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2021年05月31日

九戸城の戦いに学ぶ―事態を過小評価しない

二戸市
《令和6年3月15日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第44弾として、「九戸(くのへ)城の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】
第8回 金ヶ崎城の合戦 第11回 一言坂の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦 第13回 野田城の合戦
第14回 叡山焼き討ち 第22回 江古田原沼袋の戦い
第23回 天目山の戦い 第26回 石山合戦
第32回 三木合戦 第35回 本能寺の変
第41回 人取橋の戦い第42回 摺上原の戦い
第43回 小田原征伐


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の松永義弘氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

安心、安全を得るための対策ってどれくらいやっていますか?

僕は元来心配性で、向こう見ずに行動しているように思われているかもしれませんが、時折「そんなこと起こらないよ」とバカにされるくらいの対策をしています。



僕にはよくわからないんですよね。

安心、安全を得るための対策になぜ手を抜くのか。

事態を過小評価して何かいいことがあるのでしょうか?

東日本大震災の津波然り、今回の新型コロナウイルスのパンデミック然り、世の中には時に自分達の予想をはるかに超える事態が起こります。


安全対策関連の記事が気になった方は、下記リンクをタップしてください
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない

関連記事:
第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ


杞憂(きゆう)に終わればそれでいいです。
しかし、時に杞憂に終わらないことがあることが証明されています。

というわけで今回は、九戸左近将監政実が羽柴軍に敗れた九戸城の戦いから「事態を過小評価しない」ということを学びます。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(4)趣味

2021年05月27日

『青天を衝け』第8回―岩瀬忠震の出自

皇居凱旋濠
《令和5年12月13日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第8回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しみ方】
・第1回―渋沢家について ・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について ・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について ・第6回―美賀君の血筋
・第7回―井伊家について


まずはあらすじ。



第8回のあらすじ


安政(あんせい)5年(1858年)、尾高惇忠(田辺誠一)との旅から戻ってきた渋沢栄一(吉沢亮)に想いを告げられた千代(ちよ)(橋本愛)は、戸惑いを見せたものの、「ほっとした」と栄一の気持ちに応える。

仲睦まじく話す2人を渋沢喜作(高良健吾)が遮った。

尾高長七郎(満島真之介)の手紙により、千代を賭けて栄一と剣の勝負をするという。

道場に行き、戦う栄一と喜作。

実力は拮抗するものの、惇忠の判定により喜作が勝利した。

喜作は千代と結婚する権利を得たものの、千代の気持ちを知ってか、千代に栄一と結婚しろという。

その場を去る喜作だが、その後を追う女性がいた。

以前、喜作に惚れ込んだというよし(成海璃子)であった。

喜作はよしと結婚することになった。

一方幕府(ばくふ)では、将軍家・徳川内大臣家定(渡辺大知)の命により、突如、井伊掃部頭直弼(岸谷五朗)が大老(たいろう)に抜擢された。

そんな中、井伊掃部頭の知らぬところで岩瀬肥後守忠震(川口覚)がアメリカと通商条約を結んでしまった。

掃部頭はそれを「宿継奉書(しゅくつぎほうしょ)」という文書(もんじょ)で朝廷(ちょうてい)に知らせたが、一橋宰相慶喜(草彅剛)は軽々しすぎる、と掃部頭を叱った。

しかし同時に、次期将軍家が紀州宰相(きしゅう・さいしょう)慶福(磯村勇斗)に決まったと聞き、それを歓迎した。

一方、病によりいまわの際にあった将軍家・家定は掃部頭を呼び出した。

旧一橋(ひとつばし)派の面々を処罰しろという。

後の世にいう「安政の大獄(たいごく)の始まりであった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2021年05月23日

ブログ開設16周年!!

東京の街並み


皆さんこんばんは。
今回は、今月ブログ開設16周年を迎えたので、今までの振り返りや今年の抱負についての中間報告をしようかと思います。

ブログ開設の経緯等については下記記事をご覧いただければと思います。


参考記事:
ブログ投稿記事数1000件到達!

参考記事:
ブログ再開

僕がネット上で自己表現することの意義について:
ホームページ開設にあたって


この「○○周年」シリーズは何だかんだ言って、中断期間を除いてほぼ毎年やっておりまして、振り返りやリアルタイムの自分の考えを記録するのに役に立っているのかなと思っています。

ただ、なぜか去年だけは乗り気がしなくて書きませんでしたw

→過去の「○○周年」シリーズはこちらです。


参考記事:
ブログ開設14周年!

参考記事:
ブログ開設13周年!

参考記事:
ブログ開設12周年!

参考記事:
ブログ開設4周年

参考記事:
ブログ開設3周年

参考記事:
ブログ開設2周年


というわけで、振り返りの方が長くなりそうなので、先に今年の抱負についての中間報告をさせていただこうと思います。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)日記

2021年05月19日

インナーとして優秀なTシャツが欲しかった

Tシャツ


皆さんこんばんは。
今回はTシャツを買った話です。

最近はめっきり歴史ブログと化したこのブログですが、元々は日記的に日常を書いていく雑多なブログでした。


関連記事:
Tシャツもらった(5)

関連記事:
長袖Tシャツをもらった

関連記事:
Tシャツもらった(4)


上記リンクのように、このブログの長い歴史の中で幾度もTシャツをもらったり買ったりしてきました。

ブログに載せていないものも多数ありまして、Tシャツには事欠かない訳です。

そんなTシャツ長者である僕がなぜTシャツを買うのか?
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(2)買い物・もらい物

2021年05月15日

『青天を衝け』第7回―井伊家について

佐久市
《令和5年10月17日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第7回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しみ方】
・第1回―渋沢家について ・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について ・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について ・第6回―美賀君の血筋


まずはあらすじ。



第7回のあらすじ


安政(あんせい)5年(1858年)、渋沢栄一(吉沢亮)の従兄(いとこ)であり尾高惇忠(田辺誠一)の弟である長七郎(満島真之介)が江戸(えど)に旅立つという。

その話を聞きつけて、栄一の従兄の喜作(高良健吾)は惇忠、長七郎に、彼らの妹である千代(ちよ)(橋本愛)との結婚を申し込んだ。

幕府(ばくふ)では阿部伊勢守正弘(大谷亮平)が亡くなり、堀田備中守正睦(佐戸井けん太)が老中首座(ろうじゅう・しゅざ)となった。

備中守は開国(かいこく)派であり、幕府が一気に開国に傾いたことに焦った徳川権中納言斉昭(竹中直人)は京都(きょうと)に幕府とは異なる意見を書いた手紙を送っていた。

一橋参議慶喜(草彅剛)はそんな父を諫(いさ)めるのであった。

血洗島(ちあらいじま)では尾高惇忠らが江戸に滞在する長七郎からの手紙を受け取っていた。

彼の手紙に触発された栄一は、惇忠を連れた商いの旅の中自分の千代への想いを確認し、血洗島に戻ると駆け出し、千代を探して想いを告げるのであった。

幕府では、13代将軍・徳川内大臣家定(渡辺大知)が自分よりも一橋慶喜を推す松平越前守慶永(要潤)らを煙たがり、たまたま茶会の席で目の前にいた井伊掃部頭直弼(岸谷五朗)に目を向けるのであった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2021年05月11日

『青天を衝け』第6回―美賀君の血筋

天然理心流 木刀
《令和6年4月1日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第6回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しみ方】
・第1回―渋沢家について ・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について ・第4回―阿部家について
・第5回―藤田家について





あらすじ



安政(あんせい)2年(1855年)、水戸学(みとがく)の大家・藤田東湖(渡辺いっけい)の死に衝撃を受ける渋沢栄一(吉沢亮)であったが、低い身分から身を起こした高祖劉邦、豊太閤(ほうたいこう)や、小大名から征夷大将軍に成り上がった東照大権現(とうしょうだいごんげん)らの事績を恃みに日々勉学に、家業に励むのであった。

そんな栄一に、尾高惇忠(田辺誠一)らの妹・千代(ちよ)(橋本愛)は意図せず想いを告げてしまい、戸惑う二人であった。

ある日、血洗島(ちあらいじま)・尾高惇忠の道場に道場破りが現れた。

江戸・千葉(ちば)道場出身の真田範之助(板橋駿谷)という男であった。

渋沢喜作(高良健吾)、栄一ともに敗れるが、惇忠の弟・長七郎(満島真之介)が勝利した。

その夜、範之助と語らった栄一らは、範之助から「尊王攘夷(そんのうじょうい)という言葉を教わるのであった。

一方、幕府は下田(しもだ)にやってきた米外交官ハリス(チャールズ・グラバー)が通商条約(つうしょうじょうやく)を結ぶまで動かない、と主張していることに困り果てていた。

老中(ろうじゅう)・阿部伊勢守正弘(大谷亮平)はもはや条約を結ぶしかないと弱気になるが、海防参与(かいぼうさんよ)(軍制改革参与(ぐんせいかいかくさんよ))徳川権中納言斉昭(竹中直人)は強行に攘夷を主張する。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ

2021年05月07日

小田原征伐に学ぶ―相手に口実を与えない

小田原城 天守
《令和5年8月14日更新》

皆さんこんばんは。
今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第43弾として、「小田原征伐(おだわらせいばつ)」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】
第8回 金ヶ崎城の合戦 第11回 一言坂の合戦
第12回 三方ヶ原の合戦 第13回 野田城の合戦
第14回 叡山焼き討ち 第22回 江古田原沼袋の戦い
第23回 天目山の戦い 第26回 石山合戦
第32回 三木合戦 第35回 本能寺の変
第41回 人取橋の戦い第42回 摺上原の戦い


※『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の小和田哲男氏の記事をベースに他ブログさんの記事などを参考にさせていただいております(下記)。

新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発布されたり解除されたりと目まぐるしい状況ですが、皆さんは宣言に忠実に従っているでしょうか?

結局のところ、罰則のない法令に従うかどうかは個人の判断にゆだねられる結果となり、個人個人が自分の都合に合わせて守ったり守らなかったりしているのが現状と思われます。

しかし、法令は守った方がいいです。

なぜか?

そのヒントが、今回取り上げる戦に隠されています。

というわけで今回は、北条(ほうじょう)家が羽柴(はしば)家に敗れた小田原征伐から「相手に口実を与えない」ということを学びます。
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(2)趣味

2021年05月03日

『青天を衝け』第5回―藤田家について

千波湖・桜川
《令和5年9月13日更新》

皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第5回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『青天を衝け』の楽しみ方】
・第1回―渋沢家について ・第2回―身分秩序について
・第3回―平岡家について ・第4回―阿部家について


まずはあらすじ。



第5回のあらすじ


嘉永(かえい)7年(1854年)、血洗島(ちあらいじま)の渋沢栄一(吉沢亮)の姉・なか(村川絵梨)に縁談(えんだん)がもたらされた。
しかし、叔母のまさ(朝加真由美)は縁談相手の家が「狐憑き(きつねつき)」の家だと言い、破談にした方がいいという。

そのことでなかはふさぎ込み、呆然として歩く様子が目撃されるようになった。

この頃各地で地震が頻発しており、下田(しもだ)沖に停泊していたロシア軍艦が転覆した。

ロシア人を助けようという阿部伊勢守正弘(大谷亮平)に向かい、徳川権中納言斉昭(竹中直人)は夷狄(いてき)を皆殺しにせよというが、藤田東湖(渡辺いっけい)は「夷狄にも家族や友人がいる」と諫言(かんげん)した。

そんな東湖の「諍臣(そうしん)」としての姿に平岡円四郎(堤真一)は感銘を受けるのであった。

一方、血洗島では栄一の叔母・まさが修験者(しゅげんじゃ)たちを連れて栄一の家にやってきた。

姉・なかの件でお祓いをしてもらうという。

修験者一行の口寄せによると渋沢家には無縁仏がいるそうで、それを祀るため(ほこら)を建てた方がよいと言われた。

集まった村人たちは納得しかけるが、栄一が矛盾を突いたことで修験者たちの嘘が発覚し、ことなきを得るのであった。

翌安政(あんせい)2年(1855年)、江戸(えど)を大地震が襲い、徳川斉昭の諍臣であり友であった藤田東湖が犠牲となった。
斉昭は慟哭(どうこく)するのであった。

ということで、
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Posted by 鷲谷 城州 at 20:00Comments(0)テレビ