞬成果は出るのですが、長続きしません。

そうではなく、相手に「納得感」をもってもらいファンになってもらうことで、「実のなる木」を植え、育てていくことが本当の成功ではないでしょうか?

ということで、今回は「相手に納得感を与える」ということについて説明させていただきました。

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!
最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・関白 羽柴(木下) 太政大臣(通称は藤吉郎) 豊臣(平、藤原) 朝臣 秀吉
・徳川 内大臣(通称は次郎三郎) 源 朝臣 家康
・伊達 左近衛権少将(通称は藤次郎) 藤原 朝臣 政宗
・前田 前権大納言(通称は又左衛門) 菅原 朝臣 利家
・加藤 主計頭(肥後守。通称は虎之助、虎之介) 藤原 朝臣 清正
・福島 侍従(左衛門大夫、左衛門尉?通称は市松、市兵衛) 源 朝臣 正則
・黒田 甲斐守(通称は吉兵衛) 源 朝臣 長政
・藤堂 和泉守(通称は与右衛門) 藤原 朝臣 高虎
・細川(長岡) 越中守(通称は与一郎) 源 朝臣 忠興
・蜂須賀 阿波守(通称は彦右衛門) 源 朝臣 家政
・浅野 左京大夫(通称不明) 源 朝臣 幸長(長慶、長継)
・石田 治部少輔(通称は佐吉) 下毛野?(平?) 朝臣 三成
・前田 権中納言(通称は孫四郎) 菅原 朝臣 利長(利勝)
・浅野 弾正少弼(通称は弥兵衛) 源 朝臣 長吉(長政)
・上杉(長尾) 権中納言(弾正少弼。通称は喜平次) 藤原(平) 朝臣 景勝(顕景)
・藤田 能登守(通称は弥六郎) 小野 朝臣 信吉
・鳥居 彦右衛門 平 元忠
・織田 前右大臣兼前右近衛大将(通称は三郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 信長
・織田 権中納言(通称は三郎) 平(藤原、忌部) 朝臣 秀信
・小早川(羽柴・木下) 権中納言兼左衛門督(金吾中納言。幼名辰之助) 豊臣(平) 朝臣 秀秋(秀俊、秀詮)
・吉川 侍従(字は又次郎) 藤原 朝臣 広家(経信、経言)
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
蠢動記Ⅱ
算数星人の中学受験お役立ち情報
旅人のブログ

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↓関ヶ原の戦いについてもっと知りたいと感じたら、下記リンクからぜひ情報収集してみてください!




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Posted by 鷲谷 城州 (旧通称:壮介) at 20:00│Comments(0)趣味
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